
正直になってよかったことは、日常だった
昔の私は、「もったいない病」だった。
実用品も、お気に入りであればあるほど使えなかった。
壊れるのも、汚れるのも怖くて、ただ大切にしまい込んでいた。
インゲボルグのコートを、虫に食われた時、私はしばらく立ち直れなかった。
大事にしすぎて、3回しか着ていなかったからだ。
ほとんど袖を通していないまま、終わってしまった。
使っていれば、もっと多くの時間を一緒に過ごせたはずなのに。
そう思った時、私ははっきり理解した。
「しまっておくこと」は、大切にすることではない。
ウェッジウッドのティーカップをもらった時、特別なお客様が来た時だけ使うと言ったら、
「あなたが普段使いするために贈ったのだから、どんどん使ってください」
そう言われたことがある。
それでも私は、まだどこかで踏み切れずにいた。
転機は、ある地震の日だった。
戸棚からダイブした丼が、真っ二つに割れていた。
それを見た瞬間、ふと思った。
これがもし――
お気に入りのものを、大切にしまい込んだまま、一度も使わずに壊してしまっていたら。
悔やんでも、悔やみきれない。
その時、ようやく気付いた。
物はいつか壊れる物。
そして、物は使ってこそ、その真価を発揮する。
私はずっと、「壊れるのが怖い」のではなかった。
本当は――使いたかったのだ。
ただ、それを自分に許していなかっただけだった。
それからの私は、お気に入りをどんどん使うことにした。
好きだから使う。
それだけで、もう十分だった。
友人から、器をもらったことがある。
知人が自分の窯で焼いたという、世界にひとつしかない器だった。
正直、最初は怖かった。
割ってしまったらどうしよう、と。
でも私は使うことにした。
その器は、今も現役だ。
毎日の食卓に並ぶ。
使うたびに思う。
ああ、これを使ってよかった、と。
一点物を手に取る瞬間は、今でも少し震える。
でもその震えは、不安ではなく幸福だ。
誕生日にもらった、限定色のコーヒーカップも、今は普通に使っている。
それだけで、嬉しい。
シルクハットにモノクル、口髭、ネクタイ姿のコメダンディが、湯気の立つコーヒーを差し出している。
以前の私なら、きっと箱から出せなかっただろう。
でも今は違う。
使っているからこそ、毎日が少し豊かになる。
1万円もする傘も、きっと特別な日までしまい込んでいただろう。
「お気に入りだからこそ使う」
そう思えるようになった。
欲望に正直になってから、好きな物に囲まれて暮らし始めた。
それは想像していたより、ずっと贅沢な毎日だった。
何も起きない?
いえ、全部そこで起きていました。