人事責任者が選択理論心理学を学んで

第1章

朝のコーヒーと、70通りの「上質世界」への旅

――私の朝は、コーヒーの香りから始まる。

目覚ましより早く目が覚める日もあれば、ぎりぎりまで布団の温度に負ける朝もある。それでも、どうしてだろうか。豆を挽く時間だけは、不思議と削ろうと思ったことがない。多分、音が好きなんだと思う。ちゃんと朝を始められそうな気がして。単純かな?

湯が細く落ち、白い湯気が静かに立ち上る。
その数分だけは、一日がまだ誰のものでもない時間――。

コーヒーカップの底が見え始めるころ、仕事のスイッチもゆっくり入っていく。気づけば、七十人分の社員の今日を考え始めている。

採用、評価、面談、育成。

「人事責任者」という肩書きは、一見すると組織を見る仕事に思われる。

でも、本当は違う。

私が向き合っているのは、七十通りの「幸せの形」だ。

ある人は昇進を望み、ある人は家族との夕食を守りたいと願う。
一方で、ある人は挑戦したくてうずうずしていて、ある人は静かな毎日を大切にしている。

同じ会社にいても、誰一人として見ている景色は同じではない。

選択理論心理学では、それを「上質世界」と呼ぶ。
誰にも見えない、小さな心のアルバム。私たちは、その写真を一枚でも現実に近づけたくて毎日を生きている。

私は、この考え方を知ったとき「理論だ」とは思わなかった。

「ああ、人はずっとこれで生きていたんだ」

そんなふうに感じた。

人は正しさでは動かない。
いつだって「自分が大切にしたいもの」に向かって動く。

だから面談では、評価シートよりも、その人の言葉の温度を聞くようにしていた。

「最近、何が楽しかったですか?」

たった一言。
その一言で表情が変わる人がいる。

仕事の話ではなく、子どもの運動会だったり、新しく始めた料理だったり、本屋で偶然見つけた一冊だったり。

その瞬間、その人の上質世界が少しだけ、こちらを覗いてくる。

会社は人生の一部でしかない。

けれども、人生の一部だからこそ、そこに温度があってほしい、と。

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忙しい日は、本当に忙しい。

午前中だけで三件の面談。午後には採用会議。メールは返信した瞬間に増えていく。気づけば定時を回って、残業の沼にどっぷりと……。

私は何度も「もっと頑張ればうまくいく」そう思って働いてきた。うまくいかない原因は、能力が足りないからだと呪いのように自分に言い聞かせて。

あの日の面談を、今でも覚えている。
退職を決めた社員を前に、何も言えなかった。

「もっと早く相談してくれれば」

そんな言葉しか出てこなかった。
ドアが閉まったあと、一人になった面談室で、自分の無力さだけが残った。

今でも、勢いよく閉まったドアの音だけが、嫌に耳に残っている。

だから、本を読み、資格を取り、睡眠時間を削ってまで仕事をした。

それでも、不思議なくらい苦しさだけは減らなかった。

忙しいから苦しいのだと思っていた。

しかし、選択理論を学んでから、「忙しい」という現象と「苦しい」という感情は同じではないことを知った。

忙しさは予定表の上にある。
苦しさは、自分の心の中にある。

そのことを知ってから、時計を見る回数が少し減った。

もちろん疲れる日だってある。ため息がこぼれることもある。

それでも夜、玄関で靴を脱ぎながら、「悪くない一日だったな」と、思える日を増やしたい。

