愛せるもんなら、愛してよ
今年も変わらず桜が咲き誇っている。
人の少ない河川敷で時々耳から流れる歌を口パクしながら走る。その声が私自身から生み出されたものと勘違いしながら、私じゃない別の誰かになった気分で走る。
4月になると、そんな私にとっての逃げ場が人を寄せ付ける。
家族、恋人、友達、犬と飼い主、名前のつかない二人。
私はその中を両耳にイヤホンを差し入れて、いつも通りのふりして走り続ける。
寂しいとか孤独だとか思ってしまわぬように。
苦しくても止まらない私だと確かめるために。
人々を魅了する満開の桜の花は、
もう春だようじうじしてたらもったいないよと
私に伝えてくるような気がする。
私は今年も咲き誇ったけどあんたはどうなのと言われている気分だ。
私はさくらというのが名前に含まれている。
父と母がつけてくれた名前だ。別に好きでもないし嫌いでもない。
だって一瞬しか輝かず、すぐに散って忘れられる。
みんなきれいに咲き誇る桜の花が好きというのに、少しでも散ってしまったら、葉がついてしまったら、人々の興味はなくなるのだ。
散ったら忘れられてしまうのだ。
どうしても気に食わない。
好きというならちゃんと愛するところ見せてよと思う。
おばは私にさくらが含まれるのを拒んだみたいだ。桜は咲き誇って散ってしまうからだそうだ。私もいつか咲き誇ることができたらすぐに散ってしまうのだろうか。桜は人々が飽きる前に勝手に散るから美しいなんて言わないでよと思う。
でも父は曲げずに私にさくらと名前を付けてくれた。
ちゃんとした理由は聞いたことがない。
いつか教えてくれるかな。
ただ、散るために咲くつもりはない。
いつかさくらというものを愛してみたい。
ちゃんと、好きと言ってみたい。
