私の"働きたい"はずっと義務感だった
最近、自分自身と他者との線引きが難しいと感じる。
特にそれを強く感じたのが、「仕事」のことだった。
私は、本当に働きたいんだろうか。
それとも、社会から「働け」と言われているような気がして、「働かなくちゃいけない」と思っているんだろうか。
それは私の意思なのか、それとも義務感なのか。
ずっと、その区別がつかなかった。
もちろん、働いている人の中には「働きたいから働いている」という人ばかりではないと思う。
生活のためだったり、責任があったり、働くことが当たり前だと思っていたり。
だから私も、「働くことが社会に適応することなんだ」と思って、頑張ってみた。
働かなくちゃいけない。
みんな働いているんだから、私も働かなくちゃいけない。
そうやって、自分を奮い立たせてきた。
でもその結果どうなったかというと、体調を崩して入院する。
入院すればスマホも使えず、周りと連絡が取れなくなって、音信不通のまま退職する。
また頑張ろうとする。
また体調を崩す。
そしてまた、周りに迷惑をかける。
そんなことを繰り返してきた。
だから私は、「働けない自分は迷惑なんだ」という感覚もずっと持っていた。
そんなとき、ネットでこんな言葉を見かけた。
「社会不適合者は家に引きこもってろ」
「健常者に迷惑をかけるな」
「社会に出るな、家から出てくるな」
過激な言葉たち。
でも、そのときの私は、なぜか少し救われた。
社会とのつながりが大切だということは、支えてくれる人たちから何度も言われてきた。
少しずつ社会とつながっていこう。
家に閉じこもるのではなく、人とのつながりを持とう。
それはきっと私を思って言ってくれている言葉なんだと思う。
でも同時に社会の中には「社会不適合者とは関わりたくない」「働けないなら社会に出てくるな」という声もある。
その言葉を見たとき、
「ああ。じゃあ、私は無理して社会に合わせなくてもいいのかもしれない」
と思った。
正しいとか、正しくないとか。
優しいとか、優しくないとか。
そういうことを一旦全部置いておいて、
「社会が私に出てこなくていいと言うなら、私はそれに甘えてもいいんじゃないか」
と思った。
そして、そこで初めて気づいた。
私はずっと
「働かなくちゃいけない」
と言い聞かせながら自分を奮い立たせていたんだ。
働きたいから頑張っていたのではなく、
「働ける人間にならなくちゃ」
「社会に適応しなくちゃ」
「普通にならなくちゃ」
という気持ちに追い立てられていたのかもしれない。
そう思った瞬間、少しだけ吹っ切れた。
「もう無理しなくてもいいんだ」
そう思ったら、少し息がしやすくなった。
退院して3ヶ月。
最近は就労継続支援について調べたりしながら日々焦っていた。
でも、それだってよくよく考えてみれば
「退院したら次はこれ」
「社会復帰するならこう」
「このくらいの時期には働けるようになろう」
という、誰かが敷いたレールの上を歩こうとしていただけなのかもしれない。
私はまだ
「働きたい」のか、
「働かなくちゃいけない」のか、
その答えを出せていない。
もしかしたら、今は働きたくないのかもしれない。
もしかしたら、いつか働きたいと思う日が来るのかもしれない。
あるいは、働くこと以外の形で社会とつながるのかもしれない。
それでいいのだと思う。
少なくとも今は、
「働かなくちゃいけない」
という気持ちを、自分の意思だと思い込ませなくてもいい。
他人の敷いた「正しいレール」から一度降りてみてもいい。
そして、自分は本当はどうしたいのかをもう一度考えてみたい。
「働かない」という選択を一生すると決めたわけじゃない。
ただ"働かなくちゃ"を手放してみる。
今の私には、それだけでも十分だった。
少し息がしやすくなったから。