―――――――――――――――――――――――――――

コーヒーは、不思議な飲み物だ。
味そのものよりも「淹れる」という行為が心を整えてくれる。

急がない、焦らない、香りを待つ。その数分が、自分を自分に戻してくれる。人事という仕事は、人の感情を受け止める仕事だ。

自分の器が空っぽでは、長く続けられない。

昔は休日まで仕事のことを考えていた。

評価制度、採用計画、離職率、次年度の組織図……。

頭の中はいつも会社のことばかり。

そんなある日。
ふと、脳裏を過ったことがある。

会社を大切にしたいなら、まず、自分の暮らしを大切にしないといけない。

暮らしが荒れると、言葉が荒れる。言葉が荒れると、人との関係が荒れる。

それに気づいた私は、朝のコーヒーを仕事の準備ではなく、「暮らしの儀式」と呼ぶことにしてみた。ちょっと格好良い、とか思ってみたり。

―――――――――――――――――――――――――――

会社へ向かう道で、小学生の列とすれ違う。犬の散歩をする老夫婦。パン屋から漂う焼きたての香り。開店準備をする花屋に、澄み切った朝の匂い。

世界は今日も、静かに始まっている。
その景色を見るたびに感じることがある。

働くことは、暮らしを削ることではない。
暮らしを育てるための、一つの営みなのだと。

仕事が人生を豊かにするのではない。
豊かな暮らしが、仕事に優しさを連れてくる。

それはもちろん、評価制度にも書けないし、面談記録にも残らない。

でも、人はそういうものでできている。

コーヒーを丁寧に淹れた朝は、人にも少しだけ丁寧になれる。夜空を見上げた翌日は、焦る回数が少し減る。

そんな小さな暮らしの積み重ねが、人事という仕事の土台になっている。

今日も七十人の「上質世界」に出会う。

その前に、忘れたくないことがある。
私にもまた、私だけの上質世界があるということだ。

だから明日の朝も、きっとコーヒーを淹れる。

その一杯は眠気を覚ますためではない。

窓を少し開ける。
昨夜の熱を残した街に、新しい風が入り込む。

どこかで電車の音がして、小学生の笑い声が遠くから聞こえる。

世界は、私が思っているより少し早く今日を始めていた。

今日という一日を、誰かに始めさせられるのではなく、自分の暮らしとして始めるために。

明日もきっと、同じようで少し違う朝が来る。

第2章

面談室の窓から見える空と、選択の自由

会社の面談室には、大きすぎない窓が一つある。

景色が特別良いわけではない。

隣のビルの壁が見えて、その向こうに少しだけ空がある。春には街路樹が淡く色づき、夏には陽炎が揺れ、秋には風に急かされるように葉が舞い、冬には澄み切った青が静かに広がる。

一年に何百回もこの部屋へ入るのに、窓の外を眺める人は意外と少ない。

みんな、自分の胸の中を見つめるだけで精一杯だからだ。

私も、昔はそうだった。

人事になりたての頃は「正しい答え」を探していた。どう励ませばいいのか。どう伝えれば前を向いてもらえるのか。そのことばかり考えていた。

でも、ある日気づいた。

人は、誰かの答えでは歩き出せないのかもしれない。

自分で見つけた答えだけが、その人の人生を少しだけ動かしていく。

それから私は、面談を「話を聞く時間」とは呼ばなくなった。私の中では、「景色を一緒に眺める時間」になった。同じ出来事でも、人によって見えている景色はまるで違うから。

