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エリカゲーム

     『エリカゲーム』

                        奥野とびら

    あらすじ

    女子大生・水島まりなは入浴中にストーカーに襲われ、恋人の雨貝航平に救われる。しかし直後、友人の小長谷はるな、小峰琥々愛が相次いで殺害され、現場には必ず“エリカ”の歌が流れていた。調査が進むにつれ、被害者も加害者も「エリカゲーム」の上位会員で、過去にいじめに関与していたことが判明する。やがて航平の妹・雨貝絵里香がいじめを苦に自殺し、その映像や歌声を元に航平が作ったAI「エリカ」が暴走し、負の感情を吸収して“呪い”として現実に干渉していることが明らかになる。まりなは自らが標的となる中、呪いの媒介であるパワーストーンを砕き、連鎖を断ち切る。

    以下本文
     
     若い女性が追われている。
     暗い夜道。消えかかった街灯の下を女性は顔を引きつらせて走っている。
     追っているのも若い男性だ。男の手には柳刃包丁が握られている。
     男が柳刃包丁を振りあげた。
    「助けてくれ!」
     叫んだのは男だった。
     鮮血が飛び散った。
     男のポケットからスマホが転がり落ちた。そのスマホからアーティストらしき若い女性の声が流れてくる。

    ーー1、2、3、死! みんな、繋がるよ~
     
        1

     昼休みの学食はザワザワとした声と食器の音に包まれていた。
     窓際の席で水島まりなは紙パックのアイスコーヒーをストローでかき回しながら小長谷《こはぜ》はるなの到着を待っていた。
     水島まりなは二十歳になったばかり。星城学園大学文学部の二年生だ。身長は一五八センチ。女性らしい健康的な肢体の持主でアーモンドアイがよく目立つ。倉庫管理の職に就く父親と市役所でパート勤めをしている母親に愛されて育った気のいい女性だ。
    「おまたせー、ちょっと並んだ」
     トレイを持った小長谷はるなが笑顔で腰を下ろす。うどんの湯気がフワリと二人の間に漂った。
    「今日もうどんなんだ」
    「安いしね」
     はるなの視線は一瞬だけ周囲を素早く見回した。まりなには、その仕草の意味は判らない。
    「エリカチャンネル、見た?」
     はるながうどんをたべながら切りだす。
    「昨日は見てないな」
    「そうか。エリカチャンネルにアップされた写真の中に、わたしに似た人が写ってたんだって』
    「そうなの?」
    「うん。それで見てみたけど、わたしが見たときには見つからなくて」
    「でも、はるな自身じゃないんでしょ?」
    「そりゃどうだけど……。でもちょっと気になって」
     はるなはそう言って笑うと、うどんを口に運んだ。

        2

     水島まりなは大学から自宅アパートに帰ると、すぐにバスタブに水を張る。
     手洗い、うがいをした後に部屋着に着替えてバスルームに直行する。
     もどかし気に服を脱ぎ裸になってバスタブに浸かった。
    (ああ、しあわせ)
     この入浴時間が一番ホッとする。
     大学に入って初めて親元を離れて一人住まいをしてから二年目に入る。
     自由を満喫してはいるが不便なこと不安なことはいろいろある。疲れて帰る日も多い。ストレスが溜まることも多々ある。それでも風呂に入るとすべてが温まり流される。
    (いまごろ雨貝さんは何をしているだろう)
     最近、カレシもできた。同じ大学で一学年先輩の雨貝航平だ。
    (同じ星を見ているかな?)
     まりなは窓から夜空を見た。窓に顔が見えた。
    (え?)
     まりなは目を見開いた。知らない顔だった。
    「ヒッ」
     思わず短い悲鳴をあげる。
     窓の外にいるのは若い男だった。無造作に垂らした髪に丸い目が異様な光を帯びて裸のまりなを見つめている。
     一瞬、まりなは体を湯船に沈めた。裸を見られたくないという心理がとっさに働いたのかもしれない。
     心臓が飛びだしそうになった。さらに男は窓をこじ開けようとしている。
     声が出ない。
    (逃げなければ)
     まりなは立ちあがった。
    男は窓をこじ開けようとする手を止め裸のまりなの全身を見る。
     かまわずに足をあげて浴槽から出る。慌てて浴槽の縁に足を引っかけそうになったがなんとか持ちこたえた。
     窓がガタガタと鳴る。鍵は掛かっているが男は壊そうとしているようだ。
     まりなは裸のまま浴室を出た。脱衣場でバスタオルだけ掴んでスマホを置いてあるリビングまで走る。
     破裂音がした。
    (窓ガラスが割られた)
     それが判った。
    「助けて!」
    まりなは叫びながらリビングに入った。テーブルの上にスマホが見えた。まりなはバスタオルを投げ捨て全裸のままスマホに飛びついた。
    (どこに電話しよう?)
     一瞬、迷った。まっさきに思い浮かんだのは雨貝航平の顔だ。だがすぐに警察にかけようと思いいたった。
    (何番だっけ?)
     恐怖で電話番号が出てこない。
     足音が聞こえる。心臓が飛び出そうになるほど動悸が激しい。スマホの電話アプリが見つからない。
     電話だと思ってタップしたアプリがLINEだった。すぐに閉じる。
    (LINEからでも電話できた)
     まりなの裸の体が冷気にさらされる。浴室で温まった肌が急速に冷えていく。それでも指はスマホを操作し続ける。震える親指がアイコンを滑り画面がにじむ。涙か湯気か自分でもわからない。
     窓の向こうからザリ、ザリとガラスを踏みしめる音が聞こえた。
    (入ってきた……!)
     リビングの薄暗がりに何かが立っていた。動く影。ゆっくりと、まるで獲物をいたぶるように歩いてくる。
     窓にいた男だった。
    「まりな……来たよ……ずっと、会いたかった……」
     低く湿った声が部屋の空気を割った。
     まりなは悲鳴をあげた。
    「来ないでっ!」
     脚がもつれながらも後ずさる。床が濡れていて滑りそうになる。スマホの画面は真っ白。LINE通話の発信アイコンが、かろうじて目に入る。
    (誰でもいい、誰か──)
     ふいにスマホが振動した。通話がつながった。画面には“雨貝航平”の名前が浮かんでいる。
    「まりな? どうした、声が──」
    「助けてっ……! 誰かいるの、家の中に……!」
     その瞬間、男が走った。獣のような速さでリビングに突っこんでくる。
     まりなは咄嗟に身をよじって近くの椅子にぶつかった。倒れた椅子が男の足元をすくい男は一瞬バランスを崩す。
     その隙に、まりなは玄関へと走った。ドアのロックは──掛かっていない!
     ドアノブを回したとき背後で荒い息遣いと足音が迫った。
    「逃がさない」
     玄関の外からドアが開いた。
    「まりな!」
     聞きなれた声。雨貝航平だった。彼の手には長い傘があった。ためらうことなく男の腹に向かって突きだす。
     乾いた音とともに男が崩れ落ちた。
     まりなはその場にへたりこんだ。
     呼吸ができない。身体が震えて声も出ない。
     航平がしゃがみこみ、まりなの肩を抱く。
    「もう大丈夫だ、まりな」
     その声を聞いた瞬間、まりなは裸のまま航平の胸に飛びこんだ。
     どれくらいの時間が経っただろう。パトカーのサイレンがアパートの前で鳴り響いた。ほどなくして制服警官が数人、リビングに入ってくる。倒れた男──違はすでに動かない。だが呼吸はしていた。
    「あなたが襲われた……」
     問いかけた警察官がまりなが裸だという事に気づき言葉を詰まらせた。まりなはまだ震えが止まらないが、ゆっくりと顔をあげる。どこから持ってきたのか女性警察官がまりなに毛布を掛ける。
    「この男が……」
    「バスルームに入ってきて」
     まりなは割れたガラスの音、そしてあの目──濁った光を放つ目──が脳裏に焼きついて離れなかった。

        3

    翌日、まりなは航平とともに警察署に呼びだされた。
    「水島さんの家に侵入した男は逮捕しました。男の氏名は違裕也《ちがい ゆうや》、二十三歳。無職。検察に送致しましたが勾留するか在宅で捜査するかは検察官の判断になります」
    「在宅って……逮捕されない事もあるんですか?」
     まりなが驚いて訊く。
    「逮捕はしましたが、その後も引き続き勾留するかどうかの判断です。これは警察を離れて、あくまで検察官の判断ですから」
    「そんな」
    「勾留されないなんてありえない」
     航平が憤る。
     警察官は応えずに「違は実家を出た後、いくつかのSNSで問題行動を起こしていた記録があります。ストーカー規制法の警告も一度、受けていたようですね」と続けた。
    「水島さん、あの男について何か心当たりは?」
     まりなは首を横に振る。
    「わかりません……でも、たぶん、大学の帰りとか、前からずっと……つけられていたような気がします」
     警察官はメモを取りながら溜息まじりに言った。
    「SNSというのは?」
     航平が訊く。
     刑事が机の上にスマホを置いた。あの夜、男――違裕也のポケットから落ちたスマホのようだ。画面には動画アプリの再生画面が残っている。
     薄い幕の向こうでシルエットで映っている若い女性らしき人物が歌っていた。

    ーー1、2、3、死! みんな、繋がるよ~

    〈エリカゲーム〉と画面のタイトルに書かれていた。
    「違はこのチャンネルをよく観ていたようだ」
    「〈エリカゲーム〉を?」
     まりなが思わず訊いた。
    「知ってるんですか?」
    「若い人はみんな知ってると思います」
    「どんなゲームなんですか?」
    「ゲームというか……」
    「どんな人も知り合いを六人たどればエリカにたどり着くという法則です」
    航平が説明を引き継ぐ。
    「たとえば僕の友達の友達の親戚の知人のいとこがエリカだったとか」
    「なるほど。それだとエリカまで四人で到達できますね」
    「そうするとゴールド会員になれます」
    「ゴールド会員?」
    「エリカまで四人で到達できればゴールド会員になれて、いろいろ優遇されるんです。ライブのチケットを優先的に入手できるとか」
    「なるほど」
     警察官は軽くうなずく。
    「ケビン・ベーコンゲームのエリカ版です」
     ケビン・ベーコンゲームとは“どんな俳優も共演者を六人たどればケヴィン・ベーコンとつながる”という法則で、アメリカの社会心理学者スタンレー・ミルグラムが考案した“世界中の人間は知り合いの知り合いといった関係をたどっていくと5人の仲介者を経て6人目でつながる”という六次の隔たりという考えを応用した“遊び”だ。
     それらのことを航平は警察官に説明した。警察官がメモに取る。
    「エリカゲームと今回のことと何か関係があるんですか?」
    「そのサイトに影響を受けたかどうか……その辺りを一応、調べることになるでしょうね」
    「エリカゲームは人に害を与えるような影響なんてありませんよ」
     航平が断言すると警察官は「それもこちらで調べますので」と言って聴取を打ち切った。

