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💟貞成親王の神風串呂②——御名が示す“足利長男”の証明

    串呂哲学研究ノート

    🎀串呂哲学研究ノート 第538号

    兵庫県宍粟市山崎町の 御名(ごみょう)から貞成親王の埋葬地「⛩️伏見松林院陵」へ引いた串呂は、驚くべきことに 源氏町(碧南市)を貫通し、貞成親王の“名前=源氏(足利氏)”を明示。さらに、毒針を象徴する 上佐曽利(宝塚市)を貫通し、看聞日記の「伏見宮二代連続死」の真相を暗示。これで三本の串呂が揃い、「貞成親王=足利義満の長男説」は証明されました。

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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

    はじめに――貞成親王の御名は?

    前号(第537号)では、⛩️内宮から貞成親王の眠る⛩️伏見松林院陵へ引いた串呂が「北山」(三重県伊賀市)を貫通したことから、 「旧宮家の男系共通祖・貞成親王は足利義満の長男である」 という命題に取り組み、その研究結果を公開しました。

    これまで解明された貞成親王の串呂は次の二本です。
    詳細は各記事でご覧下さい。

    (1)⛰️御正体山と⛩️伏見松林院陵の神風串呂
    ⛩️伏見松林院陵――源太(げんた/愛知県豊田市)――⛰️御正体山

    貞成親王は、源家の太郎(長男)である。(第536号)

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    ⛰️御正体山と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

    (2)⛩️内宮と⛩️伏見松林院陵の神風串呂
    ⛩️伏見松林院陵――北山(きたやま/三重県伊賀市)――⛩️内宮

    貞成親王は、北山殿(足利義満)の血流である。(第537号)

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    ⛩️内宮と貞成親王の⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約47.6万分の1)

    💞そして今号は、第三の串呂

    御名(ごみょう/兵庫県宍粟市山崎町)を起点とする「名前の串呂」をご紹介します。至点はもちろん貞成親王の埋葬地⛩️伏見松林院陵です。

    御名ーー⛩️伏見松林院陵ーー源氏町(碧南市)

    この三点が一直線に並ぶことで、 貞成親王の“名前”が源氏(足利氏)である事が証明されました。


    🔴初めての方は、下記の記事を先にお読み頂くと理解しやすいです。

    🔶後花園天皇の神風串呂――地文が示す“足利王統”の影
    🔶天子ヶ岳が暴く“室町王権の正体”――後花園天皇の神風串呂④
    🔷貞成親王の神風串呂——“旧宮家の原点”はどこにあるのか


    目次

    はじめに――貞成親王の御名は?

    1、御名(ごみょう)とは何か
    2、山崎町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂
    3、毒殺事件か?ーー伏見宮家背乗り疑惑を追う!


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    1、御名(ごみょう)とは何か

    御名(ぎょめい)とは、天皇のお名前のこと。
    串呂では、⛩️内宮、⛰️御正体山、公文などと並ぶ重要起点であり、皇統を鑑定する際の基準点となります。

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    兵庫県宍粟市山崎町御名(地図マピオン)


    三浦芳聖師は「御名の串呂」を多数解明していますが、その代表例が次の一本です。

    🔷山崎町御名と⛩️後醍醐天皇塔尾陵の神風串呂

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    後醍醐天皇の⛩️塔尾陵と御名の神風串呂(Google.Map/縮尺約4.6万分の1)
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    ⭕御名(ごみょう/兵庫県宍粟市山崎町)
    御名を調査する重要串呂起点
          ⬇️
    ❇️⛩️湊川神社(兵庫県神戸市中央区)
    南朝大忠臣 楠木正成公奉斎
          ⬇️
    ⭕⛩️塔尾陵(とおのおりょう/奈良県吉野山)
    後醍醐天皇埋葬地
          ⬇️
    ❇️三浦(三重県北牟婁郡紀北町)
    三浦皇統家を示す重要地文

    後醍醐天皇の嫡皇孫は三浦と称す。 楠木正成公のDNAも女系で三浦皇統家に継承されている。 まさに的確なる串呂である。

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    三浦義勝-義利-宗正-宗明-三浦佐久姫   
    楠木正成-正行-正光-正親-冬子-三浦佐久姫
    (加茂喜三著『富士〝隠れ南朝〟史』318頁 富士地方史料調査会)

    🔴「山崎町御名と⛩️後醍醐天皇塔尾陵の神風串呂」を更新しました。
    ぜひご一読ください。


    2、山崎町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂

    🔶串呂概観(1)ーー源氏町を貫通!

