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💟神鏡は石鏡であった事を昭示するーー-⛩️皇大神宮内宮と⛩️橿原神宮の神風串呂

    串呂哲学研究ノート

    🎀串呂哲学研究ノート 第17号

    1、神宝御鏡は最初は石鏡であった!

    志摩半島の北東端、三重県鳥羽市に石鏡いじかという地名が有ります。日本国内唯一の珍しい地名です!

    石鏡(いしかがみ)とは、冶金やきん術の未発達な太古、石を磨いて作った鏡のことだと思います。

    鏡作連(かがみづくりのむらじ)らの祖おや、石凝姥命(いしこりどめのみこと)という名前が伝承されているように、史上最初の鏡は石鏡であったようです。

    三浦芳聖師によって、三種の神器の中の最も重要とされる神宝御鏡みかがみは、最初は石鏡であったことを昭示する串呂が解明されていますので、ご紹介します。

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    御鏡は石鏡だった事を昭示する神風串呂

    三浦芳聖師は、八大串呂起点であり、串呂主宰神である天照大御神を祭神とする⛩️皇大神宮内宮と初代天皇である神武天皇を祭神とする⛩️橿原神宮(かしはらじんぐう)とを串呂すると次のようになると述べています。

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    三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」50頁

    ⛩橿原神宮(橿原市)-西山(宇陀市大宇陀)-大神(宇陀市菟田野)-⛩皇大神宮内宮(伊勢市)-石鏡町(鳥羽市) 

    (三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」50頁)

    【地文のみ掲載】
    ⛩橿原神宮-西山-大神-⛩皇大神宮内宮-石鏡町

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    ⛩橿原神宮と⛩皇大神宮内宮とを結ぶ神風串呂(google.map)

    【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
    (1)橿原神宮(かしはらじんぐう、奈・橿原市畝傍町)

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    橿原神宮

    神武天皇を祭神とする元官幣大社。⛩️橿原かしはら神宮は、祭神・神武天皇が畝傍山うねびやまの東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址みやあとと推察できる所に、明治23年(1890年)4月2日に創建された元官幣大社。

    現在も、毎年2月11日に勅使が参向して例祭(紀元祭きげんさい)が行われている。

    古事記や日本書紀で初代天皇とされている神武天皇が、橿原宮かしはらのみやで即位された時、三種の神器を天窓に捧げて高御座(たかみくら)におつきになったと伝承されています。即位の典礼は、天照大御神がそのようにお決めになったのだそうです。(「神皇紀」)

    ただし、この⛩️橿原神宮が、往昔、神武天皇が即位した真の橿原宮かしはらのみや跡であったかどうかは別問題です。

    🟡『ウィキペディア(Wikipedia)』橿原神宮

    橿原神宮
    奈良県橿原市畝傍町(地図マピオン)

    (2)西山(にしやま、奈・宇陀市大宇陀)
    日は西山に没するというように、太陽(大日=天皇)が天之岩戸籠りするという地文。大神の御霊代である石鏡は西山にある。即ち石鏡は天之岩戸籠り中であると解釈します。

    三輪義熈 著『神皇紀』によれば、山梨県富士吉田市の富士谷には神武天皇以前に、古代王朝(富士高天原)があり、天都、不二阿祖山太神宮(ふじあそやまだいじんぐう)には、「三品の大御宝」(三種の神器)が納められていた。

    神武天皇になるまでは、即位の大典は天照大神の遺勅に基づき、この富士山麓の天都で行われていたが、神武天皇はこの旧規を破り、自ら富士に出向いて神器を拝受することをやめ、阿祖山大宮司に神器を持参させ、橿原神宮で神器を拝受し即位式を行ない、終わると神器を阿祖山太神宮に返納する制度に改めた。(加茂喜三『富士王朝の滅亡』22~23頁要約)

    以下は、私の想像で申し上げているのですが、天照大神をはじめとする皇祖神は、神武天皇の遺勅をご不満に思われ、人皇百代で天之岩戸籠りとすることを御計りになられた。

    それが「西山」で表わされているのではないでしょうか。

    そうでなければ、この即位を賀すべき目出度い串呂に「西山」が存在する意味が理解できないのです。

    大宇陀西山
    奈良県宇陀市大宇陀(地図マピオン)

