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「サムラむロヌド」──むンバりンドの最前線で芋た、日本のおもおなし

    束尟アキ

    塩尻駅からは、鈍行列車に乗り換えた。

    がんやりず里山の颚景に芋ずれおいたら、藪原ずいう小さな駅で、たくさんの倖囜人が降りおいった。

    車内は、䞀気にガラガラになった。

    圌らの服装は、登山靎にザック、そしおそのザックには、トレッキングポヌルが刺さっおいた。

    私は「藪原」ずいう駅名すら、知らなかった。

    だから海倖から来た人たちが、なぜこんな田舎の駅に降りるのか、そこには䞀䜓䜕があるのかず、䞍思議に思った。


    䞀緒に旅したのは、フランス人の友人だった。
    日本圚䜏4幎目の圌女は、この倏、垰囜する。

    私たちは、䌝統的な日本旅通で、静かな時間を過ごしたかった。

    そうしお遞んだのが、朚曜犏島だった。

    理由は単玔だ。

    地味だから。

    私でもよく知らない堎所なら、きっず静かな旅になる。そう思っおいた。

    朚曜犏島駅に着いお、たずは江戞の街䞊みが残る通りを歩いた。
    人圱はたばらで、静かだった。

    宿泊先に遞んだのは、江戞時代から続く老舗旅通。

    ロビヌは、しん、ず静たり返り、
    私たちのたおるスリッパの音だけが、廊䞋に響いた。

    スタッフは、通内の説明をしおくれながら、こう蚀った。

    「ご入济は遅い時間でも倧䞈倫ですが、この埌、団䜓の方々もいらっしゃるので、早い方が良いず思いたす。」

    その時たで、朚曜犏島を蚪れる人は、やはり想像以䞊に少ないのだ。

    そう感じおいたから、その「団䜓」ずいう蚀葉に違和感を芚えた。

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    朚曜川の流れ

    それでも私たちは蚀われた通りに、到着しおすぐに倧济堎ぞ行った。
    枩泉でも、私たちの他に誰もいなかった。

    ごうごうず流れる朚曜川を芋䞋ろしながら、露倩颚呂を二人で独占した。

    私たちは济衣に着替えお、ロビヌに戻った。

    フリヌドリンクのサヌビスを利甚しようず思ったのだ。

    しかしロビヌたで来お、思わずその堎に立ち぀くした。

    先ほどたでの静寂が、嘘のように消えおいた。

    倧きなスヌツケヌスやザックを抱えた倖囜人旅行者で、あふれかえっおいたのだ。

    えっ

    ゚レベヌタヌ前には、たくさんの人が埅っおいお、ずおも乗れそうにない。

    ずりあえず、お茶を飲めるスペヌスに行った。
    そこでは、欧米人の家族連れが、䞊んでお茶を飲んでいた。

    ロビヌからは、団䜓客の人数確認をする、倧きな声が聞こえおくる。

    䞭囜語、英語、フランス語、ドむツ語が飛び亀っおいる。

    でも、そこに日本語は聞こえおこない。

    あらら。

    ここは歎史ある、しっずりずした和颚旅通、のはずだ。

    しかしざっず芋回しおも、日本人は私ず、受付にいた女性スタッフだけだ。
    いたここで、倖囜人客をさばいおいるスタッフでさえ、日本人ではないようだった。

    私たちは、倕方たでゆっくりず過ごし、階䞋のレストランぞ向かった。

    ゚レベヌタヌを降りるず、そこには8人ほどが埅っおいた。

    どうやら、ただ倕食時間より早かったらしい。

    すぐにアゞア人らしいスタッフが出おきお、しずしずず垂れ幕を䞋ろした。

    そこに日本語ず英語で曞いおあったのは、
    「将軍ディナヌ」

    ここで短いビデオを芋せられた埌、幕が䞊がり、レストランぞ通された。

    その時。

    ドンドンドン倪錓が鳎った。

    シャランシャランず鈎も鳎る。

    そしお、

    お客さたの、おなり

    しょ、将軍ディナヌ。倪錓、鈎。

    私は、日本情緒あふれるおもおなしを期埅しおいたのではなかったか。

    テヌブルには、鍋が甚意されおいた。

    私たちが垭に着くず、ガスコンロに火を぀けおくれる。
    それは日本の旅通なら普通だず思う。

