娘を助けて下さったヒーローにお礼を言いたい。 By泣いた青鬼
ごくごく普通のある日の出来事である。
午前9時半、携帯が鳴った。
娘の番号だ。
「ママ、あのね、さっき倒れちゃって」
「え?」
私は頭が追い付かない。
娘は朝、普通に起きて、電車に乗って大学に行った。
朝食はしっかり食べたし、調子が悪そうなところはどこにもなかった。
「でも、もう落ち着いた。ベンチに座って深呼吸してたら大丈夫になってきた」
「どういうこと?電車の中で具合いが悪くなったの?
大丈夫なの?今からママ、迎えに行こうか?」
娘より、私の方がパニック気味である。
倒れた?
どこかにぶつけたりしてない?
どこでどうやって倒れたの?
高校時代にも倒れて救急車で運ばれたことがあった。
あの時と同じだったらどうしよう。
ああ、でも自分で電話をかけているのだから、それは大丈夫ということだよね。
「それがね、電車の中で急にふらふらして、席は空いてなかったし、急にしゃがんだら周りの人が気を遣って緊急対応とかになったら迷惑だと思って、倒れるかも、の状態をなんとか引き延ばして、次の駅で降りたの」
娘が一気に話す。
「うん、それで?」
「それで、ホームに降りた瞬間にふらふら倒れて、意識が朦朧としていたらスーツを着たおじさんが、
—大丈夫ですか?―
て聞いてくれて
—はい、少し休んでいたら治りますー
て、多分こたえたのね。そうしたら、
—あそこのベンチに移動しますね、動きますよ―
そう言って、私を抱えてベンチに運んでくれて」
「えー、本当に??」
誰かが倒れているとき、咄嗟の判断で助けることは難しい。
何が正しいことなのか逡巡していると足がすくむし、とても勇気がいる。
男性が女性に触れなくてはいけないとなると、様々な葛藤が生まれることは想像に難くない。
でも、その男性は娘を抱きかかえて、安全なベンチに運んでくれたのだ。
「それでね、ほとんど意識がなくて、声も上手く出なかったんだけど、
—駅員さんを呼んで来るので、待っていてくださいねー
っていうおじさんの声が遠くに聞こえて、しばらく横になってたら意識も戻ってきて」
「うんうん」
「そこに駅員さんが
ーどうしましたか、大丈夫ですかってー」
「それで、今、ママに電話できるようになったのね」
「そうそう。本当におじさんに感謝だよ。
ホームが冷たくて、ああ、冷たいって思ってたら、ふわって持ち上がって。
お礼を言いたかったな。
あとで駅員さんに聞いてみたけれど、すぐに行っちゃったんだって」
「すごい、本物のヒーローだね。
ママからもおじさんに…って失礼、
男性にお礼を言いたい」
「本当にね。もしかすると、その男性にも私と同じくらいの娘さんがいるのかな?勇気がいったはずだよね、沢山人もいたし、助けたからってどう思われるか解らないところあるでしょう?」
「うん、なかなかできないことだと思う。
会ってお礼が言いたいよ。
おおごとになる前に助けていただいて、
本当に本当にありがとうございますって。
でも…その男性の腰、大丈夫だったかな」
「ちょっとママ、それって私が重いってこと?!」
「あはは、声が大丈夫になってきて良かったー。
違う違う!
重いのよ、相手もつかまってくれないと。
でも本当に大丈夫?学校に行ける?」
「うん。運んでもらって、すぐに横になれたのが良かったみたい。
ジュース飲んで、もう少しゆっくりしたら乗るね。もし、また具合い悪くなりそうだったら、すぐ連絡する」
「わかった」
私はそう話したあとも、その日は心配で携帯は肌身離さず持っていた。
それから、助けて下さった男性に心の中で何回もお礼を言った。
娘を助けて下さった方へ
もしかしたらお目に触れるかもしれないと思い立ち、お礼を申し上げることにいたしました。
その節は娘を助けて下さり、本当にありがとうございました。スーツを着ていらっしゃったとのことですので、お仕事中かご出勤の途中だったのでしょうか。
私たち家族の中では、本物のヒーローとして語り継がれています。
娘との会話のなかで、おじさんと呼んでしまったこと、お詫び申し上げます。
娘は大学に入学したばかりで、慣れない電車通学と大学の専門的な講義を受ける緊張で、自律神経が不安定になっていたようです。
あの日以来、時間をずらして座れる電車を探したり、塩分チャージのキャンディーや、低血糖にならないように食べ物を持ち歩いたりと、工夫するようになりました。
何にも言わずに静かに行ってしまわれたとのことですが、その振舞いも含めて、あなた様の人間に対する真摯な眼差しと優しさに、とても感銘を受けております。
また私自身も、大人としてそのような振舞いができているだろうか、日常の何気ない一幕の中で、見えないものとして通り過ぎていないか、省みることができたこと、併せてお礼申し上げます。
娘を助けて下さり、本当にありがとうございました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
