まがい物
仏教ではこの世は幻と考えるという。となるとこの世のすべてはまがい物ということだ。
書店などでは転生ものが並び、宣伝なのかVチューバーの不快な声が響く。
Vチューバーとやらは見た目も名前も場合によっては声もまがい物。
ということはこれも転生ものの一つといえるのか。
すべてリセットしたい。生まれ変わって無双したい。そんな欲望の現れに見えなくもない。
ネットで炎上するVチューバー。自分らしさを磨くと嘯く。
すべてがまがい物のVチューバーにおいての自分らしさとはなんなのか。
そして売れなかったり炎上したりすると姿と名前を変えて転生する。
しかしやることは変わらないから意味がない。
この程度の転生ですら自業自得の因果応報。輪廻から抜け出すことは容易いことではないのだろう。
輪廻は前世の行い次第ということだ。
とは言え。
どうしようもない自分とおさらばしたいものだがどうしたものか。
もし生まれ変わりがあったとしても今の業を背負ったままなら元の木阿弥。
そんなことを思いながら気晴らしにパチ屋へ。
新台で賑わうその場所にも転生の文字。
こんな場所ですら流行の波。オリジナルなんてほとんどない。
スペックですら似たりよったり。自分らしさ、独自性なんてものは無用の長物なのかもしれない。
自分らしさなんてやはり幻、まがい物なんだろう。
無常に銀玉が流れあっという間に数万円なくなる。
よくよく考えてみるとお金なんて幻の最たる例。
ただの紙切れに一万円の価値を見出す人間社会だ。
その紙切れが色々なものへと変わっていく。
すべて幻でありまがい物。
うだうだ考えていたが腹も減ったので帰ることに。
どうせまがい物なのになぜ不快な感情はこんなにもリアリティがあるのだろうか。
空腹感さえなければ食べる必要性もあまりないのに。
若干の面倒くささを感じる。
道中自分らしさを歌うJ-POPが耳に入る。
歌は夢を語る。
生きる意味を問う。
しかし現実にそんなものはない。
不愉快になり耳を塞ぐ。
昔の文豪と呼ばれる作家は死に美を見出した。死こそ真実で唯一の自分らしさなのか。
輪廻転生は本当にあるのだろうか。
空腹を紛らわすためにコンビニへ。
適当にカップ麺を買い流れ作業のように会計を済ませる。今や現金も出さなければ店員にも合わずに終わらせられる。
言うなればカップ麺もまがい物か。
youtubeでも見ながら適当に流し込みおわらせてふて寝する。
youtubeではまたVチューバーの不愉快な声。
ミスで一度開いた動画は延々おすすめとして流されていく。
おすすめ欄すら自分らしさのないまがい物。
自分らしさを合言葉に右へ倣えの推し活文化。
推し活とやらで最近はオタクもでかい顔をする。メディアに踊らされ消費を促されて利用されるオタクたち。
経済を回しているというデマを真に受けて我が物顔。
彼らの趣味さえもまがい物になっていく。本音はどこへいったのか。
生産性のない思考に囚われ今日も日が暮れる。
日が変わればつける仮面を変えて仕事に向かう。いわゆるペルソナだ。仮面を取ったあとにあるのは本当に素顔なのだろうか。
仕事となれば陰キャな自分も満面の営業スマイル。思ってもいないことをべらべらと。しかし相手は仮面と思わなければ真実。
まがい物というものもまたまがい物。
真面目なふりして時間だけやり過ぎし定時を待つ。
仕事が終われば仮面と制服を脱ぐ。
普段弱気なくせにネットでの書き込みは強気。それっぽいことを偉そうに語る。
炎上すらしないだれも見てないアカウント。嘘も真もありはしない。
しかし相手もそれは同じこと。
ネット上では相手が本当に存在しているのか。確認する術はない。
もしかしたら自分以外はすべてボットかもしれない。
そもそも自分が。