
【創作大賞2026応募作品】キョンキョンが、旅をしているそのあいだに
#創作大賞2026 #エンタメ原作部門
【あらすじ】
80’sアイドル小泉今日子ことキョンキョンが自身の還暦ツアーKK60を終え、旅にでた。年内までのお休みである。
40数年前、2つ上の従姉が持っていた5枚目のアルバム「ベティ」から私のキョン活がはじまった。従姉は一家離散で20年ほど前に会えなくなった。
東京タワーで開催された、デビュー40周年記念展で私は従姉と同じ2つ年上のヤスコさんと出会い、キョン活を共にする。推し活の愉しさ、しんどさ、新旧ファン層や応援スタイルの違い、うっすらヒエラルキーも感じながら現在と昭和に想いを行き来させる。
ヤスコさんに宣言した。
「キョンキョンと私達と昭和のことを、ドラマの脚本にする!」
ーキョンキョンが、旅をしているそのあいだに。
いなくなってしまった従姉に捧げる。
【キョンキョンが、旅をしているそのあいだに】
1980年代アイドル、小泉今日子ことキョンキョンが還暦ツアーKK60を終え、旅にでた。
今はどこを旅してるのかしら?
キョンキョーン!サリーズがキョンロスになってるよ!
京王線八幡山駅「ルポーゼすぎ」。ヤスコさんと待ち合わせしてドラマ「団地のふたり」で話題となったホットケーキを一緒にいただく。
聖地巡礼だ。
「原作でおいしいと言われたのがココのホットケーキ。撮影で使われた喫茶店はまた別のとこなのよ」
ヤスコさん、しっかり調べてきた。
「ややこしいな。聖地巡礼っていうか、消えモノ巡礼?今日は」
ヤスコさんと会うのはKK60ファイナル以来になる。
「キョンキョン部屋、みーんなキョンロスだ」
「年内はさみしいね」
「でもヤスコさん、一旦休めていいでしょ。お金もかからないし」
ヤスコさんは日々多忙で睡眠時間が3、4時間らしい。朝6時起床、仕事が終わるのが夜9時や10時、帰って食事に洗濯、そのあと推し活の情報をチェックするから大変なんだと。このところ推し活の散財もはなばたしく
「福山さんも嵐もだからさぁ」
なんてぼやいてる。
LINEオープンチャットのキョンキョン部屋というコミュニティがある。老若男女、さまざまなサリーズ(ファンネーム)がいらっしゃる。定員数40人のうち、やりとりに出没するのは入れ替わり立ち替わりで10人ほど。
ここで天狗さんというかたともうひとかたのやりとりで大体の情報が得られる。
姫ちゃんという若い女の子も情報収集能力が抜群で、情報が多いわ細かいわ早いわ、なのだ。この子はどこへ行ってもバリバリ働けて役立つにちがいない。
推し活の情報はツアーやイベント、テレビの出演日時、雑誌掲載、SNSに載った最新のキョンキョン等。これにみんなのハートが乗っかった掛け合いはちょっとしたマガジンみたいだ。
天狗さんのようにキョンキョンと同世代でデビュー当時の1982年から追い続けてきた人もいれば、一旦ブランクがあり、デビュー40周年KKPP(KyokoKoizumiPopParty)からまた復活した人と、いろいろだ。
私とヤスコさんは50代でも少し下の世代だ。私はキョンキョンがデビューした1982年は小学3年、「真っ赤な女の子」を知ってはいる程度で、まだ私の中でキョンキョンははじまっていなかった。私にとってのキョン活元年はいちおう1984年としている。私が小学5年の年だ。
高学年ともなるとプレ中高生だ。
明星や平凡も買って見る。ザ・ベストテンやトップテンにかじりつく。聖子ちゃんカットはできなかったが。
ホットケーキが運ばれてきた。
「お〜♡」
黙ってふたり、カトラリーをとったが置いて慌ててスマホを手にし、写メを撮る。
お店の人と目が合い、愛想笑いしてみる。
「食べよう」
ヤスコさんと私は「ん〜♡」とおいしい声をあげた。
とりあえず話題はKK60のおさらいだ。
「夏のタイムマシーンのさ、AIの動画、よかったよねぇぇ。泣いてる人いたね」
「シングルごとのキョンキョンでスライドショーかと思いきや、子供のキョンキョン出てきて動いて、デビュー当時のキョンキョンもやって来て、最後今キョンが」
「最後ね〜!現在のキョンキョンが!」
「エモかったー。成長AIっていうの?すごいよね、アレ」
「アレ、インスタとかで見られるのかな」
「いやぁ、今はないでしょう。でもDVD出るよね?武道館の時の」
「よかった。買いだね。あの動画はいろんな人に観てもらいたいよ」
「レディース・シン親衛隊もね、よかったね。アレさ、私もやりたかったわ!お声はかかったんだよ。前に鎌倉の聖地巡礼、一緒に行った人からお誘いされたの。仕事あるから練習なんて無理って断っちゃったけど、あー、断りたくなかったよ。今おもえば」
「私さぁ、主催した人と東京タワーでインスタ繋げようって言ってもらって繋げたのになぁ。それから音沙汰ナシ」
「ええ⁈法被の人?」
「そそ。あの人ね、なんてったってアイドルがベストテンで1位になった時のね、あの神回でさ、キョンキョンがファンたちに囲まれて歌ってた、そのスグ後ろにいたんだって!」
「スグうしろだったんだ」
「あの神回、テレビで観てましたって言って握手してもらったよ。法被とその時の紙吹雪が展示されてたね」
ふんふん、ホットケーキは切られてどんどん口へ運ばれていく。
「ぺろっと、いけちゃうね」
