
まちは語らない⑤|語らないという選び方(南北朝の足助)(終)
この地には、多くのものが残されている。
だが、それらは多くを語ろうとはしない。
名を変え、姿を隠し、かたちを変えて残されたものたちは、ただ静かにそこにある。
それが何であったのかを、確かに示すものはない。
だが、語られなかったという事実だけが、この地には確かに残されている。
語らなかったのではない。
語ることができなかったのでもない。
語らないという選び方が、ここにはあった。
守るために。
残すために。
そして、失わないために。
その選び方は、長い時間の中で、この地のかたちとなった。
だから、このまちは語らない。
語らぬまま、残し続ける。
だが、語られないものは、消えたわけではない。
見る者が見れば、そこにある。
気づく者が気づけば、そこに残されている。
山の中の塚も、寺も、社も、何も語らない。
だが、そのすべてが、同じ方向を指している。
ここに、何かがあったということを。
ここに、生きた者たちがいたということを。
そして、その者たちが、何かを残そうとしたということを。
それを、語らずに残したということを。
この地は、今も変わらない。
静かに、ただそこにある。
だから、このまちは語らない。
語らないまま、すべてを伝えている。