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AI時代における、研究論文数の大爆発

    Masahiro Hotta

    2026年10月から、物理学や数学のプレプリントサーバーである「arXiv」が新しいポリシーを発動しました。その内容は、以下です。

    arXiv、そして学術コミュニティ全体はいま、大きな分かれ目に直面しています。学術出版は急速に変化しており、研究者が研究成果を発表・共有する方法に巨大な変革が起きています。

    AIが登場する前は、個人が論文を投稿できるペースには明確な「実質的な限界」が存在しており、arXivのボランティア・モデレーターは、その閾値を大幅に超える投稿者を制限していました。しかし、AIツールがより高度化し著者にとって身近なものになったことで、何本の論文が投稿可能かという「実質的な限界」の定義そのものが議論の対象となっています。2026年10月1日をもって、arXivはすべての投稿者および全カテゴリを対象に、改定された投稿制限(レートリミット)ポリシーを導入します。これは、より高度なAIツールを活用する著者のための新たなベストプラクティスを模索する間の暫定措置であり、同時にモデレーションツールや手順を改善するための時間を確保するためのものです。

    分野を問わず、オープンアクセス・リポジトリ全体で、著者1人あたり・月あたりの投稿数が急増しています。2016年9月、arXivが受け取った投稿数は9,869件でした。2024年9月には20,569件となり、そして今年の9月、arXivには40,363件の投稿が寄せられ、それによってarXivのスタッフやモデレーター向けに約9,000件のサポートチケットが発生しました。わずか過去2年間で、投稿数は2倍に膨れ上がっています。

    1991年の設立以来、arXivへの投稿ペースは着実に増加しています。9月には単月で過去最高となる40,363件の投稿を記録しました。

    高度なAIツールは、研究の特定の側面をより速く、より容易にすることで、この増加を後押ししています。arXivのポリシーでは、研究をサポートするツールとしてAIを使用すること自体は開示されている限り許可されており、その研究が学術的関心の基準を満たし、研究分野の発展に寄与するものであることが条件となります。しかし、現在arXivが受け取っている投稿の多くは、これらの要件を満たしていません。モデレーター陣は、内容が薄くスコープが狭い論文や、1つの研究を細かく分割して複数の短い論文として投稿する「サラミ論文」の増加を目撃しています。また、AIによって執筆された高密度な論文も顕著に増加しています。AIツールによって、著者がarXivや他のリポジトリにこうした価値の低い論文を大量に流し込むことが容易になってしまっているのです。

    過去2年間におけるcs.AI(人工知能分野)の投稿数の増加(6倍以上)は、研究者がarXivに投稿するスピードの凄まじさを物語っています。他のarXivカテゴリでも、同期間に投稿数が2倍に増加しています。

    低品質な論文を発見・却下するarXivのプロセスの核となっているのは、数多くのボランティア・モデレーターです。毎日時間と専門知識を提供してくださる彼らには心から感謝しています。しかし、相対的には少数である一部の著者が大量の低品質な論文を投稿し、モデレーターの時間の不釣り合いな割合を消費してしまっています。これは、質の高い論文を投稿し続けている他の著者にとって不公平であり、その結果、彼らの論文の掲載が数日から数週間遅れる事態が生じています。arXivは現在、投稿者1人につき暦月あたり最大2本まで、かつ同時に有効(アクティブ)な投稿数は合計3本までに制限しています。このポリシーの改定は、ボランティア・モデレーターの時間をarXivの著者全体に公平に配分し、不適切な投稿の急増からarXivのコンテンツ保護を図るために導入されたものです。

    投稿制限(レート制限)自体はarXivの既存ポリシーであり、従来は主にモデレーターの裁量に委ねられていました。arXivは常に、著者に対して行動規範および投稿ガイドラインに従うよう求めています。arXivに投稿される論文は、関連するカテゴリにおいてオリジナルかつ新規性があり、完結した意義ある研究でなければなりません。また、所定の学術基準を満たし、科学コミュニティにとって学術的関心のある内容である必要があります。今回のポリシー改定は、投稿がこれらの基準を満たしているか確認してくれているボランティア・モデレーターの非常に貴重な労力を公平に配分することを目指しており、著者が自らの最高の研究だけを精選してarXivに投稿するようになることを期待しています。

    「ボランティア・モデレーターの時間をすべての著者に対して均等に配分し、不適切な投稿の急増からarXivの論文コレクションを守るために、今回のポリシー変更が実施されます。」— トーマス・ディテリッヒ(Thomas Dietterich)オレゴン州立大学 名誉特別教授 兼 arXiv編集諮問委員会委員長

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    過去2年間におけるcs.AI(人工知能分野)の投稿数の増加(6倍以上)は、研究者がarXivに投稿するスピードの凄まじさを物語っている。他のarXivカテゴリでも、同期間に投稿数が2倍に増加。

