
不出来な自分も、受け入れて。【雨水の日に思うこと】
こんにちは。RaMです。
2月も折り返し。
そんな昨日(2026/2/19)は、暦の上では、雨水という日だったみたいです。
元々は、暦なんて、全く詳しくないのですが…。
昨年、ゆうかさんのZINEに出会ってから、暦の日には、テーマに合わせて、ノートを書いています。

購入させていただきました。
ほっこりと自分に還るきっかけを
ありがとうございます✨
ネットで購入できる今の時代は、とっても便利ですし、わたしもよく使わせていただきますが、リアルでお会いして、ご本人から購入できる幸せもありますよね。
ゆうかさんは、メルマガでの配信もされているとのことですので、ご興味ありましたら、ぜひ〜🌿✨
毎日書いたほうが、気持ちの安定にとっても、いいなあ…と思いつつ、なんだかんだでできない日もあるので、わたしは、きっかけがある時に書く、ゆるっとジャーナリング派。(←そんな派閥、あります??笑)
ゆうかさんのZINEにあった問いから、今の率直な思いを、noteに残しておきたいと思います。
ちなみに…
雨水とは、
降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃のこと。山に積もった雪もゆっくりと解け出し、田畑を潤します。昔から、雨水は農耕を始める時期の目安とされてきました。
雨水の日のジャーナリングから、わたしが体感したこと。
それでは、まいりましょう。
不出来な自分も、受け入れて。
最近モヤっとしたことは、わたしがその中心にはおらず、ちょっと離れた距離から見ているものに対することです。
対人支援職をしていると、いろいろな人に出会います。
本当は、差し伸べる手がくることを、待っているかもしれない。
でも、そのような方に、対面できる機会ばかりではありません。
そうなると、本人不在のまま、どうしていこうかと悩むことになるのですが…これがまた難しくって。
本人の言葉を、直接聞ける関係性ではない時。
どうしても、本人の近くにいて動ける人の声の存在が大きくなりがちです。
その声だけをもとにして、手を差し伸べようとしても、本人の手をつなげないこともあります。
それは、本人の言葉と、本人の近くにいて動ける人の声の距離が離れてしまっている場合です。
わたしがモヤっとしてしまったのは、
うまくいっていないことに気づいていても、目の前のことにいっぱいいっぱいになりすぎて、立て直しの機会がないままに時間が過ぎ去ってしまっていること…。
中心にいる方々は、その現実が見えていないのかもしれない。
わたしは、今ちょっと離れた場所にいて、斜めから見ることができているから、気づけているのかもしれない。
だとしたら、それは、わたしから伝えるべきなのですが…。
ここで、わたしのだめなところ、言い出せなくなるストッパーが出現します。
これが、わたしの、わたしに対する最上級のモヤっとポイント…。
言えなかったこともそうですが、その場でここまでの状況整理ができないのです。
だから、限られた時間の中で、言えない…ということが起こります。
さらに、報告する時は、相手が受け取りやすい形に整えないと、受け取ってもらえない。
(わかりやすく、わからない表情をされるのが、言う前からわかる…。)
どう組み立てて話をして、
誰に、どこまで伝えて、
その後、どう立ち回るか。
わたしにできることの提案もセットでしないと
「なに、この人?」って思われそうだし、
でも、根拠ないし…
そんなこんなで、わたしが、どんなに時間をかけて、状況を整理しても。
見えてきた時点で、もう次のステージに入ってしまっていることも、あるあるで。
こんな不出来な自分を見る度に、悲しくなるんです。
「あなたは、どう思う?」
この問いに対する拒絶反応は、思えば、小学生の頃からあったなあ…。
中心にいないからこそ、
毎日はいない、たまに入る存在だからこそ、
求められる役割がある。
それは、わかっている。
嫌われたって。
めんどくさいやつだと思われたって。
どうせ期間限定なんだし、
基本に立ち返ると、
本人に利益が生まれるなら、そのほうがいいじゃん。
ということだって、わかっているはずなのになぁ…。
どこまでいっても、嫌われるの怖いんだ。わたし。
まだ終わっていない
数mmでも成長できるように
不出来な自分と共に、歩いていくんだ
これまで生きてきて、
ずっとこんな感じです。
何を言ってたって、
行動をしなければ、変わらない。
せめて、自分だけは、
不器用で、不出来な自分を
純度高く、あたたかく
受け止めてあげたいものです。
