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第一部 応仁の灰と朝廷の痩せた灯 第一篇 京、焼け跡の御所

    目次

    第一篇 京、焼け跡の御所

    第二篇 公家日記の細い筆

    第三篇 将軍の名、届かぬ命

    第四篇 官位を求める戦国大名

    第五篇 黒鏡、灰の中に未来の姫を見る


    雨が降るたび、京の土は古い火の匂いを吐き出した。

    戦がひとまず遠のいてから幾年が過ぎても、都は焼かれた記憶を捨てられずにいた。崩れた築地の下には炭化した柱が埋まり、雑草の根が黒い木片を押し上げている。そこを荷車が通れば、車輪に砕かれた炭が泥へ混じり、乾いた日には細かな塵となって人々の裾へまとわりついた。

    かつて公家の牛車が行き交った道には、屋敷の境を示すものさえ残っていない場所があった。門だけが立ち、門の向こうに家がない。庭石は残っていても、庭を眺めた人の名は失われている。井戸の縁には焼け跡から戻ってきた女たちが集まり、誰がどちらの陣営に米を渡したかという昔の争いを、もう話題にもせず水を汲んだ。

    恨みを抱えているだけでは、腹は満たせなかった。

    朝になると、御所の築地に沿った小路を、一人の公家が歩いていた。

    年齢は四十を越えたばかりだったが、痩せた頬と白くなり始めた髪のため、十歳ほど老けて見える。衣冠を整えるべき身分でありながら、今日の直衣は兄から譲られたもので、袖の内側には色の違う布が当てられていた。遠目には分からない。遠目で分からないことだけが、いまの朝廷を支えていた。

    男は懐を何度も確かめた。

    中にあるのは、薄い紙が三枚と、米一升を得るには足りない銭、それに昨夜削った墨の小片だった。公家の日記には、宮中で行われた儀式、参内した者、交わされた書状、天候や異変を記録する役目がある。けれども、紙も墨も無料ではない。

    書くべき一日は長く、書くための紙は三枚しかなかった。

    「今日は、雨だけで一枚を使いそうだ」

    誰に言うともなく呟くと、築地の崩れた箇所で遊んでいた子どもが顔を上げた。粗末な小袖を着た男児で、片手に焦げた木片を握っている。

    「雨は、昨日も降ったよ」

    「昨日の雨と今日の雨は違う」

    「どこが」

    男は答えに窮した。

    昨日の雨は西から来た。今日の雨は明け方に北から流れてきた。空の色も、風の冷たさも違っている。日記を書く者なら、それを記さなければならない。しかし、子どもの腹を満たすという点では、どちらも同じ雨だった。

    「昨日は屋根が漏れた。今日は桶を置いた。それが違う」

    ようやく答えると、子どもは納得したのかどうか分からない顔で笑った。

    「だったら、明日の雨には桶が二ついるな」

    男も少し笑った。

    笑うと頬が痛んだ。昨夜から、何も食べていなかった。

    子どもは焦げた木片で地面に四角を描き、その中に丸を書いた。御所のつもりなのか、昔の屋敷の間取りなのか、男には分からなかった。問いかけようとした時、内側から時刻を知らせるかすかな音が聞こえた。

    男は急いで門へ向かった。

    御所は残っていた。

    都の多くが焼け、武家の陣が寺院や公家屋敷へ入り込み、道の向こうとこちらで敵味方が入れ替わった時も、天皇の御座は完全には失われなかった。しかし、残っているという言葉は、傷ついていないという意味ではなかった。

    築地はところどころ補修され、屋根には新しい檜皮と古びた檜皮がまだらに並んでいた。渡殿の床板は足を置くたびにわずかに沈み、雨が強くなると、女房たちは几帳を濡らさないよう静かに移動させた。儀式に用いる調度の中には、戦乱の間に失われたものもある。足りない品は別の家から借り、古い裂を新しい木へ張り、遠くから見れば従来どおりに見えるよう整えられていた。

    朝廷は、遠くから見るために保たれているようだった。

    それでも、門をくぐった男は背筋を伸ばした。

    貧しさを理由に礼を崩せば、残っているものまで失われる。そう教えられて育ち、自分も若い者へ同じことを言ってきた。しかし最近では、礼を守るために人が痩せていくのか、人が痩せても礼だけを残そうとしているのか、時折分からなくなった。