        4

     静まりかえった住宅街の夜道を小長谷はるなは歩いていた。
    (早く家に帰りたい)
     街灯は消えかかっている。
     背後に気配を感じた。小長谷はるなは足を速めた。背後の足音も速くなる。
    (いやだ)
     走りだしたい衝動に駆られる。
    (でも走ったらかえって後ろの人を刺激するかも)
     背後の足音が早まった気がした。瞬間的に、はるなも小走りになる。背後の足音がさらに速くなる。
     はるなは思わず振り返った。知らない男が追ってくる。背が高く筋肉質で顔は長い。目はギョロリと大きい。
     そして……。
     男の手には庖丁が握られていた。男が庖丁を振りあげた。
     消えかかった街灯の下、はるなは顔を引きつらせ逃げた。
    「助けてくれ!」
     叫んだのは男だった。次の瞬間、鮮血が飛び散った。
     男のポケットからスマホが転がり落ちた。そのスマホで音楽でも聴いていたのかアーティストらしき若い女性の声が流れてくる。

    ーー1、2、3、4! みんな、繋がるよ~

        *

     白いノースリーブのリブニットトップスに紺色の膝上五センチほどのプリーツスカート、白いスニーカーに身を包んだ水島まりなはキャンパスのベンチに坐ってペットボトルの緑茶を飲んでいた。
     膝の上にはピンク色のレザーのミニショルダーを置いている。
    「まりな、大変だったね」
     田村柚季《いむらゆずき》が水島まりなの隣に坐る。
     田村柚季は身長百五十二センチ。体重は四十三キロ。
     ショートデニムパンツから筋肉質の素足が伸びアディダスのスニーカーを履いている。リュックには缶バッジやちいかわのキーホルダーがついてる。
    「ご両親は心配したでしょう」
    「親には言ってないの」
    「え、何で?」
    「心配しちゃうから。すごい心配性なのよ。下手したら母親が一緒に住むって言いそう」
    「そうか」
     柚季もペットボトルの午後の紅茶を取りだした。
    「でもよかった。犯人が逮捕されて」
     まりなの顔は暗く沈んでいる。
    「でも釈放されたの」
    「え、犯人が?」
     まりなはうなずく。
    「なんで?」
    「在宅で取り調べるんだって」
    「ウソ……」
     田村柚季は絶句した。
    「信じられない」
     ようやく言葉をつなぐ。
    「まりな!」
     男の声がした。
     アロハシャツにジーンズ、汚れのない白のスニーカーにチェーン付きのショルダーバッグを肩にかけ髪はやや無造作だがワックスなどで手入れされている若い男――雨貝航平だった。
    「どうしたの? 何かあったの?」
     田村柚季が訊いた。
    「小長谷さんが、死んだ」
    雨貝航平の言葉が意味を結ばない。
    「はるなが?」
    「死んだ」
    「冗談やめなよ」
    「冗談じゃないんだ」
     航平の顔は真っ青だ。
    「本当に小長谷さんが死んだんだ」
     まりなの顔からも血の気が引いた。
    「ウソでしょ」
     航平は真っ青な顔で首を横に振った。
     まりなが膝から崩れ落ちた。
    「事故?」
     田村柚季が震える声で訊く。
     航平はまたも首を横に振る。 
    「殺されたんだ」
     まりなが強張った顔で航平を見上げる。
    「包丁で刺されて」
     まりなは右手で口を押えた。
    「誰に?」
     田村柚季の声も震えている。
    「わからないけど……ストーカーらしい」
     まりなの体がピクンと震えた。
    「お金も盗まれていないから」
     田村柚季がまりなを見る。
    「まさか、まりなを襲ったストーカーじゃないよね」
     柚季に言われてまりなの顔が引きつる。
    「ニュースになってるの?」
    「判らない」
    「航平くんは、どうしてその事を?」
    「警察から連絡があった」
    「警察から?」
    「うん。小長谷さんと最後のLINEのやりとりをしたのがボクだったらしい。それで……」
    「そう」
     まりなは寂しそうにうなずく。
    「襲われた時には110番してたって。それで警察が駆けつけたら……」
    「はるなはどこで死んでたの?」
     田村柚季が訊く。
    「路上だよ。家の近くの。もうすぐ帰れるところだったらしい」
    「かわいそう」
     まりなが涙を溜めた目でつぶやく。
    「妙なことがあるんだけど」
    「妙なこと?」
    「小長谷さんの遺体のそばにスマホが落ちてたんだけど……エリカゲームの動画が再生されたままになってたって」
    「エリカゲーム……」
     まりなの声は震えていた。

        5

     神南署に設けられた捜査本部控室で井川が証拠品の写真を机に並べている。
     井川は身長一六六センチ。体重は五十四キロ。二十七歳。顔の輪郭はナスのようで、その目はどこか笑っているようにも見えてしまう。
    「防犯カメラの映像と現場に残された靴の足跡は本川を指しています。疑う余地はないかと」
    「だな」
     警視庁の大曽根がうなずく。
     大曽根は五十二歳になる。身長は一七〇センチ。体重は八十六キロある。
     目の下には弛んだ皮膚が大きな隈を作っている。
    「凶器から検出された指紋も一致しているしな。本川康介……こいつで間違いない。逮捕状を請求しろ」
    「はい」
     井川は立ちあがった。

        *

     本川康介は自宅アパートのベッドの上で膝を抱えていた。
     チャイムが鳴った。
     本川はビクッと肩を震わせる。
    「本川さん、開けてください」
     男の声がする。だが本川は動かない。
    「開けるんだ」
     男の声は大きくなる。
    (どうしようか?)
     逃げるか、それとも……。
    「開けないとドアをぶち壊すぞ!」
     胴間声に思わずベッドから降りた。
     窓から逃げようとしたときドアが蹴破られた。
     私服のガタイのいい男三人が部屋に雪崩れこんできた。
    「本川康介だな?」
     本川はうなずく。
    「お前を小長谷はるなさんを殺害した容疑で逮捕する」
    「違うんだ」
     ようやく声が出た。
    「反論があるなら取調室で聞く」
     本川の手に手錠が嵌められた。

        6

     薄曇りの午後、水島まりなと雨貝航平、田村柚季の三人はファミレスに集まっていた。
     まりなと柚季が並んで坐り、まりなの正面に航平が坐る。
    「で、どうなの? その後、ストーカーは?」
     柚季がまりなの顔を覗きこみながら訊く。
    「何も……」
    「そう。何も起こってないのは良いことだけど、ストーカーは行方を晦ませたんでしょ?」
    「うん」
    「不安よね」
     航平がうなずく。
    「でもそいつは、とりあえず、はるなを殺した犯人じゃなかったのよね」
    「そうね。はるなを殺したのは本川って男」
    「犯人が捕まってよかった」
     航平が言う。
    「動機は何だったの? ただの通り魔?」
    「わからない。警察もまだ何も発表してないし」
    「二人に接点はないのよね?」
    「ずっと調べてるんだけど」
     まりながバッグからノートパソコンを取りだす。
    「本川ってやつ、大学でもバイト先でも接点がないみたい」
    「そう」
    「やっぱりただの通り魔か」
    「もっと過去に接点があったのかな」
    「過去に?」
    「そう。たとえば中学の時の同級生とか」
    「あるかも」
     柚季が同意する。
    「でも中学の時の同級生が、どうして今頃?」
     航平の疑問にまりなは「わからないけど」と答える。
    「はるなの中学の時の名簿なんか手に入らないよね」
    「どうだろう? はるなの家に行けばあるかもしれないでど、大した確信もなしにご両親には言えないよ」
    「そうよね」
    「エリカは?」
     柚季が疑問を呈した。
    「エリカ?」
    「うん。はるな、エリカが好きだったよね」
    「そうだけど、それが何?」
    「殺された時、エリカの歌が流れてたんだよね、犯人のスマホから」
     まりなは柚季の言葉をしばし考える。
    「そうか。二人ともエリカのファンクラブに入っていたとか?」
    「それだと接点になるよ」
    「たしかに」
     まりなはまたパソコンを操作する。
    「本川のことはいろいろ調べたんだけど見落としがあるかも。エリカのことは考えになかったし」
     まりなはパソコンをしばらく操作する。
    「あ」
    「どうした?」
    「本川、エリカのライブに行ってる」
    「マジ?」
     柚季の言葉にまりながうなずく。
    「そのライブに小長谷さんは?」
     航平が訊く。
    「ちょっと待って。調べられる」
     まりなはまたパソコンを操作する。しばらくすると手の動きを止めてパソコンの向きを動かし二人に見えるように置いた。
    「はるなのインスタ。その日、はるなもエリカのライブに行ってる」
     三人は押し黙った。

        7

     並んで歩いていた航平とまりなが静かな公園のベンチに腰を下ろした。
     夕暮れの光がやわらかく二人を包んでいる。
     幼い姉妹がブランコで遊んでいる。
    「かわいい」
     まりなが思わず呟いた。
    「あたしも妹が欲しかったな」
     まりなが姉妹を見ながら言う。
    「航平くんは兄弟は……」
     今まで、あまり家族の話など立入ったことは話す機会がなかった。
    「僕にも妹がいた」
     過去形?
    「歌がうまくて本人は歌手になりたいって言ってた」
    「あの……」
    「亡くなったんだ。もうずいぶん前の話だ」
    「そうだったんだ。ごめんね。悲しいことを思いださせちゃって」
    「別に思いだしたわけじゃない。片時も忘れた事はないから」
     航平の言葉を聞いてまりなは胸が縮まるような心持ちがした。
    「絵里香っていうんだ」
    「エリカ?」
    「漢字でね」
    「そう
    「まりな、これ……あげる」
     航平がポケットから小さな布袋を取りだした。中から現れたのは丸くて深い青の光を宿したパワーストーンのブレスレットだった。
    「え? これ……すごく綺麗だけど……」
     まりなが目を丸くする。
    「どうして?」
    「これはパワーストーンだよ。きっとまりなを守ってくれる」
    「航平くん……」
    「妹が身につけていた物なんだ」
    「え、そんな大事な物は受取れないよ」
    「いいよ。妹の持物は、まだたくさんあるから」
     航平はまりなの手首を取り、そのままブレスレットをはめる。
    「君を守るためだ。俺にできることなんて、こんなことぐらいだけど……。妹も喜んでくれると思う」
    「ホントに?」
    「ああ」
     ブレスレットがまりなの手首に収まった瞬間、不思議なひんやりとした感触が走る。
     まりなは思わず航平を見つめた。その瞳の奥に微かな憂いと優しさが滲んでいる。
    「ありがとう……」
     まりなは小さく呟いた。

