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もし今日が、人生最後の日だったら

    キューリング恵美子

    一度、大きな病気をしたとき、私は心の底から思いました。

    「死にたくない。まだ生きたい」

    何より、子どもたちのために生きたいと思ったのです。子どもたちが成長していく姿を、もっとそばで見ていたい。その一心で治療を受け、病気は寛解し、私は今もここにいます。

    今日、「もし今日が人生最後の日だったら」というお題を目にして、ふと立ち止まりました。

    一年前までの私は、亡くなったあとの世界とは、どのような場所なのだろうと、ときどき考えていました。人の話を聞いたり、少し興味を持ったりすることはあっても、お化けや幽霊のような怖いものが苦手で、深く知ろうとはしませんでした。

    死ぬことは、やはり怖いことでした。

    けれど、大好きで、私の生きがいでもあった母が、あまりにも突然この世からいなくなってしまってから、私の中で何かが変わりました。
    こんなことを言うと、不思議に思われるかもしれません。
    私は、以前ほど死ぬことが怖くなくなったのです。

    いつか私がこの世を去るとき、あちらの世界で母が待っていてくれるような気がするからです。

    「よく頑張ったね」

    そう言って、母が迎えに来てくれる。
    そう思うと、死はただ恐ろしいだけのものではなく、いつか母にもう一度会える場所へ向かうことのようにも感じられるようになりました。

    もし今日が人生最後の日だとしたら、私は何をするだろう。

    誰かに必死で会いに行ったり、慌てて何かを成し遂げようとしたりはしないと思います。おそらく、いつものように静かに、ゆっくりと一日を過ごすでしょう。ただ、子どもたちには心の中で、こう伝えたい。

    「これからも、楽しく、充実した人生を生きてね」

    子どもたちが泣く顔は見たくありません。だから、もしかしたら会いにも行かず、電話もしないかもしれない。別れの言葉さえ、伝えられないかもしれません。
    それでも心の中では、ありったけの愛を送りたい。

    あなたたちが私の子どもでいてくれたことが、どれほど幸せだったか。あなたたちがいたから、私は病気になったときも、生きることを諦めずにいられたのだと。

    私が大切にしているのは、一瞬一瞬を大切に生きること。そして人生の最後に、「ああ、楽しかった」と言えるような、後悔のない生き方をすることです。

    だから、もし今日が最後の日だったとしても、特別な何かを探しに行くのではなく、いつもの一日を、いつも以上に心を込めて過ごしたい。
    大切な人たちへの感謝を胸に、残された時間を穏やかに過ごし、静かに最後の瞬間を迎えたいと思います。

    怖がらず、慌てず、ただ静かに。
    迎えに来てくれるであろう母を待ちながら。

    「お母さん、もう一度会えるね」

    そして最後に、こう言えたなら。

    「私の人生、いろいろあったけれど、楽しかった」

    そう思える人生を生きるために、私は今日という一日を、これからも大切に重ねていきたい。


     
     
     
    ドイツ流生き方の研究家・ドイツ暮らしが教えてくれた生き方を発信。頑張りすぎない働き方と心の余白、日常の気づきを綴ります。読むことで、自分らしい人生の選択が見えてきます。がんサバイバー。著書『ドイツ人はなぜ自己肯定感が高いのか』(小学館新書)。新刊12月刊行予定。

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