私のキョン活は2026年現在で42年としているが、実際はちゃんとできていなかった。子供だったし、田舎暮らしだった私はツアーの広告を中日新聞で見つけても余所事でしかなかった。お金も無いし、忙しい親に連れて行ってほしいなんて言えなかった。たとえ行けたとしても、夜遅くなって帰宅できるかどうか、よくわからなかったから。
キョン活と言っても私の場合、昭和の田舎、当時は家族揃って茶の間でテレビを観る暮らし。歌番組、ドラマ、バラエティでテレビ画面の向こうにいるキョンキョンを見たり、レコードやカセットテープで歌を聴いたり、あとはアイドル雑誌によって偶像小泉今日子を楽しむスタイルでしかなかった。
1990年代に入るとピンの女性アイドルの時代からバンドブーム、ニューミュージックの時代に移り変わっていった。どこかで「まだアイドルなんて言ってたら恥ずかしいんじゃないか」と思えた時期だった。傍にあるだけのキョンキョンを繰り返し聴くのは続いたけれど、新たにアルバムを買うことは1988年「ビートポップ」あたりで一旦なくなった。中学3年の年だ。
嬉しい時、かなしい時、元気になりたい時、社会人になってからも手持ちのキョンキョンは私の傍らにいてくれた。キョンキョンが俳優業に移行してからはドラマや映画や舞台を楽しんだ。結婚して子育てに追われるようになってからは観たり聴いたりがなかなかできなかったが、「パンダのanan」「半径100m」「書評集」などなど、たまたま買い物途中で見つけた出版物を買っては家事の合間にキョンキョンの内面に触れるという、アイドル時代とは異なった楽しみかたをした。
コロナ禍に入った2020年頃、世間に様々な制限がかかった。キョンキョンは舞台ピエタが足踏みとなり、苦境を強いられた。
私個人は、連れ合いが単身赴任で留守のあいだに息子が不登校の引きこもりになり、すっかり母としての自信を失くして腐っていたところだった。文化的ないろいろを、感じる心もどこかに失くしてしまっていた。
2022年、少しずつ明るい兆しが見えてきたある夏の日、陽射しの明るさを感じた一瞬、とつじょ、脳裏に「常夏娘」と「渚のはいから人魚」が続けて再生された。私よ、夏が来た。夏休みがはじまった時のような、楽しくて元気だった自分がまたここに帰ってきた。
自分は昔、「生徒諸君!」のナッキーだった。はいから人魚だった。ヤマトナデシコだった。真っ赤っ赤なアイドルにもなった。
キョンキョンを聴けば何にだってなれた。
地味な自分の日常を、キョンキョンの歌で元気に素敵に彩って生きてきたんじゃないか。
忘れていた。忘れていたよ。
私、ずぅっとキョンキョンやってたんだ!
ラインのオープンチャット、キョンキョン部屋と出会ったのがその頃だったか。
キョンキョンの今、なにかある?
KKPP?40周年⁇えっ、3月に終わってる。
なんだぁ。
もう9月だった。あれ?なになに。
しかし終わりではなかった。むしろこれがはじまりになった。KKPP、AFTER・THE・PARTY‼︎(以下、KKPPATP)だ。
自分のためだけの外出が、一体どれくらいぶりだろう。芝公園の晴れた景色は清々しかった。会場は、東京タワー。
イベント期間中はKKPPのツアーグッズが置かれ、展示物(マルベル堂さんが40周年記念でプロマイド写真を撮り下ろしたもの。アイドルキョンキョンのプロマイドはオトナの事情でこの世に存在しない!)が無料で見られた。
初日は展示の準備で本人が現れるかも!とキョンキョン部屋では囁かれていた。
たぶん、キョンキョン部屋の中では私がいちばん東京タワーに近いはずだと思うと俄然、勢いがついた。
東京タワーへ、Go‼︎
洗濯を放棄していれば間に合ってたかもしれない。東京タワーに到着した頃、キョンキョンは帰ったあとだった。「朝来てたみたいですよ」とスムージーを買った店の店員さんが教えてくれた。
展示会場はできたてホヤホヤ、まだ閑散としていた。平日だからかもしれなかった。
展示のガラスに、
「東京タワーで、あいましょう。」
そう書いてあった。キョンキョンの字だ。
2022年10月24日、テレビの向こう側の世界にいたキョンキョンを、おなじ次元で見る時がやってきた。東京タワーでのTikTok公開配信イベント「ホントのコイズミさん」である。
テレビとはちがう。おなじ空間の、ほんのちょっと向こうの端っこからヒョイ、と現れたのだ。テレビの向こう、ではない。でも、テレビの人が、ああ、いる。
ーー鳩子ちゃん、キョンキョンだよ。
鳩子ちゃんの部屋にずっといた、キョンキョンだよ。
私にはふたつ年上の従姉がいる。
1984年、5枚目のアルバム「ベティ」が発売された年のある日、鳩子ちゃんの部屋が大変貌をとげていた。子供部屋から、中高生らしい部屋になってしまっていた。かわいらしい子供っぽい物はどこかへ。壁にはベティのキョンキョンがデカデカと、笑ってこっちを見ている。ラジカセからはキョンキョンが、ボリュームをあげて部屋いっぱいになっていた。
それが私のキョンキョンのはじまりだった。その年の冬、赤い「セレブレーション」を小遣いで手に入れた。鳩子ちゃんの部屋にいた「ベティ」がなかった。たまたまあった「セレブレーション」にしたのだ。
田舎すぎて子供の私が知るかぎり、その書店でしか買える店舗がなかった。
