
それぞれの扉-高瀬陸の場合- 15
それぞれの扉-高瀬陸の場合-
着地ーそしてその先へ ⑦
自宅に戻ると、LINEにメッセージが届いていた。
なんと、今さっき別れたばかりのさちからだった。
「今日はありがとうございました。ゆめにとって、楽しい思い出になったと思います。
あなたには、本当に迷惑をかけてしまって、後悔しか有りません。
そんな私の謝罪を受け入れてくださり、ゆめに多額な援助まで…。
あなたは、本当に立派な夫であり、父親だったと感謝しています。
ありがとうございました。
そんなあなたに甘えて、最後にひとつだけ告白させてください。
あなたに出会った時、本当にドキドキしました。
あなたは、業界では有名人だったし、雑誌で見たとおりにカッコ良くて、優しくて…。
ご存じだと思いますが、その当時の私は、付き合っていた彼と別れたばかりでした。もう恋愛なんて…と落ち込んでいた私を、あなたは夢中にさせました。
気づいていましたか?
あなたに会うたびに、どんどん好きになっていって…。
でも、どこか、寂しかったのも事実です。
私が「好き」って思っているほど、あなたが私を「好き」とは感じられなかったのです。
熱量が違うというか…。
確かにあなたは、私に対して誠実に向き合ってくれていたのはわかっていました。
私があなただけを見ているのに対して、あなたは、もっと広い世界を見ている。私は、その世界のなかの1つに過ぎない…そんな気がしていました。
上手く表現できないのですが…。
ごめんなさい。
なんだかラブレターみたいになってしまいましたね。
恥ずかしい告白です。
今日、あなたに久々にあって、当時のことを思い出したので書いてしまいました。あなたは、昔のまま、何も変っていない。
素敵な人だと思います。
私は、これから頑張ります。
頑張らなくてはいけません。
ゆめのためにも…。
こんな私を許してくれたあなたのためにも…。
あなたの代理人の方から言われました。
子どもにとって自慢の母親になってくださいって…。
凄く心に響きました。
目覚めた気がしました。
あなたの今後の活躍を影ながら応援しています。
ありがとうございました。」
そこで終わっていた。
さちが出て行ったあの日、陸は、何度も彼女に連絡を入れた。 しかし、まったく返信はなく、なしのつぶてだった。 ふたりのLINEは、あの日から止まったままだった。
そのLINEは、再び動き出した。おそらくこれが最後だろう。
陸は、今日の日をぜったいに忘れないだろうと思った。
心の底から、さちとゆめのしあわせを願った。
陸は、ベッドに仰向けになり、目を閉じた。
別れ際、公園の出口で、いつまでも手を振るゆめの姿、そのゆめを抱きかかえるさちの穏やかな笑顔。
会えてよかったと思えた。それだけは、間違いなかった。
ゆめは、全身で喜びを語っていた。あのゆめの笑顔を、陸は一生忘れないだろう。
だがそれと同時に、ゆめは、いつか自分の顔など忘れてしまうのだろう、とも思った。
それでいいんだ。
そう思えた。
これで、前に進める。
おそらくさちも同じだろう。
陸は、はっきりとそう確信していた。
手元にあるスマホを取り上げ、
もう1度、さちのメッセージを読み返してみた。
彼女自身が「ラブレターみたい」と言っていた部分。
「私が「好き」って思っているほど、あなたが私を「好き」とは感じられなくて…。」
「どこか、寂しかった」
陸は、再び目を閉じ、当時のことを思い返してみた。
さちと出会う少し前、横山に指摘された。
「美夢のことが好きなんだろう?」
陸は驚愕した。
考えてもみなかった心の奥底に眠っていた事実が、突然、目の前に晒されたような感覚だった。
陸は、即座に否定した。
横山に対してだけではない。
自分自身に対しても…。
激しく動揺したのは事実だった。
さちに出会ったのは、その直後だった。
さちは、十分に魅力的な女性だった。
一緒に過ごす時間も、心地よかったし、彼女を幸せにしたいと思っていたのも事実だ。
けれど、「夢中だったか?」そう聞かれたら、正直、「YES」とは言えなかった。
そんな自分の正直な気持ちが、さちに寂しい思いをさせてしまっていた。
知らぬ間に、さちを傷つけていた。
胸の奥が、ヒリヒリと疼いた。
陸は、横山に連絡を入れた。
横山と飲みたかった。
短いやり取りのあと、行きつけの居酒屋で会うことになった。
カウンターに座り、瓶ビールで乾杯をしたあと、陸は、さち、そしてゆめに会ったことを横山に報告した。
横山は、「お前らしいな」と言いながら、空になったグラスにビールを注いだ。
陸は、そのビールをひとくち飲んでから、さらに続けた。
美夢という女性が、自分にとってどのような存在だったのか?