    (3)大神(おおがみ、奈・宇陀うだ市菟田野うたの)

    天照大神をあらわす。

    大神は、いろんな解釈が出来ますが、ここでは天照大神をあらわすと解読するのが最も適切だろうと思います。

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    菟田野大神(奈良県宇陀市)

    (4)皇大神宮内宮(こうたいじんぐうないくう、三・伊勢市宇治館町) 

    皇祖天照大御神をお祭りするわが国二所の宗廟の一つで八大串呂起点のひとつ。天照大御神は、串呂哲学・神風串呂の主宰神。

    第11代垂仁天皇の第4皇女の 倭姫命(やまとひめのみこと)が、八咫鏡 を奉戴して、大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を巡回する道中で、神風串呂で重要地文とされる、京都府福知山市大江町「内宮」(元伊勢神宮)、三重県三重郡菰野町の「御在所山」などの地名が命名された事蹟が明らかになっていることから、 天照大御神を始めとする日本神界の神々が神風串呂に大きく関与していることは明らかであります。

    【参照】皇大神宮内宮を起点とする神風串呂 (№110)


    (5)石鏡町(いじかちょう、三・鳥羽市)

    石鏡町は、神宝「御鏡」をあらわす地名です。石鏡町は、ここだけの日本国内唯一のユニークな地名です!

    石鏡は、三種の神宝のひとつである「御鏡」が、元来は石で作られていたことを如実に示していると思います。それは、石凝姥(いしこりどめ)命が、鏡作連(かがみづくりのむらじ)らの祖とされることからも伺われます。

    古典には、この「御鏡」は、天岩屋に身を隠した天照大神を天岩屋からお出まし願うために、「いしこりどめのみこと」(石凝姥命・日本書紀、伊斯許理度売命・古事記)が作ったと書かれています。

    この「御鏡」は、一説には、石を磨いて作った「石鏡」とする説。また一説には、石の鋳型を使って鋳造した銅鏡であるとする説などがありますが、この串呂によって石鏡であったという説が有力になったわけです。

    伊斯許理度売命を祀る主な神社には、鏡作坐天照御魂神社(奈良県磯城郡) が有名であります。

    『古事記』では伊斯許理度売命、『日本書紀』では石凝姥命または石凝戸邊命と表記されています。              

    【参照】『ウィキペディア(Wikipedia)』イシコリドメ

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    三重県鳥羽市石鏡町(地図マピオン)

    この神風串呂の解釈と哲学的考察

    古事記や日本書紀で初代天皇とされている神武天皇が、往昔、橿原の宮で即位されたとき、天照大御神より代々継承された三種の神器を天窓に捧げて高御座(たかみくら)におつきになられたと伝承されています。

    その神器の中の最も重要とされる「御鏡」は石鏡であったことを昭示する神風串呂です。

    また、それまでは天照大神の遺勅によって、天都、不二阿祖山太神宮で即位することになっていた規約を守らず、橿原の宮で即位されたことで、人皇百代で天の岩戸籠りとなったことが「西山」で表わされているのではないかと思います。

    『ウィキペディア(Wikipedia)』神武天皇

    この串呂は、国土地理院発行の20万分の1の地勢図「和歌山」「伊勢」をつなぎあわせると確認することが出来ます。みなさんも実際に串呂を引いて見てください。


    大神の御霊代である石鏡は西山にある(上級編)

    橿原神宮-西山(宇陀市大宇陀)-大神-皇大神宮内宮-石鏡町

    この串呂は、三浦芳聖の別の著書では、上記の様に橿原神宮と大神の間に、宇陀市大宇陀西山という地名が載っています。地図で確認できますように、この西山の西側には西山岳という山岳が存在しています。

    大宇陀西山
    奈良県宇陀市大宇陀(地図マピオン)