    今回、御名から貞成親王の⛩️伏見松林院陵へ串呂を引いたところ、予想通り源氏町(げんじまち/愛知県碧南市)を貫通しました。

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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map)


    🔴これは驚くべき結果です。


    すでに二本の串呂で「源太=長男」「北山=義満」が示されていたため、 このような種類の「名前の地文が来るはずだ」という予感はありましたが、 まさか 源氏町 とは——。

    しかも三点は、ほぼ等距離に配置されており、 これは重要串呂の構築技法のひとつです。

    🔷距離の一致

    • 御名 → ⛩️伏見松林院陵 …… 111.5km

    • ⛩️伏見松林院陵 → 源氏町 …… 112.3km

    この等距離配置は偶然ではありません。

    串呂主宰神・天照大御神が、貞成親王の串呂に特別の力を注いでおられる証です。

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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

    🔷三本の串呂が揃い、命題は証明された!

    (1)⛩️伏見松林院陵――源太(げんた/豊田市)――⛰️御正体山
    貞成親王は、源家の太郎(長男)(第536号)

    (2)⛩️伏見松林院陵――北山(きたやま/伊賀市)――⛩️内宮
    貞成親王は、北山(足利義満)の血流(第537号)

    (3)御名――⛩️伏見松林院陵――源氏町(げんじまち/碧南市)
    貞成親王の名前は源氏(足利氏)である。

    🔴実証・論証・傍証の串呂が出揃った!

    これで、三本の串呂が出揃い「貞成親王は足利義満の長男である」という命題は証明されました!🎌🌺💐🪷🪻



    🔶串呂概観(2)ーー上佐曽利を貫通!

    上佐曽利(宝塚市)――毒針を持つ捕食動物

    串呂をさらに追うと、兵庫県宝塚市の 上佐曽利(かみさそり) を貫通しました。

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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map)


    現在は、上佐曽利と下佐曽利に分かれているのですが、元は「佐曽利」だったと思われます。例によって、国内唯一の地名と思われます。

    さて、「サソリ」といえば「体の前に鋏型の触肢、後ろに毒針を持つ捕食者」を連想するのではないでしょうか。

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    サソリ

    🔴次の瞬間、前号でご紹介した「治仁王急死」を思い出しました!

    🟣看聞日記に記された“二代連続死”

    1411年4月4日  貞成親王 伏見宮家へ入る
    1416年12月9日 栄仁親王 薨去
    1417年2月28日 治仁王 薨去
    その直後、貞成親王が伏見宮家を継承。

    京の人々は、毒殺ではないかと噂した——と看聞日記に記載されています。

    しかし、この事件は、後小松院や四代将軍 義持からの安堵を受けて大事には至らなかったのです。

    🔶緘口令が発せられたのでした!

    この事件のおかげで、後小松院、四代将軍 義持、貞成親王の三人は、同じ穴のムジナであることが明らかになりました!

    上佐曽利は、毒殺犯を暗示する地文ではないでしょうか。
    この件は、「3、毒殺事件か?ーー伏見宮家背乗り疑惑を追う!」で詳細に考察します。

    🔷姓は源氏、名はさそり!

    御名――上佐曽利――⛩️伏見松林院陵――源氏町

    ⛩️伏見松林院陵で眠る「太上天皇 伏見宮 貞成親王」の正体が明らかになりました!

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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

    💕主要地文の考察

    主要関連地文は、神々が長期間かけて構築された「華紋(かもん)」であり、ゆるがせにできません。 以下は今回の串呂に出現した主要地文です。
    取上げた地文の数が多いので、読みやすさのために分類しました。

    (1)血統・素性などを示す地文


    ⭕御名
    (ごみょう)―⛰️ポンポン山―⛰️海印寺奥山(かいいんじおくやま)―粟生(あお)―⭕⛩️伏見松林院陵―北山(きたやま)―🟢たぬき村―南長太町(みなみなごちょう)―源氏町(げんじまち)―🟢田貫町(たぬきちょう)―寄住町(よりずみちょう)―🟡一宮町(いちのみやちょう)―奥山(おくやま)―🟡一宮(いちみや)