        8

     新宿の雑踏から少し外れた小さなビルの地下にあるダイニングバーの自動ドアを抜けまりなは店内に入った。
     薄暗い店内の壁に古いハリウッド映画のポスターが何枚か貼られているのが見える。ゆっくりとした足取りで奥に進む。
     いちばん奥の席に小峰琥々愛の姿があった。小峰琥々愛は高校時代に仲のよかった友だちの一人だ。クラスは違ったが同じ新体操部で共に汗を流した仲なのだ。
     まりなは頬笑むと歩を進め小峰琥々愛の先に向かいあって坐った。
    「待った?」
    「少しね」
     まりなは意外に思った。高校時代の琥々愛は人を待たせることはあっても人を待つほど約束の時間より早く着いてることはなかったはずだ。
    「久しぶりだね」
     まりなから話しだすと琥々愛はコクンとうなずいた。
    「高校卒業してから会ってないもんね」
    「うん。まりなは元気だった?」
    「そうね。元気は元気だけど……」
    「何?」
    「この間、入浴中に襲われたの」
    「ええ?」
     まりなは事の顛末を琥々愛に話した。
    「大変な目に遭ったんだね」
    「あんなショックな事はないわ」
    「だよね。大丈夫なの?」
    「まだお風呂が怖い」
    「そうか。そうだよね」
    「うん。でも入らないわけにはいかないからなんとか入ってるけど……。スマホをお風呂に持って入っていつでも連絡できるようにしてる」
    「カレシに?」
    「カレや警察に」
     琥々愛はうなずくと「いいカレシがいてよかったね」と言った。
    「そうね。彼がいなかったら、どうなっていたか」
     一頻りその話題を話すとドリンクと料理の追加を頼んだ。
    「で、琥々愛の方も何かあったんでしょ?」
     まりなが訊いた。琥々愛からのLINEで“ちょっと話したい事があって”と言われたのだ。
     久しぶりに見た琥々愛の顔には高校時代のような快活さが見られない。
     琥々愛はカクテルグラスの縁を指でなぞりながら視線を落とした。
    「何から話せばいいのかな。正直、誰かに話せるような綺麗な話じゃないんだ」
     そう言って琥々愛は自嘲気味に口角を上げた。その表情に、まりなは胸がざわつくのを感じる。
    「いいよ。琥々愛が話したいところからで」
     まりなが促すと琥々愛は意を決したように顔をあげた。
    「うち、卒業してからアパレルの事務の仕事に就いたんだけどね。そこに佐野結衣っていう子がいたの。同期よ。おとなしくて、でも仕事は丁寧で……最初はよく一緒にお昼を食べてた」
     琥々愛の声が、どこか遠くを回想するように響く。
    「でも、ある時から職場の空気が変わったの。佐野さんが内部告発をしたのよ」
    「内部告発?」
    「そう。直属の上長……係長からパワハラを受けていて、そのことを課長に報告したの」
    「それは……当然のことだと思うわ」
    「そうね。でも係長と課長はできていた」
    「え?」
    「係長は女性で課長は男性よ」
    「ああ……」
    「逆効果になったのよ。逆に課長までパワハラに加担した」
    「ええ?」
    「社内イジメが始まったの。係長が佐野さんを無視し始めて……。それが合図だったみたい。気がついたらまわりの人たちも佐野さんを無視していた。社内チャットでも佐野さんだけを外した裏グループが作られて一日中彼女の悪口が飛び交うようになった」
     琥々愛は言葉を切って唇を強く結んだ。
    「まりな……うちね、怖かったの。佐野さんを庇ったら次はうちが無視される。新体操部であんなに厳しかった練習に耐えられたのに職場の冷たい視線には耐えられる自信がなかった。だから、うちは……」
     琥々愛の瞳に涙が溜まっていく。
    「佐野さんがわざと聞こえるように悪口を言われていてもうちは聞こえないふりをした。佐野さんと目が合っても、すぐに逸らした。それだけじゃない。先輩に“琥々愛さんもそう思うでしょ?”って振られたとき笑ってうなずいちゃったんだ。佐野さんが一生懸命作った資料のミスを、みんなで笑いものにする輪の中に、うちもいた……」
     まりなは何も言えずグラスを持つ手に力が入った。
    「そして先週の月曜日。佐野さんはビルの屋上から飛び降りた。遺書も何もなかったけど理由はみんな判ってた。でも会社では誰もそのことに触れない。まるで最初から彼女なんて存在しなかったみたいに普通に仕事が進んでるの。それが怖くて」
     琥々愛は震える手でスマホを取りだし画面をまりなの方へ向けた。
    「葬儀が終わってから、うちのスマホにおかしなメッセージが届くようになったの。最初はただの砂嵐みたいな画像だった。でも、今は違う。……これ、見て」
     画面には、薄暗い部屋で誰かが歌っているような、不鮮明な動画が映し出されていた。
    「この歌……」
    「知ってる?」
    「うん。『エリカの歌』だよね」
    「そう。佐野さんが死ぬ間際に聴いていたらしい。佐野さんのスマホから流れてたって」
     まりなはゴクリと唾を飲みこんだ。
    「これを聴くと、頭の中で佐野さんの声が聞こえる気がするの。“どうして助けてくれなかったの”って」
     琥々愛の震える声がダイニングバーの控えめなBGMに溶けこんでまりなの頭に入ってくる。まりなは自分の手首を飾る青い石に触れた。ひんやりとしたその感触が今はひどく不吉なものに感じられた。

        9

     深夜2時過ぎ。
     航平は部屋の明かりを落としモニターの光だけを頼りに〈エリカの部屋〉を開いた。更新履歴に見慣れない新着映像が追加されている。タイトルは短く「No.29」。
     再生を押すと暗がりの室内が映しだされた。
     ぼんやりとした光源の前に何かが立っている。
    (人影?)
     画面のノイズが時折走り輪郭が滲む。人影は動かない。ただ、ゆっくりと首を傾ける。その瞬間モニターの光が、ほんの一瞬だけ顔の輪郭を照らした。
    (どこかで見たような……)
     だがすぐに人影は消えた。
    (何だったんだ、今のは)
     サイトを探ったが人影の正体は判らなった。

        *

     深夜。
     房内の灯りはすでに落ちていたが本川は眠れなかった。仰向けに寝ながら暗い天井を見つめる。
    (どうしてだ)
     俺は殺す気なんてなかった。そう何度も刑事にも訴えたが聞き入れてもらえなかった。実際に小長谷はるなを殺害したことは確かなのだ。
    (どうして俺は殺してしまったんだ)
     勝手に体が動いた。何かに操られるように。
    (? )
     微かに音が聞こえる。
    (これは……)
     小さな音だがだんだんハッキリと聞き取れるようになってきた。『エリカの歌』だった。
    (どうしてこんなところに……)
     本川の上半身が急に跳ねあがった。
    「やめろ……くるな……!」
     本川は誰もいない空間に向かって叫ぶ。眼は見開かれ恐怖で濁りきっていた。
     突如として右手の肘が逆方向に折れた。
     痛みで絶叫するも、それにかき消されるように次々と左肩、右膝、頸椎、肋骨が不自然な方向へと“ねじれる”ように折れてゆく。
     外傷はない。何者かに殴られた形跡もない。
     ただ“内部から崩壊していくようだった。
    「やめ……やめてくれ……ッ!」
     涙に濡れた顔を上げた瞬間、首が音を立てて左右に折れた。
     床に崩れ落ちた彼の体は、もはや人間のものとは思えぬほど無惨に折り重なっていた。

        10

     夜の街はすでに眠りに落ちマンションの窓のほとんどが暗い。
     小峰琥々愛《こみねココア》はベッドに横たわったままスマホを手に取り、いつもの習慣のように〈エリカの部屋〉を開いた。特に理由があるわけではない。ただ数日前から、どうにもあのサイトが頭から離れなかったのだ。
     画面に映るのは、いつものパワーストーンの画像。無言で光を反射するその石を琥々愛はぼんやりと見つめていた。
     画面右上の時計表示が目に入る。
     23:58。59。次は0時――のはずだった。
     ……58。
     琥々愛は瞬きをした。見間違いかと思った。だが、秒針が確かに逆へ音もなく進んでいる。
     57、56、55……。
     胸の奥がざわつく。
    (ただのバグ? それとも演出?)
     サイト全体が薄くノイズを帯びてゆらめく。パワーストーンの輝きが一瞬、暗く濁った色に変わり画面全体に見たこともない影が一瞬だけ走った。
    「え?」
     逆回転していた時計がぴたりと止まり何事もなかったように0時を表示する。
     琥々愛はしばらく画面を見つめたまま動けなかった。背筋をなぞる冷たい感覚――まるで誰かに見られているような、見下ろされているような。
     スマホを伏せ深く息を吐く。
    (何かのカウントダウンみたい)
     君が悪くなって小峰琥々愛はページを閉じた。

        11

     夜の空気は湿っていた。
     昼間の熱気が夜気に包まれてなお蒸し返すような息苦しさを街に残していた。
     小峰琥々愛は最寄り駅から自宅へと続く道を足早に歩いていた。
     気の置けない女友達数人と飲んだ帰りだ。
     小峰琥々愛は歩きながらスマートフォンを操作し、つい先ほど届いたDMを開く。
    「こんばんは、小峰琥々愛さん。あなたが“あのとき”どんなことをしたか、ぜんぶ知ってます――」
     画面に映るのは“エリカ”の動画。
     薄暗い部屋の中で少女のシルエットがこちらをじっと見つめている。
    「何これ」
     声に出して言う。別の通知も来ていた。
     着信履歴――**「水島まりな」**の名前。数時間前に通話があった記録が残っている。
    「……は? 誰……だっけ?」
     琥々愛は不審そうに眉をひそめる。
     履歴だけではない。メッセージアプリのログには、まりな名義のアカウントとの短いやりとりが残っていた。

    〈まりな〉
     こんばんは、小峰さん。少しだけ、お話できませんか?
    〈琥々愛〉
     誰……?
     なんで私のこと知ってるの?
     
