
[連載小説] オオカミは もうそこまで来ている #4 南海トラフの足音 浜や食堂にて
浜や食堂のおかみさん
健治君のお嫁さん… さちこさんは、海岸沿いの国道わきで「浜や」という小さな食堂を切り盛りしており、奥と二階が一家の住まいになっている。
津波のハザードマップによると、危険区域には含まれないが、やはり海に近いので、念のため みかん畑の丘にある健治の実家に避難する事になっているのだった。
夕方のお客さんもひけた頃、駐車場に一台の車が止まって、クーラーボックスを抱えた忠明じいちゃんが降りて来た。
のれんをくぐって、ドアを開けると
「あら、お義父さん」
テーブルを拭いていたさちこさんが、顔を上げた。
「鮎 持って来たで」
重いクーラーボックスを、テーブルに置く。
「あれ〜 けっこう漁れたねぇ」
のぞき込んださちこさんは、うれしそうだ。
「まだ 小さいけどな」とじいちゃんは、まんざらでもない顔だ。
「あしたは、鮎の天ぷら定食ができるわね」
この「浜や」は、さちこさんと手伝いのおばちゃんの二人でやっているので、メニューは多くない。定番の 浜や定食と 丼物の他は、食材しだいでメニューが変わる。
新鮮な食材が手に入ると
「松茸ごはん」
「さんまずし」などの のぼりを立てる。
明日は、“鮎の天ぷら定食“と、看板に手描きする事になりそうだ。
季節のお弁当は、観光客にも人気があって時々車が止まる。あたりには松林が広がり、その向こうは海だ。自販機でお茶を買って、海辺に降りて行くカップルもいる。
昔、さちこさんの母親が「浜や」をやっていた頃、さっちゃんはミニスカートの似合うかわいい看板娘だった。その頃、忠明じいちゃんの息子の健治君は、大工仕事の修行中で、浜やの常連だったらしい。
やがて、じいちゃんの息子は腕のいい大工になり、看板娘は面倒見のいいおかみさんになったというわけだ。
川を遡る津波
熱いお茶を入れながら、元看板娘が言う。
「お義父さん、お疲れになったでしょ?」
「う〜ん そろそろ、釣りもきつくなったかなぁ。今日は、早めに切り上げて温泉に入ってきたよ」
「そうでしたか、その方がお義母さんも安心ですね」
「そうだな。それはそうと、釣り場でこんな看板が出てたんだ」
じいちゃんは、スマホで撮ってきた写真を見せる。
“津波は 川をさかのぼる”
と大きな文字で、なかなかインパクトのある看板だ。
「あれよ あんな川まで?」
さちこさんは、驚いている。
奥で洗い物を終えたなっちゃんもやって来て、のぞき込み
「ああ 川津波って、けっこう怖いね」
そう言いながら、バッグからタブレットを取り出し、川津波の動画を探し出した。
「ほら 見て!」
「うわぁ 車が流されとる。川でもこんなになるんか 怖いなあ」
とじいちゃん。
「この家も畑もやられるんか、見てて胸が痛くなる…」
画面を見ながら、さちこ母さんがつぶやき、みんな無言になった。
その時、表で自転車のブレーキの音がして入り口のドアが開いた。いい色に日焼けした大吾くんだ。
「ただいま〜」
「お だいちゃん。今日もサッカーかい?」
じいちゃんは、ちょっとホッとした気分だ。
「うん もうじき試合があるんだ。
じいちゃん、鮎いっぱい釣れた?」
そう言いながら隣りに座った大吾くんも、夏美のタブレットの動画をのぞき込む。
「何これ 津波?」
「そう、川を逆流しているのよ」
「おっかねえ、速いな〜 あっという間じゃん」
「あんたも、自転車であちこち行くから、川にも気いつけるんよ」
「うん、わかった」
大吾くんは、小さい頃から面倒みてもらった夏美姉さんに弱いのだった。