メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byhirotakai

スーパーカブについて思うこと


    スーパーカブが好きだ

    言わずと知れたホンダ製の小型のバイク、新聞配達や蕎麦屋の出前でお馴染みのやつだ。
    大学時代の4年間は、通学や外出のほとんどをスーパーカブに頼っていた。


    スーパーカブはダサい

    カブに乗り始めるまでは正直、「配達用、お年寄り御用達、かっこよくない、ダサいバイク」だと思っていた。
    僕とは関係のない、ただの風景の一部である。

    無論、自分が乗るなどとは一切想像もしていなかった。

    自転車で通学していた高校時代、友人がカブに乗り始めたのを見て徐々に心変わりしていった。

    ネガティブなイメージしか持っていなかった僕にとって、彼の「リトルカブ」は全くの別物に見えたのだ。

    昔ながらの配色ではなく、ブラウンとシルバーの2色の車体は、カスタムこそされていなかったが不思議と洗練されたものに感じられた。

    今思えば、エンジン付きの乗り物を操れる資格を持った友人に、少し憧れと羨ましさを感じたからなのかもしれないが。


    僕とスーパーカブと彼女とリトルカブ

    大学入学とほぼ同時に、僕は通学用にスーパーカブを買った。
    かつて「ダサい」と忌避していた、しかも、緑と白の昔ながらの中古のスーパーカブ。

    そのダサくて古びたスーパーカブは、自分で手入れをすればするほどに、なぜか愛すべき存在になっていった。

    インターネットがそこまで普及しきっていなかった当時、原付雑誌を読み漁っては、白黒の広告に載った胡散臭いカスタムパーツを、自分のカブに装着した姿を妄想してみたり、オイル交換やパンク修理などの軽微な作業も一つずつ覚えていった。

    高速バスで東京に行った時には、衝動買いしてしまったそこそこ大きなパーツを携えて帰ってきたこともあった。

    余談だが、当時付き合っていた彼女もそんなカブに魅力を感じたのか、赤と白のリトルカブを購入し、小さなバイク2台でツーリングの真似事もした。
    今となっては良い思い出だ。


    手放す決意をしたはずが

    4年間カブで通った大学を卒業し、就職の為引っ越しの準備をし始めた頃、僕は少しくたびれた愛車を手放すことに決めた。

    通勤には自動車を使うこと、就職したらカブに乗る機会も殆ど無くなること、本音を言えば屋根付きでエアコンが効き、CDやMDも聞き放題の、人生2台目の愛車の便利さに溺れてしまったことも理由だった。

    生まれていた愛着も、いつのまにか薄まっていたような気もする。

    かつてダサかった彼を引き取ってもらうべくバイク屋に電話を入れ、最後のエンジン始動のためにスターターを踏み下ろす。

    寒さの残る春先、数回を要することなく、ピストンはキック一発で動き始める。

    3段階しかないギヤはスロットルを戻した合間で、小気味よく乾いた音を立てながら順調に入れ替わっていく。

    左足のフットブレーキの効きが少し甘いだろうか。
    右手のブレーキレバーは、いつか転んだ時にちょっと曲がってしまったなぁ。

    普段なら気にならないようなことが、4年間の記憶と共にグルグル頭の中を巡り始める。

    ふと気づくと、ジェットタイプのヘルメットに取り付けられたバブルシールドの内側で、僕は泣いていた。

    家を出発して2km地点、バイク屋まであと1.5kmのコンビニにカブを停め、キャンセルの電話を入れた。

    最後のドライブと思って10分前に走った道のりを、そのまま逆戻りしていく。

    道すがら、手放そうとしてごめんね、と心の中で謝っていた。


    動かないスーパーカブ

    結局のところ就職して数年後、エンジンを掛けることもなく実家で保管していたカブは動かなくなってしまっていた。

    帰省したタイミングで、不動車として買い取りを頼んだ。

    少しでも高く、という打算は一切なく、これまでの感謝を込めて洗車をした。
    オーバーホールして誰かが乗ってくれるかもしれない。
    それが叶わなくとも、分解されたのちにパーツ単位で誰かのカブの一部として走り続けてくれるかもしれない、という淡い期待も込めて。

    あのごめんねは何だったのか、とも思わなくもないが、この無駄な期間が僕にとっては必要なものだったのだろう。

    カブとお別れするために必要な時間として。


    エピローグ

    転職に伴い地元に戻ってきた僕は、その後2台のミニバイクに乗ることになる。

    最初はヤマハのスクーター、その次は、以前とは色違いの、シルバー1色のスーパーカブだ。

    色違いのカブには、殊更いろいろな感情が湧くかと思いきや、初代程の感動や愛情の芽生えはなかった。
    とても元気に走ってはくれたが、結婚と同時に手放した。

    守るべきものが出来た今、50ccとは言えども四輪より二輪のリスクが高いことは否定しきれない。

    恐らく今後の人生、僕がバイクに乗ることはもうないだろう。


    あとがき

    外を歩けばスーパーカブを目にすることは日常である。
    目にはせずとも毎朝のように小気味いいあの音が聞こえる。

    僕とは関係のない、ただの風景の一部。

    それでも、と考える。

    僕は今でもスーパーカブが好きだ。
    配達用で、お年寄り御用達で、かっこよくない、でもかっこいい小型のバイク、スーパーカブが。


    おわり


    あなたへのおすすめ