まだ遅くない。
今、この世界で「人類の未来は、幸せで平和な世界になる」と信じ、希望に満ちている人間は、一体どのくらいいるのだろう。
地球上のあまりにも大きな問題を突きつけられた私達は、目線を落とし、半径5メートルの小さな幸せを見つけて満足し、止めどなく大きくなってゆく恐ろしい現実を直視しないように生活しているかのようだ。
人は無力ではない。
にも関わらず、何故こんなふうになってしまったのか。
私はある時ハタと気がついた。
たとえば、戦争とは?
パッと頭に思い描かれる。
具体的に、ディテールまでもが、瞬時に。
人類にとっては、誰もがイメージできる共通のビジュアルである。
一方、平和とは?
さぁ、世界を平和にしよう!とまず描かれるのは戦争だ。
戦争と平和は常にセット。
あたかも戦争さえすれば平和になるのだと言わんばかりの、大義名分の脇役に甘んじているのが平和である。
平和とはただ祈っているばかりで、何の実行力も行動も伴わない、ただの一枚絵に過ぎない。
果たして、それが我々を導く「目標」たり得ているのであろうか。
さぁ、世界を平和に!の掛け声で、我々は何をどうすれば良いのだろう。
人は、ワクワクしないと動かない。
人は、イメージできなければそこに向かいようもない。
人はワクワクする闘争や戦争は簡単にイメージできても、世界の人々が平和に暮らす日々のディテールを、まるでイメージ共有していないのだ。
これは人類にとっての圧倒的に強烈な矛盾ではないか。
こうして人々は、つまらない静止画など棚上げし、毎日せっせと戦いの物語に興奮し、ディストピアのイメージトレーニングを繰り返し、思い描いた通りの未来にまっしぐらに向かっている。
しかし、もし、世界の人々が「あ、これが私達の近未来か」と、瞬時に思い描ける面白い平和のイメージがあったとしたら?
間違いなく、人々はそちらに舵を切る。ほんの1度の角度でも。
これだけディストピアを具現化してきた人類だ。それを上書きする強烈なワクワクするビジュアルさえあれば、人々の日々の少しずつの変化は、やがて大きなうねりとなるのは間違いない。
我々にはもっと強烈な「平和のイメージ戦略」が必要なのだ。
そのためには、ただの沈黙の祈りの一枚絵では全く役に立たない。
人々が手を取り合ってニコニコしている静止画なんかに、なんの面白味も興奮も湧かないではないか。
そこで、私は心から、伏して、お願いしたい。
動画の、映画の、ゲームの、小説の、あらゆるクリエーターの皆さま、どうか「ワクワクする平和」のビジョンを、圧倒的スケールで描き出してほしい。
「スターウォーズ」を観たあの大興奮、「ターミネーター」が登場した時のあの驚きと熱狂を上書きする、ヒリヒリするほど圧倒的に面白くて、目が離せない平和を描いてほしい。
「興奮と平和」この大いなるギャップを結びつける、間違いなくこれは前人未到の最高難度の挑戦である。
脳に汗をかくような超難関なこのゲームに挑み、ぜひ我々の脳内にビリビリとビジョンを焼き付けてほしい。
まだ遅くない。
まだ希望はあるのだ。
どこかの権力者やお金持ちだけが世界を動かしているのではない。
圧倒的な数の、そうではない私たちが、「ワクワクする平和」に導かれた、ちょっとした行動の変化こそ、
最初のバタフライの羽ばたきなのだ。
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