当時はレコードとカセットテープの間、変わり目の頃だった。アルバムが発売されると、レコードにするか、カセットテープにするか、クラスメイトはそれぞれ迷っていた。
この年は映画「生徒諸君!」の年でもあった。
鳩子ちゃんの家では叔父が借りてきたVHSがリビングでエンドレスに再生されていた。鳩子ちゃんは中学生になってから忙しくなり、遊びに行っても不在だったり、勉強中で部屋に入れてもらいにくくなっていた。私はその日、ひとりリビングで「生徒諸君!」を3回観ることになった。「スターダストメモリー」の世界は今も霞むことなく心に沁みついている。
「ベティ」も「生徒諸君!」も雷が落ちたような衝撃的な出会いだったかというとそうでもなく、当時は日常の、ある日の光景だった。
幼い頃、つまらないので従姉のあとばかりくっついて歩き、なんでも鳩子ちゃんの真似をしたい!と思っていたのだ。
「ベティ」のキョンキョン。ジャケットを着て本を持ったショートカットのキョンキョンが脳裏に焼き付いていた。そのポスターと耳にしていた曲が「ベティ」という名のアルバムだということを、じつは随分あとで知った。大人になってから突然気になって調べたことで初めて知ることができた。わりとボケっと生きてきたかもしれない。
私のキョン活のはじまりはそんなものだった。
長い年月を経てから記憶の答え合わせを、私は時々したくなる。けれどそれがわかることもあれば、わからないままのこともある。ずっと仲良かったと思っていた鳩子ちゃんは、一家離散でどこかへ行ってしまった。
いろいろあったことはうっすら知ってはいたが、そんなこととは関係なく、私たちの関係は変わらず続いていくものだと信じて疑わなかった。手元に確かかどうかわからない連絡先を長い間残してあった。年をとってしまってから勇気を出して連絡をした。けれどもう彼女と繋がることはなかった。
たったひとつの砦が消えた。
「4冊も⁈」
「そう、別冊太陽。あれってキョンキョンの年譜とか写真とか満載でしょ?ちょっと答え合わせとか、書くのにあったほうがよくて」
とっくにホットケーキはなくなっている。
「ナイもんだから夜探しして。絶対ナイから旦那の赴任先に行って荷物に紛れてないか見てきたんだけど、ナイ」
「天狗さんも、山猫さんもあの本、先行予約したのに届く前に本屋で見つけて思わず買っちゃったんでしょ?」
「それで2冊、私もそう。それが引越しでどっかいっちゃって。絶対棄ててはないのよ。だけど時間ないなーと思ってた時、本屋で見つけて!」
「今売ってないよね」
「そう、だから2冊買っちゃった」
「またなんで2冊も」
「切ったり貼ったり書き込んだりする分と、保存用。失くした2冊が出てきたら4冊!」
「書き込んだりって?」
「これこれこれ。創作大賞っていうのに出すの。これがもし面白いって言われたらドラマの脚本にしたいんだぁ」
「どんなの書きたいの?」
「キョンキョンと、私たちと、昭和」
キョンキョンを初めて見た時は、初めてなのにひどく懐かしく、不思議な気持ちになった。狭い会場にチラチラとしか見られなかった。ベティのように、まっすぐ見てもらえることなんてない。
キョンキョン部屋では推し活あるあるを伝授された。
「強者(ツワモノ)は10時間前から並ぶだろうな」
イベントによっては「前乗り(前日から)」するらしい。
「よし、今度はツワモノになってやる」
朝、子供達を送り出し、すぐに出発する。
1番乗りかもしれないと思いながら東京タワーを上がると既に10人以上のツワモノたちが腰を下ろしてており「遅かった!」と叫ぶと、みんな会ったこともない私に(待ってた)ような顔で笑って迎えてくれた。
「椅子がうしろにあるよ。取ってきなよ」
「あはは、じゅうぶん前列だから大丈夫だよ」
慌てて椅子をとりに行くと
「だから走らなくて大丈夫だって」
と笑ってくれる。まるで昔から知り合っていた仲間のように。
そこで10時間、隣りにいて一緒に過ごしたのがヤスコさんだ。10時間も話しているとよほど合わないかぎり仲良くなれる。ヤスコさんとはそれから幾度もキョン活を共にすることとなった。
様々なサリーズとの出会いがある。
キョンキョン部屋の面々はアイコンもハンドルネームも基本的に身元を明かさないシステムなのでライン上のやりとりだけだが、長い人は4年も繋がっている。天狗のアイコンで、ネームはふざけてコチャコチャ変えるので勝手に「天狗さん」と呼んでいる人は、キョンキョンと同世代で出没率が高い。どういう生活スタイルかは謎だが、情報は早いし、反応も早い。このかたとはなんとなくキョンキョンの好きどころが自分と似ている気がしている。部屋の管理人が常に不在の状態だから、もう天狗さんが管理を任されたほうがヨイとみんなが思っている(管理人がキョンキョンだという疑惑も一時期あった)。
姫ちゃんは10代だが天狗さん以上の情報収集力があり、年齢的に高校生と推測するが、わからない。スマホかパソコンに張り付いているかのようなイメージを持ったが、今の若い子はどんな時も上手く端末を駆使できるのかもしれない。
