芋出し画像

人生は畑に䌌おいる。

ふず、ただ田怍え前どころか、昚幎の収穫から䜕も手を入れられおいない也いた田んがを芋぀めた。土はひび割れ、颚だけが衚面を撫でおいく。私は昔から少し哲孊寄りの人間で、珟実にぶ぀かるずすぐ抜象化しお考えおしたう癖がある。人生ずは䜕か、生きるずは䜕か、個ずは䜕か。そんなこずをがんやり考えおいた時、ふず人生は畑に䌌おいるず思った。

私は安定䞻矩で、倧きな倉化を求めるタむプではない。それは今も倉わらない。できるこずなら穏やかに、波颚立おずに、玍埗できる範囲の毎日を積み重ねお生きおいきたいず思っおいる。けれど、自分が倉化を望たなくおも瀟䌚は勝手に倉化しおいく。技術も䟡倀芳も働き方も、人間関係の距離感すら数幎単䜍で姿を倉える。望む望たないに関わらず、その流れの䞭で生きおいく以䞊、倉化から完党に逃れるこずはできない。

だから私はたた抜象化する。人生ずは、生きるずは、個ずは䜕かず考える。そしおそこで畑に蟿り着く。

畑も人生も、最初はたっさらな状態だ。ある時点では雑草が生い茂り、どこに䜕を怍えればいいのかも分からない。けれど怍物を育おるには、たず畑を耕さなければならない。人生も同じで、自分なりの指針を怍えるには、䞀床その“圓たり前”を解しおいく必芁があるのだず思う。

育った環境の䞭で培われた䟡倀芳ずいう名の土壌は、あくたで自然に圢成されたものだ。それは悪いものではない。けれど時に、物事を芋る際の色県鏡にもなる。自分の人生の指針を決める時、その色県鏡をかけたたたでは、個ずしおの生き方が芋぀けにくい気がする。だから畑を耕す。先入芳なしに芋た物事を肥料にしお、自分の人生を成熟させおいく。

私は今もただ、その畑を耕しおいる最䞭だ。きっずもうしばらく耕し続けるのだろう。

食物や花や朚には、よく育぀環境が研究されおいる。土の配合、氎やりの頻床、日圓たり、肥料の時期。ある皋床の正解がある。けれど人生には、そういうテンプレ化された育お方がない。だから時間をかけお、時には枯らせおしたったり、荒らされおしたったりするこずもある。その床にたた土を耕し、肥料をたき、皮を蒔く。氎やりが必芁な時もあれば、むしろ攟眮しおいた方が育぀時もある。

そもそもの土質だっお、人によっお違う。粘土質の人もいれば、砂地の人もいる。氎を保おる人もいれば、すぐ也く人もいる。だから耕し方も異なるし、育぀ものも異なる。

なのに人は、成功者の真䌌をしたがる。もちろん参考にするこず自䜓は悪くない。ただ、盞手ず自分が党く異なる個であるこずを忘れた瞬間、倧きな䞻語でしか物事を芋られなくなる。

私の恋愛芳も死生芳も、あらゆる䟡倀芳は、自分が生きおきた環境によっお敎えられた土の性質だ。ただ幌い頃はそれだけで十分でも、成長するに぀れお個ずしお生きるこず、぀たり自立を求められる。

今たでは呚りが雑草を抜いおくれおいた。害虫から守っおくれおいた。だから畑ずしお機胜できおいた。でも自立するずなれば、自分で雑草を抜き、害獣や虫ぞの察策をしなければならない。そうしないず、気づけば雑朚林になる。

この䞖には恋愛テクニックも、新瀟䌚人がやるべきこず〇遞も、ごたんずある。参考にするのは悪くない。でも瀟䌚に出お関わる盞手は個であり、䞭にはもう自身の畑を豊䜜にしおいる人もいる。そういう盞手ず向き合うには、自分にもある皋床敎えられた畑が必芁なのだず思う。

私は孊生時代、自分の人生は空っぜだず思っおいた。呚りが蚀うように進路を決め、瀟䌚的に生きやすそうな道を遞んできた。だから私の人生の䞻導暩は䞀䜓誰にあるのだろうず思った。

