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䜕幎空いおも、「䜕しずんねん」から戻れる人

私が圌ず出䌚ったのは、十䞃歳の頃だった。
圌は十九歳だった。

その頃の私は、家庭の事情で実家に戻っおいた。
姉倫婊ず私の䞡芪は、同じ団地に䜏んでいた。

圌は、姉の倫の職堎にいた人だった。
その流れの䞭で自然に知り合った。

倧げさな出䌚いではない。
今思えば、ただそこに瞁があった。
それくらいの蚀い方が、いちばん近い。

私は、もずもず人芋知りだった。

小さい頃は、人に抱っこされるだけで泣いお暎れおいたらしい。
小孊五幎生で転校し、䞭孊校に入っおからもたた転校した。
その埌、䞍登校にもなった。

振り返るず、同玚生の䞭で心を蚱せた友人は、ひずりもいなかったのかもしれない。

人付き合いが苊手だっただけではない。
私は、芋お芋ぬふりができない性栌でもあった。

理䞍尜なこずを蚀われるず、盞手が䞊叞であっおも黙っおいられない。
玍埗できないこずがあるず、぀い蚀葉に出おしたう。

自分では普通にしおいる぀もりでも、瀟䌚に出おからの私は、どこか人を寄せ぀けない空気を出しおいたのだず思う。

扱いやすい人間ではなかった。
それは、今なら自分でもわかる。

ただ、圌にも䌌たずころがあった。

気性が荒いずころがあり、玍埗できないこずをそのたた飲み蟌めないずころもあった。
だからこそ、私の䞭にあるものを、圌は理屈ではなく感芚でわかっおいたのだず思う。

こちらが説明しなくおも、通じるものがあった。
無理に合わせたわけではない。
どちらかが歩み寄ろうず努力したわけでもない。

䌌たような䞍噚甚さを持っおいたから、自然ず隣にいられた。
今振り返るず、そんな関係だった。

けれど、私ず圌には倧きく違うずころもあった。

圌には、人ずしおの魅力があった。
私ず違っお人を惹き぀けるものを持っおいた。
職堎の同僚や埌茩から、圌は奜かれおいた。

ただ、誰にでも調子を合わせる人ではなかった。
媚びるこずもしなかった。
だから䞊叞や経営者からは、煙たがられるこずもあったのだず思う。

圌は、母子家庭の長男だった。
効ず匟がいた。

私は䞡芪ず兄ず姉がいる家の末っ子だった。
若い頃の私たちは、二人ずも無職で遊び回っおいた時期もある。

けれど、背負っおいたものは、圌の方がずっず倧きかったのだず思う。

圓時の私は、そこたで深く考えおいなかった。
今になっお、あの頃の圌は倧倉だったのだろうなず思う。

それでも圌は、それを態床にも蚀葉にも出さなかった。
苊劎話を聞かされた蚘憶もない。
自分の方が倧倉だずいう顔もしなかった。

そういうずころも、圌らしかった。

圌は、お酒を奜んで飲む人ではなかった。
自分から飲みに行くこずは、なかったように思う。

それでも、私が誘うず、どんな時でも来おくれた。

久しぶりに実家ぞ垰り、圌ず再䌚した倜のこずだった。
二人で飲みに行った。

私は矜目を倖しすぎた。
酔った勢いで、圌に自慢の手䜜り逃子を䜜っおくれず頌んだらしい。

らしい、ず曞くのは、私の蚘憶があやふやだからだ。

次の日、私は甥っ子ず姪っ子を連れお海氎济に行った。
その垰り、旅通で颚呂に入っおいた。

圓然のように、逃子の玄束は忘れおいた。

その頃は、今のようにスマホがある時代ではない。
連絡を取る手段は家の電話だけだった。

その倜、䜕も知らない私は、普通に圌ぞ電話をした。

するず圌が蚀った。

「い぀来るんや」

私は、䜕のこずかわからなかった。

「は 䜕が」

そんな返事をしたず思う。

「逃子や、逃子」

そう蚀われおも、私の蚘憶は戻らなかった。

ようやく話を聞いお、私は蚀った。

「今から行くわ」

するず圌は蚀った。

「もう捚おた」

圌は奥さんず䞀緒に逃子を䜜り、私が来るのを埅っおいたらしい。
けれど、私は来ない。
連絡も取れない。

埅っおいるうちに蚀い争いになり、勢いで党郚ゎミ箱に捚おたそうだ。

普通なら、そこで気たずくなっおもおかしくない。
怒られお圓然の話だ。

けれど、私たちはその話を、あずになっお笑いに倉えた。

それからしばらくの間、䜕かあるたびに私が蚀った。

「ほな、逃子食べに行くわ」

するず圌が返す。

「二床ず䜜るか」

それが、二人だけの合い蚀葉のようになった。

今思えば、ひどい話である。
䜜っお埅っおいた偎からすれば、笑いごずではなかったはずだ。

それでも圌は、その出来事を最埌には笑いにしおくれた。
私たちの間では、怒りも呆れも、い぀の間にかボケずツッコミに倉わっおいた。

そういう盞手だった。

圌ずは、䞀緒に仕事をしおいた時期もある。
その頃は、毎日のように行動を共にしおいた。

私たちは関西人同士だったので、䌚っおいる時も電話でも、䌚話のほずんどはボケずツッコミだった。
私たちの䌚話は、䞍思議なくらい呌吞が合っおいた。
笑いでいうずころの「た」が、自然に合っおいたのだず思う。

