教室の片隅、私と先生とビリー・ジーン
もう昔のことで、その先生の名前を思い出せない。
残念なことに記憶にないのだ。
でも見た目は覚えている。
先生は、まるで「アメリカ」を体現したかのような人だった。
大柄で、陽気で、明るい茶髪のアメリカ人。
年齢は30代半ばくらい?当時小学生の私には、おじさんまでは行かないけれど、かなりのお兄さんって感じだった。
ALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー)として学校にやってきたその男に対する私の第一印象は「とにかく色々大きい」であった。
身長が高い、話すときの身振り手振りがダイナミック、ハキハキした声。
そのほかには、お顔の彫りが深くてまるで洋画の中の人みたいだとか、顔が明るいだとかエトセトラ。
先生はとても積極的な性格で、授業以外の時間でも校内で会うと必ず話しかけてくれる。
私の日常生活の中で、これまで近くにいたことのないタイプの異彩を放つ存在だった。
これがアメリカ人というものなのかと、勝手にどこか圧倒されていた。
子供でも得体の知れない存在には警戒心を抱くものである。
まず、先生は100%英語でしか話してくれない。
こちらが戸惑っていても、絶対に英語を貫き通すのだ。
だが、私は職員室で他の先生と日本語で話しているのを目撃していた。
絶対に日常会話は日本語で話せるはずなのに!と先生に対して不信感と居心地の悪さを感じていた。
(今ならわかる、きっとALTという立場上、生徒には英語で話しかけると決めていたのであろう。)
当時の私からしたら、意思疎通がうまくできない。どう話しかけて良いのかわからない。
話しかけられてもどう返せば良いのかわからない。纏っている空気感が他の人とは違う。
得体の知れない人でなんだかちょっと怖いなと、高い壁を感じていた。
大体廊下ですれ違うとき先生は、「Hello! Today is a good day! (今日は良い日だね!)」などと言ってキラキラスマイルをお見舞いしてくる。
私は恥ずかしげに「オゥ…ハロー」と返すのが精一杯である。
この時間が私はイヤだった。どこかギクシャクとした空気が2人の間に流れてしまっていた。
自分自身のあまりの塩対応に、なんとなく申し訳ない気持ちにもなって、「だれか!この居心地の悪い時間を、どうにかしてくれ!」と心の中で叫んでいた。
そんな日々を過ごしていく中、
ある日の授業、今日習うフレーズ
「あなたの好きなものはなんですか?(What is your favorite thing?)」
「私の好きな〇〇は〇〇です。(My favorite 〇〇 is 〇〇.)」
を使って会話するという回があった。
thingの部分に、食べ物(food)、色(color)、スポーツ(sports)、音楽(music)、などを当てはめて、ひたすらクラスメイトと話していく。
その様子をALTの先生は教室内を歩きまわって見つつ、たまに会話に入って生徒にも問いかけていくのである。
ーー「What is your favorite 〇〇〇〇?」ーーだれが話しかけられるかは、完全にランダムだ。
あ〜私の机の近くにも先生が近づいてくるな〜〜と、隣の席の子と話しながらなんとなく思っていた。
あ、目が合ってしまった。
先生はニコッと笑って問いかけてきた。
「What is your favorite music?(あなたの好きな音楽は何ですか?)」
( 私の好きな音楽…たくさんあるけど不動の1番はこれだ!)
「アイ ラブ マイケルジャクソン」
途端に先生の目が大きくなって、驚きが広がっていくのがわかった。
きっとこんな異国のちびっこ女子が、マイケルジャクソンを好きだなんて予想もしていなかったのだろう。
「Oh! You love Michael Jackson!?!?」先生は興奮したように繰り返してきた。
やや圧倒されつつ「イエス」と答える私。
そして先生は「Me too!!」と言いながら、やにわにビリージーンの最初のポーズの真似をした。(右手をハットに添え、片足を前に出して重心を低く落とし、頭を少し傾けて静止するあのポーズである)
瞬間、私の頭の中であのシンプルで強烈な四つ打ちのビートが流れ出す。
ドッ・タッ!ドッ・タッ!
ドッ・タッ!ドッ・タッ!
ここが教室で授業中ということも、周りにクラスメイトがいることもすっかり吹っ飛んでしまった。
すかさずファンの血が騒いだ私は
「Billie Jean!!」と口に出してしまい、
「YES!」と、とても嬉しそうに少し踊ってくれる先生。
「Whoo! so cool!!」と盛り上がる私。
ほんの数十秒前まで「どう接していいかわからない外国人の先生」だったはずなのに、気付けば二人とも夢中でビリー・ジーンを共有していた。
今この時から、先生と私はありとあらゆる壁を超えて、ただのマイケルファン友達になったのである。それはまさに、私たちの『会話革命』の瞬間だった。
その日から廊下ですれ違う時が幸せな時間に様変わりした。
英会話ができないのは変わらずだが、どうすれば良いかわからない居心地の悪さはさっぱり消えて無くなった。
先生とする会話は正直言って、ほぼ中身ゼロだったと思う。
「ポゥッ!」とか「Hee-hee!!」とか言い合ったり、一緒に歌を口ずさんだりムーンウォークをしたり、良い天気だねって言われているなと感じたら、それをそのまま復唱してみたり。
それでも彼と過ごす時間は、ただただ楽しくて嬉しかった。
打ち解けてからの時間は、あっという間だった。
すぐに時が経って、先生が帰国するため学校から去る時はとても寂しかった。
『音楽は国境を越える。世界中の人をつなげて、世界を平和にする。』を初めて体感できた出来事だった。
私はもう彼のことを、得体の知れない人で怖いとは思わない。好きなものを分かち合える友達だ。
あの日、授業中に先生が私の机に近づいてきて、あの質問をしてくれていなかったら、私たちの関係は冷え込んだ膠着状態のままだったのかもしれない。
もし違う質問をされていたら、もし違う人に声をかけていたら、、
きっと先生との交流全てが違うものになっていたと思う。
それはなんて勿体無いことだろう!
マイケルが好き、たったそれだけでこんなにも打ち解けられる人だったのに…!
先生に出会ったことで、怖がらずに心をオープンにして人と接する大切さ、そして素晴らしい音楽やパフォーマンスは国境を超えて人々を繋ぐことを知った。
大人になった今でも、人見知りで引っ込み思案なところは変わっていない。初めましても苦手なままだ。
だが些細な会話を積み重ねた先に、もしかしたら素敵な未来が待っているかもしれない、そう思ったら勇気がちょっぴり湧いてくるのだ。
月日が流れてふと思いを馳せる、彼は今アメリカで元気に生きているのだろうかと。
もしかしたら今回の映画「Michael」を観に行ったのかしら?…なんて。(笑)
最後に、いま冷静に考えると思い至る、あの時の授業の正しい答え。
学校における文法的な正解は、My favorite artist is Michael Jackson. だったのだろう。
でも、あのとき私から咄嗟に出たのは「I love Michael Jackson.」という言葉だった。
教科書通りの正解よりも、心の底から這い出てきた『I love』の方が、彼との距離を一瞬でゼロにした。
だからきっと、「I love Michael Jackson.」で大正解だったのだ。