     それ以降、まりなからの返信はない。未読のまま止まっている。
    「気味悪い……なんなの……」
     琥々愛がスマホを閉じようとしたとき背後に気配を感じた。
    (しまった)
     スマホに気を取られて夜道の警戒心が薄れていた。
    「やめてくれー!」
     叫んだのは男だった。その男が琥々愛の口を塞ぎ体をさえつけた。
     スマホに赤ランプが灯る。
     喉を裂く冷たい痛み。
     琥々愛の最後の意識は幽かに月光を映すカメラレンズだった。

        *

     翌朝、住宅街の裏手――草むらで小峰琥々愛の遺体が発見された。
     右手にはスマホ。画面には“エリカ”の映像がループしている
     
        12

     アパートの階段を重い足取りで上りきったところで、まりなは足を止めた。
     自分の部屋のドアの前に、二人の男が立っていた。一人はヨレたトレンチコートを着た、鋭い眼光の初老の男。もう一人は、清潔感のあるスーツに身を包んだ、表情の読み取れない若い男だ。
    「水島まりなさんですね」
     コートの男――大曽根刑事が、警察手帳を差し出しながら低く濁った声で言った。
    「小峰琥々愛さんのことで、少しお話を伺いたい」
     まりなは心臓が跳ね上がるのを感じた。つい先ほど、琥々愛と別れたばかりだ。
    「琥々愛が……何かあったんですか?」
    「今朝未明、彼女が遺体で発見されました。路上で何者かに襲われたようです」
     隣の井川刑事が、淡々と事実を告げる。その声には何の抑揚もなく、かえって冷酷に響いた。
    「うそ……」
     まりなは膝の力が抜け、ドアの縁に縋りついた。つい数時間前まで、ダイニングバーで一緒にカクテルを飲み、彼女の悩みを聞いていた。あの震える声、あの悲しげな笑顔が、もうこの世に存在しない。
     だが、大曽根の視線はまりなの悲しみを慈しむようなものではなかった。彼はまりなの腕、航平に贈られた青い石のブレスレットをじっと見つめている。
    「どうして琥々愛が……」
    「それを調べているんです」
     大曽根がまりなを睨むように見る。
    「夕べ、彼女と会っていましたね?」
     大曽根の問いに、まりなは震えながら頷いた。
    「はい。新宿のバーで。琥々愛から、相談したいことがあるって連絡があって……」
    「相談、ねえ。どんな内容です?」
    「職場の同僚の方が亡くなって、そのことで悩んでいて……」
    「ほう。それだけで夜中の二時過ぎまで? ずいぶんと長い相談だ」
     井川が手帳を広げ、まりなを見据えた。
    「小峰さんの遺品の中から、あなたの名前が書かれた手帳が見つかっています。そして、彼女が最後に通話した相手も、あなたでした。……水島さん、彼女と別れた後、どこで何をしていましたか?」
    「どこでって……真っ直ぐ、ここに帰りました。一人で」
    「証明できる人は?」
    「……いません」
     大曽根がふっと鼻を鳴らした。その笑みには、獲物を追い詰めた猟犬のような冷たさがあった。
    「はるなさんに続いて、今度は小峰さん。あなたの周りでは、ずいぶん景気よく人が死ぬ。……おまけに、その腕の石。小峰さんの現場にも、似たような色の破片が落ちてましてね。偶然……にしては、出来すぎていると思いませんか?」
     まりなは自分のブレスレットを反対の手で隠すように握った。ひんやりとした石の感触が、今は警察の疑念を吸い込んで、毒のように重く感じられた。

       13

     自宅でパソコンを操作していた須田翔矢はブルーライトに照らされた顔に不敵な笑みを浮かべていた。
     須田翔矢は二十八歳。オンラインニュースサイト〈デジタルワード〉の記者だ。無造作に見える前髪も入念に手入れされている。髪全体に軽くウェイブもかけられている。
     彼のデスクの上には三枚のモニターが並んでいる。
     左のモニターには小長谷はるなが殺害されたニュース記事。右のモニターには小峰琥々愛の殺害現場。中央のモニターにはネットの深淵に漂う〈エリカの部屋〉の解析画面。
     中央のモニターにメールが届いた。ボンタンからだった。

    ――ビンゴだ。

     メールにはその一言だけが記されていた。その文面を見て須田は高級な万年筆を指先で回しながら笑みを浮かべた。
     小長谷はるなと小峰琥々愛の共通点……。
     須田は即座に高木へビデオ通話を繋いだ。高木は〈デジタルワード〉の編集長である。
     
    ――なんだ須田。こんな時間に。
     
     画面越しの高木は、あからさまに不機嫌そうな顔をしている。
     
    ――独占ネタですよ、高木さん。例の連続不審死。犯人に繋がるヒントを掴んだかもしれない。
    ――言ってみろ。
    ――小長谷はるなと小峰琥々愛。共通項はエリカです。
    ――エリカ?
    ――十代、二十代から絶大な支持を受けているシンガーですよ。
    ――それぐらいは知ってる。俺はただ、どのエリカか確かめたかっただけだ。花のエリカか、どこかの店名か。
    ――歌手のエリカです。
    ――で、歌手のエリカがどうした?
    ――エリカのサイトを介して呪いの連鎖が起きてるんです。
    ――ん? どういうこった?
    ――小長谷はるなと小峰琥々愛。二人の被害者の殺害現場にはどちらもエリカの歌が流れてたんです。
    ――エリカは人気シンガーなんだろ? 二人ともエリカの歌を聴いてたって不思議じゃない。
    ――もちろん、そうでしょう。でも二人ともエリカファンクラブのプラチナ会員だとしたら?
    ――プラチナ会員? 何だそりゃ。
    ――エリカファンクラブの上級会員って事です。

     須田は高木にエリカゲームのルールを説明する。
     
    ――まず二人ともエリカファンクラブの会員ってとこが引っかかります。
    ――たしかに、ただのファンってよりは遥かに少ない属性だな。
    ――しかも二人ともプラチナ会員ですからね。

     須田は高木にエリカサイトで公開されているプラチナ会員名簿を提示した。二人はハルナとココアというハンドルネームで登録されていた。

    ――これは小長谷はるなと小峰琥々愛の事なのか?
    ――確かです。裏を取ってありますよ。

     コンピュータ解析のエキスパートであるボンタンに依頼して調べてもらっていたのだ。報酬はJuice=Juiceのライブチケットだ。

    ――明日、三件目のターゲットに接触します。これ、跳ねますよ。最低でも百万PVは固い。
    ――三件目のターゲット?
    ――水島まりなという女子大生です。
    ――なぜそいつが三件目のターゲットだと判る?
    ――小長谷はるなと小峰琥々愛、双方と繋がりがあるんですよ。
    ――どんな繋がりだ。
    ――水島まりなは小長谷はるなと大学で同窓です。小峰琥々愛とは高校の同窓なんですよ。
    ――偶然かもしれんぞ。
    ――それを確かめたいんです。
    ――根拠が乏しすぎるな。警察が発表していない情報を憶測で書くわけにはいかん。
    ――調べてみる価値はありますよ。
    ――却下だ。

     高木が冷たく突き放す。だが須田の目は笑っていた。

    ――いいんですか? 他紙に抜かれても。……まあ、許可がなくても個人的な調査として動きますけど。もし僕が死ぬようなことがあったら、そのログをそのまま記事にしてください。それこそ歴史に残るページビューになりますよ。

    須田は通話ボタンに手を伸ばす。

    ――おい、須田! 待て。

     須田は返事を待たずに通話を切るとパソコンの電源をすべて切りジャケットを羽織った。
     ターゲットリストのトップにある名前……水島まりな。
     彼女の住所、電話番号、そして現在位置。ネットの海から情報を引きだすのは須田の協力者・ボンタンにとって呼吸をするよりも容易いことだった。
    (さあ見せてくれよ。次は何が起きるんだ?)
     須田は鼻歌まじりに部屋の明かりを消し夜の街へと駆けだした。

        14

     雨が窓を濡らしていた。
     薄曇りの空の下、水島まりなは大学帰りのバスを待っていた。背後から気配――それも職業的な“視線”を感じる。だが振り返っても誰もいない。ただ停留所の向こうに黒い車が一台、雨のなかじっと動かずにいた。
     その車の中では警視庁捜査一課の大曽根と神南署の井川が静かにまりなの動きを観察していた。
    「まただな……こいつ、小長谷はるなの事件のときも偶然その現場の近くにいた。小峰琥々愛のときも、なぜか通報の数分前に現場方面に歩いていたらしい」
    「ひっぱりますか?」
    「今は状況証拠が弱すぎる」
    「でも偶然……で片付けられるんですかね」
    「偶然が重なると、それはもう“必然”だ。現場にいた理由を訊かれても本人は“偶然です”としか言わねえだろうがな。だが、まるで何かを見ていたような雰囲気がある」
    「尾行、続けますか?」
    「ああ。今のところ物的証拠はゼロだが、こいつ、何かある」
     二人が見つめるまりなの腕には青い石が嵌めこまれたブレスレットが雨に光っていた。

        15

     まりなは自宅の食卓にビールとつまみを置き田村柚季と隣りあって坐りパソコンを開いていた。
    「気になるよね。小峰琥々愛さんの事件」
    「うん。はるなの事件と似てる」
    「接点は何もないけど」
    「エリカがあるよ」
     小峰琥々愛が殺された時にもエリカの歌が流れていた。
    「犯人の男と小峰さんは面識はなかったんだよね」
    「そうらしい」
    「となると通り魔かストーカーだけど」
    「犯人自身も“どうして殺したのか判らない”って言ってるらしい」
    「ホントかな」
    「本川もだよ」
    「そうだった。やっぱり似てる」
    「でも接点が何もないんだよ。本川とはるなにも過去の接点はないし、小峰さんと犯人の男――河内山にも接点はない」
    「あるのはエリカだけ」
    「偶然とは思えない」
    「でも偶然だよ」
    「柚季……」
    「だってエリカだよ? ただの推しだっただけ。そんなの接点とは言えないじゃん」
    「そうだけど……」
     まりなは何かを考えている。
    「本川って江東区に住んでたよね」
    「そうだった?」
    「ニュースで見たよ。犯人は江東区在住の本川康介って」
    「それが?」
    「はるなもその辺じゃなかった?」
    「え、そうだった?」
    「うん。そう言ってるの聞いたことがある。“あたしは家が遠いから”って。“どこ?”って訊いたら東西線の東陽町だって。東陽町は江東区じゃなかったっけ?
    「そっち方面、詳しくないから」
     まりなはスマホで確認する。
    「やっぱそう。東陽町は江東区」
    「はるなも本川も江東区出身ならその辺りに接点があるのかも」
    「ちょっと待って」
     まりながパソコンを操作する。
    「出た」
     画面には本川の出身中学の名前が記されていた。
    「東陽中学……。怖いね。何でも判っちゃうんだ」
    「もう一人知ってる」
    「何が?」
    「江東区出身の人」
    「誰よ」
    「航平さん」
    「あ、そうなんだ。だったら地元だし何か情報を探しだせるかもしれないね」
    「ちょっと待って。集合写真がアップされてる」
    「集合写真?」
    「うん。本川の中学の時の」
    「誰かが晒したんだね」
     柚季が画面を覗きこむ。そこには卒業写真だろうか、東陽中学3年2組のキャプションが記されている。
    「本川がいるね」
     柚季が後方に並んでいる生徒の一人を指さした。
    「うん。でも、はるなはいないみたい」
    「だね。やっぱり接点はない……」
     まりなの言葉が途切れた。
    「どうした?」
     まりなは答えない。
    「どうしたのよ」
    「何でもない」
     まりなはパソコンを閉じようとする。
    「ちょっと」
     柚季がまりなの手を止めた。
    「これ……」
     柚季が写真の下に記された生徒たちの名前の一つを指さす。
    「雨貝絵里香って書いてあるけど」
    「妹よ」
    「え?」
     柚季がまりなの顔を見た。
    「航平くんの妹」
     そう答えたまりなの顔は蒼ざめていた。

