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Photo byfug

冬の夜空とオートロックについて思うこと

    数日前の23時30分、僕は人知れず地味で面白みも無いトラブルに見舞われていた。

    特に意外な展開も伏線の回収も無く壮大なオチも待っておらず、本当に地味で面白みが無いので、よほどヒマを持て余した方以外はそっとページを閉じることをお勧めする。
    秒刻みのスケジュールでnoteを開いている方以外は憐れみを込めて「スキ」ボタンを押して頂ければそれで充分である。

    これだけ事前に告知したのだから、「つまんねーじゃねーか、金返せ」という内容でコメント欄を炎上させることは御遠慮頂きたい。
    お金も元々頂いていないので、つまらないことは誠心誠意謝罪するが返金は辞退させて頂く。


    トラブルの5分程前、娘の食事の仕込みを終えた僕は翌朝の回収に出すべくゴミを集め、外にある回収庫へゴミ袋を持って向かった。

    集合住宅に併設されたその回収庫は、2~3分あれば自室との間を往復できる位置にある。
    ゴミ袋を運ぶだけの短時間なので自室の玄関の鍵は閉めないのが習慣になっている。

    この「習慣」こそが悲劇を生む原因になることを、この時の僕は知る由もなかったのだ。


    ゴミ袋を回収庫にしまい、エントランスに戻る。
    オートロックを開けるべくポケットに手を入れる。

    鍵が無い。

    カードキーが無いのだ。

    ポケットに入れたかどうかの記憶もおぼろげである。

    これは本当にまずい。

    とりあえず今の全ての装備を確認する。

    ・アディダスのジャージ上下とスニーカー
    ・ユニクロのウルトラライトダウンジャケット
    ・スマホ
    ・加熱式タバコ

    以上。

    あまりにも非力な装備である。
    何と戦っても勝てる気がしない。

    唯一の頼みの綱であるスマホで妻に電話をするが、何度コール音が鳴っても応答する気配はない。
    出がけに視界に入った妻が完璧なまでに熟睡していたことを思い出す。

    じゃあ娘に、という選択肢は無かった。
    彼女は1歳半、スマホの操作はおろか、オートロックの開錠など出来るはずもない。

    インターホンも鳴らしてみたが応答は無い。
    スマホが鳴っていて起きない以上、それがインターホンの音に変わったからといって都合良く気付かれることもなかった。
    あまりしつこく鳴らした末に戻った時、「娘が起きちゃうでしょ!」とキレられることを想像し、決死のインターホン作戦は程なく打ち切られることとなった。


    人間、ここまで来ると考えることは ほとんど犯罪者のそれである。

    とりあえず侵入経路が無いか確認し始める。

    まずはオートロック。
    仮に僕にピッキングの技術と道具があったとしても、我が家のオートロックはカードキー式である。
    ここがマトリックスの世界で僕がキアヌ・リーヴス演じる救世主でもない限り、電気的な情報を操ることなどできない。

    次に外から見える構造の1階外廊下。
    これでもかというくらい頑丈な格子がはめられている。
    この建物は牢屋かよ、と思う。
    今この瞬間、僕以外の住人は全員囚われの身である。
    この状況において寒空の下で実質的に閉じ込められているのは、むしろ僕の方であるのだが。
    2階以上の外廊下には格子は無いものの、僕がスパイダーマンでもない限り到達することは難しい。
    いま着ている服も残念ながら青と赤の2色ではなく、上下とも黒のジャージだ。

    そして各階の廊下に繋がる雨どい。
    登り棒してない歴30年近い僕には難しいだろう。
    そもそも大人1人の体重に耐えられるほどの強度を、プラスチック製のパイプが持ち合わせているはずがない。

    ロープやドライバーがあれば、とも思ったが、それはもはや強盗犯の思考回路である。
    もちろん、そんなものが丁度よく付近に落ちているわけもない。
    落ちているとしたら僕の前に不法侵入を試みた不届き者の落し物に決まっている。

    もしもこれらの選択肢のどれかが上手くいったとしても、ミッション中に同じ棟の住人に目撃されたら即通報である。
    言い訳したところで怪しいことに変わりはなく、「怪しい者ではない」と主張する人間ほど怪しい者はいないのだ。

    そんな怪しい者の末路は当然職質と連行である。
    取調室なら凍えることもないか、と思いかけてやめた。
    今のところ警察のお世話になったことも、檻(おり)と見張り付きのセキュリティ万全宿舎で一夜を過ごしたこともない。
    履歴書に書けないような変な経歴など作りたくもない。

    考えるまでもなく分かりそうなものだが、どうやら自力で侵入することは叶わないようだ。
    例えどこかの部屋の住人が帰ってきたところで、タイミングを合わせてオートロックを突破するのも、怪しさの面から恐らく困難だろう。
    24時近くに上下ジャージのおじさんが住人の後ろを何食わぬ顔で一定の距離を取りながら追いかけるのである。
    怖くないわけがない。
    逆の立場なら僕はそんな変態の不法侵入は許さない。
    間違いなく通報する。