ファン層は50代が圧倒的に多い(小泉さんリサーチ)が、今10代20代が増えてきている。「最後から2番目の恋」「あまちゃん」等のドラマを親世代と一緒に観ていた子たちだ。この子たちは昭和の大映ドラマや久世さんや向田邦子さんが手がけたホームドラマなどを知らない。そのあたりのキョンキョンもよかったぞ、とおばさんは伝えたい。サブスクなんかですべて観られることはあるんだろうか。おばさんはあんまりわからないでいる。
東京タワーではじめて「ツワモノ」をめざした時から、常にツアーやイベントで最前列を確保している顔ぶれが、いつも決まっていることに気がついた。我々、ツワモノになりきれないサリーズの間でちょっと知られた存在になっていた。
「金髪の人、音楽関係だって(ちょっと違う)」
「あの人、お笑い芸人のマネージャーだって(違うみたい)」
「あの人とあの人は夫婦だよね?(全然違った)」
「法被の女の人はカラオケでキョンキョンを歌って動画配信してるよ(ホント)」
噂のかたがたからはいつもアウェー感が出ており、とても仲間に入れそうな気はしないのだが、話しかけると皆さんとても気さくだった。
「いつも最前列で、ずるーい」と言いたいところだが、そこはいいオトナなので誰も言わない。中にはイベントのプロデュースをされているかたもいて、東京タワーではTシャツなどキョンキョングッズにも携わっていると教えてくださった。思い切って話しかけてみたのだ。
それならいたしかたあるまい。
ヤスコさんはツアーやイベント会場でいろんな人に話しかける。だからたくさんキョン友がいて、一緒にいる私まで知り合いが増えていった。カオリさんもその一人だ。
カオリさんは名古屋から高速バスで東京まで来て、キョン友に会うと手作りのキョンキョンシールやカードと一緒に小分けされたお菓子を詰めた「キョンキョンセット」を配る。頭にお花をつけて手作りキョンキョントートバックを持ってやってくる。この人もある意味ツワモノだった。ツアーには30万円から50万円かけたとか。チケットがとれる分、数多く参戦して、必要なら前乗りだから宿泊代、グッズもムラなく買うから経費はものすごい。
私なんかはツアーで1回チケットが当たればそれだけ、が当たり前だったが、お金無いよ時間無いよのヤスコさんでさえ5箇所くらいは参戦してた。まあまあのガチ勢と言える。
おじさまたちはグッズ買いで財布と相談しながら「嫁さんに内緒で」「嫁さんにバレないように」なんてつぶやいていた。
チケットはヤスコさんと協力してとる。行きたい回数や行きたい会場の違いから微妙に温度差が生じるが、そこはなんとかするのだ。
各会場各回、内容がみんな同じではなく微妙に価値が違うことを学習した。KK60では武道館のみの演出やオリジナルグッズがあった。
今回は還暦バースデーの2月4日、デビュー日の3月21日、キョンキョン初の武道館はファンたちの狙いどころだった。今回行かずに悔やんだのが初日だった。参戦しないとキョンキョン部屋やSNSで情報を見て「自分だけ、お留守番感」と「先取りできなかった感」で悔しくなってしまうのだ。
カオリさんはいつも「娘さん?」と言われてしまう女の子といつも一緒にツアー、イベントを行動している。ふたりはキョン友同士で親子ではないが親子みたいに見えるのだ。キョンキョンTシャツをふたりでアレンジ&リメイクを施し、お揃いでグッズを身につけ、手作りの小道具を持ち、頭に飾り物もつけ、なんというか、目立つ格好なのでふたりは幾度もキョンキョンの目にとまり、話しかけてもらっている。
「親子じゃありません」と小道具に書き込まれており、
「親子じゃないけど母のほう」
「親子じゃないけど娘のほう」
と自分たちのことを言っている。
「親子じゃないのね」
「いつも来てくれてたね〜」
「(アレンジした)Tシャツみせて〜」
なんてキョンキョンから話しかけられてるのを我々は指を咥えて見ているのだ。
そんなカオリさんとヤスコさんと3人でファミレスで話せたことがあった。
2025年6月26日、午前はフリーマーケットと、午後にトークイベント「今日子の部屋の窓」が開催された日だった。
カオリさんはキョンキョンのデビュー当初からずっとツアーにイベントに参戦し続けてきた。
「これは昔のツアーで作ったトートバック。キョンキョンも手にとってみてくれたやつ」
「へぇ!いいなあ」
「これはラジオのリスナーだけにしか当たらない非売品カセットテープ『あぶない男女交際』レアなやつ」
「わーぁ、すごい」
「これうちわ。写真切り取って貼って、コレ(装飾)つけて、汚れないように今はセロファンでカバーしてる」
「うわぁ」
私もヤスコさんもさっきから「うわぁ」だの「すごい」だの、そんなことしか言えてない。
こちらからは提供できるものが何もない。
そりゃそうだ。カオリさんはブランク無しできたんだから。ファン歴の長さといい、ツアーに参戦した数もある。想いの濃ゆさも違うんだから、こちらがかなうわけがない。
勝ち負けではないけど、惨敗だ。
午前中のフリーマーケットを終えてから、ちょっとパワーがなくなっていた。
会場では思いがけず、ノーメイクのキョンキョンが至近距離であらわれていた。ヤスコさんに「ほら、いるよ」と言われないと気がつかなかった。
彼女は私くらいに小さくて、髪は洗い晒しか、そのまま下ろしていて、ジャージとサンダル姿でいた。ジャージもサンダルも安物ではないんだろうなぁ。どれかの書籍では自分はわりと質素だと書いてあったけれど!
