後を継ぐものは、血だけではない
私には、子どもがいない。
だから、自分の“血”はここで途絶える。
そう考えたとき、
少しだけ、寂しさを感じることがある。
──
私はいわゆる“バツイチ”だ。
結婚したのは30代半ば。決して早い方ではない。
それ以前に、結婚を真剣に考えた相手もいた。
けれど当時の私は、自分に自信がなかった。
「この人を一生養っていけるのか」
そんな不安に押しつぶされ、結局その縁は流れてしまった。
その後、別の女性と出会い、流れのままに結婚した。
仕事も順調で、勢いもあった。
ただ、その結婚は長くは続かなかった。
──
いまは独身だ。
気楽といえば気楽だが、ふと考えることがある。
「自分の子孫は、ここで終わるのか」
大したものを持っているわけではない。
それでも、自分の遺伝子を受け継いだ誰かがこの先にいたら、どんな人生を歩んだのだろうか、と想像することがある。
そんなことを考えている自分に、少し驚く。
若い頃は、そんな発想すらなかったのに。
老いたのか?
いやまだ早いだろう。
しかし、そんな気がした。
──
遺伝子は、子どもに受け継がれる。
それは間違いない。
でも、ふと思った。
「後を継ぐ」というのは、本当にそれだけなのだろうか。
料理人は、技を弟子に伝える。
大工は、手の感覚を次の世代に残す。
教師は、考え方を生徒に渡していく。
血がつながっていなくても、
人は何かを受け継ぎ、また誰かに手渡している。
気づかないうちに。
──
私自身も、そうだ。
これまでに出会った人たちから、言葉や考え方や、仕事のやり方を受け取ってきた。
そして今、こうして文章を書いている。
誰に向けているのか、はっきりとは分からない。
それでも、どこかの誰かが読むかもしれない。
そのとき、何かひとつでも残るものがあれば、
それは“継がれた”ことになるのではないか。
──
血を残すことはできないかもしれない。
それでも、何も残せないわけではないと思っている。
だからこうして、言葉を残している。
そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなる。
──
この先、顔も名前も知らない誰かが、
私の書いたものを読むことがあるかもしれない。
その人が、何かを感じ、何かを考え、
ほんの少しでも変わることがあれば。
それはきっと、
私の何かが、どこかで受け継がれたということなのだと思う。
だから今日も、また一つ言葉を残す。
