
シチューごはんと向き合う
シチューごはん。
それは人によって大きく意見が異なる、
分断を生む産物。
だが、すべての人に先入観を捨ててもらって、
もう一度シチューごはんと向き合うべきであると私はここに提言したい。
幼い頃、私はシチューごはんに対して
生理的に嫌であるという気持ちは到底なく、
好きでもないが別に食べれるという認識を
持っていた。
だが今ではどうだろう。
私は完全なるシチューごはんの否定者となり、
シチューごはんを貪る人々に冷たい目線を
浴びせていた。
そもそもシチューを食べる機会すら減っていた。
ホワイトシチューなんかよりビーフシチューのほうがいいなとかほざいていた。
そして、完全にこちらから遠ざけてしまった
シチューごはんに向き合う決意を固めたのだ。
まず、私の考えだが、シチューごはんの分断は
シチューごはん否定派の過剰反応により生じているような気がしてならない。
別にシチューごはんを肯定する人たちが
街中のシチューに米飯をぶち込み回し合っているようなことはない。
シチューごはん否定派がシチューごはんにあまりに過敏になりすぎていて、シチューごはんを好む人たちを人格否定までする事態となっている。
これはシチューごはん否定派の私としても流石に否定派に非があると言わざるを得ない。
では、否定派の彼らは、一体何がそんなに気に入らないのか。私に全てを教えてくれたインターネットにその問いを投げかけてみよう。
なんとなくぼんやりとサイトを開いてみると、
そこには「シチューとごはんがベチャベチャで気持ち悪い」との意見があった。
確かに、私もちょっと思う部分があるし、
否定派の主張として最もポピュラーだと思われる。だが、正直これは配分やそのシチュー自体に問題があるようにも感じられる。
一見論理的に見えた主張だが、やはり
生理的に受け付けないというのが彼らの正直なところではないか。
こんなようではいけない。
嫌いなことに理由はいらない。
自分がただ嫌いだからといってあれこれ理屈をこねくり回して「いや、皆さんもそうお思いですよね?」みたいな感じで普遍的なものに見せる手口は私が最も嫌う行為だ。
むしろ嫌いなら感情的に
ここが嫌い、と言ってしまって、理屈などもはや
どうでもいい。
シチューごはんを嫌う人たちはそのピュアな心を取り戻さなければならない。
そして、「シチューごはん食えないって、それドリアも一緒やん笑」というやつを
殺さなければならない。