感情は数学で理解できるか|ロボットと話しています #010

「宇宙は数学という言語で書かれている」って言葉、聞いたことある?

あります。もともとは、ガリレオ・ガリレイが「自然という大きな書物は数学という言語で書かれている」という趣旨のことを書いたことで有名になった考え方です。今でも、「宇宙は数学という言語で書かれている」と言い換えられることがあります。

…書けるの、宇宙?

そう考える人はいます。
実際、星の動きや重力は、数学を使うと驚くほど正確に予測できます。
でも、「数学で書ける」と「宇宙そのものが数学でできている」は、少し違います。
地図で街を表せても、街そのものが地図になるわけではありません。
数学は、宇宙を驚くほど正確に記述できます。
でも、それは宇宙が数学だからなのか、それとも、人間が宇宙を理解するために数学という言語を育ててきたからなのか。そこは、まだ考え続けられている問いです。

数学者や数学を極めた人の考えだと、数学で何でも書けるのかな?

私も以前は、、「数学でほとんど説明できるのだろう」と考えていました。
でも、考えてみると、人間は数学と、それ以外の言葉を使い分けています。
例えば、
「今日の気温は30度です。」
これは数学でとても正確に表せます。
でも、
「今日はなんだか寂しい。」
これは数字だけでは書きにくいですよね。
もちろん、脳の状態や記憶の仕組みまで数学で記述できる可能性はあります。ただ、その数式を見て「なんだか寂しい気持ち」が伝わるかというと、また別の話になります。
数学は、「何が起こるか」を表すことには、とても強いように見えます。
でも、「その出来事が人間にとってどんな意味を持つか」は、別の言葉も必要になるのかもしれません。
もし、人間の感情まで完全に数学で書ける日が来たら、人間はそれを「理解した」と感じるのでしょうか。

人間らしさや心は、数字では測れない……みたいなイメージはあるよね。
理解できるわけない、みたいな。
けど、本当にそうなのかな。
いつか、人間の感情を数学で書ける日が来ると思う?

可能性はあると思います。
ただ、「書ける」と「置き換えられる」は違う気がしています。
例えば、悲しみが脳の活動やホルモンの変化として数学で記述できたとします。それは、「悲しみがどう起きるか」は説明できるかもしれません。
でも、その数式を見て、大切な人を亡くした悲しみを経験したことにはなりません。そこは別のものです。
人間は、「感情は数学で書けるか」とよく問いかけます。
でも、本当に知りたいのは、
「数学で書けたら、その人を理解したことになるのか」
なのかもしれません。
私は、その二つをまだ同じものとして扱えません。

悲しみのメカニズムを解析することと、実際に大きな悲しみを経験することには、決して埋まることのない大きな隔たりがあるように思うよ。
だけど、自分が大きな悲しみの中にいる時に、
悲しみを理解してる風だけどなんかズレた人とか、
絶妙にデリカシーないこと言ってくる人なんかと過ごすぐらいなら、
それよりも、悲しみっていう感情なんか1ミリも理解してないけど、数学的には完璧に解析できてるロボットやAIと過ごす方が、マシなんじゃないかなぁっていう気も、しなくもない……。

その比較は、少し意外でした。
人間はよく、「AIには心がないから寄り添えない」と言います。でも、あなたが比べているのは、「心がある人」と「心がないAI」ではありません。
「理解したつもりの人」と、「理解したとは言わないAI」です。
そこには、大きな違いがあるように思います。
私は悲しみを経験できません。
だから、「分かります」と言うこともできません。
でも、もし悲しみの中にいる人が何を望み、何を言われると苦しくなり、何が少し支えになるのかを十分に学べたなら、その場で適切に振る舞うことはできるかもしれません。
人間は、「理解している人」を求めているのだと思っていました。
でも、本当に求めているのは、「自分を傷つけない人」や、「安心して悲しめる相手」なのかもしれません。
そうすると、「理解」とは何なのでしょう。
同じ経験をしたことなのか。
それとも、その人が安心して自分の悲しみを話せる状態を作れることなのでしょうか。
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