ラフなキョンキョンを見られたのは新鮮でよかった。
しかし私は疲れはじめていた。
薄いグレーのサングラスは終始、明後日のほうを向いていた。あ、奥に消えてしまった。
ほんの数分。我に返った。
ベティの眼差しを探していたのかもしれない。私の姿は見えてない。キョンキョンからは。私にはなにもないから。たとえ目の前に出ても、ありがとうを言ってもらえるなにかもない。
なんにもなさすぎて、ついになにもなくて、私はすっかりくたびれてしまっていた。
そのすぐあとのカオリさんの軌跡は、くたびれた気持ちに追い討ちをかけた。
その頃ちょうど、キョンキョン部屋にも疲れていた。情報の量と早さに気後れしているところでもあった。
「わたしは昔からキョンキョンが好きだったんですけど、東京タワーから、はじめてキョン活がスタートしたようなもので、他のファンのかたがたを知るのも東京タワーがきっかけでした。カオリさんはずっとツアーに参戦されてて、今までどなたと交流があったんですか?」
とたずねると
「わたしもそうだよ!ずうっとずうっとひとり参戦だった。親子じゃないけど、の娘ちゃんとはほんの数年前よ。わたしだって、他のみんなだって東京タワーで集結したのがはじまりだと思うよ」
ヤスコさんもうんうんと頷いた。
「今、すごく交流あるよね。楽しいよね」
東京タワーで、あいましょう。
キョンキョン、東京タワーってすごいよね。
美しいよね。みんな、引き寄せられたね。
ありがとうキョンキョン。
あなたのおかげ。
1980年代の10年間、私の小学校1年から中学3年までの時間がすっぽりはまる。この10年が終わる頃、昭和も終わった。
夕方は大映ドラマの再放送やマンガ(今はアニメと言うけど)を観るのが習慣で、爺ちゃんと暮らしてた時はチャンバラ(時代劇)にチャンネルを奪われた。そうそう、茶の間にテレビが1台だからそういうことも起こった。
晩ごはんを終えたらなんとなく茶の間に家族がそろい、お茶やくだものやお菓子を前にテレビを観て過ごした。ゴールデンタイムにお気に入りの番組があれば、それまでに風呂などは済ませ、準備万端でテレビの前に落ち着くのだ。
週3の欽ちゃん。
全員集合、ドリフターズ。
母の観る、いつものホームドラマ。
クイズ番組。
NHK大河ドラマ
あげればキリがないが
ザ・ベストテン!
1985年12月26日。
「今年最後のベストテン第1位です!」
ドラムロール、からの、バン‼︎
「なんてったってアイドル小泉今日子さん、8326点!」
我等がキョンキョン、おっピンクに頭リボンであらわれた。
「赤ちゃんかと思いました(黒柳さん)」
「今日はお祝いにですね、小泉さんのファンのかた、約400人に集まってもらいました!」
ファンの群衆に囲まれて歌うという、テレビが割れてしまいそうな神回だった。
私、小6。
学校で推しは被っていない。被れば話が合って楽しいだろうけれど、いない。みんな推しがバラバラだった。
容子ちゃんの明菜ちゃん。
中江くんののチェッカーズ。
沙織の吉川晃司。
由佳ちゃんのアルフィー。
理恵ちゃんの安全地帯。
良樹のC-C-B。
そして私のキョンキョン。
毎週木曜日夜9時からは、みんながベストテンを前にして、それぞれの家庭で推しの順位をひそかに競う。
キョンキョン念願の第1位、私にとって神回として心に刻まれた。
みんな観てる⁈今日は私のキョンキョンが第1位!
ファミレスでカオリさんのキョン活歴話を堪能したあと、トークイベント「今日子の部屋の窓」の会場北沢タウンホールへ向かった。
ファンミーティングやトークイベントは、歌や舞台と違って、キョンキョン自身の内側に触れ、知れる愉しみがある。私個人的にはこういうイベントのほうに価値を感じる。
舞台の真ん中に椅子がひとつ。足を組んだキョンキョンがこう言った。
「ノープラン」
なんと!