    控えの間には、すでに三人の公家が集まっていた。

    一人は膝の上に書状を置き、何度も文面を読み返している。もう一人は濡れた袖を火鉢に近づけていた。最後の一人は、空の膳を前に座っている。何も載っていない膳にも、置くべき位置があるらしい。

    「届かなかったのですか」

    男が尋ねると、空の膳の前にいた公家は苦笑した。

    「届かぬのではない。来るのが遅れているのだそうだ」

    「米が、そのように申しましたか」

    「米は何も言わぬ。蔵人が言った」

    火鉢の前の公家が鼻で笑った。

    「言葉を整えれば、空腹も儀礼になるらしい」

    誰も声を上げて笑わなかったが、部屋の空気は少しだけ柔らかくなった。

    そこへ、年若い蔵人が小走りに入ってきた。息を切らしているものの、敷居の前では一度足を止め、形どおりに頭を下げた。

    「東国より使者が参っております」

    「どなたの使者だ」

    「官位について、内々のお願いがあるとのことにございます」

    部屋にいた者たちの表情が変わった。

    米は届かなくても、官位を求める書状は届く。

    戦乱によって街道が荒れ、関所が増え、旅人が野盗に襲われるようになっても、武将たちは京へ使者を送った。自らの領国では城を築き、兵を集め、年貢を取り立て、周囲の敵を討ち倒している者たちが、朝廷から授けられる官位を欲しがった。

    その官位に、彼らの軍勢を止める力はない。

    官職の名だけで、奪われた土地が戻るわけでもない。

    それでも彼らは求めた。

    実力で勝ち取った支配に、古い名前を重ねるためだった。昨日まで隣国の土豪にすぎなかった者が、朝廷の官位を帯びれば、家臣の前でも領民の前でも別の顔を持つことができる。武力が今日を支配するなら、官位はその支配が昨日から続いていたかのような由緒を与えた。

    公家たちは、そのことを理解していた。

    同時に、朝廷が彼らの献金や献上を必要としていることも、痛いほど知っていた。

    「御所の西の築地が、また崩れかけているそうだ」

    書状を読んでいた公家が小声で言った。

    「修理には、どれほど」

    「銭だけではない。木材も人足もいる」

    「その使者は、何を携えてきた」

    若い蔵人は答えにくそうに目を伏せた。

    「銭二百貫との話がございます。そのほか、米と絹も」

    誰もすぐには言葉を返さなかった。

    外では雨が強くなり、軒先から流れ落ちた水が庭の土を削っていた。御所の壁を守るために、地方の武将から財を受け取る。代わりに、朝廷はその者へ名を与える。

    支える者は、ただの臣下なのか。

    名を与える者は、なお支配者なのか。

    両者の間にあるはずの序列は、空腹と雨漏りの中で静かに形を変えていた。

    「お上は、ご存じなのか」

    男が尋ねた。

    「まもなく奏上される」

    「では、我らが先に算盤を弾いても仕方あるまい」

    そう言いながら、誰も銭二百貫という数字を頭から追い出せなかった。

    その頃、御簾の奥では、天皇が庭の雨を見ていた。

    庭には、古くから植えられていた梅が一本残っている。戦の間に枝を折られ、幹の一部を焼かれたが、春には少ないながら花をつけた。その花を見た女房の一人が、吉兆でございますと申し上げた。

    天皇はその時、何も答えなかった。

    花が咲いたことは喜ばしい。

    しかし、梅は朝廷のために咲いたのではない。傷ついた木が季節に従っただけである。それを吉兆と呼ばなければならないほど、人々が希望に飢えていることの方が、天皇には悲しかった。

    「東国より、使者が参っております」

    近侍の声が御簾の外から届いた。

    天皇は庭から目を離さなかった。

    「官位を望んでいるのか」

    「そのように」

    「代わりに、何を置いていく」

    問いかけた後、自分の声が思った以上に疲れていることへ気づいた。

    近侍は、銭、米、絹の量を申し上げた。

    天皇はしばらく黙っていた。

    官位は売り物ではない。朝廷の秩序を形にし、人を公的な位置へ置くためのものである。そのはずだった。しかし、その名を欲しがる武将から財を受けなければ、御所の築地さえ守れない。

