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「こわい」ということ

私は4〜5年くらい前に、山奥に瞑想の修行に行ったことがある。

修行をする10日間のうちの9日間は参加者と話すことも、目を合わせることも禁じられているのだが、最後の1日だけは解放日みたいな形で、全員と話して良い日になっていた。

そこで仲良くなった同年代の女の子がいた。
その子とは、ご飯を食べるスピードとか、修行のペースがほとんど同じで、自分と同じゆっくりな感じにすごく親近感を感じていた。

同じタイミングで一緒になることが多いため、向こうも何となく私のことを意識してくれているような感じで、修行の中の9日間は、話せなくてもなんとなく通じ合えているような感覚があった。

向こうもそう感じてくれていたようで、ついに最後の解放日、お互いに名前を伝え合い、二人っきりで過ごすことになった。本当に色んな話をした。


その子は少し前まで、マントラを唱えるまじないで生計を立てて暮らしており、人のことを占ったり、見抜いたり、悩みを癒やしてあげることにとても長けていた。

でも人の悩みを癒やす仕事は、相手の重みを背負うことでもあるからそれで病んでしまい、今はそういうことはしていないと話してくれた。


様々な話を、お互いひっきりなしに話す。
その中で、私がぽろりと「生きてて怖いことが沢山あるんだよね〜」と何気なく言った。

その一言を言った瞬間、その子の話を聞いていた姿勢、身に纏う雰囲気が変わった。


そして、
 
 

「何が、怖いと思うの?」 



と声音を変えて伝えてきた。



その時、「あ、これがこの子の仕事だったんだな」と思った。 

私にとって「怖い」ということが、どれほど大切なことなのか、その子は見抜いたのだ。



恐怖が消えればどれほど生きやすくなるだろうかと思うことがあるけれど、でも「怖い」「畏れ」「近づいてはいけないもの」が私は大好きだ。

例えば、「死後の世界」は怖いけれど、とてつもなく惹かれる。

「死後の世界」は死なない限り、近づくことを許されない。その距離にどうしても惹かれる。
私が私でなくならない限り、踏み入ることはできないから。


だから私は、夜の海の、今にも吸い込まれて自分がどこかへ行ってしまうんじゃないかと錯覚させてくれる感じがとても好きだ。

ずっとずっと見ていたら、このまま海ごと夜に呑み込まれてしまうかもしれないと思うと、一番、その世界に近づくことができているかもしれないと感じるから。



怖いことは日常にたくさんあって、基本的には怖いから、なくなってほしいと感じる。

でも時折、自分を大きく包み込んでくれる特別な「恐怖」があって、私はそのために生きているし、それは、つめたくもあり、あたたかくもあり、掴みどころがなくて、死んでしまうまでになるべく近づきたいと思ってしまう。

私が生きてから死んでいき、その先のことまでの全てを包み込んでいるような、大きなもの。



その瞑想の修行では、勝手にお腹がへこんだり、少しだけ身体全体に熱い電気が走るような不思議な感覚を感じたりすることはできた。

でも、一番怖かったのは、「何が、怖いと思うの?」と、その子に聞かれた時のまなざし、声音、身体の雰囲気、その全てだった。


あの子は今、どこで何をしているだろうか。
 



#創作大賞2026 #エッセイ部門


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