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妻はお買い物上手である

    30代男性のリアルな日常


     妻は「お買い物上手」である。本人がそう言っている。

     結婚して6年。この自己評価が揺らいだことは一度もない。どんな状況でも、どんな金額を前にしても、妻は涼しい顔でこう言う。「だって、ちゃんとお得に買えたじゃない」と。

     ただ一点だけ、小さな——いや、かなり大きな——問題がある。

     お得に買えているのは、妻だけだ。


    記念日という名の罠

     最初の異変に気づいたのは、結婚当初のバレンタインデーだった。

     妻からチョコレートを受け取った。小洒落た紙袋に入っていて、見た目は悪くない。「ありがとう」と言いながら値札を見てしまったのは、結婚した男の悲しい本能というか。税込み680円だった。

     680円。

     コンビニのスイーツコーナーより少し高いくらいの、680円。

     「かわいいでしょ、そのチョコ。で、ホワイトデーなんだけどさ——」

     妻の目が輝いていた。スマートフォンの画面を差し出してくる。そこには、メゾン マルジェラの足袋ブーツが写っていた。価格は20万円だった。

     680円と、20万円。

     この二つの数字が同じ「バレンタイン・ホワイトデーの交換」という文脈に収まっているのが、今でも信じられない。宇宙の神秘である。

     「交換って……交換じゃないよね、これ」と僕は言った。

     「え?ちゃんとお互いにプレゼントし合ってるじゃない」

     妻は本気でそう思っていた。

     僕は心の中で叫んだ。声には出さなかった。6年間、この叫びは一度も声に出たことがない。


    「お買い物上手」の定義

     妻の「お買い物上手」理論を、6年かけて少しずつ解読してきた。その核心は、驚くほどシンプルだ。

    「自分の財布からお金が出ていかなければ、それはお得な買い物である」

     この哲学に基づけば、確かに妻は天才的なお買い物上手だ。数千円のTシャツをプレゼントすれば、数十万円のブランド品が手に入る。投資対効果で言えば、軽く50倍以上のリターンだ。ウォーレン・バフェットも顔負けである。

     しかもこの理論、内部的な一貫性がある。妻は決して嘘をついていない。彼女の財布の中身は、記念日の前後でほとんど変わらない。むしろ僕の財布の中身が、記念日のたびに激しく変わっている。

     客観的に見れば確かに「お得」だ。ただ、その「お得」は誰か別の人間の「損」の上に成立している。その誰かが、6年間ずっと僕だというだけの話である。


    購入記録、あるいは僕の家計簿の黒歴史

     記憶を辿ってみた。思い出せる範囲だけでも、並べてみる。

     メゾン マルジェラの足袋ブーツ、約20万円。誕生日プレゼントだった。

     マルジェラの足袋スリッポン、約10万円。結婚記念日だった。妻からはステッカーをもらった。手書きのメッセージが添えてあって、正直ちょっと嬉しかったのは秘密だ。

     マルジェラのスニーカー、約10万円。「マルジェラばかりだね」と言ったら「デザインが面白いから」と言われた。一つのブランドに30万円以上投じてから気づくことではないが、妻はマルジェラが好きらしい。

     マルジェラのカバン、約30万円。ここまで来ると僕も覚悟が据わってくる。心の中の叫び声も、だんだん慣れてきた気がする。慣れてはいけないのに。

     ジル サンダーのカバン、約10万円。ジルサンダーのサンダル、約10万円。ジルサンダーのカバン(二個目)、約30万円。

     待ってほしい。ジルサンダーのカバン、二個いるのか。

     「前のと形が違うから」

     そういうものらしい。

     セリーヌのアクセサリー、約10万円。エルメスのスカーフ、約10万円。ロエベの財布、約8万円。ボッテガ ヴェネタのキーリング、約5万円。

     キーリングで5万円。

     キーリング。

     鍵を束ねる、あの輪っかのことだ。

     今思い出せる範囲でざっと足してみると、約153万円になった。

     「今思い出せる範囲で」という言葉が、静かに重くのしかかる。つまり、思い出せていない分がまだある。総額は神のみぞ知る。いや、妻は知っているかもしれない。でも妻の中では「自分のお金を使っていない」ので、そもそもカウントすらされていない可能性が高い。


