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【本芁玄】知恵の暹――生きおいる䞖界はどのようにしお生たれるのか

「䞖界は”そこにある”ものなのか、それずも、わたしたちが”぀くっおいる”ものなのか。」

この本は、その叀兞的な問いに察しお、哲孊ではなく生物孊ず神経科孊の偎から、しかも培底的にラディカルな答えを叩き぀けおくる。


芁点

『知恵の暹』は、チリの生物孊者りンベルト・マトゥラヌナずフランシスコ・ノァレラによる、オヌトポむ゚ヌシスautopoiesis自己創出理論ず認知の新しい芋方を提瀺する入門曞だ。

著者たちの栞心は、「生物は倖界を”写し取る”装眮ではなく、自分自身の構造に埓っお自分の䞖界を”立ち䞊げおいる”システムである」ずいう䞀点にある。

そこから、「認知衚象」ではなく「認知行為゚ナクション」ずいう図匏が導かれ、人間瀟䌚・蚀語・倫理たでもが、この“自埋システム同士の共生の結果”ずしお読み替えられおいく。

蚀いかえれば、本曞は「䞖界認識ずは、宇宙芏暡のロヌルプレむング・ゲヌムに生䜓がログむンするこずだ」ず蚀い切る生物孊のマニフェストである。

こんなひずにオススメ

  • 「脳は情報を受け取っお凊理しおいる」ずいう教科曞的むメヌゞに、どこか物足りなさを感じおいる人。

  • 認知科孊・心の哲孊に興味があるが、数匏よりもストヌリヌず比喩で考えたい読者。

曞籍情報

著者H. R. マトゥラヌナHumberto R. Maturana、F. バレヌラFrancisco J. Varela
蚳者管 啓次郎すが けいじろう
出版瀟筑摩曞房・ちくた孊芞文庫版原版は朝日出版瀟版
日本語版刊行1987幎朝日出版瀟版、1997幎にちくた孊芞文庫版刊行
䟡栌1,300円
ゞャンル生物孊・認知科孊・システム論・珟代思想入門

著者に぀いお

マトゥラヌナはチリの生物孊者で、芖芚系の研究を始点に、生物の「自己維持ず組織化」の原理を远究しおきた人物だ。

ノァレラも同じくチリ出身の生物孊者であり、埌にフランスを拠点に神経科孊・認知科孊・ノィパッサナヌ瞑想の実践などを暪断しながら「゚ナクティブ・アプロヌチ」を展開した。

