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💟天照大御神の言い分-人の振り見て我が振り直せ!

    串呂哲学研究ノート

    🎀串呂哲学研究ノート第372号

    現在、中東で起きている「イスラエル国」と「ハマス」の争いは、我が国の歴史を理解する上で、非常に参考になる恰好かっこうの教材です。

    「イスラエル国」が、平和に暮らしていたパレスチナに武力侵攻して建国したように、西暦3世紀末年頃、扶余王依羅いり(ミマキイリヒコ=崇神すじん)が率いる武装した軍団(数千人)がやって来て、吉備の国(岡山市瀬戸内市長船町長船天王の靱負神社)に駐留したのです。

    「桓檀古記かんだんこき」の中の「渤海国史ぼっかいこくし」(大震国本紀だいしんこくほんぎ)に、扶余ふよ国王依慮いりょの子「依羅いりが倭王になった」という記述があります。

    正州は依慮いりょの国都とする所なり、鮮卑せんぴ・慕容廆ぼよう かいのために敗られ、憂迫ゆうはくして自裁せんとし、忽たちまち念ず。「我が魂、尚なお未だ泯ほろびざれば、則ち何ぞ往いきて成らざらんか」と。

     密ひそかに子・依羅いりに噣ゆだね、白狼山はくろうざんを踰こえて夜海口かいこうを渡らしむ。従う者数千、遂に渡り倭人を定めて王と為る。自ら三神さんじんの符命ふめいに応ずと為すを以て、群臣をして賀儀がぎを献ぜしむ。或いは云う「依慮王、鮮卑の為に敗られ、逃れて海に入りて還かえらず。子弟走りて北沃沮よくそを保つ。明年、子・依羅立つ。事後、慕容廆、また復び国人を侵掠しんりゃくす。依羅、衆数千を率い、海を越え遂に倭人を定めて王と為る」と。

    渤海国史「大震国本紀」

    太康6年(285年)、鮮卑せんぴ慕容部ぼようぶの慕容廆ぼよう かいに襲撃され、王の依慮が自殺、子弟は沃沮に亡命した。

    『夫余#西晋時代- Wikipedia』

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    【参照】🔴崇神天皇と夫餘(佃 収)pdf


    この依羅いり(ミマキイリヒコ=崇神)は、その後、土着の勢力を糾合きゅうごうして大軍団となり、徐々に東遷とうせん(東征)して大和地方を制圧占領し、平和に暮らしていた「豊葦原の国(富士王朝)」を滅亡させ、富士山麓の不二阿祖山大神宮でお祭りされていた三種みくさの神宝かんだからを近畿地方に奉遷ほうせんさせて宮城に納めたのです。(「神皇紀」人皇の巻-崇神天皇)

    武装した軍団といえば聞こえが良いのですが、血に飢え、権力欲に取りつかれた強盗集団で、「豊葦原の国(富士王朝)」を背乗りして「大王おおきみ」を名乗ったのです。

    🔴これを分かりやすく譬たとえるなら、ある日、平和裏に生活していたあなたの家に、完全武装した強盗集団が襲ってきて、抵抗する者は皆殺しにされ、家名も財産も祭祀権も奪われ、あなたの家が乗っ取られたとしたら、あなたは許せますか!ということなのです。

    パレスチナの人々が、「イスラエル国」の武力侵攻を許せないのと同じように、「豊葦原の国」の初代神皇である天照大御神を始めとする富士王朝の皇祖神たちが、

    🔴ミマキイリヒコ(崇神)らの暴挙を許すことは出来ない!


    と仰おおせになるのは当然であります!

    「豊葦原の千五百秋ちいほあきの瑞穂国は、これ吾あが子孫うみのこの王きみたるべき地くになり」

    この神勅が天照大御神の御神意であります。

    天照大御神は、この異民族の守護神に祭り上げられる事を嫌って、崇神天皇が建立した笠縫かさぬいの里の⛩️皇大神宮を出奔しゅっぽんされ、京都府福知山市大江町の元伊勢内宮を皮切りに、各地を巡行され、

    何時の日にか地文学(神風串呂)を以て大御神の嫡皇孫が誰であるかを明らかにしようとお考えになられ、密かに元伊勢クシロ(串呂)を構築されたのであります。

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    天照大御神の嫡皇孫家は、富士大宮司・三浦氏の嫡孫「佐久姫」と後醍醐天皇から三種の神器を継承した「大宝天皇」の血統が撚より合わされた三浦皇統家であります。

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    🟡日本国を救う道はただひとつ

    伊勢神宮の天照大御神は崇神王朝によって滅ぼされた豊葦原の瑞穂の国(富士高天原)の神皇じんのうであり、崇神王朝に祟たたりをなした富士王朝の皇祖神である事を理解することが、日本の歴史の真実を知る要(かなめ)です。

    我が国の指導神霊であらせ給う天照大御神の御神意は、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬ごびゅうを糺ただす』により明らかとなっています。

    天照大御神の嫡皇孫家は、富士大宮司・三浦氏の嫡孫「佐久姫」と後醍醐天皇から三種の神器を継承した「大宝天皇」の血統が撚より合わされた三浦皇統家であります。

    この天照大御神の御神意に添い奉らない限り、日本民族の浮かぶ瀬は無いと知るべしです。天照大御神のこの御神意に添い奉ることを「天の岩戸開き」というのです!

    尊貴にして公明正大なる天照大御神には情実は通じませんし妥協だきょうもありません。

    豊葦原の千五百秋ちいほあきの瑞穂国は、これ吾あが子孫うみのこの王きみたるべき地くになり

    この神勅が天照大御神の御神意であります。

    この天照大御神の遺勅に反して、人為的に擁立ようりつされた大王おおきみを奉戴ほうたいしていては天佑神助は得られません。

    🔴天佑神助の条件

    かつて天照大御神が「日本国政府の三権の長(内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁判所長官)が三浦皇統家に参内して国家を救って下さい!と懇願しなければ、天佑神助はあり得ない!この条件が整うまでは大戦防祭祀を行う事を禁ずる!(要旨)」と明言されましたので、

    三浦芳聖師は、世界平和を実現する神界伝法の秘法祭祀を厳修することが出来ませんでした!

    日本国を救済するためには、「三浦皇統家」の嫡皇孫に、御鏡を同床共殿にお祭りして頂き、国家のシャーマン(スメラミコト)を勤めて頂き、天照大御神に天佑神助をお願いして頂くしか方法が無いというのが「私の持論」です。

    これは日本の真の権力者が決断すれば、今すぐにでも実現可能な事であります。

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    三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

    🔴神風串呂を学びましょう!

    🟡バックナンバー(総合)



    🟠情報拡散のお願い

    この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

    三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

    串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

    ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

    2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

    神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

    神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

    一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

    神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

    出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

    著者 鈴木超世志のプロフィール
    中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
    串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ74才。
    串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

    著 書
    「神風串呂入門」
    「ここまで解った元伊勢伝承」
    「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
    「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
    など多数

    ブログ
    串呂哲学研究ノート

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    🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
    串呂哲学研究会 鈴木超世志
    ブ ロ グ 串呂哲学研究会
    メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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