秋茄子祭り
橘家食堂 秋茄子祭り
秋も深まりかけた、江戸の朝。
橘家直営食堂の裏口へ、どさり、どさりと大籠が運び込まれた。
「新吉さん、まだあるぞ」
権太が両腕に抱えているのは、艶々と紫に光る秋茄子である。
「おい権太……いったい何本持って来やがった」
「知らねえ。頼まれた分、全部だ」
新吉が籠を覗き込んだ。
張りのある皮。
ずしりと締まった実。
一本手に取り、くるりと返す。
「こいつぁ、いい茄子だ」
横から茂吉も一本取った。
「ほんまや。秋の茄子は身ぃが締まって、味もよう乗ってますわ」
「さて……どうする」
「どうするて、料理するんやろ?」
「これ全部をか?」
二人は山積みの茄子を見た。
しばし沈黙。
やがて新吉が、にやりと笑った。
「祭りにするか」
*
その日の昼前。
橘家食堂の店先に、一枚の札が掛かった。
――本日 秋茄子祭り――
何の祭りだ、と町人が覗き込む。
「茄子の祭り?」
「神輿でも担ぐのかい」
「茄子が神輿を担いだら見物だな」
「馬鹿言ってねえで入んな」
暖簾の向こうから新吉の声が飛んだ。
店へ入れば、そこは既に茄子だらけ。
まずは浅漬け。
瑞々しさを残した茄子を軽く締め、口へ運べばぱりりと歯が鳴る。
次は、生の茄子を薄く引いて三杯酢。
「茄子って生で食えるのかい?」
恐る恐る箸を伸ばした客が、ひと口。
「……こりゃ旨え」
「食わず嫌いってのは、損をするねえ」
新吉が笑う。
一方、揚場では茂吉が忙しい。
茄子へ包丁を入れ、間へ種を挟む。
衣をまとわせ油へ落とせば、
――ジュワッ。
挟み揚げである。
「茂吉さん、こっち二つ!」
「待っとくれやす! 茄子は逃げまへん!」
「客は逃げるぞ!」
「新吉はん、そない急かさんといて!」
江戸と上方。
口ではやり合っているが、手は止まらない。
*
椀場から、ふわりと出汁の香りが立った。
椀の底には秋茄子。
その上へ白身の魚を据え、青味を添える。
蓋を開ければ、客が思わず黙る。
「茄子ってのは、下にいても仕事するんだな」
その言葉を聞いて、新吉が振り向いた。
「そうよ。上に何を乗せても喧嘩しねえ。だが、出汁はしっかり吸ってやがる」
今度は焼場。
味噌󠄀の焦げる香りが食堂いっぱいに漂う。
しぎ茄子。
「飯くれ!」
たちまち声が飛ぶ。
「まだ飯があるぜ!」
運ばれてきた飯を見て、客が目を丸くした。
白飯ではない。
賽の目に刻んだ茄子を使った、茄子の強飯。
「飯にまで茄子かよ!」
「今日は祭りだ。諦めろ」
*
そして留めには、味噌󠄀椀。
茄子だけではない。
茸を何種類も合わせて、秋そのものを椀の中へ放り込む。
仕上げに刻んだ茗荷を、ぱらり。
味噌󠄀と茸の香りの向こうから、茗荷がすっと鼻へ抜ける。
さっきまで騒いでいた客たちが、椀を啜って静かになった。
「……秋だねえ」
誰かが言った。
新吉は返事をせず、次の茄子へ包丁を入れた。
*
昼を過ぎても客足は止まらない。
「挟み揚げ、もう一つ!」
「浅漬け追加!」
「強飯お代わり!」
「しぎ茄子まだあるか!」
奥では茂吉が額の汗を拭っている。
「新吉はん」
「なんだ」
「祭りなんて言わんかったら良かったんと違います?」
「言い出したのは俺だ」
「ほな責任取って、挟み揚げ十人前」
「馬鹿野郎」
そこへ権太が顔を出した。
「新吉さん」
「今度は何だ!」
「茄子、追加で来たぞ」
新吉と茂吉の手が、同時に止まった。
裏口を見る。
そこには朝より大きな籠が三つ。
茂吉がぽつり。
「……明日も祭りでんな」
新吉は一本の茄子を手に取った。
しばらく眺めてから、ふっと笑った。
「しょうがねえなあ」
そして、包丁を入れる。
茄子という野菜は面白い。
生でもよし。
漬けてもよし。
焼いても、揚げても、椀の底でもよし。
飯に入っても、味噌󠄀と出会っても、黙って相手を受け止める。
だからこそ――
料理人の腕が、そのまま味になる。
新吉が言った。
「茄子って野郎はな、何にしたって文句を言わねえ」
茂吉が続ける。
「せやから、こっちの腕がばれますな」
二人は顔を見合わせた。
そして、また包丁の音が始まった。
トン、トン、トン――。
橘家食堂の秋茄子祭り。
祭囃子の代わりは、二人の包丁の音であった。