この二人は、生物孊のラボず犅寺ずプログラマの䜜業机を䞀぀の郚屋に抌し蟌んで、「ここを䞖界の䞭枢にしよう」ず本気で考えたような研究者コンビだ。

〔泚〕オヌトポむ゚ヌシスの抂念は、その埌のシステム理論・瀟䌚理論ルヌマンなどにも深く入り蟌み、思想史的なむンパクトはかなり倧きい。


Ⅰ 「いかにしお知るのか」を知る――認知ぞのメス


冒頭で著者たちがやるのは、「知識ずは䜕か」ずいう哲孊の叀兞的な問いに、生物孊者ずしおあえお螏み蟌むこずだ。

ふ぀う、知るこずは「倖界の情報を受け取っお、頭の䞭に写し取るこず」ず説明される。

しかし著者たちは、その図匏を根本から疑う。

圌らが提瀺する問題は、「もし脳が、倖からの”入力”をそのたた読んでいるのではないずしたら」ずいうものだ。

神経科孊的に芋れば、脳は倖界を盎接芋るこずはない。

芋おいるのは、感芚噚官から䞊がっおくる電気信号だけであり、それも脳の内郚回路の構造に埓っお凊理される。

ここで著者たちは、認知ずは倖界の写像ではなく、「システム自身のダむナミクスが、自分にずっお意味のある䞖界を立ち䞊げる過皋だ」ず断蚀する。

この論点は、「知るこず」ず「生きるこず」を切り離さない、ずいう本曞党䜓の方向性を先取りしおいる。

〔泚〕ここでいう「䞖界」は、物理孊が扱う宇宙ずは別物ではないが、「生物にずっおの䞖界」ずいう限定が匷く入る。いわば「存圚論」よりも「生存論」に寄せた䞖界芳だ。

Ⅱ “生きおいるこず”の組織――オヌトポむ゚ヌシスずいう自己創出


第2章で展開されるのが、有名なオヌトポむ゚ヌシス理論だ。

オヌトポむ゚ヌシスautopoiesisずは、「自分自身の構成芁玠を自分で䜜り出し、その組織を維持しおいるシステム」ずいう意味の造語である。
兞型䟋は现胞だ。

现胞は、膜で区切られた内郚で化孊反応を起こし、その結果ずしお膜や酵玠など自分の構成芁玠を䜜り続ける。

倖界から物質や゚ネルギヌを取り入れはするが、その「䜿い道」は现胞自身のネットワヌクが決めおいる。

著者たちは、「生きおいるシステムずは、入力に埓う機械ではなく、自分の郚品を自分で䜜り続ける”自䜜自挔の工堎”である」ず定矩しなおす。

ここで重芁なのは、「閉じおいるのに開いおいる」ずいうパラドックスだ。

オヌトポむ゚ヌシス・システムは、組織およびその倉化のルヌルずいう意味では閉じおいるが、物質や゚ネルギヌのやりずりずいう意味では環境に開いおいる。

〔泚〕この「組織ずしおの閉鎖」ず「構造ずしおの開攟」ずいう区別はかなりややこしいが、ここを倖すずただの自己完結システム瀌賛に堕ちる。

Ⅲ 歎史――生殖ず遺䌝、系譜ずしおの䞖界


第3章では、生物が時間の䞭でどのように倉化し、系譜を䜜っおいくかが扱われる。

ここでも、著者たちはダヌりィン的な自然淘汰を吊定するわけではなく、その「芋え方」を組み替える。

圌らの芖点では、進化ずは「環境に適応した圢が遞ばれる」ずいうより、「オヌトポむ゚ヌシス・システムが自分の組織を保ちながら連続しおいくプロセスの蚘録」である。

生殖ず遺䌝は、「自己創出システムの耇補ず倉異のメカニズム」であり、環境ずの関係は、この連続性を保おるかどうかずいう芳点から評䟡される。

進化ずは、神が蚭蚈した階段を登る物語ではなく、たたたた厩れずに続いおきた”自己創出の連鎖反応”のログファむルだ、ず本曞は蚀う。

ここで「歎史」ずいう抂念が重芁になる。

生物の構造は、その時点での環境だけでなく、それたでの系譜の蓄積によっお圢づくられおいる。

したがっお、「なぜこの構造なのか」を理解するには、その皮の歎史だけでなく、環境ずの共進化の履歎をたどる必芁がある。

〔泚〕この歎史性の匷調が、埌半の「人間瀟䌚」「蚀語」「倫理」ぞずそのたた受け枡される。

Ⅳ メタ现胞システム――個䜓から瀟䌚ぞ


第4章「メタ现胞システム」では、耇数の现胞が集たっおできる生物倚现胞生物が、どのように䞀぀のシステムずしおふるたうかが語られる。

ここで著者たちは、「现胞が協調するこず」ず「個䜓が瀟䌚を぀くるこず」ずのあいだに、構造的な類䌌を芋いだす。

倚现胞生物は、各现胞が完党に自由に振る舞うのではなく、分業ず盞互䟝存のネットワヌクを圢成するこずで、䞀぀の「メタ现胞」ずしおふるたう。

このずき重芁なのは、情報の䞭倮集暩的な叞什塔ではなく、局所的な盞互䜜甚の連鎖ずしお党䜓が保たれおいる、ずいう点だ。

著者たちは、「瀟䌚もたた、個人ずいう现胞が盞互䜜甚しあっお構成する、巚倧で䞍安定なメタ现胞システムなのだ」ず、あえお露骚に蚀い切る。

ここから、「人間瀟䌚をどう芋るか」ずいう話ぞの橋がかかる。

瀟䌚制床や文化は、倖から人間を瞛る枠組みではなく、盞互䜜甚の歎史の䞭で自己組織化しおきたパタヌンであり、人間はその䞭でだけ「人間」ずしお成立する。

〔泚〕この芖点は、瀟䌚を「倖圚的な抑圧」ずだけ芋るマルクス䞻矩的な盎芳ずも、個人䞻矩的な自由垂堎信仰ずも、どちらずも盞容れない䜍眮にある。

⅀ 認知行為゚ナクション――䞖界は「発芋」されるのではなく「共創」される


本曞の埌半の栞心は、「認知ずは䜕か」ずいう問いぞの新しい答えだ。

マトゥラヌナずノァレラは、「認知衚象representation」ずいう枠組みを拒吊し、「認知゚ナクションenaction行為ずしおの知」ずいう考え方を提瀺する。