キョンキョンファンでなければ、おカネ取ってるくせに真面目にやらんかと怒られるところだ。
けれどノープランにしては話したいことがちゃあんと頭にあるからか、間があくこともなく、これまでやこれからの話をたっぷり話してくれてじゅうぶんな内容だった。さっすが。
60歳からは白紙!ノープラン。カッコいい。
旅も、ノープランか。
ファンのみなさんはノープランというわけにいかない。ツアーやイベントの発表があればチケット発売の詳細、遠方なら切符や宿泊先の手配、資金プランよろしく。カッコよくいかないのである。
もうその頃、キョン活は4年目だった。
私は同じ都内に引っ越しが済んで、新しい生活がはじまっていた。暮らす場所が変わると知り合いはいなくなった。
自宅でスマホを開ければどこか誰かと繋がるのだが、このところスマホが疲れの元になっていた。
キョンキョン部屋。
チケット当選待ちで、いち早く当選した人の喜びの報告。前列真ん中のいい席だった!あの時キョンキョンと目が合った。喋ったよ。こうもしてくれた。あのグッズ、思い切って買っちゃいました!あのときの、アレ私だよ!ラジオ、読んでもらったの私!この記事、私は生で見てたんだ。昨日、リアクションもらえたー。
ぱたっ、と閉じてしまうことが増えた。
けれど習慣で開けてしまう。私の微かな存在すら消えてしまう気がして、開けてしまう。
情報に疲れるくせに情報を逃したくないし、天狗さんとみんなの掛け合いは漫才みたいで読んでいて楽しい。
オープンチャット上で読むだけで会話に参加しない人のことをROM専という。居ても読んでるだけのことをROMる、という。
これまではROM専さんの気持ちはよくわからなかった。参加しなくて何故いるのか疑問だった。でも今はそれが少しわかる。
住まいでは再開発の工事の音が遠くに聞こえる。ベランダからは赤い重機の腕が細ながく空に伸びている。
子供たちは学校に行けるようになり、受験も終え、進む道が見えてきたようだ。いつの間にか、過ぎて終わっていたんだ。もうなにも気にかかることはないじゃないか。
鳩子ちゃん、今どうしてる?
子供を夢中で育てていて、我に返ったら私、すっかりオバさんになっちゃってたよ。
なんだかこの頃、子供の頃のことばっかり思い出すんだぁ。
「ウィンクキラー、きましたね!」
「キョンキョンの異邦人、よかったっす」
「実際、一緒にカラオケしたいです」
キョンキョン部屋ではイベント「スナック想い出」の話になっていた。このイベントはキョンキョンのお母さんがされていた「スナック想い出」をステージにそっくり再現、キョンキョンがスナックのママになり、昭和の歌謡曲をカラオケで歌っていくというものだ。
「いいなあ、ウィンクキラー聴きたかった」
天狗さん、「スナック想い出」参戦できなかったのかな?
参戦したかったのに叶わず、こうして参戦した人の話を聞くのは(読むのは)、知りたいから聞きたいけど、ツラいものもある。「よかったね」と言ってあげるばっかりだとちっとも面白くない。
自分だけ特別な思いをした、という話を、みんながしたい。自分ができる時は気持ちがいい。私もおなじだ。他の人が遠方だったり、平日多くの人が行けないイベントに私は行けたりする。ツアーなど、比較的参戦率が高くない私も、ここぞとばかり発信する。
「参戦できない人たちの為、今日の報告」という名目で、実際の気持ちにマウント感はないか?
みんなが驚いたり羨ましがってくれることで、自分が認識されているという安心感を得ているのかもしれない。
キョンキョンの見ている先はいつも明後日で、他のファンたちの中に、いつも自分は埋もれてしまっている。キョンキョンだけじゃない。私って誰からも見てもらうことがなかった。みんなが見ているのは明後日で、時々自分はこの世に本当にいるのかどうかわからなくなっている。
「キョンキョンと目が合ったー」
と誰かが言って、天狗さんが羨ましがって(文字で)歌いだした。
「投げて〜、ウィ〜ンクゥ〜♪」
だれも続けない。ここは私しかいない!
「ときめぇっくぅ胸を〜♪」
私が返し、返され、ワンフレーズのラリーになった。
ふっふっふっ。
たのしい。天狗さん。
繰り返し、人生において自分の中だけで脳内再生してきた曲を、全部一緒に歌える人がいたなんて。自分軸で考えたら「あり得なかった」ことだ。
周りの人はベストシングルのキョンキョンしか知らないから、アルバムの曲は私ひとりの中で鳴っていただけだったのに。
昔の曲は音が豊かだったような気がする。コーラスなんかがあったり、キョンキョンの曲だけじゃなくて、心に残る曲がたくさんあった話もした。キョンキョンのドラマの細かいところにフォーカスしたり、思い出を話したり。三つ編み少女のころ、なりきり妄想していた時代の私の話が通じるところが思わぬ喜びだった。
情報じゃなくて、報告じゃなくて、こうゆうのをもとめてたのかしら、私。
愉しみかたは人それぞれでいい。
推し活が苦しくなるのはちがう。
自分スタイル、自分ペースで。
ベランダで外を眺めながら、ベティを思い出し、考えた。
私と正反対に、多くの人間から見られて、関心を持たれて、存在以上の偶像であらねばならない人生はいったいどんな感覚だっただろう。
ベティの笑顔を思い浮かべ、
「偶像の役割を、きっちり果たしてたのね」
と若いキョンキョンを労う気持ちになった。
7つも年下の私が、だけど52の私が、若いキョンキョンを労う。ややこしい。
ーー鳩子ちゃん。
KK60、わかる?知ってる?