評価が下がったことを「終わり」と感じる人もいれば「始まり」と捉える人もいる。部署異動を「左遷」と受け止める人もいれば、「新しい物語」と笑う人もいる。

出来事は同じでも、そこから始まる物語は、人の数だけある。

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若い頃は「選べること」が自由だと思っていた。

好きな会社で働き、好きな場所へ行き、好きな人と過ごす。それが自由だと信じていた。

でも、年齢を重ねてから、その考えは少しずつ変わっていった。

本当の自由は、起きた出来事ではなく、その出来事をどう生きるかを選べることなのかもしれない。

誰かに批判されることは止められない。期待通りにいかない日もある。理不尽な出来事だって起こる。

それでも、その出来事をどんな意味で受け取るかだけは、自分の中に残されている。その小さな自由だけは、誰にも奪われない。

そう思えるようになってから、世界は少しだけ静かになった。

何かが劇的に変わったわけではない。

変わったのは、世界ではなく、世界を見る自分だった。

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ある社員が面談で、こんなことを口にした。

「頑張っているのに報われないんです」

すぐには答えなかった。

沈黙は、焦って埋めるものではない。

しばらくして、尋ねた。

「もし、今日という一日を十年後に思い出すとしたら、何が残っていると思いますか」

少し驚いたような顔をして、彼は窓の外を見た。

「……たぶん、評価じゃないですね」

そう言って笑った。

人は答えを渡されても変わらない。
自分の中から見つけた答えだけが、その人の歩幅になる。

だから私は、人を変えようとは思わない。
その人が、自分自身と静かに出会える時間を守りたい。

人事という仕事で、いちばん好きなのは、その瞬間だ。

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「最近、何か楽しいことありましたか」

面談では、仕事の話より先にそう尋ねることがある。

「子どもと公園へ行きました」
「昨日、新しいカレーを作りました」
「ランニングを始めました」

そんな話になると、不思議なくらい空気が柔らかくなる。

何をして笑う人なのか。
どんな時間に心がほどけるのか。

そこには、その人らしさが静かに表れている。

面談が終わるころには、仕事の話よりも休日の話をして笑っていることがある。

そんな帰り道のほうが、足取りは少し軽い。

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夕方になると、窓から差し込む光が少しだけ赤くなる。

最後の面談を終えたあと、誰もいなくなった椅子を静かに整える。部屋には、話し声の余韻だけが残っている。

会社は人生のすべてではない。けれども、一日の大半を過ごす場所だからこそ、その時間が少しでも温かいものであってほしい。

私は誰かの人生を変えられるとは思っていない。

そう思ったことは、一度もない。

できるとしたら、一つの問いを手渡すことくらいだ。

それだけで、人は歩き始めることがある。

大きな変化は、いつだって小さな問いから始まる。

「本当は、どうありたいですか」

その問いに答えられる人は少ない。
でも、その問いを持ち帰る人は多い。そして、数か月後、あるいは数年後。

「あのときの質問を、ずっと考えていました」

そう話してくれる人がいる。

そのたびに思う。
人生は、大きな決断で変わるのではない。
静かな問いを抱えた時間が、人を少しずつ変えていくのだと。

帰り際、面談室の電気を消す。
窓の外には、昼間とは違う色の空が広がっている。
朝と同じ空なのに、まるで別の景色のようだ。世界は何も変わっていない。

今日一日を生きた私が、少しだけ変わったのだ。

明日もまた、同じ窓から空を見上げるのだろう。

第3章

夜散歩、自分を迎えに行く時間

夜になると、街は少しだけ正直になる。

昼間は車の音に隠れていた風が、夜になるとようやく姿を見せる。信号待ちをする人の表情も、コンビニの灯りも、昼間より少しだけ肩の力が抜けて見える。

仕事を終えた私は、ときどき目的もなく歩く。

夜道の自販機で炭酸水を一本買う。
家にはまだ残っているのに、なぜか毎回買ってしまう。
缶を開ける音を聞くと、「今日は終わった」と体が覚えている。

コンビニへ用事があるわけでもない。
運動不足を解消したいわけでもない。

歩きながら、その日一日の出来事を思い返す。

面談で交わした言葉。
会議で飲み込んだ一言。
誰にも気づかれなかった小さな達成。
誰にも言えなかった小さな後悔。

昼間は、人のことばかり考えている。
夜になってようやく、自分の声が聞こえてくる。

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社会人になったばかりの頃、休み方がわからなかった。

