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💟「濁川町」崇神天皇の負のカルマ-大王町と⛩️元 崇神天皇社との神風串呂2

    串呂哲学研究ノート

    🎀串呂哲学研究ノート第476号

    はじめに

    前号でご紹介した「御所市ごせし御門町みかどまち」が「大王町と⛩️元 崇神天皇社との神風串呂」上にあることを発見した事は、崇神天皇の神風串呂の解明を大きく進展させるものと思います。

    崇神天皇は海外からやって来た異民族の渡来王であると言っても、記紀を始めとする支配者に都合の良い歴史に眩惑げんわくされてきた多くの日本国民は信じないだろうと思います。

    しかし、瀬戸内市の⛩️元 崇神天皇社(靱負ゆきえ神社)に崇神天皇の皇居があったという事が分かれば、崇神天皇が海外からやって来たことを理解する端緒となります。そういう意味でも、当串呂線上に「御所市ごせし御門町みかどまち」を発見した事は、意義深いことです。

    さて、「御所市ごせし御門町みかどまち」は、小さな地名だからでしょうか、「Google.map」に地名の活字が乗っていません。

    地図を拡大しても出てきません。下記は拡大した御所市ごせし御門町みかどまちの「Google.map」です。

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    奈良県御所市御門町(Google.map)

    下記は「YAHOO!JAPAN地図」ですが「御門町」が記載されています。
    (この御門町内に「神宝医院」が存在することを記憶して置いて下さい。)

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    奈良県御所市御門町(YAHOO!JAPAN地図)
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    「神宝医院」(奈良県御所市御門町)


    「Google.map」の地図上で右クリックして、出て来た小画面の上から5番目の「この場所について」を左クリックすると「住所と最近閲覧した場所」が出て参ります。

    こうして右クリックした地点の住所が判明しますが、研究していた時には、地図上に確かに「御門町」の活字が有ったのです。

    画像
    奈良県御所市御門町

    🌷時間の経過と共に、地図上に記載される地名の活字が消えたり、新規に地名が追加されたりする「模様替え」(更新)は有ると思いますが、研究していた時には確かに存在した活字(御門町)が数日後、画像を作成する時には見当たらなかったのです。😖😆😥😭😟

    この「奇妙な現象」を善意にとらえますと、「串呂主宰神の天佑神助によって、研究中の時だけ奇跡的に活字が出ていた!」となります。

    🌷三浦芳聖師の著書には、串呂の虫と名付けられた玉虫色をした美麗な「霊虫」が飛んできて重要地文(地名)にとまったり、とまった地文から次の重要地文に向って歩き出したので、新串呂を発見したと記載されています。

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    ヤマトタマムシ(生き物図鑑)

    研究中のときだけ奇跡的に活字が見えた事を証明することはできませんが、そのように考える方が、こころ安らかに過ごせますので、「何者かの妨害か!」(言論弾圧)とかの邪推はせず、天佑神助という事にしておきます。🥰😄😃😉😁

    🌷この記事は前号の続きです。
    初めての方は、まず前号「崇神天皇の吉備国御所を表わす御所市御門町を発見!-大王町と⛩️元崇神天皇社との神風串呂」をご覧下さるようおねがいします。

    🟡崇神王権の負のカルマ
    🌷鹿島曻先生をはじめとする先師先人のご努力と、これまで解明された崇神天皇の神風串呂によって、崇神王権は、海外からやって来た渡来王権(征服王朝)であり、崇神天皇は扶余王依羅ふよおういりであることが、ほぼ確定的となったことから、今号は「崇神王権の負のカルマ」というテーマで考察したいと思います。

    🌷8世紀に、記紀の編集者によって支配者の都合の良いように偽造された、誤れる日本歴史を正さずして、日本国の再建はあり得ないと確信していますので、心を鬼にして、崇神天皇に代表される侵略的渡来王権の歴史を解明して参ります。

     
     
     
    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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