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赤いスイカへの憧れ

子供の頃、私は赤いスイカに憧れていました。
我が家の食卓に並ぶスイカは、決まって黄色だったからです。

同居していた伯母が、黄色いスイカを好んでいました。
夏になると、どこで買ってきたのか食卓の真ん中にドカンと置かれていた黄色いスイカ。今思えば甘くて美味しかったはずなのですが、当時の私は少し不満でした。

テレビに出てくるスイカも、漫画に出てくるスイカも、スイカ割りの絵ですら全部赤い。私にとってスイカとは「赤いもの」だったのです。だから黄色いスイカを見るたびに、「なんでうちは赤いスイカじゃないんだろう」と思っていました。

黄色いスイカそのものが嫌だったわけではありません。ただ、周りと違うことが嫌だったのです。

伯母は厳しい人でした。長女ということもあり、家の中での存在感は絶大です。自分が正しいと思ったことは絶対に曲げない人で、その考えの根拠としてよく口にしていたのが「○○さんがそう言っていた」という言葉でした。

当時はインターネットもありません。信頼する人の意見には大きな重みがありました。伯母もまた、自分が信じた人の言葉を疑わなかったのだと思います。

高校生の頃、私は部活を辞めました。理由は「○○さんが、部活をやりながらでは大学には受からんと言っていた」と伯母に言われたからです。素直に従いましたが、今振り返ると妙な話です。私の友人には、バスケットボールで国体に出場しながら東京科学大学(※旧・東京工業大学)と早稲田大学に現役合格した者もいました。部活をしているから受からないなんて単純な話ではありませんし、私自身、部活を辞めたからといって勉強に打ち込んだわけでもありませんでした。

そういえば、テレビもあまり見せてもらえませんでした。これも誰かから聞いた「テレビを見ると勉強しなくなる」という話を信じていたのでしょう。

その代わり、私はラジオを聞くようになりました。ところが今考えると、ラジオの方がよほど長時間付き合えてしまいます。気に入った番組があれば何時間でも聞いていられますし、実際、私は今でもラジオが好きです。バイクに乗る時も radiko を聞いています。人生は面白いもので、テレビを遠ざけられた結果、ラジオ好きが育ったのですから分からないものです。

当時の私は、なぜかいつも反発していました。部活のことも、テレビのことも、そして黄色いスイカのことも。

今になって思うのは、スイカの色そのものが問題だったわけではないということです。部活を続けるかどうか、テレビを見るかどうか、そしてどんなスイカを食べるか。子供だった私は、ただ「自分で決めたかった」のかもしれません。

かつての私は、みんなと同じものが欲しくて赤いスイカに憧れていました。けれど今の私は、他人と同じであることをあまり気にしなくなりました。

バイクで一人旅をし、キャンプへ行き、本を読み、ブログを書く。興味のあることを、自分で選んでいます。定年も近くなり、仕事に役立つかどうかよりも「自分が面白いと思えるかどうか」で物事を選ぶことが増えました。歳を取ったということなのかもしれません。

伯母はもういません。
もし今会えたら、「本当は赤いスイカが食べたかったんだ」と言ってみたい気もします。きっと「何を言っとるかね」と笑われそうですが。

スーパーで黄色いスイカを見ると、今でも伯母のことを思い出します。
夏祭り、海、夏休みの友、そして食卓に並ぶ黄色いスイカ。

本当に欲しかったのは赤いスイカではなく、自分で選ぶ自由だったのかもしれません。今では赤も黄色も、自分で選べます。

そう思うと、あの黄色いスイカも悪くなかったなと思えるのです。

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