バブリークリスマス幻想
”クリスマス”って言ったら素敵彼氏が夜景の見えるレストランを予約してくれて、美味しいフレンチをご馳走してくれて、泡のはじけるシャンパンごしに「君の瞳に乾杯」って言ってくれるの~!
そんなバブリーなクリスマス幻想を、未だに「いつかやろう」と私は思っているので、決して「悪しき習慣だ」なんて否定しない。そして多くの「クリスマスなんてクソ食らえ」と言う皆さんも、同じように憧れていると思うので、その感情を否定しないで欲しいな、と思う。
何故ならそれを否定してあからさまにそのことを表明してしまったら、実際にゲットした時に罪悪感を覚えることになるからだ。あたし、あんなにバブルなクリスマスを馬鹿にしていたのに、やっちゃってる…って。そして自己嫌悪に陥る。自分の憧れを叶えたのに自分を嫌いになるなんて、こんなアホらしいことはない。
政治が変われば「幸せになれる」と思う人は、いざそれが実現したら気付くだろう。外側がどんなに変わっても自分が幸せでなければ幸せじゃないことに。逆に言えば、政治がどれほど腐っていても、自分が幸せならば幸せなのだ。なぜなら「世界」とは、自分が解釈を下しているものだから。
クリスマスは素敵だ。街が何だか華やかに照らされて、明るい音楽が聞こえてきて、何だかいつも以上に「奇跡が起こりそう」な感じがする。それがただ腹立たしいだけのクリぼっちの人も、自分が入院して病院でクリスマスを過ごすことになったら分かる。刑務所でもいい。健康に、あの華やかな町をただ歩けていた過去の自分を、とても有難いと思うだろう。
批判しなきゃいけないものがあるとしたら、政治でも、ジャニーズでも、クリスマスの商業主義でもなく、一緒に過ごすパートナーを作ろうと誰かに声を掛けることもしなかった「自分の勇気のなさ」じゃないかしら。え、お前はどうなんだって? あたしも誘いをかけたいのは山々だけど、連絡先すら教えてもらってないからねえ、しょうがないじゃん? だから一人で伊豆高原クリスマスやってきたってわけよ。
あの「森の泉」さんが建てられたのは30年前だそうで、考えれば丁度バブル全盛期。きっと当時のクリスマス幻想を叶える装置だったんだろうね。現代の技術で、あそこの暖炉に火を入れて、本物の薪をくべて、和牛を食べ比べしながら「君の瞳に乾杯」って言われたいものよね。
「勇気のなさ」をどうしろって言うんだよ、という若者諸君。もっと軽くなりなさい。「クリスマスを一緒に過ごせる人」とか「生涯のパートナー」なんてのを探すんじゃなくて、身近に居て話せる人、笑顔を向けてくれる人に、のど飴とか小さなプレゼントをしてみたり、挨拶してみたり、ちょっとした声掛けをすることから始めればいい。ちょっと親しくなった人が「あー温泉行きたいな」なんて言ったら、「温泉良いよねえ」なんて相槌を打って、どこそこの温泉が評判なんだって、とか情報を出して、「他に行きたい人誘って、数人で行ってみる?」なんてグループ作って行っちゃえばいい。職場なら「旅行サークル」みたいなのを作っちゃって、定期的に旅行に行っちゃう。「温泉とかホテルって、一人じゃ割高になっちゃうから、グループが一番良いんだよね」なんて言えば誰もが「確かに!」と言うはず。
同じように、「最近登山に興味あるんだよね」なんて誰かが言おうものなら、すかさず乗っかって、「登山サークル」を作っちゃって、交流を深めていけばいいのよ。温泉、登山、テニスとかのスポーツ、何でもいい。皆「一人じゃ中々始められない」と思っているから、「俺も初めてだけど一緒にやってみる?」と声を掛けてくれると”とても有難い”と思うはず。気負わずホイホイと軽く声を掛ければいい。相手も楽しくて自分も楽しいWin-Winが成立する。必要な「勇気」なんてそんなもんよ!