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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

    🔷地文の解説・地図

    ⭕御名(ごみょう/兵庫県宍粟市山崎町)
    起点 省略

    ❇️下青野(しもあおの/兵庫県三田市)
    あお(青、粟生) 二串 -🔴-🔴-
    青=未成熟。出来損ない。

    貞成親王は、義満14歳(数え)の時に出来た不義の子である。

    1358年 義満 誕生
    1368年 義満 元服
    1369年 義満 征夷大将軍となる。12歳(数え)
    1372年 貞成 誕生・・・義満15歳(数え)
    1374年 義満 日野業子を正室に迎えた。17歳(数え)


    ❇️⛰️ポンポン山(京都市西京区大原野)
    たぬきの腹鼓を連想する地文。ぽんぽこぽん。
    三浦芳聖師が公開した明治天皇の串呂に出ている。


    貞成親王が、「たぬき」であったことは、その血筋でもない者が、伏見宮家を背乗りした一事で分かる。伏見宮家という皇統を騙し取ったのだから。

    また、足利王権(義満)が「たぬき」であったことは、後亀山天皇との皇統迭立の約束を履行しなかったことを挙げることが出来る。また、これまで、解明した串呂では、前号でご紹介した「胡麻」(誤魔化す)を挙げることが出来る。

    🔶伊賀市北山と金閣寺(北山第)の串呂

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    伊賀市北山を中心にリンクする二本の串呂(Google.Map)


    ❇️⛰️海印寺奥山(かいいんじおくやま/京都市西京区大原野小塩町)
    奥山 二串 -🔴-🔴- たぬきを連想する地文。

    【参照】
    奥山狸御殿(奥山の狸、奥山狸退治) | 映画 | 日活


    ❇️粟生(あお/京都府長岡京市)
    あお(青、粟生) 二串 -🔴-🔴-

    粟生=「あわうみ」と読む。
    諾冊二尊が神生みに失敗した故事を表わす淡島(あわしま)に通ずる地文。

    ここでは、貞成親王は、義満が栄仁親王の妾(西の御方)に産ませた不義の子である事を言うか?貞成親王が、義満14歳(数え)の時に出来た不義の子である事は既に述べた。

    【参照】三浦芳聖師が公開した「明治天皇の串呂」では大正天皇が御不例であったことをいう。

    天王(岡山県新見市哲西町矢田)-王子(岡山県久米郡美咲町)-大酒(兵庫県佐用郡佐用町)-粟生(京都府長岡京市)-⛩️明治天皇陵(京都市伏見区桃山町古城山)

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    「お酒と明治天皇-⛰️御正体山と⛩️明治天皇陵との神風串呂2」より

    ⭕⛩️伏見松林院陵(京都市伏見区)
    至点 貞成親王の埋葬地

    ❇️北山(きたやま/京都府宇治市木幡北山)
    北山殿と呼ばれた足利義満をあらわす。
    義満は、卍北山鹿苑禅寺(卍金閣寺)に住んでいた。


    ❇️たぬき村(滋賀県甲賀市信楽町牧)
    たぬき 二串 -🔴-🔴- 牧 二串 -🔴-🔴-

    騙す、誤魔化すを表わす。
    室町王権の基本的な政治思想

    貞成親王が「たぬき」であったことは、すでに述べた。


    ❇️南長太町(みなみなごちょう/三重県鈴鹿市)
    長太(なご)=長男太郎をあらわす。

    長太(なご)という地名は、国内唯一の地名であろう。


    ❇️源氏町(げんじまち/愛知県碧南市)
    源家(足利氏)をあらわす。


    ❇️田貫町(たぬきちょう/愛知県西尾市)
    たぬき 二串 -🔴-🔴- たぬきの隠語

    🔷田貫町は、国内二ヶ所あるのみのユニークな地名。
    田貫町(京都市右京区京北)
    田貫町(愛知県西尾市)

    田貫湖(静岡県富士宮市猪之頭)


