
今日の短歌〜ご法事が終はつたらしいをさなごは庭かけまはる生きものとなり
よく晴れた休日の午後、窓の下を覗き込むと
向かい側にある寺の本堂から黒衣の人たちが出て来た。
ご法事が終わったのだろう。姉弟と思われるおさなごが
何やら楽しそうに境内をかけまわる姿が見えた。
この姉弟と仏さまの関係はなんだろうか?
いずれにせよ、おさなごにとってご法事は退屈なものだろう。
小春日和の庭で、弾けたように遊ぶ姿がぱっと輝く。
それで思い出したことがある。
小学一年生のとき、初めて母方祖父の葬式に出た。
祖父に会う(これを会うと言うか?)のはそれが初めてだった。
母と父はかけおちするように結婚したからだ。
母は若い頃、労働運動にのめり込んだ父との結婚を反対され、
母は以来、実家に帰っていなかったのだ。
祖父は結婚式にも出なかったと言う。
晩年病に侵された祖父は母の勤めていた病院に入院したが、
そのときにも、「〇〇(わたし)は連れて来るな。悪い病気を移したくない」と言ったそうだ。それで生前は会うことがなかったのだ。
黒枠に入った祖父は、人のよい田舎の翁そのものだった。
この人と母が大喧嘩している場面など想像も出来ない。
お葬式が始まり、僧侶の読経と共に木魚の音が響いて来ると
私はその音の面白さに思わず笑い声をあげてしまった。
すぐに母に咎められたが、読経が終わるまでずっと笑いを押さえていた。
縁の薄かった祖父のこと、死の意味も何も分からなかった頃の話だ。
あの時、私を叱った母ももうこの世の人ではない。
黒枠の人が祖父らしはじめての木魚の音に笑ひころげぬ
ちちははのかけおちといふみちゆきににんじん嫌ひのをみなごのこゑ
歌人の永田和宏さんが、「死」を語るとき、それは必ず「他人の死」ということをおっしゃっていたように思うが、確かに自分の死だけは語ることができない。これが死!と分かった時には、すでに短歌を記す術もない。
境内で無邪気に遊ぶおさなごを見ながら、私は父のことを思った。
先週熱が出て面会を禁じられていたが、近々会いに行こう。
父の生命の健やかさを静かに静かに愛している。
冬の陽の一円ほどの薄あかり握り締めつつ枇杷は咲くらし
ここまでお読みいただきありがとうございました。
どうぞよい一日でありますように。by miyaginohagi