゚ナクションずは、「生物が環境ずの盞互䜜甚の䞭で、意味ある䞖界をその぀ど立ち䞊げる過皋」のこずだ。

そこで重芁なのは、「倖にあらかじめ意味があっお、それを読み取る」のではなく、「盞互䜜甚の歎史の䞭で意味が生たれる」ずいう順序の逆転である。

この芖点に立おば、わたしたちが芋おいる䞖界は、発芋される察象ではなく、耇数のオヌトポむ゚ヌシス・システムが互いに手探りで”同期”を詊みおいる即興挔奏の残響だず蚀える。

著者たちは、芖芚や運動の具䜓的な実隓、神経回路のモデルなどを甚いながら、「入力→凊理→出力」ずいう盎線的な情報凊理図匏を解䜓しおいく。

認知は、䞖界の地図を頭の䞭に䜜るこずではなく、「䞖界の䞭でうたくふるたえる関係性を維持するこず」であり、その意味で「生きおいるこず」ず切り離せない。

Ⅵ 蚀語ず瀟䌚――「共に䞖界をする」こずずしおの察話


本曞のなかでも、いちばん読んでいお劙な高揚感があるのが、蚀語ず瀟䌚に぀いおの郚分だ。

マトゥラヌナずノァレラは、蚀語を「情報を䌝達するコヌド」ずしおではなく、「耇数のオヌトポむ゚ヌシス・システムが䞀緒に䞖界を立ち䞊げる掻動」ずしお捉え盎す。

圌らの有名なフレヌズを借りれば、蚀語ずは「共に䞖界をするlanguaging」こずである。

わたしたちは、蚀葉によっおすでにできあがった䞖界の蚘述を亀換しおいるのではなく、蚀葉を亀わすこず自䜓によっお「なにが䞖界ずしお立ち珟れるか」を曎新し続けおいる。

この芳点では、察話ずは、二぀あるいはそれ以䞊の自己創出システムが、互いのオヌトポむ゚ヌシスを干枉しあいながら、䞀時的に同じ倢を芋おいる状態のこずになる。

そこから、瀟䌚や文化が「蚀語行為の長期的な堆積」ずしお理解される。

ルヌルや制床も、誰かが䞀方的に決めたものではなく、長い時間をかけお繰り返された盞互䜜甚のパタヌンが、固たっお芋えるようになったものだ。

⅊ 倫理ず責任――「わたしたちは䞖界に責任を負う」のではなく、「互いの䞖界づくりに責任を負う」


終盀で著者たちが觊れるのが、倫理ず責任の問題だ。

「䞖界は、わたしたちが共に構成しおいる」ず本気で考えるなら、そこから導かれる倫理は、埓来の「正解が倖にあり、それに埓う」型ずはたったく違うものになる。

圌らの蚀い方を借りれば、「わたしたちが生きる唯䞀の䞖界は、共に生きる他者ずの盞互䜜甚によっお生たれる䞖界である」。

぀たり、誰かを吊定したり排陀したりするずき、わたしたちはその人の「䞖界づくり」を砎壊しおいるだけでなく、自分の䞖界の可胜性も削っおいる。

本曞の倫理は、「䞖界に察しお」責任を負うのではなく、「互いが互いの䞖界をどう぀くるか」ずいうプロセスに責任を負うこずだ、ず非垞にやんわりした声で、しかし容赊なく迫っおくる。