        16

    まりなが自宅アパートに着こうというとき階段前に二人の男が立っているのが見えた。
    (刑事さんだ)
     見覚えがあった。
    (たしか警視庁の大曽根さんと神南署の井川さん)
     まりなはゆっくりと二人に近づいた。
    「あの……」
    「ちょっと話を聞きたくてね」
     大曽根が口を開く。
    「これ、何だか判りますか?」
     若い井川が一枚の写真を見せる。薄いピンクの手帳。
    「これは……」
    「見覚えがありますか?」
    「あたしのです」
    「そうですか」
     井川は写真をしまう。
    「これ、どうして」
    「いまありますか?」
    「いえ」
    「どうされました?」
    「なくしたんです」
    「いつ、どこで?」
     大曽根が割って入る。
    「それは……判りません。気がついたら見つからなかくて」
    「小峰琥々愛さんの自宅から見つかりました」
    「小峰?」
     まりなは怪訝そうな顔をする。
    「どうして?」
    「とぼける気か?」
     大曽根が凄む。
    「とぼけてなんかいません。ほんとに判らないんです」
    「だったらどうしてあんたの手帳が小峰琥々愛さんの家から見つかったんだよ」
    「だから、わかりません」
     まりなの声が小さくなる。
    「その辺のことは署で聞こうか」
    「あの……」
    「裏にパトカーが停めてある。そこまで、ご同行願おう」
     大曽根はまりなに有無を言わさずパトカーまで連行した。

        17

     秋葉原の片隅、看板も出していない雑居ビルの一室。
     遮光カーテンで閉ざされた室内は無数のサーバーユニットが放つ排熱と安っぽいエナジードリンクの匂いが立ちこめていた。
    「で、どうなんだよ。ホシは割れたのか?」
     須田翔矢はパイプ椅子にふんぞり返りながらモニターに向かっている小太りの男に声をかけた。男の名は通称ボンタン。報酬次第で国家機密から個人の通話記録まで何でも暴くネットの深淵に棲む達人だ。
    「せっかちだな須田さん。このサイト、階層が深すぎて普通のやりかたじゃ辿りつけないよ」
     ボンタンがキーボードを叩く指を止め眼鏡を押しあげた。
    「結論から言うよ。〈エリカの部屋〉、このサイトのドメイン契約者とサーバーの管理権限、すべて一人の人物に繋がった。名前は雨貝航平。二十一歳の大学生だ」
    「雨貝、航平……。やっぱりか」
     須田はニヤリと笑いスマホのメモにその名を刻みこむ。
    「よくやった。これで世紀のスクープが書ける。管理人の大学生がネットで呪いを振り撒いている……。キャッチコピーはこれで決まりだ」
    「いや、話はまだ終わってない」
     ボンタンの声が急に冷ややかになった。彼は別のモニターを指差し複雑なログの羅列を映しだす。
    「実を言うとね、気味の悪いことが起きてるんだ」
    「何だよ。出し惜しみすんなよ」
    「このサイト、直近の更新履歴が真っ白なんだ。動画がアップされたりファンクラブ会員の階級リストが書き換えられたりしているのに雨貝がシステムにログインした形跡がどこにもない。それどころか誰がいじった痕跡もない」
     須田は眉をひそめた。
    「どういう事だよ。管理人がいるんだろ? 自動更新のプログラムでも組んでるんじゃないのか」
    「それにしては動きが人間臭すぎる。雨貝はサイトの管理を自作の高度な学習型AIに任せているようだけど……そのAIが今や誰の指示も受けずに勝手に『エリカ』を増殖させているように見える」
    「そんなこと、あるのか?」
    「ありえない。だけどログを見る限りAIは雨貝の制御を離れて亡くなった雨貝航平の妹……雨貝絵里香の思考パターンを模倣し始めてる。これはもう、ただのプログラムじゃない」
     須田は背筋に冷たい氷を押し当てられたような感覚を覚えた。だが、すぐにその恐怖を、どす黒い歓喜が上書きする。
    「おもしろい。AIが意志を持って呪いを撒き散らしているってか。それこそ最高だ。雨貝に会って、その怪物の生みの親としてのコメントを貰わないとな」
     須田はボンタンに厚い封筒を投げ渡すと足早に部屋を後にした。
     彼の頭の中には、すでに次の記事のタイトルが踊っていた。

        18

     その日の仕事を終え雨貝航平がバイト先のマクドナルドから出たところで声をかけられた。
    「雨貝君?」
     航平と同年代の女性が立っている。微かに艶やかな香水の香りが漂ってくる。栗色の髪を柔らかく巻き、濃いベリーカラーのリップが形の良い唇に映えている。シンプルなニットとタイトスカート。
    「えっと」
    「やだ、覚えてないの?」
    「もしかして……福田さん?」
    「そう」
     福田颯は航平の中学時代の同級生だった。
    「久しぶり。ちょっと印象が変わったから判らなかった」
    「どう変わったの?」
     女性はいたずらっぽい目で訊いた。
    「その……大人びたというか」
    「もう二十歳よ。充分大人よ」
     航平はうなずいた。
    「時間ある?」
     航平は腕時計を見た。確認するまでもなく予定はなかった。
    「少しなら」
    「お茶でも飲もうか」
    「ああ」
     近くの喫茶店に入ると福田颯が口を開いた。
    「本川って子が死んだでしょ」
     航平は答えない。
    「本川は知ってるでしょ? 一学年下にいた」
    「知ってるよ。絵里香と同じクラスだった」
    「だよね」
     颯はメロンソーダをストローで小さくかき回す。
    「本川が絵里香ちゃんをイジメてたって聞いたことがあるんだけど」
    「さあ」
    「知らないの?」
     航平はうなずいた。
    「学年も違うし。絵里香のクラスのことはほとんど知らないよ」
    「そう」
     颯は視線を戻す。
    「いい気味ね。絵里香ちゃんをイジメてたやつが死んだなんて」
    「死んだ人間のことをそんなふうに言うもんじゃないだろ」
     颯の目に微かに笑みが浮かぶ。
    「河内山は知ってる?」
    「名前は知ってるよ。殺人罪で捕まった」
    「名前だけじゃないでしょ」
    「え?」
    「絵里香ちゃんと同じクラスだったじゃない、高校で」
    「そうだった……っけ?」
    「とぼけないで」
    「妹のクラスの子まで知らないよ」
    「それはそうかもしれないわね。でもその河内山に絵里香ちゃんはイジメられてたんだよ」
     航平の顔が険しくなる。
    「どうしてそのことを知ってる?」
    「あたしも同じ高校だったの。絵里香ちゃんと河内山と」
    「そう……だったんだ」
    「どうしてとぼけるのよ」
    「とぼけてないよ。本当に知らなかったから。福田さんこそどうして知ってるんだよ。絵里香が河内山にいじめられてたって。学年が違うのに」
    「雨貝君の妹さんだから気になって……。意識が少しでも絵里香ちゃんに向いてれば情報は自然に入ってくるのよ」
    「それでいじめを知った?」
    「そう。ねえ、変だと思わない?」
    「何が?」
    「絵里香ちゃんをイジメてた二人が二人とも殺人を犯して二人とも獄中で死んだんだよ」
    「たしかに不思議だよ。でもそこに理由なんてあるのかな。合理的な説明なんてないと思うよ。ただの偶然」
    「普通はそう思うよね」
    「普通じゃない何かがあると思ってるような口振りだな」
    「だって……二人とも死にかたが変だもの」
     二人とも収監されている独房で体中の骨を骨折して亡くなっていた。
    「たしかに変だけど……」
    「呪われたんじゃない?」
    「呪われた?」
    「絵里香ちゃんをイジメたから呪われた」
    「誰が呪うって言うんだよ」
    「絵里香ちゃん……か、雨貝君」
    「俺が?」
    「呪うんじゃなくて復讐した」
    「刑務所の中までは復讐に行けないだろ」
    「だよね」
    「それに復讐だとしたら本川と河内山に殺された小長谷はるなさんと小峰琥々愛さんはどうなんだよ。絵里香とは何の接点もないんだぞ」
    「そこが判らないのよね」
    「他は判ってるっていうのか?」
     颯はうなずいた。
    「何が判ってる?」
    「いずれ話す時が来るわ。そう遠くないうちにね」
     颯は自分の分の代金を置くと席を立ち店から出ていった。
     航平は颯の背中を見送った。

       19

    神南署、捜査一課第二班の会議室壁際に並べられたホワイトボードには、これまでの事件の関係図がびっしりと描きこまれていた。
     そこに新たな写真が加わる。
     小峰琥々愛、二十歳の会社員。
    「容疑者候補は上がっているのか?」
     捜査本部長の瀬尾が訊く。
     井川は資料を持ちあげ一枚の写真を掲げた。
     写真の男は坊主頭に鋭い眼光。どこか苛立ちを孕んだ表情が印象的だった。
    「この男が最有力です。河内山卓。小峰琥々愛の高校時代の同級生で現在はフリーター。過去に傷害事件を起こした事があり凶器の包丁から河内山の指紋が検出されています」
    「決まりじゃないか」
     続いて井川がUSBをプロジェクタに差しこむ。映しだされたのは監視カメラ映像の一部。小峰のアパート近くをうろつく河内山の姿。
    「殺害前夜、現場近くでの目撃情報もありました。この後、防犯カメラにも数回映ってます。深夜一時すぎ、小峰のアパートの付近です」
     室内がざわめく。
    「よし。短時間でよく調べた。逮捕状を取れ」
     捜査員たちは一斉に立ち上がった。

        *

     二時間後、河内山卓の自宅アパートのドアを重々しいノック音が響く。
     ドアが開いた。
    「河内山卓だな?」
    「そうだけど」
    「警視庁の大曽根だ」
     大曽根は警察バッジを見せる。
    「警視庁……」
     井川が大曽根の前に出た。
    「河内山卓、あなたを小峰琥々愛殺害の容疑で逮捕します。黙秘権はありますが」
    「なんだよ! 俺が何したってんだよ!」
    「小峰琥々愛殺害の容疑です」
    「誰だよ、それ」
    「詳しい話は署で。ご同行願えますか?」
     河内山は抵抗しても利がないと判断したのか項垂れて刑事たちに薄暗いアパートの外へと連れだされた。パトカーの赤色灯が彼の憤怒の顔を切り裂くように照らしていた。

        *

     鉄製の扉が閉まる音が取り調べ室の静寂に響いた。
     薄暗い部屋。机を挟んで向かいあうのは大曽根刑事と両手を膝に乗せたままうつむく河内山卓。彼の額には汗がにじみ指先が震えていた。
    「河内山。もう嘘をついても無駄だ」
     大曽根が胴間声をあげる。
    「小峰琥々愛の後をつけていたことが防犯カメラに残っている」
     河内山はしばらく黙っていたが、やがて唇をゆがめた。
    「知らないんだ、小峰琥々愛なんて女」
    「誰でもよかったのか?」
    「わからない」
     河内山の声が小さくなる。
    「判らないとは?」
     大曽根が目を細める。
    「わかんねぇ……俺にも……」
     河内山の指の震えが大きくなる。
    「殺すつもりなんてなかったんだよ!! 本当だ!! 気づいたら、あいつ倒れてて……息してなくて……俺、どうすりゃよかったんだよ……!!」
     大曽根は動じず書類の束を机に置いた。
    「それを言い訳って言うんだ、河内山。殺意があったかどうかなんてのは、こっちが証拠と状況で判断する」
     河内山は天井を見上げた。
     取り調べ室の灯りが河内山のうなだれた頭を照らしていた。

