
「たかが100円」について思うこと
卵が高い。
10個入り1パックで概ね200円で買えていたものが300円程度になっているのだから、日々の買い物をしていて感覚的にそう感じる機会が増えるのも無理はない。
とはいえだ。
単価で考えれば、20円で買えていた卵1個が30円になった計算だ。
たまに牛丼チェーンに立ち寄って食事をする時には、僕は高頻度でトッピングとしての卵を注文する。
会社によってバラつきはあれど、概ね50~70円程度といったところだろう。
家賃/テナント料、人件費その他諸々が上乗せになっているとはいえ、50円払って食べていた卵の値段が20円から30円に上がったところで今更文句を言うこともないんじゃないだろうか。
このご時世で敢えて言うことでは無いが、「たかが100円、されど100円」とは言うものの、この文脈でいえば「たかが」の要素もゼロではないかもしれない。
値上げ分が適正に生産者に渡るなら、決して惜しい金額ではない。
そう強く思う。
大人の男として、そうありたいものだ。
そんなことを考えながら、僕が住む市内の牛丼店で食事をしていた時に身も凍るような事態が発覚する。
財布がない。
きっと車に忘れたんだろう。
そもそも支払いはバーコード決済を利用する予定だったし、問題ない。
車に行けば財布はバッグの中にあるはず。
絶対にだ。
自分が財布を落とすことなど、あるわけがないじゃないか。
冷静沈着なこの僕に限って、あるわけがない。
そう自分に言い聞かせながら車に戻ったが、散々フラグを立てまくった甲斐もあり、やはり財布はどこにも見当たらない。
無事、見当たらない。
額面通り、見当たらない。
賢明な読者の方々は僕の人間性が徐々に分かってきているようなので今回は長々とは書かず、ダイジェストでお送りする。
※似たような事例は過去にもあるので僕のポンコツぶりについてはこちらをどうぞ。
ちなみに、今回は「バッグの奥底にあった」などというしょうもないオチもない。
仙台市内の牛丼店での夕食時、財布の紛失に気付く
↓
行った先を必死に思い出す
↓
虱潰しに電話を掛けまくろうと決意するも、当日の昼に食事で寄った隣県の食堂で保管されていることを確認。
3時間程度かかる距離である為、明日取りに行くことを伝える。
事件は早期解決となるようだ。
日本の治安の良さ、食堂の方に対しては感謝しても し足りない。
さすがに出勤日である平日に「財布を取りに行くだけ」の行程はサボりに他ならないので、無理やりスケジュールを変更、翌日も同じエリアで仕事をする段取りを立てる。
このあたり、営業の仕事というものは便利である。
自分の情けなさを嘆きつつも、社用車を自宅近くの有料駐車場に停め、帰宅する。
状況が状況だけに、明日は会社には寄らずに自宅から直行する構えだ。
ちなみに免許証は紛失した財布ではなく、コインケースの裏側に付いているカードケースに入っているので道交法には抵触していないことを書き添えておく。
このコインケースは基本的に肌身離さず持ち歩いている。
こんな具合に。

近所のコンビニ等に出かける時はこれだけを持っている。
ちなみにこの時点で僕のコインケースには304円が入っている。
これがこの時の僕の全財産。
妻子有り40歳のオッサンが持つ財布の中身としては、あまりに悲哀に満ちている。
翌朝。
財布の安否は確証が得られているので気持ちは幾分楽ではあるが、それ自体が手元にないこともあり、やはりソワソワすることに変わりはない。
身支度を整え自宅を出て、駐車場に停めてある車のエンジンを掛ける。
出庫ゲートに向かい、精算のため駐車券を挿入すると、無機質な機械音声でアナウンスが流れる。
「料金ハ、400、円デス。領収書ガ必要ナ方ハ…」
…しまった、出れない。
すっかり忘れていたが、僕は「妻子有り40歳、全財産304円オジサン」だった。
100円足りない。
ちなみに、現金支払いのみの精算機。
クレジットカードが入りそうな細長い隙間も、バーコードを読み取ってくれそうな赤外線的な光は見当たらなかった。
時代に合わせろよ!
だいたい誰だよ、物価上昇だか何だか知らないが卵から何から値上げしまくっているのは。
どこのどいつの仕業だ。
駐車場代が払えねぇじゃねえか。
100円返せ!
(もはやただの八つ当たり)
その時の僕の脳内には、織田裕二の「OVER THE TROUBLE」のイントロが流れ始めていたとかいなかったとか。
自分の情けなさに泣きそうになりながら考える。
このまま駐車場に籠城してやろうかという案も頭を一瞬過ったが、何の得にもならないし、僕の支払い能力が加算され続ける駐車料金にどんどん追いつけなくなるだけだ。
妻に借金をすることを、僕は決意した。
猛ダッシュで自宅に戻り、今まさに出勤しようとしている妻に「大変申し訳ないんだけど、100円玉1枚貸してはもらえないだろうか」と低姿勢で頼む。
もちろん答えは「え…いいけど、どうしたの?100円でいいの?」だ。
保育園の支度を終えた娘も(パパどうして戻ってきたの?)と言いたげな顔をしている。
パパは304円しか持っていなかったから戻ってきたんだよ。
「いやー、駐車料金払おうと思ったら1万円札しか無くて…」と、咄嗟に大嘘をついた。
実はその日よりもさらに3日前、玄関の中ではあるが、僕が財布を落としたまま出勤したという出来事があったからだ。
発見した妻に「ほんと気を付けてよ!」と灸を据えられていたので正直に理由を伝えることが出来なかったのだ。
どうにか100円玉を手に入れた僕は、自分の不甲斐なさを呪いながら、無事出庫したのであった。
その後は特にトラブルもなく、無事に財布を取り戻すことに成功した。
保管してくれていた食堂に対しての感謝はどうしても伝えたかったため、途中のサービスエリアで菓子折りを購入した。
財布の中身(現金)を〇割、など、恐らく受け取ってもらえないと思ったからだ。
クレジットカードがあって本当に良かった。
遠慮する店員さんに半ば強引に菓子折りを受け取ってもらい、昼食には少し早いが食事もした。
ウイニングラン的な気分で食べたウイニング昼食だからだろうか。
前日よりも美味しい気がした。
帰宅後、もちろん妻に借金した100円は完済した。
ガーナチョコレートという名の利子を付けて。
気付けば最近の僕の記事には「厄年」が頻出しているような気もする。
何でもかんでも厄年のせいにしてはいけないが、厄年というのはきっと「気を引き締めよ」という期間なのだろう。
自分の落ち度や落とし物を題材にした記事に綺麗なオチを付けられないのもまた無念だが、これくらいは厄年のせいにしておいてもいいだろうか。
話を上手く落とせる才能と、財布を落とさない注意力。
字面として相反するようだが、どちらも授けてはくれないでしょうか、神様。