休日になると仕事の本を開き、採用の記事を読み、組織論の動画を流した。

止まることが怖かった。
成長していない自分に追いつかれそうで。

努力は、美しいものだと思っていた。

今でもそう思う。

でも、努力はときどき静かな顔をして、人を急がせる。

「もう少し頑張れる」

その言葉を、一番何度も聞いていたのは、誰でもない自分だった。

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ある夜、公園の前を歩いていた。

街灯の下だけが、丸く明るい。 
その光は、誰かに褒められるために灯っているわけじゃない。

ただ、夜になれば光る。

春になれば桜は咲く。
誰かに認められなくても、季節が来れば咲く。

それなのに、人だけが「まだ足りない」と自分を急かしてしまう。

私も、その一人だった。

その夜はじめて「何かになれる自分」ではなく「今日を生きた自分」を少しだけ肯定できた気がした。

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人との関わり方を学ぶ中で、選択理論という考え方に出会った。

学び始めた頃「人は行動を選んでいる」という考え方に、どこか距離を感じていた。感情まで選んでいると言われると、なおさらだった。

落ち込むことも、怒ることも、不安になることも。
そんなものまで選んでいるなんて、本当だろうか。

疑う気持ちとは裏腹に、学び続けることで、少し違う景色が見えてきた。

――感情を消すことはできない。

ただ、その感情の中に住み続けるか、それとも少しずつ歩き出すか。

そこには確かに、選択の余地がある。

だから私は、「いつも機嫌のいい人」になりたいとは思わない。

そんな日は、きっと来ない。

でも、自分の機嫌を迎えに行ける人ではありたいと思う。

夜道を歩くのも、そのためだ。

―――――――――――――――――――――――――――

人事の仕事をしていると、不思議なくらい同じ質問を受ける。

「どうしたら、やる気が続くんですか」

昔なら、制度や目標設定の話をしていたかもしれない。
もっとも、今は少し違って、こう答える。

「まず、自分の暮らしを好きになってください」

朝、好きなマグカップでコーヒーを飲む。お気に入りの万年筆を使う。帰り道を一本変えてみる。花を一輪飾る。休日に本屋へ寄る。

そんな小さな習慣は、一見すると仕事とは関係ないように思う。

不思議なことに、暮らしが整うと、人に向ける言葉まで少し柔らかくなる。

暮らしを大事にするようになってから、仕事は少しだけ楽になった。
順番は、逆だったのだ。

―――――――――――――――――――――――――――

夜道を歩いていると、自分の影が街灯の数だけ形を変える。

長く伸びたり、短く縮んだり。
人生も、案外そんなものなのかもしれない。

玄関のドアを開ける。

部屋には昼間と同じ家具があり、読みかけの本があり、冷蔵庫には飲みかけの炭酸水がある。何も変わっていない。

変わったのは、部屋ではなく私のほうだった。
心の中を吹いていた風が、少しだけ穏やかになっている。

明日もきっと忙しい。面談もある、会議もある。採用だって続く。

それでも、不思議と悪くないと思える。

今日という一日を、ちゃんと終えられた。

明日も、たぶん大丈夫だ。

第4章

評価シートの余白に書けない、人間という愛おしいバグ

一年に何度も、評価シートを開く。

数字を並べ、成果を比べ、昇給や等級を決める。

ペンを走らせるたびに思う。
この紙は、人を正しく測るためにつくられている。

けれど、人はいつもこの紙から少しだけはみ出している。
むしろ、本当に大切なものほど、余白にしか居場所がない。

たとえば、誰にも見られていないところで新人に声をかけていた人。
忙しい同僚の机に、そっと資料を置いていた人。
失敗して落ち込む後輩の話を、一時間黙って聞いていた人。

その優しさは数字にならない。

けれど組織は、そういう優しさによって今日も静かに支えられている。

―――――――――――――――――――――――――――

採用の面接でも、同じことを思う。

履歴書は、その人の「過去」を教えてくれる。
職務経歴書は、その人の「経験」を教えてくれる。

でも、その人がこれからどんな人生を歩くのかは、一行も書かれていない。

だからこそ、経歴よりも目の輝きを見る。

「最近、夢中になったことはありますか」

そう尋ねると、空気が少し変わる。

仕事の話をする人もいる。
庭で育てているハーブの話をする人もいる。
祖父から受け継いだ包丁を研ぐ時間が好きだと話してくれた人もいた。

不思議なことに、人は好きなものを語るときだけ、肩書きを忘れる。

面接官と応募者ではなく、一人の生活者として目の前に現れる。

私は、その瞬間が好きだ。

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組織をつくるとは、制度を整えることではない。
人が安心して「その人らしくいられる空気」を育てることだと思っている。

