ホームページを「らしさ」を定義しないまま外注すると代理店の作風になる
制作会社との初回打ち合わせは、たいてい和やかに進む。
先方が聞いてくる。
「御社らしさって、どんなところにありますか」
担当者は少し考えて答える。
「そうですね、真面目というか、堅実というか。あと、社員が優しいとよく言われます」
先方は頷きながらメモを取る。
「なるほど、誠実さと人の温かさですね」
会話は次に進む。
三か月後、成果物が上がってくる。
悪くない。むしろ、うまくできている。
写真の色調は柔らかく、余白が広く、コピーは短い。誰が見ても洗練されている。
だが、どこかで見たことがある気がする。
その感覚は正しい。
半年前に発表された別の企業のサイトと、雰囲気が似ているのだ。
調べてみると、同じ制作会社が手がけている。
これは制作会社の手抜きではない。
むしろ構造的に、こうなるようにできている。
制作会社には作風がある。当たり前だ。彼らはプロであり、自分たちの美意識と方法論を持っている。それがあるから発注されるとも言える。
問題は、発注側が空白を差し出したときに何が起きるかだ。
デザインというのは、無数の判断の積み重ねである。
文字の大きさ、行間、色の彩度、写真の人物が笑っているかどうか、コピーの文末が断定か問いかけか。
一つの制作物のなかに、数百の判断がある。
このうち、発注側が明確な意見を持っているのは、せいぜい数個だろう。残りの判断は、制作側が埋める。
何を基準に埋めるかというと、彼らの作風で埋めるしかない。他に基準がないからだ。
つまり、外注した制作物のうち、発注企業の意思が反映されているのは全体のごく一部で、残りは制作会社のものになる。
これが「代理店の作風になる」という現象の実体である。
そして、この現象がもっとも起きやすいのが、「らしさ」を言葉にしていない企業だ。
誠実、真面目、あたたかい、挑戦的、革新的。
この種の形容詞は、一見すると自社の特徴を語っているようで、実質的には何も規定していない。誠実でない会社が自社を誠実でないと言うことはないし、この五語のどれかを掲げていない企業のほうが少ない。
制作会社に「誠実さを表現してください」と伝えたとき、彼らの頭のなかで何が起きるか。
誠実さを表現する手法の在庫から、いつも使っているものが取り出される。それだけだ。
では、どうすれば伝わるのか。
形容詞をやめて、二択で伝える。これが最も効く方法である。
「あたたかい」ではなく「社員の写真は、笑っているものと真剣な表情のもの、どちらを選ぶか」
「誠実」ではなく「数字を大きく見せるか、控えめに置くか」
「挑戦的」ではなく「業界用語を使うか、平易な言葉に置き換えるか」
二択にすると、何が起きるか。
答えるほうが真剣になる。
形容詞は誰でも同意できるが、二択はどちらかを捨てる決断を要求する。
捨てる作業のなかにしか、その企業固有の輪郭は現れない。
そして重要なのは、この二択が制作会社にとって直接使える情報だという点だ。
「あたたかい」は解釈が要るが「真剣な表情を選ぶ」は判断そのものである。解釈の余地が減れば、作風の侵入する隙間も減る。
もうひとつ、実務的に有効な手法がある。
避けたいものを見せることだ。
多くの企業は、参考事例として「好きなもの」を渡す。これは効率が悪い。好きな事例を三つ渡すと、その平均のようなものが返ってくる。
かわりに、「これは違う」というものを渡す。同業他社のサイトを三つ並べて、それぞれのどこが自社と違うのかを説明する。
この作業には副次的な効果もある。
他社との違いを言語化しようとすると、自社の輪郭が自分でも見えてくる。多くの場合、発注側の理解が最初に深まるのはこの瞬間だ。
そしてもう一段深いところに、この問題の本質がある。
「らしさ」を定義できない会社は、外注先が変わるたびに見た目が変わる。三年前のパンフレットと、去年のサイトと、今年の採用資料が、どれも別の会社のものに見える。
それぞれの時点では良い仕事がされているのに、蓄積が起きない。
ブランドとは、繰り返しによってしか形成されない。
同じ印象が、違う場所で、違うタイミングで、何度も再生されることで、初めて記憶に定着する。
一回ごとに刷新される会社は、永遠に記憶されない。だから、定義するという作業の価値は、良いものを作ることにはない。次も同じものが作れる状態を作ることにある。
外注は、判断の委託ではない。判断の実行の委託だ。
この二つを混同したまま予算を使い続けると、十年経っても、自社の顔がどんなものだったか誰も答えられない会社ができあがる。
(加々本裕樹)
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