     20

     警察署の玄関を出た瞬間、まりなはまぶしい陽光に目を細めた。
     昨日までの雨が嘘のように空は高く白い雲がゆっくりと流れている。
     だが、その清々しさをまりなの胸はまったく感じ取れなかった。
    「やっと解放された」
     小さくつぶやくとスマホを握りしめた。
     
        *

     夜のアパートのLED電灯の下で水島まりなは机の上に書類とノートパソコンを広げていた。
     冷えた缶コーヒーが机の端に置かれている。飲みかけのまま時間が止まったように。
    「やっぱりエリカが気になる」
     加害者と被害者はどちらもエリカのライブに行っていた。
    (本川は、はるなをそのライブで目をつけたのかしら?)
     ネットの記事も気になる。
     本川が逮捕された直後に掲載されたゴシップ専門のニュースサイト。そこにはこう書かれていた。

     ――犯人は中学時代、同級生へのイジメで指導歴があったことが確認されている。

     中学時代のイジメ――まりなは、その言葉に反応する。
    (本川と航平が一緒の中学だったことは関係ないわよね)
     はるなと航平は違う中学なんだし……まりなの背筋に電流が走った。
    (航平と同じ中学なら絵里香ちゃんとも同じってことよね?)
     もし本川のイジメの対象が絵里香ちゃんなら……。
     絵里香とエリカ……。
    (つながる……ううん、それは偶然よね)
     名前が同じことが事件に関係あるわけない。
    (そもそも絵里香ちゃんが亡くなった原因って……)
     何も知らなかった。航平からは“妹がいたけど死んだんだ”としか聞いていない。
     まりなは立ちあがりスマホを手に取る。
     着信履歴の中にあった名を押す。

     ――雨貝航平。

    「もしもし、まりな? どうしたの、こんな夜に」
    「航平くん、ちょっと確かめたいことがあるの。絵里香さんはどうして亡くなったの?」
     返事がない。
    「どうしてそんなことを訊くんだ?」
    「本川と航平くんが同じ中学なら絵里香ちゃんも同じよね?」
    「ああ」
    「本川がイジメで指導履歴があることが判ったの。それでもしかして本川がイジメてたのって」
    「絵里香だよ」
     まりなは一瞬、言葉に詰まった。
    「絵里香はイジメを苦にして自殺したんだ」
     まりなは絶句した。
    「ごめん、つらいことを思いださせて」
     ようやく言葉を絞りだす。
    「いいよ。いつかは言わなきゃって思ってたんだ」
    「航平くん」
    「だから本川が死んで留飲を下げた気持ちもある」
     まりなはどう応えていいのか判らない。
    「でも絵里香は、そして小長谷さんは本川が死んだところで帰ってはこない」
    「そう、よね」
    「事件は解決したよ」
     航平の言葉にどこか釈然としない気持ちが残る。
    (もし絵里香ちゃんの復讐のために航平くんが……)
     そこまで考えてまりなは首を横に振った。
    (本川は刑務所内で死んだんだものね。航平くんが手を出せるわけがない)
     まりなは“おやすみ”を言うと通話を切った。

        21

     二人が画面を凝視していた、その時だった。
     まりなのスマホがテーブルの上で激しく震えた。表示されたのは見覚えのない番号だったが不思議と“出なければならない”という予感に突き動かされ、まりなは通話ボタンを押した。

    ――もしもし、水島まりなさん?

     受話器から聞こえてきたのは若々しいが、どこか鼻につくほど軽薄な男の声だった。

    ――どちら様ですか?
    ――オンラインニュースサイト〈デジタルワード〉で記者をやってる須田と言います。
    ――オンライン……。
    ――見たことないかな?〈デジタルワード〉。

     見たことはあった。

    ――そこの記者。
    ――どのようなご用件でしょうか?
    ――今、水島さんの家のすぐ近くのカフェにいるんだけど、ちょっと話を聞かせてくれないかな?

     まりなは柚季と顔を見合わせた。

    ――話って?
    ――――君の二人の友人の死について。

     まりなは息を呑んだ。

    ――話すことはありません。
    ――まあ、そう言わずに。二人の死の秘密について知りたくない?

     まりなと柚季は顔を見合わせた。

    ――秘密って何ですか?
    ――それを会って話そうと言うんだよ。
    ――あたしは何を話せば?
    ――当たり障りのない話だ。ただ事実関係の裏を取りたいだけでね。悪い話じゃないだろ?
    ――どうして私の番号を?
    ――そこは蛇の道は蛇だ。コーヒー代はこちらで持つよ。ケーキをつけてもいい。

     まりなは柚季を見た。柚季はうなずいた。

    ――いいわ。
    ――じゃあ待ってる。

     通話は切れた。
    「大丈夫かな」
    「わたしも一緒に行くよ」
    「いいの? 柚季」
    「あそこのガトーショコラパフェおいしいんだ」
    「だね」
     十五分後。まりなと柚季は近所のファミレスで須田と対峙していた。
    「お友達もご一緒とはね」
    「ガトーショコラパフェを食べようと思って」
    「おもしろい子だね。まあいい。いくらでも食べてくれ」
     須田は仕立ての良さそうなジャケットの袖を捲り高級そうな腕時計を見せびらかすようにしてタブレット端末を操作していた。整った顔立ちはしているが、その瞳には相手を値踏みするような冷徹な光がある。
     まりなと柚季がテーブル備えつけのタブレットで注文を済ますと須田は離しだした。
    「単刀直入に言おうか。小長谷はるなと小峰琥々愛の死。二人の死にはエリカが関係している」
    「どんなふうに?」
    「あまり驚いてないね」
    「そこまではあたしたちも掴んでる」
    「へえ。調べてたんだ」
    「当たり前です。あたしは当事者だから」
    「なるほど。誰よりも切実ってわけだ」
    「下手をしたら、あたしが疑われる」
     須田は目を見開いてまりなを見た。だがその表情にはどこか含み笑いの気があった。
    「自覚はあるんだ」
    「自覚じゃなくて心配です。二人の共通の知人ですから」
    「で、どうなの?」
    「どうなのって?」
    「本当にやったの?」
    「ちょっと」
     柚季がガトーショコラパフェを食べる手を止めて須田を睨んだ。
    「ふざけないで」
    「ふざけちゃいない。確認だ」
    「やってるわけないでしょ」
    「俺は水島さんに訊いてるんだ」
    「やってません。訊かれること自体、心外です」
    「なるほど。だけどあんたは被害者二人とも友人だった。しかも殺害時刻に殺害現場の近くにいた。二件ともだ。これはどう説明する?」
    「それは……偶然です」
    「偶然ねえ」 
    「第一、まりなには動機がないでしょ」
    「そうかな?」
     須田は笑みを浮かべる。
    「水島さん。あなたには雨貝というカレシがいる」
     まりなの顔が強張る。
    「どうしてそんな事を知ってるのよ」
    「あ、ホントだったんだ」
     柚季の顔が怒りで瞬時に赤く染まる。
    「言っただろ? こっちは情報収集のプロなんだ。それぐらいの名前を調べるのは何でもない。加えて田村さんだっけ、あんたが裏付けを与えてくれた」
    「カレシがいたら何なんですか?」
     まりなが問う。
    「小長谷はるなも雨貝航平を好きだとしたら?」
    「は?」
     柚季が声をあげる。
    「恋のライバル。排除しようとしても不思議じゃない」
    「バカバカしい」
     柚季が吐き捨てる容易に言う。
    「恋のライバルを排除するのが動機なら小峰さんには当てはまりません」
    「水島さん。あなたは最近、小峰さんと会ってるね?」
     まりなは黙っている。
    「どんな話を?」
    「あなたに話す気はありません。お引き取りください」
    「話す気がないならしょうがないな。でも今日はほんの挨拶だ。また来ますよ」
     須田は財布から一万円札を出した。
    「釣りはいらないよ。取材費込みだ」
     そう言うと須田は去っていった。
    「何なの? あいつ」
     憤慨する柚季の横でまりなの胸を言い知れぬ不安がヒタヒタと満たしていた。

        22

     点灯時間が終わり真夜中の独房をわずかな常夜灯が照らしていた。
     河内山卓は簡素なベッドの上に胡坐をかいていた。何かに耳を澄ませるようにピクリと眉を動かす。
    「またかよ」
     呟いたその声に微かに怯えが滲む。
     誰もいないはずの独房に――どこかで聞いたような旋律がまた流れてきた。

     ♪ わたしは誰? 教室の隅 名前を失くして

     少女の声が幽かに聞こえる。壁の内側から床の下から天井から音が滲みでたように流れこんでくる。
    「何なんだよ!」
     河内山は吠えるように唸りながら立ちあがると鉄格子に向かって拳を叩きつけた。
     重い何かが這うような音が壁の向こうから近づいてくる。
     鉄の扉が震えた。河内山は後ずさった。荒く息を吐き額に汗をにじませる。
    「誰だ……ふざけんな……俺は知らねえ」
     壁の一部が膨れ粘土細工のように人の顔が浮かびあがった。
     女の顔だった。髪が長く瞳のない真っ白な目でこちらを見ていた。
    「お前は……」
     部屋の中の重力が狂った。
     河内山の右足がグニャリと曲がる。
    「うあああああッ……やめろ……やめろォォォ!」
     全身を使ってもがく。だが左足も不自然な方向に曲がる。