そのことに今さら気づいたこと…。
横山は、相づちを打ちながら、黙って聞いていた。すべてを聞き終えたあと、ふっと笑って言った。
「お前さぁ、いっつも自分の頭ん中を整理するために俺に話してんだろ?俺はお前のノートだな」
その通りだった。
陸は、思わず、ふふっと笑った。
図星だった。
これから自分が進むべき道を見つけるためのノート。
そして、誰かに話すことで、もう逃げることは許されない状況を作っていた。横山は、ずっとその役目を担ってくれていた。
「お前の答えは、きまってるんだろ。だったら、その通りにやってみろよ」
横山の言葉は、押しつけがましくなかった。けれど、確かに背中を押された気がした。
陸は、もう迷わなかった。
その夜、ふたりはしこたま飲んだ。
久しぶりにカラオケにも行った。
フラフラになりながら家に辿り着いた頃には、もう明け方になっていた。
翌日、陸は、昨日と同じ公園を訪れていた。二日酔いで目が覚めて、何となくここへ来てみたのだった。
日曜日の園内は、昨日以上に、多くの家族連れで賑わっていた。ベビーカーを押す夫婦。芝生にシートを広げ、笑い合う家族。子どもの名前を呼ぶ声が、あちこちから聞こえてくる。
陸は、ベンチに腰を下ろし、缶コーヒーを飲みながら、その光景を静かに眺めていた。
昨日、自分がいた景色を想像していた。
今、陸の目に映る情景と何ひとつ変わらなかった。
みんな、しあわせそうで。
みんな、楽しそうで。
昨日の自分たちも、きっと、そう見えていたのだろう。
〈人生なんてホントわかんないものだな〉
手にしていた缶コーヒーがいつの間にか空になっていた。
近くのゴミ箱へ歩き、缶を放り込む。
「カラン」
乾いた音を立てて、缶が転がった。
その音を合図にするように、陸のここ2年間が、幕をおろした。
まるで別世界での出来事だったようだ。夢から覚めたような感覚だった。
陸は、もう一度、公園を見渡した。そして、声に出して、ひとり呟いた。
「じゃあな!」
エピローグ
さちとゆめに公園で会ってから、2日後、仕事を終え、帰宅しようと思っていたところに、美夢からメッセージが届いた。
「安川先生から聞いたよ。やるじゃん!」
そこには、Vサインのスタンプがあった。彼女らしいメッセージだった。
おそらく、さちが安川弁護士に報告したのだろう。
3人で会ったこと、そしてゆめのために積み立てていた通帳とキャッシュカードを渡したことを。
実は、最後の食事会でバーへ行って以来、美夢とは連絡をとっていなかった。
それは、陸が、自分の愚かさに気づいた日でもあった。
彼女の気持ちを知ってしまった今、どう接するべきか悩んでいたのだ。気持ちは固まっている。ただ、それを伝える方法が見つからなかった。
そんな時に送られてきたメッセージ。
陸は、今しかないと思い、間髪を入れずに返信した。
「今から行ってもいい?」
「どうしたの?」
「ちょっと、大事な…」 そこまでメッセージを打ち、陸は、「大事な」を消し、「ちょっと、話があるんだ」と送った。
少しの間、返信がなかった。ほんの僅かな時間だったが、陸はドキドキした。
断られるのではないか…?
美夢は勘の働く人だ。俺の考えていることなんて、お見通しに違いない…。
「待ってる」 短い返事が届いた。
急いで事務所を出て、車を走らせた。
インターホンを押すと、女性スタッフの声がして、解錠してくれた。
「私、今、帰るところなんです。失礼します。あっ、先生は事務室にみえますから。」と教えてくれた。
玄関のすぐ右隣にあるドアの前で、陸は、目を閉じ、深呼吸をした。
気持ちを落ち着けてから、ドアをノックした。
「どうぞ」 美夢の明るい声が聞こえた。 陸は、唇をギュッと真一文字に結び、意を決して、ドアを開けた。
目に飛び込んできたのは、あの大きな鳥のポスターだった。
「あっ…」 陸は、思わず声を上げた。
その光景を目にしたとき、陸はあらためて気づかされた。
〈そうか、そうだったんだ…〉
ポスターに目を奪われていた陸は、慌ててそのポスターを背にして立つ美夢に目をやった。 美夢は、微笑んでいた。 そして、微笑みながら言った…。
「おかえり!」
陸は、まっすぐに美夢を見つめながら近づいた。
小柄な美夢は、陸を見上げている。瞬き1つせずに…。
そして、もう1度、言った。
「お・か・え・り…」
陸は、そっと彼女の背中に手をあてた。
美夢は、大きな瞳でジーッと陸を見上げている。
陸は、その大きな瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、すべての思いを込めて伝えた…。
「ただいま」
-完-