    ❇️寄住町(よりずみちょう/愛知県西尾市)
    寄宿、居候をあらわす。
    国内唯一の地名と思われる。


    ❇️一宮町(いちのみやちょう/愛知県豊川市)
    一宮 二串 -🔴-🔴- 長男


    ❇️奥山(おくやま/静岡県浜松市浜名区引佐町)
    奥山 二串 -🔴-🔴- たぬきを連想する地文。

    ⛩️奥山神社有り。
    奥山狸御殿(奥山の狸、奥山狸退治) | 映画 | 日活


    ❇️一宮(いちみや/静岡県周智郡森町)
    一宮 二串 -🔴-🔴- 森町 二串 -🔴-🔴- 
    一宮=長男をあらわす。



    (2)伏見宮家背乗り・毒殺などを示す地文

    逆巻城跡(さかまきじょうあと)―⭕御名(ごみょう)―⛰️大坂山(おおさかかやま)―上佐曽利(かみさそり)―津坂トンネル(くろまんぷ)―⭕⛩️伏見松林院陵―寄住町(よりずみちょう)―阪本(さかもと)

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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

    🔷地文の解説・地図

    ❇️逆巻城跡(さかまきじょうあと/岡山県真庭市法界寺)
    逆賊的行為をあらわす。


    ⭕御名(ごみょう/兵庫県宍粟市山崎町)
    名前を鑑定する重要起点
    既述につき省略


    ❇️⛰️大坂山(おおさかかやま/兵庫県西脇市鹿野町)
    坂は反するの隠語。
    大坂=大逆。

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    大坂山(兵庫県西脇市鹿野町/Google.Map/縮尺約47.6万分の1)

    ❇️上佐曽利(かみさそり/兵庫県宝塚市)
    毒針を有する「サソリ」をあらわす。

    地区内にある「宝塚ダッシュ村」=「奪取村」と読める。
    主人を毒殺して主家(伏見宮家)を背乗りした地文であろう。


    ❇️津坂トンネル(くろまんぷ)(兵庫県川辺郡猪名川町林田南山)
    暗マンプ=闇を表わす。
    日本皇統史の闇を示す地文であろう。 

    ● 暗マンプ(くろまんぷ) - 猪名川町観光 なんでもガイド


    ⭕⛩️伏見松林院陵(京都市伏見区)
    至点 貞成親王の埋葬地

    ❇️寄住町(よりずみちょう/愛知県西尾市)
    寄宿、居候をあらわす。国内唯一の地名と思われる。

    貞成親王が、伏見宮家に居候(参候)した経緯は不明(謎)である。
    目的は、背乗りの準備を進めるためであろう。

    1411年4月4日 貞成親王 伏見宮家へ入る
    1416年12月9日 栄仁親王 薨去
    1417年2月28日 治仁王 薨去
    その後、貞成親王は伏見宮家を継承した。


    ❇️阪本(さかもと/静岡県島田市)
    阪は反するの隠語。
    阪本=大逆。


    (3)新しい王権の成立を示す地文

    🟡⛩️王子神社(おうじじんじゃ)―新宮町奥小屋(しんぐうちょうおくごや)―⭕御名(ごみょう)―🟡上王子町(かみおうじちょう)―⭕⛩️伏見松林院陵―伏見公園(ふしみこうえん)―🟢大島(おおしま)―十宮(とみや)―🔴天王(てんのう)―新開(しんかい)―🔴天王町(てんのうちょう)―🟢大島町元町(おおしまちょうもとまち)―🟢大島公園(おおしまこうえん)

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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約192.3万分の1)

    🔷地文の解説・地図

    ❇️⛩️王子神社(おうじじんじゃ/島根県邑智郡美郷町久保)
    王子 二串 -🔴-🔴-

    貞成親王は、1425年、後小松天皇の猶子となり、親王宣下を受けた。

    1411年4月4日   貞成親王元服(40歳)
    1425年4月16日 貞成親王の親王宣下(54歳)

    精神世界から見ると、「たぬき王子」であろう。


    ❇️新宮町奥小屋(しんぐうちょうおくごや/兵庫県たつの市)
    新しい宮家(皇室)が創立されたことを示す地文。

    ⭕御名(ごみょう/兵庫県宍粟市山崎町)
    名前を鑑定する重要起点
    既述につき省略


    ❇️上王子町(かみおうじちょう/兵庫県西脇市)
    王子 二串 -🔴-🔴-

    貞成親王は、1425年、後小松天皇の猶子となり、親王宣下を受けた。

    1411年4月4日   貞成親王元服(40歳)
    1425年4月16日 貞成親王の親王宣下(54歳)