    ブランド品への愛と、夫への遠慮のなさ

     妻がブランド品を好きな理由は、聞いたことがある。

     「ちゃんとしたものは、長く使えるから結果的に安い」

     これは実は正しい。高品質なものは耐久性があり、長い目で見れば確かにコストパフォーマンスが良い場合もある。妻の論理は、ここだけ取り出せば完全に合理的だ。

     問題は、「結果的に安い」の主語が常に妻であり、初期費用を負担するのが常に僕だという点である。

     妻の論理を整理するとこうなる。

     ①ブランド品は長持ちする→②長持ちするから安い→③だから買うべきだ→④お金を出すのは夫→⑤よって私はお買い物上手

     ④と⑤の間に、説明を要する大きな飛躍がある。しかし妻の頭の中では、この論理は完全にシームレスにつながっているらしい。6年間、一度も矛盾を感じた様子がない。

     それはそれで、ある種の才能だと思う。


    誕生日という名の決算期

     年間で最大のイベントは、妻の誕生日だ。

     誕生日の約1ヶ月前から、妻のリサーチが始まる。ブランドのウェブサイトを巡回し、店舗に足を運び、「気になるもの」をリストアップする。このリストが僕に共有されるのは、だいたい誕生日の2週間前だ。

     リストの体裁は丁寧だ。商品名、ブランド名、価格、そして一言コメントが添えられている。「これ、ずっと欲しかったやつ」「これが一番好きだけど、高いから言いにくかった」。

     最後の「高いから言いにくかった」がさりげなく一番高いのは、もはや様式美だ。言いにくそうな顔をしているが、ちゃんと言っている。6年間、一度も言いそびれたことがない。

     僕が「どれにしようか」と聞くと、妻は少し考えるそぶりを見せて言う。「あなたが選んでくれたほうが嬉しいな」

     これは罠だ。6年の経験が告げている。


    ドヤ顔の解剖

     妻が「お買い物上手」を自称するとき、必ずドヤ顔になる。

     このドヤ顔が、また絶妙なのだ。

     嫌味がない。悪意もない。ただただ純粋に、自分のことを賢いと思っている人間の顔をしている。詐欺師が見せる笑みでも、計算高い人間の含み笑いでもない。小学生が算数のテストで100点を取ったときのような、澄んだ達成感がある。

     「ね、うまいでしょ」

     30万円のバッグを手に入れて、うまいでしょ、と言っている。

     でも——これが困るところなのだが——間違っていない。本当にうまいのだ。自分の資金を1円も使わずに、30万円のバッグを手に入れた。これをお買い物上手と言わずして何と言うのか。詐欺でも強奪でもない。夫が自分の意志で、財布を開けているのだ。

     僕は心の中で叫びながら、カードを差し出す。

     妻はドヤ顔で、バッグを抱える。

     この6年間、ずっとそうだった。


    僕のプレゼントの行方

     では、妻から僕へのプレゼントはどうなるのか。

     大切に使われる。本当に、大切に。

     数千円のTシャツは、部屋着になった。洗濯を重ねて少し色が褪せても、妻は「まだ着られる」と言って捨てない。一度だけ「そろそろ新しいの買えば」と言われたとき、なぜか妻が選んで僕が払った。その流れが今でもよくわからない。

     一方、僕が買った(買わされた)マルジェラの足袋ブーツは、専用の保管袋に入って、クローゼットの特等席に鎮座している。雨の日には履かない。傷がつかないよう、常に細心の注意が払われている。