もちろん制度は必要だ。

ある新人社員が、こんなことを話してくれた。

「最初は毎朝、お腹が痛くなるくらい緊張していました。でも、朝みんなが『おはよう』と言ってくれる会社だったので安心しました」

その話を聞いたとき、私は少し黙ってしまった。

新人研修の資料には載っていない。
評価制度にも書いていない。

けれど、その会社の文化は、確かに誰かの一言によって生まれていた。

組織文化とは、理念ではない。
誰かが最初に口にした「おはよう」が、何年も受け継がれていくことなのだと思う。

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「人を見る目がありますね」

そう言われるたびに、少し困ってしまう。

人を見る目など、まだ持っていない。
むしろ年齢を重ねるほど「人はわからない」という感覚のほうが強くなった。

昨日まで笑っていた人が、今日は静かにしている。
強く見える人ほど、一人で抱え込んでいることもある。

だから、決めつけないようにしている。
急いで結論を出さないようにしている。

「きっと何か理由がある」

その一文を心の中に置くだけで、人への接し方はずいぶん変わる。

私は選択理論を学んでから、人を「行動」だけで見なくなった。

目の前に見えている態度の奥には、言葉にならない感情があり、満たしたい願いがあり、その人なりの理由がある。

怒っている人を見たら、その奥にある寂しさを想像する。
黙っている人を見たら、言葉にならない疲れを想像する。

正しいかどうかはわからない。

それでも、想像することをやめない人でいたい。

―――――――――――――――――――――――――――

夕方のオフィスを歩く。

コピー機の前では笑い声がしている。
営業が戻ってきて、「今日さ」と話し始める。
誰かがお菓子を配り、また誰かが笑う。

そんな光景を見るたびに思う。

会社とは、利益を生み出す場所である前に、人が人生の時間を過ごす場所なのだ。人生の三分の一近くを過ごす場所が、息苦しいだけではあまりにも寂しい。

だから私は、人事という仕事を、制度を設計する仕事だとは思っていない。

明日もここへ来よう。

そう思える理由を、一つずつ育てる仕事だと思っている。

評価シートを閉じる。
机にペンを置く。

一年を振り返ったはずなのに、最後に思い出すのは数字ではない。

面談の帰り際、少しだけ安心したように笑ってくれた人がいた。

「ありがとうございました」

あの言葉だけが、いまでも評価シートより先に思い浮かぶ。

評価シートには、書けなかった。

でも、本当はああいう瞬間こそ、人を信じてよかったと思える証なのだ。

きっと、人間は少し不完全だから愛おしい。

予定どおりに動かない。
理解したつもりでも、また新しい一面を見せてくれる。

だから、人を信じることは飽きない。

今日も評価シートは閉じた。

けれど、あの余白だけは、まだ埋められないままでいる。

人はきっと、その余白のぶんだけ、人間なのだ。

第5章

私たちの明日は、いつでも「いま、ここ」から選べる

休日の朝は、少しだけ世界が静かになる。

目覚ましではなく、差し込む光で目が覚める。
カーテンを開けると、朝日が床をゆっくりと横切っていく。

湯を沸かし、お気に入りのマグカップにコーヒーを淹れる。
立ちのぼる湯気を眺めながら、本を一冊開く。

誰にも急かされない朝。
年齢を重ねた今、この何気ない時間が、ずいぶん贅沢なものに思える。

若い頃は「いつか」が口癖だった。

いつか余裕ができたら。
いつか給料が上がったら。
いつか落ち着いたら。

幸せは、いつも今日の向こう側にあるものだと思っていた。

でも、ある朝ふと気づいた。

「いつか」は、今日を積み重ねた先にしか存在しない。