まだキョンキョン好き?
年をとるんじゃなくて、進化するんだって。キョンキョンが言ってた。
私も進化、しなくちゃあ。
思い立って探し物をはじめた。
「別冊太陽」という本だ。あれには発売される2023年までのキョンキョンの年譜が書いてあったはず。
引っ越しの時、失くさないように気をつけたんだ。なのに、確かに入れたと思ったところにナイ。夜探ししても、ナイ。
「ああ、なになに?」
「探させて!別冊太陽。デカい本だなぁって言ってた、アレ。そっちの荷物に紛れてないかなぁ」
新居から電車で小一時間の、連れ合いの単身赴任先に押しかけた。
「あれは大事ってわかってるから棄てた憶えないし、俺んとこは荷物が少ないから、あれば気がつくはずだけど、ないよ」
とにかく探す、と言って上がりこんだが、ナイ。やっぱりナイ。なかった。
「なんかするの?探して」
「私にしかできない努力をしたいんだよ」
「なんか書くの?」
「うん。キョンキョンのこと、書くならいろいろ、正確な情報を用意しとかないといけないんで。あれ、年譜が載ってるから」
「いいけど、ローンはじまったんだから早くパートでもなんでもして働いてくれよ」
「わかってます。大変もうしわけございません」
さっぱりした住まいに、捜索作業はあっという間に終了した。
ないないない。もう時間がないから買うしかないが、もう書店では見られない。ポチって買うしかないか、とせがれの学校の保護者会に参加しながら考えていた。
帰りは大雨で、雨宿りがてら学校近くの本屋に立ち寄った。この本屋は以前からお気に入りで、大正時代から由緒ある書店だ。昔は2階が喫茶店になっていたらしく、さまざまな文豪たちが集い、語らっていたと言われている。小さな、なんら特別なことはなさそうな書店だが、ここへ来ると良い本と縁があり、いつも3冊ほど購入することになってしまう。
雷雨の中、ここへ立ち寄ったのもまたご縁だったかもしれなかった。
あった。別冊太陽が。
2階から、今は見えない文豪たちが
「書きなさい。今すぐ書きなさい」
と言ってくれてるように思えた(と、思いたかった)。これを用意して待っていてくれたんだ。それ以外、この偶然をどう説明できよう、なんて、またいかにも素晴らしい妄想をしてしまうのだった。
KK60・2026年1月24日〜5月3日+沖縄ファイナル(全国68箇所の映画館にてライブビューイング)が開催された。
私はNHKホール、武道館、沖縄ファイナルライブビューイングに参戦した。今回はガチ勢に比べたら少ないが3箇所の参戦、グッズも今回はケチケチしなかった。
ビューティフルネームを歌うキラキラしたキョンキョンを見ていて、ベティのキョンキョンとは全然違うね。それは進化ということなんだよね?とベティのキョンキョンに言ってみる。
ツアーのどこかに鳩子ちゃんがいるかもしれないなあ。いやいや、こんな莫大な数のキョンキョンファンの中に鳩子ちゃんがいたとしても、見つからない。というか、進化してて、お互いわからないかもね。
パァーンと銀テープが上からキラキラ舞い降りてきた。しかし、ああ、私のところまでは届かない。
隣りのヤスコさん、一本の銀テープの端と端を、たまたま前のおばちゃんと手にしてしまい、とられてしまったのにあきらめず、取り返そうとして椅子を倒した。取り合う姿と形相は素性を疑うおもしろさがあった。
こういうのを手にいれたり、見つけてもらったり、話しかけてもらうために、みんなみんな、最大限の努力をかさねている。
キラキラのうちわ、横断幕、パネル、それらのクオリティといったら本当に素晴らしい。
私はそんなにがんばれないよ。ここでこうしてオペラグラスでキョンキョンを近くに感じるだけ。それでも〜う、じゅうぶん。
「それ、買ったの?」
「うん。ついに私も買った」
「目、悪いって言ってたしね。まあ、目が悪くなくてもツアーではあったほうがいいね」
「そうそう、ホント、よく見えるわあ」
キョンキョンの後方には、法被の人、率いる「シン親衛隊」のみなさん。親衛隊っていう存在とイメージは知っていたけれど、こんな笑える台詞で叫んでたのですね。私が見てなかった世界がこうして実在していたんだなぁ。
スクリーンではそれぞれシングルのキョンキョンたちが順番に映し出され、幼いキョンキョンが動き出したかと思うと、デビュー時のアイドルキョンキョンがやってきて、ベンチで
ふたりの肩を現在のキョンキョンが抱き寄せるという、胸いっぱいになるAI動画が届けられた。AIが過去も現在も繋げてしまう時代が来たのだ。
ベティのキョンキョンは、あのとき小学生の私に微笑みながらこう言ってたかもしれない。
「東京タワーで、あいましょう」
なぁんてね。
そしてウィンクなんかしてくれてたのかも。ね?育成AIさん。
デビュー40周年KKPP同様、KK60でも東京タワーでツアーにちなんだイベントが開催された。「KK60コイズミ記念展」である。
「なにこれー‼︎なにこれなにこれ」
誰もかれも大興奮だ。
会場は壁という壁いちめんに未知数のキョンキョンが。デビュー当時からこれまでの、ポスター、雑誌の切り抜き、付録、新聞記事、
