卑怯な空城の計を、破ります
破邪顕正の時間です。
「この感情を、言葉なんぞで十分に表すことなんて出来るわけが無い」
みたいな言説をたまに見かけますよね。大嫌いです。
まず、言語化において「何も語らないことで、多くを語る」というのは諦めです。綺麗な景色を見て「あえて沈黙」することは「めっちゃエモくて綺麗」と言っている人と同じか、或いはそれ以下です。そんなことはクラピカにしか許されていません。
もちろん言語化は別に金科玉条のものではありませんが、だとしてもお前はその土俵に立ってるんだろ、逃げんなよ。という気持ちです。
「何も語らないこと」の背景にある様々な情動を言い表すことは不可能(或いは野暮?)ということを念頭に、「なればこそあえて沈黙」という選択なのでしょうが、これは何度も言うように、逃げです。
お前の中にそれらを表現する能力が無いだけ。もしくは努力が足りないだけ。言葉を尽くし相手に言葉を持ってしてなんとか伝えるべきことを伝えることが、美徳ってやつです。もしくはプライドです。
言葉なんて自由なんだから、語彙が見つからないなら作れば良いし、なんなら言い表したいそれの外側を全て言語化すれば、自ずとその真ん中にできた空白に答えが浮かんでくるはずです。
能力不足か、或いは勘違いした矜持によって沈黙を選択した人を見て、
「きっと、この沈黙の裏には数多の情報が隠されているんだ…!」
と恐れおののく必要はありません。
これは、註に曰く「空城の計」というやつです。
つまり、「特に何も深いことは考えてない」もしくは「それを言い表す手段・能力が無い」あるいは「言い表す努力を怠っている」ことをなんとか誤魔化すため、「あえての沈黙」というハッタリを用いて相手に「逆に何か凄いことを考えているのでは無いか」と思わせるという策略なのです。
きっとこういう輩にはどれだけ「かっこつけてんじゃねぇぞ腰抜けが」とぶつけたところで、まるで正当は自分の側にあると言わんばかりに澄ました顔をすることでしょう。縁無き衆生は度し難し。もう殺すしかありませんね。
人々は、自分の脳内に蔓延るカオスであったり、創作の種であったり、啓蒙せずにはいられないことであったりを日々なんとか言葉にして相手に伝えようと呻吟しています。
それらを横目に、「あえて語らない」などと宣いルールの外側に立ち自分だけが特別な目線で現実を見つめていると錯覚しているカスがいることが、私はどうしても許せないのです。それこそ”言語を絶する”憤懣です。
というわけで、みなさんはどうか逃げずに、もがき苦しんでください。その塗炭の苦しみの中に、きっとあなたが翹望して止まない何かが埋もれているのです。
ちなみに、「空城の計」という概念はアニメ「日本三國」で知りました。田夫野人と罵ってください。甘んじて受け入れます。
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