    精神世界から見ると、「たぬき王子」であろう。

    ⭕⛩️伏見松林院陵(京都市伏見区新町)
    至点 貞成親王の埋葬地

    ❇️伏見公園(ふしみこうえん/京都市伏見区桃陵町)
    伏見宮家をあらわす。


    ❇️大島(おおしま/京都市伏見区桃山町)
    大島 三串 -🔴-🔴-🔴- 

    現在研究中であるが、大島は「皇族」「親王」「皇子」などを表わす地文と思われる。

    精神世界から見ると、「たぬき王子」であろう。

    ❇️十宮(とみや/三重県鈴鹿市)
    子孫が増えた事をあらわすか。
    旧皇族十一宮家。

    西側に隣接して「鈴鹿市立河曲(かわの)小学校」がある。
    皇統の流れを「捻じ曲げた」という意味だろう。

    ❇️天王(てんのう/愛知県豊川市金沢町)
    天王 二串 -🔴-🔴-
    後崇光院 太上天皇(もちろん「たぬき天皇」だ!)

    住所の「金沢町」は、伏見宮を背乗りしたことで、伏見宮家が領有中の荘園から上がる富が手に入ったことをあらわす。背乗りの真の目的はこれだろう。


    ❇️新開(しんかい/静岡県磐田市)
    あらたな皇統が開始された!

    その名は「源氏王朝」であり、すなわち「足利王朝」だ。この足利王朝を開いた影の実力者が、貞成親王だ!

         
    ❇️天王町(てんのうちょう/静岡県島田市金谷)
    天王 二串 -🔴-🔴- 
    後崇光院 太上天皇(もちろん「たぬき天皇」だ!)

    金谷駅を貫通
    伏見宮を背乗りしたことで、伏見宮家が領有中の荘園から上がる富が手に入ったことをあらわす。 

          
    ❇️元町(もとまち/東京都大島町)
    大島 三串 -🔴-🔴-🔴-  宮家の元(創始者)

    大島には、皇族の意味が有るのではないか。
    ここでは、たぬき皇族であるが。
    伊豆大島 椿の森公園・・・椿葉記


    ❇️大島公園(おおしまこうえん/東京都大島町泉津福重)
    大島 三串 -🔴-🔴-🔴-

    現在研究中であるが、大島は「皇族」「親王」「皇子」などを表わす地文と思われる。精神世界から見ると、「たぬき王子」であろう。

    (4)その他の地文

    里公文(さとくもん)―🟡金屋(かなや)―⭕🔴山崎町御名(ごみょう)―🟡金谷(かなや)―🔴山崎(やまさき)―⭕⛩️伏見松林院陵―🔵牧(まき)―田上🟣森町(たがみもりまち)―🔵牧(まき)―富岡(とみおか)―🟢⛰️金山(かなやま)―🟣森町🟢⛩️金山神社(かなやまじんじゃ)

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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

    🔷地文の解説・地図

    ❇️里公文(さとくもん/岡山県津山市)
    重要串呂をあらわす。
    里+犭=狸

          
    ❇️金屋(かなや/兵庫県佐用郡佐用町)
    金屋(金谷)二串 -🔴-🔴-

    伏見宮家を継承したため、財政的に富裕になったことを示す。

              
    ⭕御名(ごみょう/兵庫県宍粟市山崎町)
    山崎 二串 -🔴-🔴-

    名前を鑑定する重要起点
    既述につき省略


    ❇️金谷(かなや/兵庫県宍粟市山崎町)
    金屋(金谷)二串 -🔴-🔴- 
    伏見宮家を継承したため、財政的に富裕になったことを示す。

          
    ❇️山崎(やまさき/兵庫県神崎郡福崎町)
    山崎 二串 -🔴-🔴-

               
    ❇️牧(まき/大阪府豊能郡豊能町)
    牧 二串 -🔴-🔴-

       
    ❇️森町(もりまち/滋賀県大津市田上)
    森町 二串 -🔴-🔴-


    ❇️富岡(とみおか/愛知県新城市)
    伏見宮を背乗りすることで、伏見宮家が領有中の荘園から上がる富が手に入った。
    伏見宮家を継承したため、財政的に富裕になったことを示す。

          
    ❇️⛰️金山(かなやま/静岡県浜松市浜名区三ヶ日町福長)
    金山 二串 -🔴-🔴-
    伏見宮家を継承したため、財政的に富裕になったことを示す。

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    金山(静岡県浜松市浜名区三ヶ日町福長/Google.Map)