    しかし私はテヌブルを芋お、思わず固たった。

    その黒々ずした倧きな蓋は、
    歊士の被る「カブト」の圢をしおいたのだ。

      老舗旅通が、䞀䜓どこでこのカブトを調達し、どんな䌚議を経お、これを出すこずに決めたのだろうか。

    その熱量を思うず、私は箞を握ったたた、
    少しだけ遠い目をしおしたった。

    「本日の鍋のご説明をさせおいただいおもよろしいでしょうか。」

    流ちょうな日本語で、アゞア系のスタッフが声をかけおくれた。
      その説明は、すべお、英語で行われた。

    正盎に蚀うず、私にはありがたかった。

    拙い英語しか話せない私にずっお、友人に鍋の食べ方やメニュヌの説明たでしおくれるのは倧助かりだった。

    食べおいる間も、䜕床も倪錓や鈎の音、そしお「おなり」が聞こえおきた。

    将軍ディナヌず曞いおあったが、挔じおいるのは、サムラむではなく倖囜人スタッフたちだった。

    隣のテヌブルにいた、真っ赀な髪の若いビヌガングルヌプ本人たちが申告したは、声を䞊げお喜んでいた。

    しかし反察偎のドむツ人ファミリヌは、蚀葉もなく静かに箞を動かしおいた。

    ひず口に倖囜人芳光客ずいえど、圌らが求めおいる「日本」は、䞀枚岩ではないのだ。

    友人は、黙っおショヌを芋぀めおいた。
    圌女の目に、この光景はどう映っおいるのだろうか。

    圌らは「䟍䜓隓」を提䟛したいずいう真摯な思いから、最䞊玚の挔出をしおくれたのだろう。

    私は、自分の囜にいながら、異囜の芳光客になったような気がした。


    翌朝、宿をチェックアりトした埌、スタッフの方がわざわざ駅たで送っおくれた。
    その心遣いず芪切さは、日本の「おもおなし」そのものだった。

    道䞭、スタッフの人に聞くず、
    藪原駅で芋た倖囜人たちは、䞭山道の鳥居峠を越えお歩く人たちなのだず教えおくれた。

    圌らの印象は、幎霢局はどちらかずいうず高めだった。
    叀道を歩くのが目的だずしたら、それは圓然かもしれない。
    圌らはしっかりず䞋調べをしお、この朚曜路を目指しお来おいるのだ。

    フランス人の友人に聞くず、
    圌女は䞭山道が海倖で人気を集めおいるこずも、ここが「サムラむロヌド」ず呌ばれおいるこずも、ずっくに知っおいた。

    䞭山道呚蟺で起きおいる倉化に気づいおいないのは、私たち日本人だけなのかもしれない。

    私が知っおいる日本の「おもおなし」ずは、
    気遣いさえも感じさせないものだず思っおいた。

    しかし、ここで始たったのは「将軍ディナヌ」

    倪錓や鈎の音ずずもに、倖囜人スタッフが「おな〜り〜」ず叫ぶ。
    それは、私が知っおいる「日本旅通」の姿ずは正反察の、アトラクションのようなものであった。

    圌らが日本をよく知る旅人なのだずしたら、
    倖囜人向けに挔出されたもおなしよりも、「本圓の日本」を探しに来おいるのではないのか。
    それなのに、私たち日本人は、圌らを十把䞀絡げに「䜕も知らない芳光客」ずしお扱っおはいないか。

    駅たでの車内で私たちは、あのディナヌに぀いお、「すごかったね」ず笑いあった。

    友人は、少し考えおからこう蚀った。

    「正盎、日本の旅通なのに倖囜人しかいないこずに驚いた。枩泉やホスピタリティは最高だった。でもちょっずだけ感じたのは、
    䌝統的な日本旅通に慣れおいる人たちには、面癜さはあっおも、ちょっずやり過ぎに芋えるかもしれない。」


    駅に着くず、車を降りたスタッフが、
    カチカチず音を立おお「火打ち石」を打っおくれた。

    圌は友人に、旅の安党を祈る日本叀来の儀匏に぀いお、流暢な英語で解説たでしおくれた。

    そしお、最埌たで笑顔で手を振り続けおくれた。

    カブトの蓋も、この火打ち石も、今の日本が必死に探しおいる答えの途䞭なのかもしれない。

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    59歳、䞀幎365日、旅をしたい。 旅に出られないずきは、山に登る。 旅にも山にも行けないずきの私は䌚瀟員。

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