この倫理芳は、呜什や芏範ではなく、「珟実をどう芋るか」の遞択の結果ずしお導かれる。

䞖界を固定的な”倖界”ず芋るか、共創されるプロセスず芋るかによっお、自分の行為の重みが倉わっおしたうからだ。

〔泚〕このあたりは、ニュヌ゚むゞ的な「ポゞティブ思考」ず混同されやすいが、著者たちはあくたで生物孊・システム論の蚀語から出発しおいる点で、かなりストむックだ。

たずめ


1. 生物孊から立ち䞊がる「関係ずしおの䞖界」論

『知恵の暹』は「オヌトポむ゚ヌシス理論を軞に、生物・認知・瀟䌚・倫理を䞀貫しお”自己創出システムの盞互䜜甚”ずしお捉えなおす詊み」である。

ここでのポむントは、すべおのレベル现胞・個䜓・瀟䌚が、「倖からの情報に埓う受動的存圚」ではなく、「自分の組織を維持しながら、環境ず盞互䜜甚する胜動的存圚」ずしお描かれるこずだ。

その結果、䞖界は「そこにあるもの」から、「関係性の網の目」ずしおの䞖界ぞず倉わる。

認知は情報凊理ではなく、関係を維持する行為であり、倫理は「正解ぞの服埓」ではなく、「共に䞖界を぀くる仕方ぞの責任」になる。

この意味で、『知恵の暹』は、生物孊の教科曞ではなく、関係ずしおの䞖界を芋るための芖力矯正レンズを読者に枡す本だ、ず玠盎に読める。

この読み方では、マトゥラヌナノァレラは、ポストデカルト的な「心ず䞖界の関係」を、科孊の偎から曞き換えようずした思想家であり、本曞はそのコンパクトなむントロダクションず䜍眮づけられる。

2. オヌトポむ゚ヌシスは「自己責任論」を溶かすための酞である

もう䞀歩ねじるなら、『知恵の暹』は「自己責任論そのものを内偎から腐食させるための理論兵噚」ずしお読める。

自己責任論は、「䞖界は客芳的にそこにあり、成功ず倱敗は個人の努力がどれだけ䞖界に䞊手く適応したかの結果である」ずいう前提に立぀。

しかし、オヌトポむ゚ヌシスず゚ナクションの芖点から芋るず、「䞖界」はあらかじめ決たった舞台ではなく、耇数の自己創出システムの盞互䜜甚が、その぀ど別様の堎を立ち䞊げるプロセスにすぎない。

適応ずは「䞎えられた環境に埓うこず」ではなく、「自分の組織を維持できる盞互䜜甚の堎を、他者ず共に芋぀けるこず」になる。

この読みでは、オヌトポむ゚ヌシスは、個人に責任を抌し぀けるむデオロギヌではなく、「䞖界が䞀枚岩ではないこず」を思い出させるための緩慢な溶解剀だ。

぀たり、「うたく適応できない」のではなく、「この䞖界の立ち䞊げ方自䜓が、自分のオヌトポむ゚ヌシスず盞性が悪い」ずいう可胜性が開かれる。

そのずき、「がんばる」ずは、既存の䞖界に合わせるこずではなく、「別の䞖界の立ち䞊げ方を共同で詊す」こずに意味が移動する。

この解釈は、著者たちの倫理的議論から逞脱しすぎない範囲で、珟代のメンタルヘルスや瀟䌚批刀に盎結する。

3. この本は「䞖界芳ホラヌ」の理論版である

ホラヌで恐ろしいのは、怪物そのものではなく、「䞖界の前提が静かに反転しおいた」ず気づく瞬間だ。

マトゥラヌナずノァレラの提案は、「䞖界は倖にあるわたしはそれを芋おいる」ずいう前提を、「わたしの生存ず盞互䜜甚によっお、䞖界の偎がこちらぞ寄っおきおいる」ぞずひっくり返す。

自分の身䜓・脳・䌚話が、じ぀は䞖界の生成プロセスの䞀郚だったず気づいたずき、「倖偎から䞖界を芳察する安党な䜍眮」は厩壊する。

この芖点に立おば、『知恵の暹』は、宇宙の蚭定資料集ではなく、「プレむダヌは決しおゲヌムマスタヌにはなれない」ず告げるメタ・ホラヌの脚本だず蚀っおいい。

それでもなお、著者たちはそこで絶望ではなく、「共に䞖界をする」こずの可胜性を抌し出す。

ホラヌ的なのは、「逃げ堎のない関䞎」を突き぀けられる点であり、救いがあるずすれば、「自分の䞖界づくりの責任を、他者ず分有できる」こずにある。


いいなず思ったら応揎しよう