    ❇️⛩️金山神社(かなやまじんじゃ/静岡県周智郡森町草ケ谷)
    金山 二串 -🔴-🔴- 森町 二串 -🔴-🔴-
    伏見宮家を継承したため、財政的に富裕になったことを示す。


    🔷まとめ

    (1)名前が配置「伏見宮公園」「源氏町」「上佐曽利」
    (2)富を奪うために伏見宮家を背乗りしたことが分かる。
    (3)たぬきに象徴される「騙し」「誤魔化す」方法
    (4)反逆、逆賊を示す地文は、毒殺犯を暗示している。
    (5)「たぬき王権」が、あらたに出現したことを示している。

    なぜ、このような串呂が存在するんでしょうか?

    ここに思いを致すことこそ、串呂哲学の醍醐味です。
    日本民族を救済する神的エネルギーが潜在している。
    気づかなければ使えず、行動しなければ宝の持ち腐れとなる。

    ❤️いまこそ立ち上がれ、日本民族!


    🎌結び

    第536号・第537号・第538号の三本の串呂が揃い、 貞成親王=足利義満の長男説は、地文・距離・構造の三点から完全に証明された。


    3、毒殺事件か?ーー伏見宮家背乗り疑惑を追う!

    (1)看聞日記が記した「二代連続死」という異常事態

    貞成親王が自ら筆を執った『看聞日記』には、伏見宮家の当主が わずか三ヶ月の間に二代続けて薨去した という異常事態が記録されています。

    🔶年表(事実の流れ)

    1411年4月4日 貞成親王、伏見宮家へ入る
    1416年12月9日 栄仁親王 薨去
    1417年2月28日 治仁王 薨去
    🔴その後、貞成親王、伏見宮家を継承

    この流れを見れば、 「二代連続死 → 直後に貞成親王が家督継承」 という構図が浮かび上がります。

    京の人々が「毒殺ではないか」と噂したのも当然でしょう。

    「看聞日記」には、この事態を危惧した貞成親王が、後小松院に泣きついたところ、「後小松院や四代将軍 義持からの安堵を受けて大事には至らなかった」と記載されています。

    🔴緘口令が発令されたのです!


    この緘口令が発令されたことは、毒殺が、足利一族の計画的犯行だったことを示す「状況証拠」です。

    また、この事件のおかげで、後小松院、四代将軍 義持、貞成親王の三人は、同じ穴のムジナであることが明らかになりました!

    今号の串呂には、⛰️ポンポン山(たぬきの腹鼓の象徴)、「たぬき村」、田貫町(たぬきちょう)が配置されています。

    (2)上佐曽利(宝塚市)が暗示する“毒針”の地文

    「2、山崎町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂」で示したように、御名から⛩️伏見松林院陵へ引いた串呂は、上佐曽利(かみさそり)を貫通していました。国内唯一の地名です!

    画像
    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map)

    「サソリ」といえば、 体の前に鋏型の触肢、後ろに毒針を持つ捕食者。

    この地名が、 伏見宮家の二代連続死=毒殺事件 を象徴している可能性は否定できません。

    さらに地区内には「宝塚ダッシュ村」があり、 「宝の山」を「奪取村」と読めることから、 伏見宮家の“背乗り”を暗示しているのではないか という解釈も成立します。

    (3)「足利天皇論三部作」が揃って示す衝撃の結論

    長島銀蔵『皇統正史』(1966)
    熊沢寛道『南朝と足利天皇血統秘史』(1962)
    吉田長蔵『新天皇論』(1952)

    この三部作は、揃って次のように断じています。

    🔷三部作の主張

    貞成親王は足利義満の長男である。
    貞成親王は伏見宮家を背乗りした。
    背乗りの手口は毒殺である。
    栄仁親王・治仁王らを毒殺した。
    後花園天皇以降の皇統は足利天皇である。

    三部作は互いに独立した研究でありながら、 結論が一致している点は極めて重要です。「看聞日記」「椿葉記」を、まじめに読めば、同じ結論に達すると思います。

    (4)看聞日記は「父から子へのマル秘文書」である

    「看聞日記」は、父・貞成親王から愛息・後花園天皇への 完全な私信(マル秘文書) でした。(「椿葉記」も同じです。)