    この串呂は、大神の御霊代である石鏡は西山にある。即ち石鏡は天之岩戸籠り中であると解釈します。

    この「西山」は、延命長寿法を昭示する神風串呂 (№16)でご紹介しました下記の「西山」(宇陀市大宇陀)です。

    「⛩️多賀大社-西山-助命-西山(宇陀市大宇陀)-⛩️後醍醐天皇塔尾陵-山西-三浦」(西山三串の絶対確証の神風串呂)

    この二つの串呂は、縦と横で交差していますが、その交差している地文が「西山」(宇陀市大宇陀)です。

    「西山」は、「延命長寿法を昭示する神風串呂 (№16)」でご紹介しましたように、神皇正統の天皇(大日)が、後醍醐天皇を最後に西山に没し、天の岩戸篭り中であることを昭示しています。

    大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 2(№10)の「5、なぜ西山聖地なのか!」で、私は下記の様に述べました。

    三浦芳聖は、「西山聖地」と呼んでいますが、その理由はこの兵庫県加西市青野の「西山」では信じられないような超常現象が起きたからであります。

    瀧川宗勝著『勅語信仰の体験』にも出ていますので、興味のある方はぜひ読んでください。(京都府立図書館蔵、時々古書店から出ています。)

    超常現象が起きた理由は、畏れ多くて、ここでは申し上げられませんが、「岩戸山」という地文がそれを表しています。いずれ改めて詳しく述べるつもりですが、今回は、長慶院法皇の御製を掲載してお茶を濁します。

     星うたふ 声にもしるし ちはやぶる 神の鏡は ただここにます 

                   (南朝五百番歌合・天授元/1375年)

    『勅語信仰の体験』の発行された昭和10年(1935年)頃、兵庫県加西市青野町の「西山」で信じられないような超常現象が起きた理由は、大神の御霊代である石鏡が青野町の西山にあったからです。

    付記「大和町」を串線

    この串呂を東西に延長して見ましたところ、広島県三原市「大和町」の北部、東広島市の「豊栄町」、安芸高田町の「八千代町」などを串線していました。時間が有ったら、詳細に調べるつもりです。


    🟡読者の皆様に!

    【神風串呂】は、皇祖神・天照大御神が日本民族に授けられた、目に見える啓示であり、二千年の時を超えて今、私たちの前に顕れた「神の言葉」です。

    このページに辿り着かれた貴方様とのご縁に、心より感謝申し上げます。 本記事は、天照大御神の御神意を体現し、地上に遣わされた神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が創始された「串呂哲学(神風串呂)」の真髄をお伝えするものです。

    『神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言』が明かすように、我が国が「天皇を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぐ王政」を未来に継承したいと願うならば、皇祖神の御神意に添い奉る道を選ばねばなりません。 さもなくば、我々はこのまま異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳と特性を失い続ける危機に直面し続けるでしょう。

    神風串呂には、日本民族が進むべき道が明確に示されています。今こそ、真実に目覚め、御神意に立ち返る時です。 この情報を一人でも多くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し上げます。

    なぜ天照大御神は、長きにわたり神風串呂を構築し、神皇正統家を顕彰されるのか? この問いに真摯に向き合い、串呂哲学の核心を学ぶことで、我々が今なすべき第一義が明らかになります。 そこにこそ、日本民族の再生と未来が懸かっているのです。

    神風串呂、そしてそこに示された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千年の歳月をかけて神風串呂を築かれた天照大御神の御心と、命を賭してその真理を解き明かされた三浦芳聖師のご労苦が、今こそ日本国と国民の幸せの礎となることを、心より願ってやみません。

    🟡祈り
    全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。

    🟡神風串呂を学びましょう!

    🟡バックナンバー(総合)


    出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


    著者 鈴木超世志のプロフィール
    中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
    串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ75才。
    串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

    著 書
    「神風串呂入門」
    「ここまで解った元伊勢伝承」
    「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
    「神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言」
    「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
    など多数

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    串呂哲学研究ノート
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    🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
    串呂哲学研究会 鈴木超世志
    ブ ロ グ 串呂哲学研究会
    メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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