メインコンテンツへスキップ
見出し画像

💟明治天皇 南朝王孫説3-和田山町朝日を貫線-⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂2

    串呂哲学研究ノート

    🎀串呂哲学研究ノート第498号

    前号では、「⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂」上に、明治天皇が南朝 松良天皇の王孫であることを彰示する超的確なる地文「松尾 南松尾山」が貫線していることをご紹介し、三浦芳聖師が解明した「明治天皇 南朝 松良天皇 王孫説」を補強することができました。

    松尾 南松尾山-⛩️明治天皇伏見桃山陵-⛩️皇大神宮内宮

    松尾=松良天皇の王孫

    しかし、これだけでは「松尾 南松尾山=松良天皇の王孫」であると断定できませんので、この地文が「明治天皇 南朝 松良天皇 王孫説」を彰示することを重ねて解明して参ります。

    画像
    ⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂(Google.map/縮尺約40万分の1)
    画像
    ⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂(Google.map)

    この記事は、前号からの続きです。
    初めての方は、まず下記をご覧下さるようご案内します。

    ⭐明治天皇の神風串呂について(2)

    昭和42年(1967年)5月30日の三浦皇統家の月次祭中に三浦芳聖師が被こうむった、御祖大神みおやのおおかみからの御神示によって、

    明治天皇は、満良親王の王孫ではなく、松良天皇の第四皇子 光良みつなが親王の王孫である事が判明したのでした。

    画像
    明治天皇(1852年-1912年)

    ☀️神皇正統家の略系図

    画像
    三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 序文

    これは、奇跡そのものであり、三浦芳聖師の超能力がなければ明らかになる事はなかったであろうと思われます。

    こうして、三浦皇統家の金枝玉葉であると判明した明治天皇に、無上の親近感を覚えた三浦芳聖師は、月次祭の後、道場に国土地理院発行の20万分の1の地図を敷いて参列中の門人らと共に明治天皇の串呂の研究にとりかかりました。

    研究開始に先立って、地図の上に正座した三浦芳聖師が「先ほど御神示にあった『光良親王』を彰示する地文をお示し下さい!」と一心に祈念すると、玉虫色をした美麗な昆虫が、どこからともなく飛んで来て地図上に止まったのでした。

    画像
    ヤマトタマムシ

    「串呂の虫かんろのむし」と名づけられた昆虫が飛来して、三浦芳聖師に重要地文の教示があったのは、これが初めてのことではなかったようですが、藤原彦人(石山/丸山)氏をはじめ、門人多数が居並ぶときに飛来して来たのは空前絶後のことでした。

    (この時、三浦芳聖師の言説が妄想ではないことが証明されたのです。)

    三浦芳聖師の身辺で奇跡的な現象が起きることは日常茶飯事といってもよい事でしたが、このとき「串呂の虫かんろのむし」を実際に現認した参列者は、さぞや驚いたことであろうと想像できます。

    これこそ正に「大本教の御筆先」にある「栄え三浦の皇統家は・・・神国の神代の姿備はりて・・・」とある「神代さながらの奇跡」でした。

    🎯三浦芳聖師が「串呂の虫かんろのむしが止まった所」を確認すると、島根県鹿足かのあし郡吉賀町よしかちょう注連川しめがわの「光長みつなが」でした。

    吉賀町よしかちょうとは、後醍醐天皇の御陵のある「吉野山(南朝)の流れを賀す」という意味です。

    画像
    島根県鹿足郡吉賀町注連川「光長」(国土地理院地図)
    画像
    島根県鹿足郡吉賀町注連川「光長」(地図マピオン)

    この「光長」は、「光長遺跡(みつながいせき)」があるところです。

    🔶光長遺跡(みつながいせき)は、島根県鹿足郡吉賀町注連川光長に位置する弥生時代から古墳時代にかけての散布地遺跡です。

    この劇的な「光長」の発見を契機に、明治天皇の串呂が次々と解明され、その当時の状況は三浦芳聖著「神風串呂」(1967年7月号)に詳述されています。

    その後「明治天王(睦仁親王)の神風串呂」(昭和45年/1970年/2月発行)として公開されています。

    💝明治天皇の串呂研究の一環として、「光長」(島根県鹿足郡吉賀町注連川)を至点とした串呂も研究して見たいと考えています。🌈


    🍀ご案内

    ✅当ブログは、メンバーシップ(会員制)を採用しています。SNS規制によって重要事項の詳細を一般公開できないからです。

    神風串呂を本格的に学習したいと思われる方は、スタンダードプラン、マスタープランへのご登録をお勧めします。

    ⭕神風串呂を本格的に勉強する後継者の出現を期待しています!

    🟡神風串呂を学びましょう!

    🟡バックナンバー(総合)

    🟣情報拡散のお願い
    神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
    🌷この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

    三浦芳聖師が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

    🌷串呂主宰神 天照大御神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

    ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

    2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

    🌷神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

    神風串呂の主宰神は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
    一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

    画像

    ❇️⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂2

    💞明治天皇 南朝王孫説

    ☀️和田山町

    前号では「松尾 南松尾山」に光を当てて「明治天皇 南朝(松良天皇)王孫説」を補強することが出来ました。

    「⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂」は、「明治天皇 南朝王孫説」を彰示する神風串呂であるようです。

    この串呂を概観中、下記の様に、⛩️明治天皇陵を起点にして、「⛩️内宮と⛩️明治天皇陵」、「⛩️明治天皇陵と和田山町朝日」の両間隔がほぼ等距離(約100km)であることに気がつきました。

    和田山町-(等距離およそ100km)-⛩️明治天皇陵-(等距離およそ100km)-⛩️皇大神宮内宮

    画像
    ⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂

    💞この現象は、神風串呂の構築技法の一つであり、串呂主宰神 天照大御神の、この串呂への並々ならぬ思い入れを認識することが出来るのであります。

    「和田」とは、松良天皇の符号であり代名詞ですので、「松尾=松良天皇の王孫」説を補強しています。

    和田山町-松尾 南松尾山-⛩️明治天皇陵-⛩️皇大神宮内宮

     
     
     
    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

    あなたへのおすすめ