    「看聞日記」の巻末には、繰り返し、「読後は焼却せよ」 と注意書きが記されています。

    「看聞日記」には、伏見宮 栄仁親王、治仁王の臨終状況が詳細に記載されていますが、貞成親王は、なぜ二人の皇族の臨終状況を克明に書き残し、息子(後花園天皇)に伝えたのでしょうか。

    (5)貞成親王が息子に伝えたかった“真実”

    三部作を読み返しながら、私は直観しました。

    🔴あなたが天皇になれたのは、この父が二人を毒殺したお蔭なのですよ。 天皇になったからといって、実の父母のことを忘れてはいけませんよ。

    これは、父が息子に伝えた“血統の真実” であり、背乗りの事実を隠すための“家内秘の告白” だったのではないでしょうか。

    (6)毒殺の動機は何か

    動機は明確です。

    動機

    伏見宮家の家督を奪うため。
    皇統を足利義満の血流へと転換するため。
    後花園天皇を“足利王統の初代天皇”とするため。

    この目的のために、 栄仁親王 → 治仁王 と二代続けて排除された可能性が高いのです。

    そして、 貞成親王が伏見宮家を継承した瞬間、足利王統が成立したのです。

    (7)串呂は「毒殺の痕跡」を地文として残していた

    今回の御名串呂には、 毒殺・逆賊・闇・奪取 を示す地文が連続して配置されていました。伏見宮家を背乗りした史実が地文になっているのではないでしょうか。

    • 上佐曽利(毒殺)

    • 逆巻(逆賊)

    • 大坂山・阪本(大逆)

    • 暗マンプ(闇)

    • 寄住町(居候)

    • 新宮町・新開(新王権)

    • 宝塚ダッシュ村(財宝奪取)

    これらは偶然ではありません。 神為的構築であり、歴史の真実を地文として残したものです。

    (8)結論

    今回の研究で明らかになったのは、 貞成親王の伏見宮家背乗りは、毒殺によって実行された可能性が極めて高い ということです。

    そして、 その痕跡は串呂に明確に残されていたのです。

    今号の投稿により、「足利義満の長男説」が証明され、「伏見宮家背乗りの実行手段」が明らかになり、 第538号は 歴史の闇を照らす号となりました。

    天地神明の御教導に感謝しています。


    🟡読者の皆様に!
    【神風串呂】は、皇祖神・天照大御神が日本民族に授けられた、目に見える啓示であり、二千年の時を超えて今、私たちの前に顕れた「神の言葉」です。

    このページに辿り着かれた貴方様とのご縁に、心より感謝申し上げます。 本記事は、天照大御神の御神意を体現し、地上に遣わされた神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が創始された「串呂哲学(神風串呂)」の真髄をお伝えするものです。

    『神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言』が明かすように、我が国が「天皇を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぐ王政」を未来に継承したいと願うならば、皇祖神の御神意に添い奉る道を選ばねばなりません。 さもなくば、我々はこのまま異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳と特性を失い続ける危機に直面し続けるでしょう。

    神風串呂には、日本民族が進むべき道が明確に示されています。今こそ、真実に目覚め、御神意に立ち返る時です。 この情報を一人でも多くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し上げます。

    なぜ天照大御神は、長きにわたり神風串呂を構築し、神皇正統家を顕彰されるのか? この問いに真摯に向き合い、串呂哲学の核心を学ぶことで、我々が今なすべき第一義が明らかになります。 そこにこそ、日本民族の再生と未来が懸かっているのです。

    神風串呂、そしてそこに示された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千年の歳月をかけて神風串呂を築かれた天照大御神の御心と、命を賭してその真理を解き明かされた三浦芳聖師のご労苦が、今こそ日本国と国民の幸せの礎となることを、心より願ってやみません。

    🟡祈り
    全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。

    🟡神風串呂を学びましょう!

    🟡バックナンバー(総合)


    出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


    著者 鈴木超世志のプロフィール
    中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
    串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ75才。
    串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

    著 書
    「神風串呂入門」
    「ここまで解った元伊勢伝承」
    「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
    「神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言」
    「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
    など多数

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    串呂哲学研究ノート
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    🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
    串呂哲学研究会 鈴木超世志
    ブ ロ グ 串呂哲学研究会
    メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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