    拒めば、朝廷は清らかでいられるかもしれない。

    その代わり、雨は容赦なく御所へ入り、儀礼は途絶え、仕える者たちはさらに飢える。

    受け入れれば、御所はしばらく保たれる。

    だが、名を与えられた武将は、自らの戦を朝廷の権威で飾るだろう。どこかの村を焼き、隣国を奪い、敗者の土地を支配する時、その官位を旗のように掲げるかもしれない。

    どちらを選んでも、御座に汚れは残る。

    「使者を待たせよ」

    天皇はようやく言った。

    「拒むのではない。だが、今すぐ答えるのでもない」

    近侍が退出した後、天皇は梅の木を見つめ続けた。

    折れた枝の先から、雨水が一滴ずつ落ちていた。

    御所の外では、先ほどの公家が濡れた渡殿を歩いていた。懐の紙へ、使者の到着と献上品の内容を書き留めるためである。

    墨をすり、筆を取ったところで、男は手を止めた。

    「東国より使者来る。官位を望む」

    そこまで書けば、事実としては足りる。

    しかし、その一行だけでは、空の膳も、崩れかけた築地も、天皇が返答を延ばした沈黙も残らない。地方武将の財を必要としながら、その武力を恐れている朝廷の息苦しさも、後世の者には伝わらないだろう。

    男は二行目を書こうとして、やめた。

    紙は三枚しかない。

    何を残し、何を捨てるかを決めなければならなかった。

    その時、渡殿の端に、見慣れない老人が座っていることに気づいた。

    白い髭を持ち、黒い布に包まれた丸いものを膝へ載せている。門を通った様子はなく、御所の者とも思えないのに、雨の庭を昔から知っている場所のように眺めていた。

    「そなた、どこから入った」

    男が声をかけると、老人は庭を見たまま答えた。

    「書かれなかったところから」

    「人をからかう元気があるなら、築地の修理を手伝われよ」

    「私が石を一つ積んでも、別の者が官位を一つ欲しがるだろう」

    老人の言葉に、男は眉をひそめた。

    「今の話を聞いていたのか」

    「聞かずとも見える。この御所は、壁より先に名によって支えられている」

    老人は膝の上の包みをほどいた。

    中から現れた黒い鏡は、雨空の光を受けても明るくならなかった。磨かれた面は深い井戸のようで、のぞき込めば自分の顔より先に、忘れたはずの何かが映りそうだった。

    「何だ、それは」

    「見たいものではなく、見落としたものを映す鏡だ」

    老人――竹内宿禰が鏡面を庭へ向けた。

    最初に映ったのは、焼けた都だった。

    崩れた屋敷、飢えた人々、官位を求めて京へ来る使者、返答を延ばす天皇。どれも男が知っている景色だった。

    しかし、鏡の中の御所には、まだ存在しない道があった。

    その道は遠い未来へ伸びている。幾重もの法、系図、儀礼書、婚姻の記録が両側に積み上がり、その先に一人の姫親王が立っていた。

    顔は見えない。

    装束の色も分からない。

    それでも、その人が皇統の内側に生まれた姫であることだけは、なぜか疑いようがなかった。

    姫親王の前には御座へ続く階がある。

    ところが、彼女が一歩を踏み出そうとすると、階の入口が見つからない。閉じられているのではなかった。彼女がそこへ進むことを、誰も想定していないため、最初から入口が作られていないのである。

    「どなたであられる」

    男は思わず尋ねた。

    「まだ名を持たぬ」

    竹内宿禰が答えた。

    「帝の姫宮か」

    「そうであるかもしれぬ」

    「なぜ、御座へ進めない」

    宿禰はすぐには答えなかった。

    鏡面では、官位を受けた武将たちが次々に現れた。誰もが男であり、彼らの名の後ろには父と祖父の名が続いている。系譜は一本の川のように描かれ、その川の外側に、数え切れない女性たちの名が小さく記されていた。

