何者かは誰かが作るものだ
皆さんは、「自分が何者なんだろう」と考えたことはありますか?
僕はあります。
中学3年の少し汗ばむ陽気。試験結果と共に進路希望を聞かれた僕は、焦っていた。やりたい事が無い。
野球をしたいから〇〇高校
自由に科目が選べる〇〇高校
制服が可愛いから〇〇高校
みんな意志がしっかりしてる中で、僕だけは何もなく。
「看護学校に行きます」と母がかっこよく働いていたから、という安易な気持ちで学校を選んだ。
そこから、働きながら学校に行き、心が折れることが何度もあった。でも、辞めたら両親に何を言われるかわからないから、耐えた。
そして、卒業した。
仕事をしていても、僕は何者なのだろうか…という気持ちは抜ける事は無かった。
すると、SNSやYouTubeがやってきた。
・恋愛を語る人
・●●やってみたと挑戦する人
・毎日ラーメン食べる人
どんどん役が埋まっていく感覚に焦った。羨ましいと指をくわえている間に、取り残されていく感覚があった。背中がゾッとした。
小説だ、noteを書くんだ。
そう取り組んだけど、結果がすぐ出るなんてことは無い。創作大賞も惨敗。箸にも棒にもかからない。
恋愛に依存した。
だが、結果は浮気をされて、益々自尊心は薄れた。自己肯定感のかけらもなくなった。
消えた…。
もう用無しの段ボールだなと思った。存在がないのなら、捨てられた方がマシだった。
配信を始めた。
最初は浮気された事をネタにして、人はそこそこ集まった。だが、そこからは配信したら、一人か二人来る程度だった。時間もかけた、内容も色々変えてみる。だけど、伸びない。
周囲を見たり、訪問すると20人程、リスナーが常駐している配信がある。
雲泥の差だった。
何か頑張ったら、ご褒美が来るんじゃないのか。何をしても結果が付いて来ない。向いてないのか、能力がないのか。
そう思った、矢先だった。
「心が折れた」
頑張ってみたけど。うまくいかない事。出来ない事。すべての気持ちが、噴き出た瞬間だった。敗北宣言。
何者でもないものが、頑張ってはいけなかったんだ。そう思うしかなかった。配信終了ボタンを押そうとした時だった。
「今見に来ている、リスナーは何を見せられているの?」
「応援してる人たちの気持ちは?」
とコメントがついた。
涙が頬を伝った。見てくれている人がいる。
少なくとも、この配信に来てくれた人は、僕を配信者として見てくれている。こんな事を言わせてしまった、と同時に嬉しかった。
「あなたはもう配信者なんだよ」と言われた気がした。
人数ばかりに気を取られ、本当に大事にしないといけない人を置いていった。それは、自分がされて一番嫌だった事じゃないか。
何者かになるのではない。
動いた先に、人が何者かなのかを決めるのではないか。
まず行動する。
すると、その行動を見てくれる人が現れる。
応援してくれる人が現れる。
声をかけてくれる人が現れる。
そして少しずつ、
「あなたはこういう人だよ」
と役割を与えられていく。
応援してくれる人が、その人を作るのだと思う。
私はずっと、自分で何者かになろうとしていた。
でも違った。
私を配信者にしてくれたのは、配信を見に来てくれた人だった。
私を書き手にしてくれたのは、記事を読んでくれた人だった。
私は一人で何者かになったわけじゃない。
正直わからない。でも、それでいいのだと思う。
何者かわからないからこそ、まだ可能性がある。
まだ途中だからこそ、面白い。
焦らなくていい。
まずはできることをやる。
一歩踏み出してみる。
その先で出会う人たちが、きっと自分を形作ってくれるはずだから。
そしてもし今、
「自分には何もない」
と悩んでいる人がいるなら、周りを見てほしい。
あなたのことを見ている人が、一人くらいはいるかもしれない。
そして、その人はもうあなたを作り始めているのかもしれない。