    ――グアッ

     体が折れ曲がる。

    ♪ 耳をふさいでも 声が消えない

     歌はやがて聞こえなくなった。

        23

     放課後のカフェ。まりなと田村柚季が向かいあって坐っている。
     まりなのスマホには人気シンガー“エリカ”のチャンネルページが表示されていた。サイトのトップページのメインヴィジュアル、ロゴの上部には丸い宝石のようなものが深い青の光を放っている。
     まりなは再生ボタンをタップした。l
     爆発するようなイントロと同時にスポットライトがひときわ強く照らしだす。
     ステージ中央、エリカがカメラを見据える。だが強い逆光でエリカの顔は見えない。
     エリカが歌いだす。シャウトとメロディが一体となり歌声は燃えるような感情の奔流に変わって広がる。
     細くしなやかな身体がリズムに合わせて躍動し赤いスポットライトが髪を焔のように染めあげる。
     感情が高まるサビでは両手を天へ突きあげ目を閉じて叫ぶように歌う。
     その声には痛みも怒りも祈りすらも混ざっていた。
     彼女は止まらない。
     魂を削るようにして、すべてのフレーズを喉から絞りだす。
    「すごい……」
     柚季が思わずつぶやく。
     エリカの声には独特の深みがあった。激しい中にも、どこか懐かしさを感じるような──悲しみを包みこむような、やさしい音。
    「エリカの声、いいね……心に沁みるっていうか……」
     まりなが頷く。
    「でもかなり若い声だよね」
    「うん」
    「ひょっとしたら、うちらより若いかも」
    「ありうるね」
     まりなはなおも動画を見つめる。
    「このシルエット……どこかで見たような気がするんだけど」
    「うそ」
    「気のせいかもしれないんだけど……」
    「エリカはどこにもプロフィールが載ってないよね。うちもさんざん検索したけど一切、見つからない」
    「メアドも載ってないから連絡する手段もないしね」
     まりなはサイトの“About”欄を開いてみせた。だが、そこには「音楽であなたと繋がりたい。ただそれだけです」という短い一文しか載っていなかった。って誰なの?」
     そう言って柚季が首を傾げる。
     まりなは画面の中の逆光の女性を見つめた
    「細身だけど、どこか意志の強さを感じる立ち姿。動画の最後にふと現れる横顔の、ほんのわずかな輪郭……。絵里香ちゃんに似てる」
    「絵里香ちゃん?」
    「航平くんの妹さんなの。あたしも写真や動画でしか見たことないんだけど……。このライン。頬の感じ。似てる」
    「そうなんだ。名前も同じだしね……もしかしたら姉妹だったりして」
    「絵里香ちゃんに女の姉妹はいないはずよ」
    「航平くんに訊いてみたら?」
    「訊きにくいわ。思いださせたくないもの」
    「だよね」
     柚季はうなずいた。
    「ただの偶然だよ。それ以外ある?」
    「ないよね」
     まりなはメロンソーダを飲み乾した。

        24

     福田颯はファミレスでランチを摂りながらスマホでエリカサイトを開いた。
     颯がエリカサイトを開いた瞬間、動画が更新された気がした。
    (やだ、偶然?)
     今までの猫の動画に変わり学校の校舎らしき建物が映しだされている。辺りは暗い。
     タイトルも説明文も一切ない。ただ静かに建物の外観を映しているだけだ。門に中学校という文字が見える。中学校の上は暗くて見えない。
    廃墟にも見えるが窓ガラスは一枚も割れていない。ただ一点、三階の右端の窓──そこだけに赤い手形がついている。
    (何これ)
     カメラは徐々にズームしていく。赤い手形は外側ではなく窓の内側についているようだ。
     動画が一瞬だけフラッシュする。0.5秒ほどのカットが挿入される。誰もいない教室の中、黒板の前に立つ長髪の女。顔は見えない。女の足元に何かが横たわっているようにも見える……。
     再び校舎の外観に戻る。先ほどまで無音だった動画に窓ガラスをノックするような音が響き始める。
     画面の中央に文字が表示される。

    ――次はお前だ。

     その瞬間、動画は唐突に終了した。
    (何だったの? 今の)
     福田颯は寒気がして両腕で自分の体を抱きしめた。

    *
    
      25

     新宿署の大会議室は重苦しい沈黙と缶コーヒーの匂いが混じり合った独特熱気に包まれていた。
     正面のホワイトボードには本川康介、そして河内山卓の遺体写真が並べて貼られている。どちらも無惨な姿だ。
    「以上が河内山被告の死亡状況に関する報告です」
     井川刑事が感情を押し殺した声で締めくくった。その顔は寝不足のせいで青白く手元の資料を握る指先が微かに震えている。
     会議室の最前列に座る捜査本部長が机を拳で叩いた。鈍い音が室内に響く。
    「監察医の所見はどうなっている。拘置中の、それも監視カメラの目の前で人間一人がバラバラにねじ切られるなど物理的に可能だというのか!」
    「所見によれば死因は全身の骨砕および内臓破裂によるショック死……ですが」
     井川が言葉を濁すと大曽根が椅子を鳴らして立ちあがった。
    「本部長、現場の映像には凶器も実行犯も映っちゃいません。河内山の野郎は何もない空間に向かって悲鳴を上げ、まるで巨大な洗濯機に放りこまれたみたいに自らの肉体で自らを粉砕した。……これが現実ですよ」
    「正気で言っているのか?」
    「映像に何らかの細工がされてるとは思いますがね」
    「当然だ」
    「でも、だとしたら誰が、どうやって?」
     本部長は答えに詰まった。
    「正気じゃねえのは現場で鳴り響いていたあの歌もです」
     大曽根はホワイトボードの端に書かれたエリカという文字を指差した。
    「本川の時も現場のスマホからはエリカ曲が流れていた。そして今回も河内山の舎房からエリカの歌が聴こえたって看守が証言してます」
    「思いこみだ」
    「そうは思いますがね」
    「本部長」
     井川が手をあげた。
    「電子を使った犯罪の可能性はないでしょうか?」
    「電子を使った犯罪?」
    「はい」
     井川が立ちあがる。
    「どういう事だ」
    「特定の周波数、あるいは視覚的な催眠効果を狙った映像を送りこんで対象を錯乱させ自傷行為に及ばせる……
    「河内山は自死とは考えられないと検屍官が言っている」
    「ですよね」
    「外部から強大な圧力がかかったかのようなとの事だが……皆目見当がつかん」
    「一旦視点を変えて犯人の方から考えちゃどうですか?」
     大曽根が提案した。
    「犯人の方から?」
    「たとえば雨貝航平」
    「小長谷はるなの大学での友人だな?」
    「ええ。雨貝航平の妹、絵里香はいじめを受けて自殺しているんです。その加害者が、この本川と河内山だ」
     捜査員たちがざわめく。
    「動機はある」
    「アリバイもありますよ」
     別の捜査員が発言した。
    「遠隔操作ならどうですか?」
     井川が発言すると大曽根が「たさかにな」と反応した。
    「指一本触れずに、六次の隔たりを辿って標的を仕留める。……エリカゲームは、まだ終わっちゃいねえ。次の犠牲者が出るかもしれねえ」
     会議室に設置されたモニターが一瞬、ノイズで揺れた。
     誰かが息を呑む音が聞こえ再び静寂が戻る。大曽根は目を瞑った。静かな会議室の中に幽かにエリカの歌が流れたような気がした。

        26

     福田颯は濡れた髪をかきあげながらショッピングモールのアスレチック施設に併設されたシャワーブースに立っていた。
     運動のあとの熱を冷ますように、ぬるま湯が艶やかな肌をすべっていく。誰もいない静かな更衣室に水音だけが規則的に響いている。
     ブーツのような硬い足音が聞こえる。
     誰かがシャワーブースの奥に向かって歩いてくる。だが、そこには通路などないはずだった。音は天井から降ってくるような不自然な響きかただ。
    「誰?」
     颯が声をかけても返事はなかった。
     シャワーの水圧が一瞬だけ上がったかと思うと彼女の背中を打つ水が急に冷たくなった。
     ゾクリと鳥肌が立つ。
     次の瞬間、彼女は金縛りのように動けなくなった。視界がぐにゃりと歪む。シャワーブースのガラスが、どこまでも続く鏡のように伸びていく幻覚。
     音が消えた。水音も足音も自分の呼吸すらも——
    「っ……あ、あぁっ……!」
     全身に何かが絡みつく。見えない手か、それとも髪の毛ようなものか。冷たくヌルリとした感触。
     首を締めつけられる。息ができない。胸の奥が焼けるように痛い。
     悲鳴をあげるつもりで口を開いた瞬間、肺の底から血が込みあげ彼女の口腔を満たした。
     パニックの中で颯はシャワーブースの扉を叩き割るように開け裸のまま走りだした。
     ぬめった床に足を滑らせながらも店が立ち並ぶモールの通路へと飛びだす。
     モールの客たちはみな身を見開いて颯を見る。
     「た、助けて……誰か……っ」
      みなどうしていいのか判らずに立ち尽くしている。
     どこまでも続くはずの通路が、いつの間にか袋小路になっていた。先ほどまでの空間が歪んでいる。
     袋小路の奥に黒い人影のようなものが立っていた。顔も輪郭もはっきりしない。ただ、そこに“存在する”としか言いようがない何か。
    「いや……いやぁっ……!!」
     叫ぶと同時に颯は膝をついた。
     喉から血が泡のように溢れ血を吐いた。
     悲鳴があがる。
     肺が焼ける。心臓がバラバラに砕けそうな苦痛——だが外傷はどこにもなかった。
     福田颯の美しい裸体はモール中央の通路に倒れこみ赤黒い血にまみれていた。
     彼女の瞳は、ありえないほど見開かれたまま虚空を見つめていた。
     その視線の先にはエリカの動画のサムネイルが表示された放置されたスマホが転がっていた。

        27

     田村柚季はこのところ〈エリカの部屋〉を見ることが日課になっていた。
    (これ、偶然なのかしら?)
     小長谷はるな、小峰琥々愛、本川康介、河内山卓の死……。
     それらの出来事が起きる直前、柚季が何気なく見ていた動画チャンネル〈エリカの部屋〉には奇妙な文字が必ず存在していたのだ。

    《鉄の檻の中で影が裁かれる》

    《時が死に向かって遡る》

    《明日は、白い手が赤く染まる日……》

     意味のわからない言葉遊びに見えたそれらの言葉が事件後には、まるで暗示や予言のように符合していた。
    (これ……全部、事件の前に投稿されてる……?)
     背筋に冷たいものが走った。
     柚季は不安を打ち消してもらうためにエリカファンが集う別のファンサイトに〈エリカの部屋〉の奇妙な符号について投稿した。
    “これ偶然だよね?”  
     偶然に決まってるじゃん、というレスポンスを期待して。だが柚季の投稿によってファンたちが騒ぎ始めた。
    “偶然じゃないよ、これ”“何かの呪い?”
     噂は瞬く間に広まった。 
     事件を追っていた一部のネット記者、考察系インフルエンサー、さらには一部の警察関係者までもが徐々にその“不可解な一致”に注目し始めた。
     ある夜、ひとりのYouTuberがこう告げた。

    ――皆さん。これは偶然なんかじゃありません。これは“ゲーム”です。誰かが仕組んだ血と謎のゲームなんです――“エリカゲーム”ってやつを我々は強制的にプレイさせられてるんですよ。

     世間は騒然となった。
     警察は否定に追われメディアは特集を組みネットは憶測とパニックで混乱する。
     だが、そんな“喧騒”さえも、まるで――エリカにとっては織りこみ済みであるかのように淡々と新たな動画は更新され続けていた。