    そして都合よくその時間に帰宅する住人も実際にはいなかった。


    こうなると次に考えることは寒さとの戦いについてである。

    所持品にスマホがあるのは幸運だった。
    現金こそ無いが、スマホにインストールされたSuicaとバーコード決済用のアプリにはそれぞれ必要十分な残高がある。
    一文無しにして大富豪のような気分である。

    5分程歩けばコンビニもあるので、明け方までの間に飢えと寒さで力尽きることはないだろう。
    肉まんもホットコーヒーも好きなだけ買える。

    「いい歳したおっさんがジャージで深夜のコンビニに来んなよ」と絡まれるかもしれないが、知ったことではない。
    絡まれた場合には、その金髪鼻ピアス男の首元に「御免!」の一言と共にチョップを決め気絶させ、全てを無かったことにするまでだ。
    オヤジ狩りには徹底抗戦する所存である。
    狩られるような現金を持ち合わせていないのでそこは申し訳ないが。

    せめて車の鍵さえあれば車内で暖を取れるのに、という思いもよぎったが、家の鍵を持って出ないような人間が偶然そんな便利なものを持っている可能性は限りなくゼロに近いのだ。


    最低限の命の保証を確認した僕は、とりあえず気持ちを落ち着けるために加熱式タバコの電源を入れる。

    しかし何度ボタンを押せども加熱開始を示すランプは点灯しない。
    しっかりとした充電切れである。

    再び恐怖心が僕を襲う。
    タバコが吸えないからではない。

    僕はタバコは嗜むが、決して重度のニコチン中毒者ではない。
    もちろん妻や娘の前で吸うこともない。

    問題は「充電切れ」という事実である。

    この事実から想起されることはただひとつ、
    「あれ?そういえばスマホの充電は?あったっけ?」
    である。

    改めてポケットからスマホを取り出し表示を確認する。
    バッテリー残量12パーセント。

    震えた。
    無論、寒さに対してではない。
    絶望的である。

    ついさっき勝ち誇ったように確信した命の保証が、こんなにも脆弱なものだったと今さら気付いたからである。

    これはどうしたものか、と考えつつバッテリー残量が11パーセントに減ったスマホの時計を確認すると、トラブル発生から30分近くが経過していた。

    万事休す。
    間もなく日付が変わる。


    色々大変なこともあったが良い人生だった。
    妻と子どもにも恵まれた。
    願わくば、大きく成長した娘の花嫁姿を見たかったものだ。
    君のパパは多分、翌朝になってカチカチになった状態でゴミ収集の人に発見されるのだ。
    アディダスの黒ジャージ上下にアディダスの白スニーカーを履き、真っ黒になった画面のスマホを握りしめた姿で。
    もうオムライスも作ってあげられないし、絵本も買ってあげられないだろう。
    それでもどうか、パパが君を大事に思っていたという事実を忘れないで欲しい。

    妻よ、あとのことは頼んだ。


    などという文章をnoteに書こうかなぁ、いや、書けるのか?まさか本当にゴミ収集の人に…、寒いなー、コーヒー買いに行こうかなー、などという妄想をしていたらスマホが激しい振動と共に強い光を放った。

    神からの着信である。
    「助かった…!!ありがとう!」と心の中で絶叫しながら感動的に通話ボタンを押した僕に対し、先ほど娘の未来を託したはずの妻から「なに?」という、ひどく不機嫌そうな、最少文字数でお馴染みの疑問文をぶつけられた。

    犯罪者の家族として2人が後ろ指を指されないよう、不法侵入という凶悪犯罪行為を直前のところで踏みとどまり、娘の幸せを願い、ゴミ収集の人にジャージで発見される最期を覚悟した僕に対してだ。
    あんまりである。

    さすがに腑に落ちない僕は
    「すみません、鍵を持たずにゴミを捨てに来ちゃったのでオートロックを開けてもらえないでしょうか、すみません」
    という鋭く尖った、言われた側の気持ちを一切無視するような心無い言葉の刃を妻にぶつけ、反撃した。


    部屋に戻り事の顛末をヘラヘラと話そうとしたが、「遅いから寝なよ」と言われたので温かい麦茶を少し飲んで渋々とベッドに入った。
    事件発生から34分、壮絶な状況から奇跡の生還を果たした僕は、残り7パーセントになったスマホに充電ケーブルを挿し、頭から布団をかぶって眠りについたのである。


    オートロック。
    住むには安心だが不法侵入には向かないシステムのようだ。





    …以上、長々と書いたが、鍵を忘れてオートロック開けられなくなったけど妻が開けてくれたよ、という1行で事足りるエピソード。

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