     つまり、高いものは丁寧に大事にされる。安いものも、それなりに大事にされる。ただ、高いものを買うのは僕で、大事にするのは妻だ。

     この非対称性について、僕は6年間考え続けている。答えは出ていない。


    完璧なシステムの完璧な防衛線

     一度だけ、喧嘩になったことがある。

     積もり積もったものが溢れた夜だった。僕は「毎回こんなに買わせるのはおかしい」と言った。金額の話をした。153万円とまでは言わなかったが、「プレゼントのたびに何十万も出すのはどう考えてもおかしい」と、珍しく真剣に訴えた。

     妻はしばらく黙っていた。

     来た、と思った。さすがに伝わった、と思った。6年越しに、この非対称な構造が見直される瞬間が来たと思った。

     妻が口を開いた。

     「でもあなた、あのとき『それにしなよ』って言ったじゃん」

     ——。

     「相談したとき、あなたがそれって言ったんだよ?私だけのせいみたいに言わないでよ」

     僕は言葉を失った。

     確かに言った。言った気がする。正確には、妻に「どっちがいいと思う?」と聞かれて、よくわからないまま「うーん、こっちじゃない?」と答えた記憶がある。あれは「選んだ」というより「振られたから答えた」に近かったが、しかし確かに、口から言葉は出た。

     妻の理論はこうだ。

     ①欲しいものがある→②夫に相談する→③夫が「それにしなよ」と言う→④夫の意見に従って買う→⑤共同決定である→⑥私のせいではない

     これは——恐ろしいことに——完全に筋が通っている。

     僕は共犯者だったのだ。6年間、ずっと。「うーん、こっちじゃない?」と言い続けた、153万円の共犯者。

     抗議の言葉が消えた。代わりに、深い納得と、それ以上に深い敗北感が残った。

     妻はその夜、特に気まずそうな顔もせず、お茶を飲んでいた。

     僕の心の中の叫びが、また一つ大きくなった。


    お買い物上手の本質

     ある日、友人に妻の話をした。喧嘩の話も含めて。

     「それって結局、奥さんのこと好きだから払えるんじゃないの」と言われた。

     はっとした。図星だったからだ。

     考えてみれば、6年間、僕は一度も「絶対に買わない」と言ったことがない。「高すぎる」と言ったことは何度もある。「これは無理だ」とため息をついたことも、数え切れないほどある。でも最終的には、買っている。しかも相談に乗って「こっちがいいんじゃない」と言って、共犯者になって、買っている。

     なぜか。

     妻が30万円のバッグを抱えて嬉しそうにしている顔を見ると、なんとなく、まあいいかという気持ちになるからだ。これを愛と呼ぶのか、洗脳と呼ぶのか、6年経っても判断がつかない。

     ただ一つ確かなのは、妻は本当に「お買い物上手」だということだ。

     自分の資金を使わずに欲しいものを手に入れ、夫を意思決定に巻き込んで責任を分散させ、文句を言わせず、しかも夫に「まあいいか」と思わせる。

     これを上手と言わずして、何を上手と言うのか。天才と言うべきかもしれない。


    そして今年も記念日がやってくる

     来月、結婚記念日がある。

     先週から妻のスマートフォンに、あるブランドのウェブサイトが頻繁に開かれている。僕が気づいていないと思っているのか、あるいは気づいていてほしいのか、画面をちらりとこちらに向けることが増えた。


     「来月、記念日だね」と妻が言った。

     「うん」と僕は答えた。

     それだけの会話だったが、二人の間に、6年分の文脈が流れていた。妻は少し嬉しそうな顔をした。僕は少し諦めたような顔をした。心の中では、小さく叫んだ。

     妻はまた、お買い物上手になるだろう。

     僕はまた、その立役者になるだろう。

     合計金額は、来月また更新される。

     それが、僕たちの結婚記念日だ。


    本エッセイに登場する妻は実在します。本人は「私はお買い物上手なだけ」と言っています。異論は認めません。


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