    彼女たちは血をつなぎ、家を結び、争いを止め、時には争いの理由とされた。

    しかし、正統が語られる時、その声は次第に小さくなった。

    「今日、あなた方が官位を与える武将は、あの姫を知らぬ」

    宿禰が言った。

    「その武将が、未来の姫の道を直接閉ざすわけでもない。だが、誰を公の主体として名づけ、誰の系譜を中心に置くか。その積み重ねは、遠い時代の入口の形まで決める」

    「それなら、今日の返答を変えればよいのか」

    「そう簡単ならば、黒鏡など必要ない」

    宿禰は少し悲しそうに笑った。

    「今この御所には、築地を直す銭が要る。儀礼を守る米が要る。使者を帰せば、別の困窮が待っている。歴史の囲いは、悪意だけで築かれるのではない。今日を生き延びるための正しい判断が、百年後には別の者の道を狭めることもある」

    男は鏡の中の姫親王を見つめた。

    彼女は怒っているようには見えなかった。

    悲しんでいるのかどうかも分からない。ただ、自分の前に入口がないことを確かめるように、何もない空間へ手を伸ばしていた。

    「この方のことを、日記へ書くべきでしょうか」

    「書けば、そなたは嘘つきと呼ばれるだろう」

    「書かなければ、この方は残らない」

    「その迷いだけを書けばよい」

    「迷いには、名がありません」

    「名がないものを、名がないまま残すのも記録だ」

    雨脚が弱くなり、庭の梅から大きな雫が落ちた。

    水面が揺れるように黒鏡の像も崩れ、未来の姫親王は遠ざかっていった。最後まで見えていたのは、入口を探して空間へ伸ばされた細い指だった。

    男は日記へ向き直った。

    すでに書いた「東国より使者来る。官位を望む」の下に、小さな文字を加えた。

    「御所、雨漏りす。返答、いまだ定まらず」

    さらにその横へ、後世の者にも読めないほど薄く、一文字だけ置いた。

    「未」

    未だ返答せず。

    未だ道は定まらず。

    未だ生まれぬ姫親王。

    書き終えて顔を上げると、渡殿から老人の姿は消えていた。黒い鏡も、濡れた足跡も残っていない。

    ただ、庭の向こうにある崩れかけた築地の隙間から、一筋の陽光が差し込んでいた。

    男はそれを吉兆とは呼ばなかった。

    光は御所を祝うために差したのではない。雲が切れ、そこに隙間があったから入ってきただけである。それでも、その光が濡れた床を細く照らしている間だけ、墨の「未」は消えずに読めた。

    やがて東国の使者は、返答を待つため用意された部屋へ案内された。

    その者が携えてきた書状の名は、まだ天下を望むほど大きなものではなかった。しかし、その背後では諸国の武将たちが、自らの支配に朝廷の名を重ねるため、次々に京への道を探していた。

    御所の外では、焦げた木片を持った子どもが、朝に描いた四角の隣へ、もう一つ大きな四角を描いていた。

    「何を作っている」

    戻ってきた公家が尋ねると、子どもは得意そうに答えた。

    「こっちが御所で、こっちがお城」

    「城は、まだそこにはないぞ」

    「明日、できるかもしれない」

    子どもは二つの四角の間へ、一本の道を引いた。

    その無邪気な線を見た時、公家は懐の日記に書いた「未」の文字を思い出した。御所と城を結ぶ道は、どちらを守り、どちらへ力を運ぶのだろう。いつかその道を、官位を求める使者ではなく、天下そのものを求める者が上ってくるかもしれない。

    雨上がりの京の西には、まだ黒い雲が残っていた。

    そのさらに向こう、尾張と美濃の方角では、古い家柄を持たない一人の武将が、都へ続く道を見つめ始めていた。

    御所の者たちは、まだその足音を知らない。

    けれども黒鏡の奥では、未来の姫親王が消えた場所に小さな火がともり、その火は次の頁を焼くことなく、文字の輪郭だけを赤く照らし始めていた。

     
     
     
    元大学・公共図書館司書。元JLA認定司書。 不慮の事故というべき頚髄症の術後まひにより退職、年金で車椅子生活中 職歴:地方公務員 公共・大学図書館勤務 AI共創作家 専門:図書館経営 図書館司書の専門性 大学の地域連携 学位:大学アドミニストレーション修士(桜美林大学大学院)

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