「子どもが熱を出したのでお休みします」の裏側
狭き門だとは分かっている。
でも、いつも胸の奥に溜まっている「働く母の思い」を、どうしても言葉にしてみたかった。
これが誰かの目に留まるエッセイになれば嬉しいな、
なんてひそかな期待を抱きながら、今日は書いてみようと思う。
私の一家は、自分の実家も夫の実家も、ともに県外にある。
「そんな境遇の人、いま時たくさんいるでしょ」と言われればそれまで。
けれど、いざ地元の外で暮らし始めて、何かが起きたときに「すぐに頼れる先がない」ということが、意外と大変とは思っていなかった。
子どもを育てるのがこんなに大変だなんて、産んで、育ててみて、初めて知ることばかりだった。
生まれたての頃の3時間おきの授乳。
抱っこしても何しても泣き止まないとき。
保育園の登園時に、泣く我が子の姿。
そして、働く母親を続けるうえで、 いまでも心の中で折り合いをつけられない。
「子どもが熱を出したので、今日はお休みします」
私はフルタイムで働いている。どんな職種であれ、急な欠員がどれほど周囲に負担をかけるか、痛いほど分かっている。
「それが嫌なら、仕事を辞めればいいじゃん」
「パートになればいいのに」
「病児保育を使えばいいでしょ」
そんな世間の正論が、頭をよぎることもある。
けれど、子どもを育てるにはお金が必要だ。
子どもの未来の選択肢を広げてあげたい。
私が今の仕事を気に入っていることもある。
自分が働いていたい思いもある。
同じ職場で気が付けば10年経っていた。
実際の職場は、驚くほど優しい。子どもを理由に休んでも、誰からも責められない。それどころか、次に文句なしに出勤したときには、
「お子さん、もう大丈夫だった?」 「
子どもは風邪をひくのが仕事だから、しょうがないよ!」
と、みんなが普通に心配してくれる。温かい言葉ばかりが返ってくる。
なのに。 それなのに、電話を切った後の私は、いつも申し訳なさで押しつぶされそうになる。
「どうか今日は風邪を引きませんように」
「シフトが厳しい日だから、なんとか元気でいて」
職場の状況を頭に浮かべながら、我が子の健康を願う順序が、ときどき分からなくなる。そんな自分にまた自己嫌悪したり。
少し鼻水を垂らしながら、後ろ髪を引かれる思いで預けた保育園。
(熱が出たらどうしよう)
(本当は家で休ませてあげたほうがいいのかな)
(でも、意外と元気に遊んでいるかもしれない。ご飯は食べられているかな……)
仕事に向かう車の中も着替えているときも、私の心は忙しい。
「お疲れ様でした!」
一刻も早く迎えに行きたい。
更衣室まで早歩き、駐車場までダッシュして。
大丈夫かな。
保育園に着いた。
ガラガラ、と扉を開ける。
「あ、〇〇ちゃん、お迎えきたよー」
先生の声の向こうから、トコトコと走ってくる小さな足音。 私の顔を見るなり、弾けたような満面の笑みで「ママ!!」と飛びついてきた。
見ると、鼻水が垂れた跡で、鼻の下が少し赤くなっている。 一日中、小さな体で一生懸命に鼻をすすりながら、ここで私の帰りを待っていたのだ。
熱はない。うん、元気だ。
その事実を確認した瞬間、肩の荷が降りて、お腹の底から大きなため息と一緒に「ホッとする」が溢れ出した。
「がんばったね」
抱きしめた我が子は、保育園の匂いとお日様の匂い。
職場への申し訳なさ、我が子への罪悪感、グルグル回っていた色んな感情が、この小さな温もりの中でフワリと溶けていく。
お疲れ様、私。 そして、がんばってくれた我が子よ、本当にありがとう。
今日は帰ったら大好きなおやつを一緒に食べよう。
手を繋いで歩き出す。 働くお母さんの心はいつも忙しい。
でもこの笑顔がみたくて頑張ってる。