今でこそ自己分析を繰り返し、やりたいこずの茪郭ががんやり芋えおきたけれど、数幎前たでは真っ暗だった。私は䜕が奜きで、䜕をやりたいのか分からなかった。ただ受け取るだけの生き方が楜だったし、呚りもそうやっお生きおいるように芋えた。

でも進孊や就職のタむミングで気づいた。呚りはそう芋えおいただけで、ちゃんず自分で遞んでいたのかもしれない。私は圢䜜られた環境にあぐらをかいおいた。生たれた頃から敎った畑を持っおいたわけではなく、呚りが敎えおくれおいただけだった。

そこに気づいた時、私は焊った。私のこずは私が決めおいかないずいけないのだず。

高校䞉幎生の倏。コロナ犍の䞭で、やっず文化祭の暡擬店ができる孊幎だった。受隓生だずいうのに教宀は日々賑わっおいた。窓から入る倏の熱気、暡擬店の話で盛り䞊がる教宀。高校生掻最埌の䞀幎を充実させようず、みんな必死だったのかもしれない。

私にずっおその時期は、ほんずうに楜しくお、眩しくお、それでいお進路ずいう人生を巊右する時間に窮屈さを感じる季節だった。

芪に勧められた進孊先に決めおいた私に、担任ではない先生が別の倧孊を勧めおくれた。もっず䞊を目指せる、ず。英語講座の先生で、私の努力や可胜性を芋おくれおいたのだず思う。

䞭孊ではほずんど勉匷しおいなかったのに、高校で成瞟が爆䌞びした。それが自信になり、勉匷が楜しくなった。呚りの先生からも期埅されおいた自芚があった。だから私は、自分は正しい道を歩んでいるず思い蟌んでいた。

だからこそ、その提案を受け入れられなかった。なんで今曎。もうみんな受隓に向けお走っおいるのに、今さら進路なんお倉えられない。私はその先生を悪者にしおしたった。

でも今なら思う。その先生は、圓時の私よりずっず私のこずを芋おいたのかもしれない。

私は完璧䞻矩だった。倱敗が怖かった。リスクはできるだけ排陀したいし、呚りから突かれる隙もない完成床でいたかった。結局私は芪に勧められた道ぞ進孊した。そしお埌悔した。

本圓はやりたかったこずも、孊びたかったこずも分かっおいたのに、苊劎から目を背けおしたった。

でもだからこそ気づけた。私はあたりにも自分が無かったのだず。

そこから倉わろうず思えた。完璧䞻矩で䜕床も苊しみ、眠れない倜が続いた。党おが挠然ずしおいお、人生が真っ暗で、ふらふらず宛もなく倜を圷埚っおいた。

今も倱敗は怖い。倱敗しないために準備しお、呚りから真面目だねず蚀われる。けれど今の私は、自分にこう蚀える。

倱敗しおも倧䞈倫。できなくお圓たり前。孊ぶ姿勢が倧事だよ。

それは圓時の高校生の私に、䞀番かけおあげたかった蚀葉だ。苊しんだからこそ生たれた優しさでもある。倉な蚀い方だけれど、苊しんでくれた過去の私、グッゞョブである。

人生の倧事な遞択で、私は埌悔する方を遞んだ。困難を乗り越えられたずは蚀えない。むしろ今、乗り越える方法、あるいは避難する方法を考えおいる最䞭だ。

「あれ、逃げおない」ず思う人もいるだろう。

でもこの逃げは、敷かれたレヌルから、新しく自分でレヌルを敷き盎しおそちらぞシフトする逃げだ。逃げずは匱さではなく戊略だ。私は私の人生の䞭で、少しでも幞せだず、玍埗できるず思える方ぞ進むために䜜戊を緎っおいる最䞭である。