今日を味わえなかった人は、きっと明日も同じように今日を通り過ぎてしまう。

だから「いつか幸せになる」よりも、「今日をちゃんと暮らす」ことを選びたい。

人生は未来で完成するものではない。
今日という一日を丁寧に重ねた人だけが、振り返ったときに「ああ、悪くない人生だった」と思えるのだろう。

―――――――――――――――――――――――――――

選択理論に出会ってから、私の中でひとつだけ変わったことがある。

過去を責める時間が、少し減った。

あのとき違う会社を選んでいたら。
あの一言を飲み込んでいたら。
もっと早く気づけていたら。

そんな夜は、今でもある。
人事の仕事をしていると、人の人生の分岐点に立ち会うことが多い。

採用した学生が一年後に辞めることもある。

あの面接で、本当にあの言葉でよかったのだろうか。

そんなことを考える夜もある。

だからこそ、自分の選択まで正しかったのか、不安になる日もある。

けれど、そのたびに思い出す。

変えられるのは、今日だけだ。

昨日ではなく、明日でもなく、この一日だけ。

その静かな事実は、不思議なくらい人を前へ歩かせてくれる。

―――――――――――――――――――――――――――

ある学生からこんな質問を受けた。

「どうしたら、後悔しない人生になりますか」

少し考えて、こう答えた。

「後悔しない人生はないと思います」

学生は少し驚いた顔をした。

私は続けた。

「でも、納得できる人生は選べます」

そう答えながら、心のどこかで苦笑いしていた。
私だって、帰り道に「あの時こう言えばよかった」と考える夜がある。

後悔は、きっと消えない。

選ばなかった道は、いつも少しだけ美しく見える。
それでも、自分で選んだ道を大切に育てることはできる。

人生は、正解を探す旅ではない。

選んだ答えを、自分の手で正解にしていく旅なのだ。

その言葉は学生に向けたものだった。

けれど本当は、何度も迷ってきた自分自身に、一番伝えたかった言葉だったのかもしれない。

―――――――――――――――――――――――――――

人事責任者として働いている。

採用をし、評価をし、人を育てる。
仕事では、多くの「人生」と向き合っている。

でも、家へ帰れば、一人の生活者だ。
コーヒーを淹れ、本屋を歩き、帰り道に夜風を感じる。

コーヒーの湯気を眺める朝がある。
不思議なことに、人の話を最後まで聞ける日が少し増えた。

だからもし、このエッセイを読んでくれたあと。

明日の朝、ほんの少しだけ早起きをしてみようと思ってくれたなら。
帰り道に空を見上げてみようと思ってくれたなら。
「ありがとう」を、一回だけ多く伝えてみようと思ってくれたなら。

それだけで、この文章を書いた意味は十分にある。

世界は、劇的には変わらない。
私たちも、明日突然別人にはなれない。

けれど、暮らしはいつだって小さな選択でできている。

深呼吸を一つすること、笑顔で挨拶をすること、好きな本を一冊開くこと。

――誰かの話を、最後まできちんと聞くこと。

人生は、思っているより小さな行動でできているのかもしれない。

幸せも、きっと同じだ。

遠くにある理想ではなく、今日という足元を丁寧に歩こうとする、その意思の中にある。

―――――――――――――――――――――――――――

明日の朝も、私はきっとコーヒーを淹れる。

七十人の「上質世界」と向き合う前に、自分自身の上質世界へ帰るために。

人生は、今日で終わることはない。

今日を粗末にはしたくない。

明日もまた、朝は静かにやって来る。

その朝を、どんな気持ちで迎えるか。

それだけは、今日の私たちが選べる。

#創作大賞2026 #エッセイ部門


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