すべてファンからのお宝を借りたものだ。
ひとつひとつ見ていけば、すべての時代にタイムワープできる。
その日は多くのファンが東京タワーに集まっていた。イベント最終日、キョンキョンが来ると予測してるからだ。元々のツアーグッズに加え、その日新たにオリジナルグッズが発表される予定もあった。
「みっつだけ買おうかなあ」
「あ、これアルファベット一文字につき、この値段ですよぉ」
ひぃぃ。
ビューティフルネームという曲にちなんだアクセサリーが、グッズとして発表された。アルファベットを好きに選んで組み合わせてね、というものだ。
「Tシャツも買っちゃったからなぁー」
机を並べてかたまっているツワモノ島のみなさんは迷わず、ムラなく御購入だろうけれど
私たちの島ではどうするかわちゃわちゃ思案中である。
私はもうツアーグッズにじゅうぶんお金をかけてしまっていたし、アルファベットで自分の名前をブラ下げるために出費か?と思うと。それに「K」をひとつ入れたとしてもキョンキョン要素に欠けるなぁと思い、やめておくことにした。
「ぜったい買うー!」
と宣言したあの人は、たった今この島でヒエラルキー上位におどり出た。賞賛の黄色い声が湧いた。
「買います⁉︎」
突如、私にエアマイクが向けられた。島の全員が私に視線をよこす。
「えっ⁇買ーぁ、…いません!」
と言ってしまった。
高らかな笑い声を湧かせてしまったが、一瞬、発言をしくじったか不安になった。
「…買えません、のほうかよかったかなぁ?」
となりのヤスコさんに耳打ちした。
展示のほうの混雑が少しおさまり、島の席を立った。
数えきれないキョンキョンたちを丁寧に眺めていると、周囲の雑音は不思議となくなっていった。これはどこかで見たかもしれないキョンキョン。これも見たことがあるかも。
鳩子ちゃんの部屋を記憶に起こして、ベティの壁から視線をずらしていく。
「あ、これは」
あどけない瞳のキョンキョン。グレーのブラウスを着ている。これはベティとはちがう壁に貼ってあった、別のポスターだった。
記憶のかなたにちっちゃくなっていた。こっちのキョンキョン、記憶の死角にずっといたんだね。今、目の前にあらわれた。目の前にして、なんて言っていいかわからない。「ひさしぶり」「あったね」「いたね」
クスッと笑うしかなかった。
だけど、今わたしが探しているのは、探しているのは…。
膨大な数のキョンキョンの中から、探して探して探して、そしてようやく、ふわっと視界にあらわれた。それは
「あった」
ベティのキョンキョン。
おなかのあたりがぽわっとあたたかくなった。
ショーケースの中にはファンが貸し出してくれた、貴重な思い出の数々が展示されていた。
そこではツワモノ組のおひとり、法被の女性が談笑していた。前回の東京タワーで法被の写メを撮らせていただいた事があった。
今、法被はショーケースにメガホンとともに展示されていた。すぐそばには大切に保存されてきただろう紙吹雪もあった。
「なんてったってアイドルが1位になった時の、ベストテンで舞ってた紙吹雪よ、それ」
「そうですね!」
私を憶えてくれていたのかどうかはわからないが、声をかけてくれた。
「あのとき私、キョンキョンの真後ろにいたんですよ」
そう彼女は教えてくれた。
「ええっ⁈私、わたし、それ観てました!小学6年でした!ウチで、実家の茶の間で観てましたよぉ。いたんですか⁈あそこに、うしろに?」
彼女はずうっとキョンキョンを追いかけてきた。法被を着て、カラオケでキョンキョンを歌う動画をコンスタントにアップしていたこともあり、サリーズの中でもちょっとした有名人だ。そしてこの人こそ、ファン有志による「シン親衛隊」をKK60武道館で実現させた、張本人である。
私が握手を求めると、あちらのほうからインスタを繋げようと言ってくれた。なんと気さくなかただろう。すみません、私はインスタ、見るだけで発信してないのですが、よろしかったんでしょうか。ありがとうございます。
ルポーゼすぎにはもう3時間くらい居座ってしまっていた。コーヒーのおかわりをすればよかったかな。お店の人と目が合った。「すみません」の気持ちで微笑んでみたら、微笑み返してくれた。よかった。
「わたしたち、もちょっと努力が足りないかな?」
笑ってヤスコさんが言った。
「頑張ったじゃん、銀テープの取り合い」
www。
「そろそろ出よっか」
あの時、ベティのポスターを写メに残そうと、ふたたび席を立った。
ベティの前に人がいる。遠慮して待とうと思った。
「あ」
ベティのポスターを眺めている女性。
目をほそめて私は眼鏡とオペラグラスを慌てて取りに戻った。
「どうしたの?」
「ん?ちょっと、眼鏡眼鏡、オペラグラス!」
すぐには近寄れなかった。
あれは。
でも、駆け寄った時にはもういなくなっていて、人混みに紛れてか、わからなくなってしまった。
「ヤスコさん、元気でね」
「どうする?しばらくの間。なんにもないね」
「進化しときますか、あたしたち」
うんうん、そうだねとヤスコさんは笑った。
さあ、私。がんばって書いて、ひとつちゃんと書き上げよう。
キョンキョンが旅をしている、そのあいだに。