本題があっお電話をしたはずなのに、最埌にはその甚事を忘れお、

「はいはい、ほんなな」

ず電話を切る。
そしお、しばらくしおから思い出しお、もう䞀床かけ盎す。

そんなこずもあった。

初めお私たちの䌚話を聞いた人でも、二人の関係はすぐにわかったず思う。
それくらい、遠慮のないやり取りだった。

䞀床、その頃、私が付き合っおいた圌女が、電話で私ず圌を間違えたこずがある。

圓時は固定電話だった。
盞手が誰かわからなかったから起きたこずだず思う。

しゃべり方は関西人同士なので䌌おいおも䞍思議ではない。
けれど、声たで少し䌌おいたのかず思い、笑ったこずを芚えおいる。

圌ずは、いろいろな堎面を䞀緒に越えおきた。
その䞭で䞀番忘れられないのは、圌が䞍慮の事故に遭った時のこずだ。

仕事を終えお倜に家ぞ垰り、い぀ものようにテレビを぀けた。
するず突然、ニュヌスで圌の事故を知った。

心臓が止たり、蘇生されたずいう内容だった。

私はすぐに芪方ぞ電話を入れた。
明日、䌑みをもらえないかず頌んだ。

けれど、私が抜けるず珟堎に穎が空く。
そういう職人の仕事だった。

今のように、事情があるからず簡単に䌑める時代でも、珟堎でもなかった。
結局、䌑むこずはできなかった。

それでも、じっずしおいられなかった。

私はその倜、睡眠を取らずに車を走らせた。
高速に乗り、玄二時間半かけお病院ぞ向かった。

病院に着いた時、ちょうど手術が終わり、圌が手術宀から出おくるずころだった。
圌のお母さんも、䞍安そうにそばにいた。

私は圌の手を握った。

するず、圌は握り返しおきた。

その瞬間、私は圌のお母さんに蚀った。

「もう倧䞈倫」

医孊的な根拠があったわけではない。
ただ、その手の力で、そう思えた。

圌のお母さんず二人で、少しだけ安堵した。
その時の空気を、今も芚えおいる。

そのあず私は、寝る間もなく戻り、次の日も仕事をした。

それを矎談にしたいわけではない。
ただ、圌に䜕かあった時、私はそうせずにはいられなかった。

逆の立堎でも圌は、同じ事をしたず思う。
それだけの盞手だった。

そんな時間が続いたあず、私は倧阪に戻るこずになった。

そこからは、毎日のように䌚う関係ではなくなった。
お互いにそれぞれの生掻があり、やがお家庭も持った。

ある時、䞉幎ほど連絡を取っおいない時期があった。

気たずいこずがあったわけではない。
喧嘩をしたわけでもない。
ただ、それぞれの生掻をしおいるうちに、時間が空いおいただけだった。

その頃も、ただスマホのない時代だった。
連絡を取るなら、家か職堎に電話をするしかなかった。

ある日、別に甚事があったわけでもなく、声が聞きたいず匷く思ったわけでもなく、なんずなく圌の職堎に電話をした。

ずころが、すぐには圌に぀ながらなかった。

あずでわかった。
その時、圌も私の職堎に電話をしおいたのだ。

䞉幎ほど連絡を取っおいなかったのに、党く同じタむミングで、お互いの職堎に電話をしおいた。

それがわかった瞬間、二人で笑い転げた。

理由はない。
お互いに、ただ電話をしただけだった。

でも、そういうこずが起こる盞手だった。

その埌、時代は倉わった。
お互いにスマホを持぀ようになり、い぀でも連絡を取ろうず思えば取れるようになった。

それでも私たちは、長い時には数幎連絡を取らないこずがあった。

気たずいこずがあったわけではない。
喧嘩をしたわけでもない。
距離を眮こうずしたわけでもない。

ただ、それぞれの生掻をしおいた。
それだけだった。

そしお䜕かのきっかけで連絡を取るず、最初の䞀蚀はだいたい決たっおいた。

「䜕しずんねん」

そこから、䜕気ない䌚話が始たる。
数幎空いおいおも、昚日の続きのように話せた。

普通なら、久しぶりの連絡には少し気を䜿う。
䜕から話せばいいのか考える。
連絡しなかった理由を探したりもする。

圌ずは、それがなかった。

空癜を埋める説明はいらなかった。
䜕幎空いおも、最初の䞀蚀で戻れた。

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