『思い出の賞味期限 ― 彷徨(かなた)への追伸 ―』113
エピローグ:『灰の降る窓辺で』
それから、どれほどの時間が経ったのだろう。
箱庭の外では、人類という種はとうに死に絶え、世界は白銀の沈黙に塗りつぶされたのかもしれない。あるいは、新しい生命が、無色の地表を這い始めているのかもしれない。
けれど、王都の最奥にあるこの部屋だけは、あの日から一秒も進んでいなかった。
カイは、完全に石化した彫像となっていた。
その顔には、かつての無機質な冷たさはなく、愛おしいものを守り抜いた満足感だけが、静かに刻まれている。彼の左手は、今もリノの髪を撫でようとする形のまま、空中で静止していた。
リノは、その石の彫像の隣で、小さな、本当に小さな声でハミングを続けている。
「……ねえ、カイくん。今日の灰は、いつもより少しだけ、銀色に光ってる気がするよ」
リノの体もまた、半分以上が石に変わっていた。
彼女の歌声が止まれば、この箱庭の魔法は解け、二人は一瞬で塵となって消えるだろう。
だから彼女は歌い続ける。
かつて吸い込んできた、何万人もの他人の記憶の中から。
「愛してる」という言葉が含まれる歌だけを、何度も、何度も、壊れたオルゴールのように繰り返す。
「……おやすみなさい、カイくん。……また、さっきと同じ夢の中で、会おうね」
色のない世界。
灰の降る箱庭。
そこには救済も福音もなかったけれど。
たった二人の「ハミング」だけが、凍りついた時間の中で、永遠に響き続けていた。