
因果応報ってなんすか?(笑) 第十六話
「はあ……」
短いため息をついた俺は、新品の紙皿と割り箸を取り出して、自分の皿から肉を一枚移し、日野の机へと運びに行く。
「ガリガリッ」
日野は席に腰を下ろすと、真っ黒な外装のノートに向けて猛前とペンを走らせ始めた。
……うわ。なんか、やってるよ。
俺は、動物園の猛獣に餌をやるかのように細心の注意を払って、机の端に皿と割り箸をそっと置いた。
その瞬間、御咲の手がピタッと止まる。
――マズイ!
「……何これ、毒入り?」
日野はノートから目を離さずに、刺すような声で聞いてきた。
「いや、その……それは、アレだ……」
「なーんって冗談よ、本気にしないで」
日野はにこやかに呟くと、開いていたノートを閉じて俺の方に振り返った。
「私へのお供え物ってわけね、さすがは同志。気が利くじゃない」
「はぁ……はは」
一週間前、演技とは言えコイツと同調したのがマズかった。以降、目を合わせる度に、コイツは俺を自分の世界観に引きずりこもうとしてくる。
「まぁ、私の眼はこの未来すらも捉えていたんだけどね」
「……ああ、さすがっすね」
「ふん、こんなもの、朝飯前よ」
「へー今から朝食っすか? 随分遅いっすね、はは」
どうにか空返事でやり過ごそうと踏ん張ってみる。今、この計画、この空間において、日野は邪魔でしかない。というより、もうどっか行ってくれ。
「……じゃあ、そのままご賞味してくれ」
ゆっくりと後ずさりする俺。
そんな俺の態度など意に介さず、日野はじっくりと俺の眼を見つめる。そして、何かを見透かしているかのような顔つきで一言。
「でも、これはちょっとやりすぎじゃない?」
「え?」
何を言ったのかは聞こえた。が、その真意を理解できなかった俺は混乱し、日野が二言目を言い終えるより前にその場を去った。
これはいじめでも嫌がらせでもない、真っ当な自衛手段。触らぬ神に祟りなしってやつ。
こんなところで、計画倒れしてたまるか。
俺は、早足で田中たちの座る席へと戻っていく。
「ご馳走様、音弧。美味しかったよ」
田中はすでに完食したみたいだ。俺への警戒が和らいだのか、軸から健やかで満足感溢れる表情を浮かべており、心なしか今朝よりも髪に艶が出ている気がする。
「どいたま」
俺は急いで自分の皿を確認する。
……ある!
皿の上にはまだ、ほんのり温かな熱を帯びていて、甘い香りを漂わせる高級肩ロースが置かれている。
もう家には一グラムも残っちゃいない。正真正銘最後の一切れ。
俺は、直立したままその皿を持ち上げる。
どうやって食おう? 一思いに飲み込むか、細かく回数を分けて齧るか、それとも……
熟考している最中。ある異変に気付く。
……あれ? アイツどこ行った?
先ほど居座っていた場所に馬渡の姿が見当たらない。
迅速に教室中をぐるぐると見渡す。すると――
「なぁなぁ、空っち。それ食わないん?」
馬渡は、席に座る星名に絡んでいた。
机には、いまだに手つかずの二枚の肉が乗った紙皿が置かれている。
――ばっか! だから早く食えって言ったのに! 早速せびられてんじゃねーか!
「一枚だけ! ほんの一枚だけこの育ち盛りの若坊主に恵んでくれんか?」
……なんて奴だ。
馬渡康介は、意地汚く他のクラスメイトの三倍の肉を消費したにもかかわらず、あろうことか、クラス唯一の良心である星名空にねだり出した。
――バッサリ断れ、星名! そのノンデリモンスターには、「おもてなしの心」も、「間から察する力」もない! 言葉で直接言わないと伝わんねーぞ!
俺の必死の祈りも虚しく、星名の純真な手から、馬渡の汚らわしい手へと、肉皿が渡っていった。
「ボク、もうお腹いっぱいだから、馬渡君が全部食べていいよ!」
「マジで⁉ ありがとう空っち! 愛してるで!」
皿を受け取り、喜色満面で去っていく馬渡。
今日、コイツにだけは、仙台牛を食わせたくなかったのに……
俺は、重い足取りで星名の席へと向かっていく。
「おい」
「なぁに? ネコくん」
少年らしく天真爛漫に笑う星名。
こいつはなんで、こんな時でも笑えるのだろうか。
「なんでなん?」
「え? えへへ。なんか、急に馬渡君みたいな喋り方だね」
――この世の人間は必ず二分される。『支配するか支配されるか』。例外は無い。
「どうして、そこまでして他人に寄り添おうとする?」
「え、また質問攻めー? えへへ。懲りないなぁ、ネコくんは」
――星名は、間違いなく後者の人間だ。でも、こいつは、自発的に被支配者側に成り下がろうとする変わり者。
「はああああ」
俺は長いため息をついた後、自分の皿から、まだ手の付けていない肉を箸でつまんだ。
「俺の分やるよ」
「え、でも、ネコくんまだ一枚も食べてないよね? ボク知ってるよ?」
「あのなぁ、俺はやろうと思えば、こんな肉毎日食えんのよ」
「そう、なんだ……」
星名はあっけらかんとした顔で、つままれた一枚の肉を見つめている。
「……はぁ。仕方ないなぁ」
俺は、その肉を空の口元にそっと近づける。
「口開けて」
「…………うん」
星名は軽く頷くと、差し出された肉を小さな口の中へと運んだ。
「っん~~!」
恍惚とした表情を顔に貼り付け、鼻歌交じりでリスのようにモグモグと頬張っている。
……これでいいんだ。
俺の今日の目的はあくまで権威付けであって賞味じゃない。
焼肉はその過程でしかない。第二フェーズ「水やり」はしっかりと形にできたんだ。
……最後の一枚。トホホ。
「美味いか?」
「うん! おいひー!」
口元に手を当て無邪気に喜ぶ星名の顔。
そんな、間抜けで滑稽な表情に、不思議と惜しさも毒気も抜けていく。
……ふっ。まあ、先行投資として考えれば安いもんか。