妻と息子と三人で、宇宙を旅する話
――0次元は点、1次元は線、2次元は面。そして3次元が、私たちの暮らすこの空間。
中学生の頃、次元について書かれた本を読みながら、「じゃあ、人間の心は0次元じゃん」と感じたのを覚えている。
他人の心の中を覗くことはできないし、ましてや自由に行き来することなんて不可能だ。
生まれてから死ぬまで、人はそれぞれ自分の心という点に留まり続ける。
そんな点がポツン、ポツンと存在する様子は、宇宙に散らばる星々のよう。たがいに触れることもなく、それぞれ終わっていく。
中学生ながらにそう思っていた。
そんな私も歳月を経て、なんとか社会に溶け込み、妻と出会って結婚し、やがて息子も生まれた。
長年、家族という単位で一緒に暮らしていると、不思議な変化が起きる。
もともと私は片付けが苦手な大雑把な人間だったはずなのだが、きれい好きな妻と暮らすうちに、いつの間にか乱れたままでは落ち着かなくなった。
今ではきれい好きを通り越して、ちょっと潔癖気味じゃないかと苦笑されることもある。
食べ物の好みや周期も、いつの間にか同化していく。
「今日は久しぶりにトンカツが食べたいな」と思って昼に食べると、妻が用意してくれたその日の晩ごはんもトンカツだった、ということが一度や二度ではない。
最近では、昼のメニューをわざとずらし、夜の答え合わせを密かに楽しんでみたりもしている。
しかし、どれだけ生活が混ざり合おうと、私たちはそれぞれ独立した人間だ。
スイーツの好みだけは、なぜか似ない。
私が「絶対に自分では選ばないな」と思うようなタルトやケーキを買って帰ると、これが不思議と外れない。妻も息子も「わかってるね」と嬉しそうに平らげる。
相手の好みが自分と違うからこそ、その「ズレ」を想像して選ぶことが、結果的に正解につながるのだから面白い。
ドラマや映画の楽しみ方もそれぞれ違う。
妻はとにかく「この後どうなるの」とあらすじの展開を追いたい派で、時には倍速で画面を流したりする。
静かに余韻に浸りたい私には、その感覚が理解できない。
息子にいたっては、スマホの画面に目を落としたままテレビの内容も完璧に頭に入れている。私とは頭の造りが違うようだ。
そもそも観たいジャンル自体が三人とも違っているので、最近は一緒に観ることすらなくなった。
やはり人の心は、宇宙に無数に散らばる星々のようなものなのかもしれない。
互いに重力を感じながらも、それぞれの場所で、それぞれの色で輝く星々。
誰にも話したことはないのだが、私にはささやかな自慢がひとつある。
家族3人、別々の星座なのだが、朝のニュースの星座占いの順位が、妙に綺麗に並ぶことが多いのだ。
ある日は2位、3位、4位と上位を占め、またある日は9位、10位、11位と揃って低空飛行をする。
それを見るたびに思う。私たちは広大な宇宙のなかで、実は近い位置にある星同士なのかもしれない、と。
中学生の頃、人の心は0次元だと思っていた。今でも、その考えはたぶん変わっていない。
妻が何を考えているのか分からないことはよくあるし、息子の頭の中はもっと分からない。
それでも。
交わることのない点同士のまま、同じ宇宙を一緒に旅することぐらいはできるのかもしれない。