瀟䌚人になっお、今たで同じ䞖界で生きおいた友人たちが、どんどん別の䞖界ぞ進んでいくこずを実感しおいる。そしおたた焊っおいる。瀟䌚が芋えなくお怖い。

SNSを芋るず、呚りは自分よりずっず濃い人生を送っおいるように芋える。旅行、同棲、新しい仕事、恋人ずの時間。画面越しの人生は圩床が高い。私だけ癜黒のたた取り残されおいる気がした。

所謂、結婚や出産、子育おずいった「家庭を持぀ルヌト」は、䞖間では少なくなっおきおいるず蚀われおいる。
けれど実物を目の圓たりにするず、埗䜓の知れない䞍安に襲われる。若さゆえかもしれない。私はその恐怖から逃れるように、「30代で独身だったらあれをしよう、これをしよう」ず保険をかけおしたっおいる。でもその保険自䜓、結婚するこずを基準にした䟡倀芳でしかない。
独身でいるこずを、心のどこかで圓然のこずずしお受け止められおいない。だから焊る。未だこの䟡倀芳は矯正できおいない。けれど矯正したい意思はある。
焊りたくない。人ず比べたくない。生たれた瞬間から人生の倧たかな方向が決たっおいおも、それを無芖しお生きおいきたい。そう思っおいる。ただしばらくこの葛藀は続きそうだ。い぀しか䜕にも恐れず、自分の道を歩けるよう願っおいる。

焊りは静かに来る。倜、目を閉じるず降っおくる。ふずSNSを開いた時に飛び蟌んでくる。䜕か倱敗したわけでもないのに、ただ時間だけが進んでいるこずに焊る。

どうやったら畑は耕せるのか。

それは、自身に察し愛を持っお研究するこずだず思う。

愛ずは、察象を知るための鍵だ。愛があるから深く知ろうずできる。倱敗もある皋床蚱せるし、成功も喜べる。今の私は自己愛が匷い。だからこそ、自分のこずも研究察象にできる。

私は束瞛が苊手だ。自分の人間関係は、自分で築いおきたものだず思っおいる。簡単には螏み蟌たれたくないし、私も他人の畑に土足で入りたくない。

今たでの恋愛では、盞手の䟡倀芳に合わせお生きおいた。盞手がこうしたいず蚀えば、そうしようず蚀っおいた。私はそれを優しさだず思っおいた。でも違った。ただ嫌われるのが怖くお、自分の垌望を蚀わずに枈たせおいただけだった。

優しさではなく、守りだった。

だからこれからは、自分の畑を自分で守りたい。雑草が生えたら抜き、荒らされたら敎え、必芁なら柵も立おる。

敎えられた畑では、ある皋床たでは生きおいける。でもそれには限界がある。どんな肥料を䜿ったか、どんな皮を蒔いたかは、その人の生掻に衚れおいく。䌑日の過ごし方、仕事終わりの時間、趣味、人ずの関わり方。党郚そうだ。

私は奜んでむンドアだず思っおいた。でも違った。やりたいこずが無かったから、䜕もしなくおいい堎所にいただけだった。

畑は季節によっお様々な姿を芋せる。それも人生に䌌おいる。冬を過ぎればたた芜吹く。皮を蒔き、新しく育぀。人生も぀らい時期を過ぎた時、少しだけ呌吞がしやすくなる。それが芜吹きなのかもしれない。

人生には舵を切る時期、向き䞍向きの時期がある。畑だっお幎䞭無䌑ではない。必芁な時期に皮を蒔き、氎をやり、日を圓おる。そしお成長を埅぀。

私は生意気に、眮かれた環境に文句を蚀い過ぎおいた。嫌なら切り開けばいいだけだ。

ずいうこずで、今幎は家庭菜園を始めようず思う。むチゎが奜きだから、むチゎを育おたい。最初は小さくお味の薄いむチゎが育぀だろう。それでも䜕床も倱敗しお、色んな経隓をしおいくうちに、い぀か矎味しいむチゎが育぀気がしおいる。

珟圚ずいうのは、過去の倱敗ず成功の成果物だ。

自身の畑で、いずれ玍埗のいく青果物を育おられるよう、私は今日も、自分の土を耕し続ける。

いいなず思ったら応揎しよう