    科学の各分野においてAI技術に補助された研究が極めて短時間に進み、昔だったら、1年以上かかってやっと得られる理論研究の成果も、数日で得られてしまうことが起きています。科学の進歩という視点では大変喜ばしい反面、科学の成果評価において、大きな問題となっています。たとえば、論文の査読過程で目詰まりが起きているのです。

    現代における科学論文の査読は、その査読結果の判断の中立性を担保するために行われているものです。論文を書いた著者や、その論文が投稿された雑誌の編集委員から独立した、第3者の研究者に査読を依頼し、その論文内容の正しさ、新規性、当該分野で重要性を判断してもらって、査読レポートにまとめて、編集委員に送ってもらいます。そのレポートも参考にしながら、編集委員が、その論文の受理と不受理を決定するのが、標準的になっています。そして現在の多くの査読付き雑誌は、あらゆる差別がないように、誰でも論文が投稿できる規定になっています。

    ところがAI時代に入って、研究者1人あたりの論文生産性が爆発的に伸びています。それに伴って、各雑誌への投稿や、また投稿前に「プレプリント」として世界に論文原稿を発表する、プレプリントサーバーに出される論文数が、指数関数的に増加してます。今回のarXivも、そのようなプレプリントサーバーの、もっとも有力な1つです。そしてそのarXivが今回大きな方針転向を余儀なくされたことを報告したのが、上記の発表でした。人間のボランティアや、データセンターなどの重要な資源は限られています。何もせずに現状を放置することは、近々の大破綻を招くだけでしょう。

    このような変化の波は、arXivだけでなく、近々に査読付き雑誌にも及ぶでしょう。大量の投稿論文が押し寄せる各雑誌の編集委員会では、人間の査読者を探すことが困難になっています。そのため、査読にかかる時間は、以前に比べて圧倒的に長くなりつつあります。

    そもそもこれだけ大量の論文が出されると、自分の専門分野でさえ、その全部を読める人間の研究者も居なくなります。AIしか全部を読めなくなります。つまり、AIが書いた論文を、AIだけが読んでいるという場合も、多くなるでしょう。これに伴って、科学の評価システムの大規模で早急な転換が求められています。

    将来現れる1つの可能性が、各分野の専門誌の「同人誌化」です。良きにしろ悪しきにしろ、全てを解放せずに、有力な研究者の目に留まった、限られた数の論文だけを精査して、内容の正しさも吟味し、その重要性を世界にアピールするための同人誌的な論文選集を、選んだ研究者の名前で定期的に出すという形態です。選者である研究者も、その論文の研究成果の重要性に対する「裏書」を与えることになります。その論文選集への自由な投稿は基本的に認められず、編集委員が個人として探して、選んでくるのです。これは、オープンだった、これまでの科学的成果の評価法から見ると、とても不公平にも感じられる形態ですが、少ない人的リソースを考えると、今後このような形が、あちこちに現れてくる可能性があるのです。

    現時点でも、少数の編集委員が、過去に出版された論文の中から重要なものを選んで、紹介する学術媒体もあります。たとえば米国数学会が発行している、「Mathematical Reviews」という出版物があります。数学文献の要約・再評価(書評)誌です。つまり、論文そのものを初出掲載する一般的な学術誌(ジャーナル)ではなく、世界中の数学論文をデータベース化し、専門家が第三者目線でレビュー(解説・批評)を添えて記録するという役割を担っています。選ばれた論文には、歴史的に重要だという評価を米国数学会から与えられたことになります。ただその論文の選抜には、もちろん各時代の編集委員自身の価値観が反映されているわけであり、絶対的な意味での中立性があるわけではありません。ですから、Mathematical Reviewsは上で述べた「同人誌化」の1つの雛型として、今後広く参考にされる事例になるかもしれません。

    または人間の査読者に依頼せず、AIが査読をする、初期スクリーニング的な査読方法も出てくることでしょう。ただし、このAIによる査読だけでは、学術的活動は完結することはないでしょう。その査読結果はAIが保管するデータベースに含まれるだけで、最終的には人間の研究者が各研究成果を評価する過程が残ります。科学は、本来人間による営みだからです。これは特に自然科学において顕著な点です。人間が自然界とその法則を理解したいという欲求こそが、自然科学の駆動力なのですから。

    論文を出すことを研究活動のゴールとする、これまでの価値観は、年内にも崩壊すると思われます。科学者の評価は、その論文数で測れなくなります。激動のAI時代ですが、新しい科学の在り方を早急に提示する必要があります。そしてそれには、多くの人々のコンセンサスが要求されます。そのためにも、世界の多くの人々が「今科学はどうあるべきか」を、真剣に論じるべき状況なのです。そしてその意見集約をしないといけません。




     
     
     
    量子情報物理学の研究者です。著書に『入門現代の量子力学 -量子情報・量子測定を中心として-』(講談社サイエンティフィク)『量子情報と時空の物理』(サイエンス社)。質問はMONDで。(https://mond.how/ja/hottaqu)Twitter: @hottaqu

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