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なぜ温泉街からストリップ劇場が消えたのかー廃墟の舞台裏から読み解くー

始まりは廃墟の写真から1年に50回、劇場へ通った私の原点ー


 私がストリップ劇場に興味を持ったのは、廃墟の写真を見たことがきっかけでした。映画館の廃墟とはまた違うその雰囲気に魅了され『営業している姿をみたい!』そう強く思い、足を運んだのがきっかけです。
 そこからストリップ劇場通いにすっかりとのめり込み、多い時は年に50回も通いました。けれども廃れた劇場の姿は脳に鮮明と焼き付き、私の記憶から消えないままでした。
 そうして迎えた2019年2月。私は岡山県に向かいました。当時住んでいた埼玉から一泊三日で。一日目に湯原の廃劇場へ行き、二日目にDX東寺、三日目に横浜ロック座に寄って帰るという弾丸ツアーだった、懐かしい思い出です。

赤い椅子と重たい静寂ー湯原の舞台裏で感じた違和感ー


 はじめて訪れた湯原温泉はひっそりとした山奥にあり、少人数でゆったりと過ごすのにピッタリだと感じた場所でした。
訪れた廃劇場は一つの劇場の中に、大小二つのハコがあったのが印象的です。舞台裏は繋がっており、出番が終わったらすぐにもう一つの舞台へと行ける造りになっていました。
 大きなハコの方は舞台から盆までたくさんの椅子が並び、かなりの大きさでした。紅色の丸い椅子が電気の消えた暗い劇場内で明るく浮かび上がります。
 踊り子さんは泊まり込みだったようで、二階が居住スペースとなっていました。しかし廃れてもなお華やかなステージとは一変、夜逃げしたかのようにモノが散乱し荒れ果てた居住スペースは、明るい光が差し込むに関わらず、重々しい空気が漂っていました。
 どうしてこのような姿になってしまったのでしょう。そこで実際に目にし、考えたこと。『なぜ温泉地の劇場は廃れたのか』今回は私なりに出した答えを書いていければと思います。

データが語る衰退の正体ー団体旅行の終焉と、インフラが変えた景色ー


 最盛期は300軒以上存在したと言われる、ストリップ劇場。しかし2026年現在、僅か16軒に過ぎず(そのうち1軒は営業休止中)、それさえも様々な事情で、苦戦を強いられている状況です。
 現在残るストリップ劇場の内、俗に言う『温泉場』の劇場は、熱海銀座劇場と芦原ミュージック劇場、ニュー道後ミュージックとなっています。
 残りの13軒は―全くすべてに共通するとは断言できませんが―観光地であったり繁華街であったり、駅からのアクセスが良好な位置に存在しているように感じられます。
 そこで私は、ストリップ劇場の数が減少した要因に、温泉地の劇場の存在は切り離せないと仮定をしました。では温泉地の劇場が衰退してしまった理由とは、一体何でしょう。
 勿論風営法による取り締まりは大前提です。ですが、『温泉地』というその土地の特有さを踏まえて、他にも要因がないか考察することにしました。

 温泉地に存在する劇場は、当然ながらそこに訪れる観光客を当てにしているのではないでしょうか。勿論ストリップファンの遠征客も見込んでいますでしょうが、割合としては前者が多いと思います。
 それならば温泉地に訪れる観光客数が減れば、当然のことながらストリップ劇場へ訪れる客数も落ちてしまいます。
 ならば根本的に、何故温泉地の劇場が衰退したか。まずそこから考える必要があります。 日本国内の観光事情を踏まえると、バブル経済崩壊以降、国内の団体旅行の需要は減少しています。また90年代以降は経済の悪化により、社員旅行や招待旅行といった団体旅行の減少はさらに加速しました。(1)
当然ながらこの大勢の客が景気の悪化で来なくなったとしたら、その回転率を見込んでそこで営業している箱が、客が訪れず寂れてしまうのは真っ当な関係です。

 では次に今回訪れた岡山県湯原温泉を例に挙げて考察します。湯原温泉は元々、中小の旅館やホテルが集まっており、団体旅行のような大人数を対象とした大型のホテルは存在ませんでした。また土地の関係上、新たに大型旅館を造ることもできなかったそうです。(2)
 バブル崩壊後は、団体旅行の代わりに需要が伸びたのが個人旅行です。高速道路や新幹線の整備が進んだこともあり、より手軽に観光地を訪れることが可能となりました。 湯原温泉は奇しくも、旅行形態が団体から個人へと移行した中でニーズと合致する土地と言えるでしょう。
 湯原温泉と湯郷温泉(三作町)の観光客数推移と、その中での出来事を簡単にまとめた表を次に載せます。(3)(表一)

【表1 湯原と湯郷、二つの温泉地が辿った軌跡】

 新幹線と高速道路の整備は、湯原温泉と湯郷温泉共に観光客の増加へと繋がりましたが、その恩恵は湯郷温泉の方が大きい物でした。  
 湯郷温泉は湯原温泉と比較すると、旅館数は湯原温泉より少ないです。ですが一軒当たりの規模が大きいことで、集客人数に差が出たと考えられています。  
 また湯郷温泉は隣接するゴルフ場が大きいことや、当時の男性客をターゲットにしたストリップ劇場での評価が良かったとされています。

 では湯原温泉にはストリップ劇場はなかったかというと、そうではありません。1972年には12軒のストリップ劇場があったそうです。(2)  
 1972年は山陽新幹線の岡山-新大阪間が開通された年でもあり、中国自動車道落合-吹田間が開業した年でもあります。結果として湯原温泉の観光客増加にも繋がったものの、一軒当たりの集客数で湯郷温泉に勝ることができませんでした。  
 その結果、一軒当たりの集客数で湯郷温泉に勝てなかったことが、湯原温泉でのストリップ劇場の衰退となったのではないでしょうか。  また湯原温泉という土地柄、ターゲットは団体旅行客よりも個人旅行客の方がニーズは高く、ストリップ劇場の運営に向いていなかった土地だったことによる経営難可能性も考えられます。

【温泉地劇場衰退の考察結果】


一 景気の悪化により団体旅行が減った影響を受けた。
二 インフラの整備による、客層の変化。
三 本来その土地として持っていた、ニーズとの不一致。

【参考】


(1)国内旅行の現状と課題認識
https://www.jata-net.or.jp/membership/info-japan/research/03_1st.html (2)湯原温泉近代史
http://www.net626.co.jp/rekisi/
(3)観光客の推移からみた岡山県の主要観光地の動向
007_075_089.pdf (okayama-u.ac.jp)


【記憶の「手がかり」としての廃墟を抱きしめる】


 時代の流れであるとか、金銭面のやりくりであるとか、土地開発の影響。ストリップ劇場が閉館に追い込まれる理由は、大概がすぐに浮かぶものです。ですがその大概の一つをとっても、背景があることは間違いありません。
 廃業した劇場が辿る運命としては、いくつかあります。別のテナントが入ることは、例え工事されて内装が変わってしまったとしても『そこに劇場が在った』と建物としての記憶は刻まれているので、まだ幸せなのかもしれません。
 取り壊しになって更地になってしまうと、どんどん風化されてしまう気がします。勿論、個々人の記憶の中では存在しているのでしょうけど。 そうした中で廃業してもなお放置されている、廃墟となった劇場は、その頃を知る手がかりになる。そう、思っています。


訪れたのは2019年2月。 沢山雪が残っていました。


山中の道路を歩くと、山の斜面にくっつくように建てられた劇場が見えました。


現役だった頃はネオンが輝いていたことでしょう。
レトロポップな外観が可愛らしいです。


#創作大賞2026

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