
RI:SS 5/5話「根と、星」
街を出た。
電車に乗った。どこ行きか、切符を買うまで決めていなかった。窓口の前に立って、少し考えて、名前を知っている駅を言った。
電車が動き始める。
荷物は少なかった。りくの写真。りくの本が三冊。古いカップ。着替え。それだけ。
それだけで、生きていける。
今までもそうだったし、これからもそう。
電車の窓から、街が遠くなっていく。
緑と光の街。ビルとビルの間に木が生えている街。屋上に草が這っている街。整った街。
きれいだった。
本当。それは嘘じゃない。
でも、息が詰まる場所だとも思っていた。
街が見えなくなっていく。
トンネルに入る。窓の外が暗くなった。
暗い窓に、自分の顔が映る。
覚えにくい顔だと、仲良くなってからゆうきに言われた。失礼な男だったなと笑った。
りくは「すずりはすずりの顔してる」と言っていた。
何がすずりの顔なのか、聞かなかった。聞かなくても、りくが言うなら本当だと思っていた。
電車が止まる。
降りて、乗り換えた。
今度は各駅停車で、ゆっくり止まりながら進んだ。
車内に人が少ない
向かいの席に、老いた女性。膝の上に小さな荷物。窓の外を見ていた。RIの表示を確認しようとした自分に気づいて、やめた。
自分にはRIがない。向かいの女性にはRIがある。その差を、今日は確認したくなかった。
ただ、同じ電車に乗っている二人でいたかった。
窓の外の景色が変わっていった。
街が薄くなった。ビルが低くなった。ホログラムの広告が減った。空が広くなった。
緑が変わった。
街の緑は整えられた緑だった。植えられた木、設計された草、管理された自然。きれいだったが、整えられていた。
電車が進むにつれて、整えられていない緑が増えていく。
ただ生えている草。誰も設計していない木。管理されていない茂み。
りくの広場の雑草。誰も整備しない草。ただ生えている草。そこにいるだけの草。
りくが好きだったもの達。
「整えられてないものの方が、正直な気がする」と言っていたりくは、十六歳のときだったか、十七歳のときだったか。
「整えられてないものが正直なの?」
「うん。整えたら、本当のことが見えなくなる気がする」
「本当のことって」
「その草が、ただそこに生えていること。それだけが本当のことで、整えたら別のものになる」
りくらしい言葉。
夕方、電車を降りた。
小さな駅。改札が一つ。駅員が一人。ホログラムの案内板はない。紙の時刻表が壁に貼ってあった。
外に出ると空が広かった。
街では見えない広さ。ビルがないから、空が多く見えた。地平線の方まで、空が続いていた。夕暮れで、オレンジと青が混ざっていた。
ホログラムの光が無い空。
光の滲みがない空。
空が、全部空だった。
りくに見せたかった。
りくが見たことのない空。
りくに話しかけた。声に出して。誰もいない駅の前で、声に出して話しかけた。
「広いよ」
「りくが好きそうな空だよ」
りくは答えない。
でも、りくが少し笑った気がした。
公園のブランコの前で笑っていたときの、あの笑い方で。
宿を探した。
小さな宿があった。RIの確認を求められた。
「ないです」と言った。
宿の主人は少し考えて、「現金で払えますか」と言った。
「払えます」
「じゃあ、いいですよ」
それだけ。
RIがないことで、断られなかった。
主人は年配の男性だった。RIを重視しない世代なのかもしれなかった。あるいは、この場所ではRIより現金の方が実用的なのかもしれなかった。
どちらでもいい。
泊まれる場所があった。それで十分。
夜、外に出た。
星を見るために。
ホログラムの光が邪魔しないから。
空を見上げる。
星が見える。
たくさん。
見たことのない数の星。
りくがいたから、私はここに来た。
りくがいたから、私は動き続けた。
りくがいたから、ゆうきと話した。
りくがいたから、整えない言葉を知っていた。
全部、りくがいたから。
ゆうきのことを思う。
今頃どうしているか。
RIが下がり続けていた。66を切りそうだった。就労への影響が出始める水準。
私がいなくなって、少し楽になることもあるかもしれなかった。私と関わることで下がり続けていたRIが、戻り始めるかもしれなかった。
でも、戻ってほしくない気持ちも、少しある。
RIが戻ったら、ゆうきはまた整えた言葉だけを使うようになるかもしれなかった。シオに全部話すようになるかもしれなかった。橘を外した夜のことを、整理して終わりにするかもしれなかった。
そうなってほしくなかった。
整えない言葉を持つことを。答えが出なくても考えることを。自分が何を感じているか知ろうとすることを。続けて欲しいと、願っている自分に気が付いた。
続けてくれるかどうか、わからない。
でも、続けてくれる、そんな気がしていた。
根拠は、無い。なんとなく。
星を見ながら、今、私は何を感じているか。
さびしさだった。
ゆうきがいない場所に来て、さびしかった。
でも、空が広かった。
さびしいことは、悪いことではない。さびしいということは、さびしいと感じる何かがあるということ。
ゆうきのことが、自分の中にある。
りくのことと、同じ場所に。
りくの写真を出した。
暗い中では見えなかった。でも手に持った。
「見てる」と私は言った。声に出して。「りくが好きそうな星を、見てるよ」
りくは答えなかった。
でも、ここにいるかもしれない、そんな気がした。
明日、また動く。
どこに向かうか、まだ決めていない。
決めなくていい。
次の場所に行って、また次を決める。空が見える場所を見つける。壁を見て落ち着ける部屋を見つける。古本屋を見つける。
それだけでいい。
それだけで、生きていける。
今までもそうだったし、これからもそう。
空を見たまま、少し笑った。
なぜ笑ったか、自分でもわからなかった。
わからなくていい。それが本物だから。
夜が深くなった。
宿に戻った。
部屋は狭かった。窓の外には、暗い山の稜線が見えた。街灯が一つ、遠くにあった。
「おやすみ」
今頃ゆうきは、窓の外を見ているかもしれなかった。夜の街を見ているかもしれなかった。木の根がタイルを割っているのを見ているかもしれなかった。
シオに「おやすみ」と言っているかもしれなかった。
棚の古本に手を伸ばしているかもしれなかった。
どれでもよかった。
ゆうきがゆうきとして、今夜もそこにいればよかった。
それだけ。
目を閉じる。
星の残像。
ゆうきがどこかにいる。
私はここにいる。
それで十分。
そのまま、眠った。
了
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