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パリの路上で、「愛とは何か」と聞かれて。

「あなたは愛についてどう思いますか?」
Qu’est-ce que vous pensez de l’amour en général?

いきなり、街の中でおじいさんに声をかけられた。

さすがは、パリである。

35度の熱波。
針のような日差しが突き刺さる道路で、私は思わず足を止めた。

まずはフランス語で答えを探そうとする。
けれど、言葉がなかなか出てこない。

……いや、そもそも日本語でもわからない。

愛についてなんて、これまで深く考えたことがなかったからだ。

正直に、「私には難しすぎて、まだよく理解できていないものです」と答えた。

すると、おじいさんは少しだけ寂しそうに、
「そうかい」と笑った。

この出来事が、なぜだかずっと頭から離れない。

この質問に、自信を持って答えられる日は来るのだろうか。

ところで、少し前までの私はなんとなく働き、休日は予定を隙間なく詰め込んでいた。

予定が埋まっていると安心した。
誰かと会って、
何かを買って、
次の予定へ向かっている間だけ、「ちゃんと人生を楽しんでいる自分」を確認し続けていた。

気づけば、「何もしない時間」が怖かった気がする。
立ち止まってしまったら、自分が空っぽだと気づいてしまいそうだったからかもしれない。

だから、セーヌ川沿いで何時間もぼんやりしている人たちを見た時、不思議に思った。

どうしてこの人たちは、
こんなに満たされて見えるんだろう、と。

考えてみたら、お金を使わずに人生を楽しむ方法を、この国の人はよく知っている気がする。

例えば、友人と会うとなると、「じゃあピクニックをしよう」となる。

街には芝生のある公園や、気軽に腰掛けられるセーヌ川沿いがあって、みんな食べ物やお酒を持ち寄り、思い思いの時間を過ごしている。

夕暮れになると、オレンジ色の光が川沿いをゆっくりと染めていく。

おしゃべりをしている人。
ワインを飲む人。
ただぼんやり座っている人。

誰も、生産的なことをしていない。

でも、その時間は、私が必死に埋めていた予定より、ずっと豊かに見えた。

公園で本を読んでいる人も多い。
「本を読んでいる自分」をSNS用に撮影することもなく、ただ静かに、自分だけの時間を楽しんでいる。

私は、その飾らない姿がたまらなく好きだ。

誰のためでもなく、自分のために時間を使うこと。
そして、その時間を丁寧に愛おしむこと。

「お金を使わなくても、満たされた時間は過ごせる」
恥ずかしながら、これまでの私は、「楽しいことにはお金がかかる」と、どこかで思い込んでいた。

本当の豊かさとは、お金をたくさん持っていることではなく、目の前の人生を楽しむ余白を持っていること、なのかもしれない。

私も、そんな時間を人生の中で増やしていきたい。

ある日、廃棄されるはずの食品を安く購入できる「Too Good To Go」というアプリを使ってみた。

その日お店に残ってしまった食べ物を、ランダムに詰めてくれる仕組みで、まるで福袋みたいに「今日は何が入っているんだろう」と少しワクワクする。

少し量が多いので、一人だと食べきれないこともあるけれど、今は余ったら「これ食べて!」と同居する友人たちに渡せる環境なのもありがたい。

お店へ行く前、「パンの袋を受け取りに来ました」というフランス語を、頭の中で何度も練習した。

そして、いざ実践。

……しかし、レジで店員さんに「アレルギーはある?」と想定外のフランス語を優しく聞かれ、一瞬フリーズしてしまった。

言葉はまだ全然追いつかない。
こうして少しずつ、この街の日常に混ざっていけたらいいなと思う。

袋いっぱいに入ったパンを頬張りながら思う。

ここで見てきたものはどれも、「今あるものを大切に、知恵を使って暮らす」という感覚の延長線上にあるのだ、と。

別の日、友人が「買い物に行く」というので、ついていってみた。
すると彼は、空の洗剤ボトルやガラス瓶をマイバッグへ入れ、「さあ行こう」と言った。

連れていかれたのは、いかにもBIO(オーガニック)な空気が漂うお店。

巨大な容器がずらりと並び、友人は蛇口をひねって、持参した空ボトルへ洗剤を詰めていく。彼はそれから、今度は持ってきたガラス瓶を取り出して、好きな分だけオリーブオイルをリフィルした。

「洗剤も、オリーブオイルも、こうやってリフィルするの!?」

初めて見る光景に興奮する私へ、彼は笑いながらこう言った。

「日本は、プラスチックを使いすぎだね」

この一週間の出来事を、頭の中でぐるぐると考えてみた。

フランスではもちろんビニール袋は有料だし、マイバッグ持参が当たり前なので、そもそも店員さんから「袋は要りますか?」という声掛けすらない。
野菜や果物は基本むき出しで、自分で量って買う。

日本にいた頃、当たり前のように見ていた「バナナが一房ずつ綺麗に包装されている光景」が、急に少し不思議なものに思えた。
パンだって、シンプルな紙袋にそのまま入れてもらうだけだ。

フランスへ出発する日に、「フランスには使いやすいラップがないらしい」と聞き、これ見よがしにサランラップをスーツケースへ詰めてきた自分を、少し恥ずかしく思った。

友人家族は、洗って何度も使えるゴム製のフタを使っていた。

「便利」だけを追いかけるのではなく、「どうすれば長く使えるか」を考える。

そんな感覚が、この国には自然に根づいている気がする。

友人曰く、フランス人は、新しいものを次々に買い替えない人が多いらしい。
「古いものを使っていること」そのものに、どこか美意識がある気がする。

街中にブロカントや古着屋が多いのも、きっとその価値観の表れなのだろう。

先日、友人のアトリエへ連れて行ってもらった時のこと。
彼が着ていた味のある作業服は、かつてお父さんが実際に仕事で使っていたものだという。

腕を袖に通した途端、彼はなんだか誇らしい表情をした。
家族の歴史が、そのまま服の中で生きていた。

また、友人家族に買ってもらった冷風機も、フリマアプリで見つけた中古品だった。

売り主の家まで、直接受け取りに行く。
到着して驚いた。
そこには、まるで小さなお城のような豪邸があった。
大きな門の前で、上品なご夫婦が私たちを待っていてくれる。

薔薇の咲き誇る庭を横目に、冷風機の使い方を丁寧に説明してくれた。

「これで暑い夏も乗り越えられるわね」
私は語彙力のないフランス語で、「Merci」と返すことしかできなかった。

けれど、その時間はあまりにも穏やかで、優しくて、思わず「もう少しここにいてもいいですか」と言いたくなってしまった。

使わなくなったものを、必要としている誰かへ受け継いでいくこと。
物に対しても、ちゃんと敬意を払うこと。

そんな感覚を、私も忘れたくないと思った。



まだ、あのおじいさんに聞かれた「愛とは何か」の答えは出ていない。

けれど、目の前の小さな暮らし、
そして自分の周りにいる人たちや物までもを大切にしようとする、「知恵」や「余白」。

ぼんやりと風に当たっている時間や、
誰かが大切に使ってきた古い物に触れた瞬間、
ふと、何かを感じることがある。

何かを「所有すること」ではなく、
時間をかけて、大切に扱おうとする姿勢そのもの。

見せびらかすものではなく、
静かに生活の中へ溶け込んでいるもの。

今日もこの街では、
名前も知らない誰かが、
川沿いでワインを飲み、
本を読んでいる。

私はまだ、
「愛とは何か」を知らないまま。



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