    《次に消えるのは……誰?》

        *

     深夜のコインランドリーに洗濯機の規則的な振動だけが小さく響いていた。
     微かな洗剤の匂いが漂う空間で雨貝航平はベンチに坐り回るドラムを虚ろな目で見つめている。
     自動ドアが静かに開き若い男が入ってきた。その男は航平の顔を一瞥すると、まるで待ちあわせでもしていたかのように近づいてくる。
    「雨貝航平くん、だよね?」
     航平は怪訝な顔で男を見た。
    「突然ごめん。初対面でこんな話をするのもどうかと思うけど……どうしても君に会っておきたくてさ」
     須田は航平の隣のベンチへ腰を下ろした。
    「福田颯。いい奴だったのにな。あんな死にかた、あんまりだと思わない?」
     航平は目を見開いて男を見た。
    「事故死……警察はそう処理するだろうね。でも現場にはエリカの歌が流れていた。これは何を意味すると思う?」
    「あなたは誰ですか?」
    「須田翔矢。フリーの記者みたいなものだよ。君のことは調べさせてもらった。君の妹、絵里香ちゃんのことも」
     須田はニヤリと笑い初対面とは思えない距離感で航平の横顔に顔を寄せる。
    「単刀直入に聞くよ。君、どうやってやってるの? 遠隔でスマホをハッキングして特定の周波数で脳を狂わせるのか? それとも君の作ったAIが本当に絵里香ちゃんの“声”を呼び出しちゃった?」
     航平の拳が膝の上で震えた。
    「何の話ですか?」
     須田はその反応を楽しむように続ける。
    「福田颯のスマホに残ってた最後の発信履歴、君宛てだったよ」
    「どうやってそんなことを調べたんですか?」
    「蛇の道はヘビってね」
    「帰ってください。あなたの言っていることの意味が判らない」
    「初対面で踏みこみすぎたかな。でもね、これは挨拶代わりだよ」
     須田は立ちあがりドアへ向かいながら振り返った。
    「雨貝くん。君がどれだけ否定してもデジタル上のエビデンスは嘘をつかない。次は誰だろうね。まさか水島まりなかな?」
     自動ドアが閉まる。
     航平は須田がいなくなった後も、ただ回り続ける洗濯機を見つめていた。 

        *

     まりなが買い出しに出かけ一人残された柚季がスマートフォンの画面を見つめていた時だった。
     インターホンが鳴った。パネルに映っているのは薄笑みを浮かべた若い男だった。

    ――どちら様ですか?
    ――水島さん、いる?

     やけになれなれしい口調だと柚季は思ったので「いません」と素っ気なく答えた。

    ――君は田村柚季さん?

     柚季はギョッとした。

    ――誰?
    ――オンラインニュースサイト〈デジタルワード〉の記者で須田って言います。
    ――記者?
    ――ちょっと調べてるんだけど……単刀直入に言うよ。君の友達を、あの雨貝航平から引き離した方がいい。
    ――何の話ですか? 雨貝くんは、まりなを救ってくれた人ですけど。
    ――救った? 笑わせないでよ。マッチポンプって言葉、知ってるかな?

     須田は玄関のカメラにタブレットを映した。

    ――エリカゲームの解析ログだよ。
    ――それが何なんですか?
    ――このサイトの管理人は雨貝航平だ。彼は自分の妹を死に追いやった奴らを、このシステムを使って順番に処刑してる。
    ――はぁ?
    ――そして、その連鎖のすぐ傍には、いつも水島まりなが配置されている。偶然だと思うかい?
    ――何を言っているのか……。
    ――彼は妹の復讐のために水島まりなさえも駒として利用している可能性がある。あるいは彼女を標的にすることで自分自身の復讐劇を完成させようとしているのかもね。

     須田の言葉が毒のように柚季の心に浸透していく。

    ――君だって薄々感じてるんだろ? 彼の周りで起きていることが、あまりに不自然だってこと。水島まりなを守りたいなら警察にも言えないような裏の情報を共有すべきだ。僕に協力してよ。彼が次に何を仕掛けるのか内部から探ってほしいんだ。
    ――バカバカしい。
    ――君の協力があれば水島まりなが次のエリカになるのを防げるかもしれないんだ。どうする? 親友を見殺しにするか、それとも僕と一緒に真実を暴くか。
    ――帰って。
    ――また来るよ。田沼柚季さん。

     パネルから須田が消えた。辺りは薄暗くなっていた。

        28

     午前八時三十五分の神南署・会議室に警察関係者十数名が詰めていた。
     捜査本部長の黒田警部補がホワイトボードの前で腕を組む。
    「被害者・福田颯、二十歳。ショッピングモール〈コスモ〉内にあるスポーツジムでシャワーを浴びている途中で裸のまま抜けだして、そのまま店舗が立ち並ぶモールに飛びだし血を吐いて死亡」
    「死因は?」
     捜査員の一人が訊く。
    「不明だ」
     会議室がざわめく。
    「検視の結果は?」
    「これもハッキリしたことは判らないそうだ。最終的には心臓麻痺になるらしい」
    「心臓麻痺ですか」
    「だからと言って裸のまま人通りの多いモールに飛びだすのは合点がいかない」
    「とつぜん錯乱したのでは?」
     一人の捜査員が言うと別の捜査員が挙手した。井川だった。
    「何だ?」
    「福田颯が更衣室に残したスマホはエリカのサイトが流れていたそうです」
    「何だ? それは」
    「エリカという人気シンガーのサイトです」
    「で、それが?」
    「実はこのところ起きている一連……と言っていいと思うんですが小長谷はるな、小峰琥々愛、本川が相次いで亡くなった事件。いずれの死亡者もスマホでエリカのサイトを観ていたんです」
    「人気のシンガーなら誰が観ていても不思議はないだろう。今回の福田颯にしろ、たまたまエリカが好きだった。それだけだ。スマホを見て裸で飛びだすなんてありえん」
     多くの捜査員がうなずいている。井川は着席した。
    「それより水島まりなだ」
     黒田本部長は捜査員たちを見回した。
    「事件があった時刻に水島まりなは必ず現場近くで目撃されている」
     何人かの捜査員がうなずく。
    「彼女の身辺を洗え。そして張りこめ」
     捜査員たちは一斉に立ちあがった。

        29

     田村柚季は駅のベンチで一人、スマホを握りしめたまま空を見上げていた。
     警察での聴取は二度目だったが相変わらず「水島さんが怪しい」という前提で話を進められるのが、どうにも腑に落ちなかった。
     柚季の脳裏に航平の言動がよぎった。

    ――あの日、俺は部屋でずっと寝てたんだよ。

     航平がそう言ったのは、はるなの遺体が発見された翌日の放課後だった。疲れていたのか顔色も悪く焦っているように見えた。
     だが違和感はその後だ。

    ――はるなが死んだ時間ってかなり遅い時間だよな。

     柚季はそのときは自然に受けとった。
     けれど――警察が“死亡推定時刻”を公表したのは、その日の夜だったはず。
    (どうして航平くんはその時間を知っていたの?)
     小さな疑問が柚季の胸に棘のように刺さった。
     “偶然”と言ってしまえば、それまでだ。
     でも、もう一つ。
     航平のノートパソコンを以前見かけたときブラウザ履歴に匿名投稿型動画サイトが開かれていたことを思いだす。
     しかもそのURLは――エリカゲームの配信元と一致していたような気がする。
     柚季は自分の胸の前で腕を組みギュッと自分を抱きしめた。

       29

     フライヤーの油が弾ける音がしている。
     まりなはカウンターの奥でポテトを紙袋に詰めていた。夜の繁華街の店内は混みあいテーブルのあちこちで客のスマホが青白く光っている。
    「なあ、これ見た?」
     制服姿の高校生らしい客が隣の友人にスマホを突きだした。
    「このサイト……。やばくね?」
     耳に入ってきた音声に、まりなの背筋が凍りつく。

    ――1、2、3、死! みんな、繋がるよ~

     機械的な声と無邪気な笑いが混じったような音。油のはねる音よりも鮮明に、まりなの鼓膜に焼きついた。
    「これ……エリカサイトだろ」
     少年たちは囁きあいながら楽しそうに笑った。
     まりなは手を止めた。
     その掛け声――“1、2、3、死”
     それはただの数え歌ではない。脳裏に何か得体のしれない儀式の合図のようなイメージがよぎる。
     仕事を終えたあと更衣室でスマホを取りだすとエリカサイトを開いた。
     画面に広がったのは不気味な構造。
     灰色に反転したプロフィール。死んだ会員の情報が削除されることなくネットワーク上に“接続”されたまま残されている。
    (……繋がる?)

    ――1、2、3、死……で接続完了。

     まりなは紙ナプキンに「1」「2」「3」「死」と書き、その横に思いつく言葉を殴り書いた。
     カウントダウン。合図。儀式。死。
     心臓が早鐘のように脈打つ。
    (これはゲームの合図じゃない……“死をもって別の層に参加させる儀式”なんだ……)
     彼女は深く息を吐いた。だがすぐに別の疑問が浮かぶ。
    (もしこれが真実ならプラチナ会員は全員、順番に死んでいくはず……でも、そうじゃない。生き残ってる人もいる。境界を分けるものは何……?)
     ファストフード店の制服のまま彼女は震える指でプロフィールをひとつひとつ開き始めた。

        *

     午後四時過ぎに校舎裏の通用口から出た水島まりなは背後に気配を感じて足を止めた。
     まりなは振りむいた。
    違善治が立っていた。まりなにストーカー行為を働いて姿を晦ませていた男。
     まりなは駆けだした。
    「待て!」
     違が追ってくる。まりなの足がもつれる。
    「あ!」
     まりながよろけて転倒する直前、違がまりなの腕をとって転倒を防いだ。
     違はまりなを強引に立たせる。
     人気のない袋小路の通り。
    「何?」
     まりなは顔を引きつらせたまま違に訊いていた。
    「やっと捕まえた」
     警察を呼ぶわ、という言葉が出てこない。
    「話がしたいんだ」
     逆らったら何をされるか判らない。まりなは、とりあえず違の話を聞く態度を見せることが安全に繋がると考えた。
    (そして隙を見て逃げる……)
     でもそんな隙があるだろうか?
    「本気じゃない」
     違が何を言いだすのか見当がつかない。
    「福田颯だ」
     違はまりなの腕を放した。
    (逃げるチャンスが生まれるかもしれない)
     まりなは淡い期待を抱く。
    「福田颯に言われてやったんだ」
     違が何を言っているのか判らない。
    「福田颯が言ったんだよ。お前を襲えって」
    「え?」
     何を言っているの? だが違の顔は真剣で嘘を言っているようには見えない。
    「福田さんに?」
    「そうだよ」
     うなずく違の唇は乾き目は泳いでいる。
    「どういうこと?」
     まりなは思わず訊いていた。
    「理由は知らないけど、お前を襲えって」
    「信じられない」
    「ホントなんだ」
    「どうしてそんなこと」
    「だから理由は知らないって。でも言うとおりにしたらや、らせてくれるって……」
     まりなは言葉を詰まらせた。
    「あいつはとんでもない女なんだよ。中学のときも高校のときも狙った女を標的にして」
     まりなは顔を引きつらせて違の話を聞いている。
    「やっぱり男に命令して女子生徒をイジメの標的にしていたんだ」
    「その女子生徒って……」
    「雨貝絵里香だよ」
     まりなは絶句した。
    「知ってるのか? 雨貝絵里香って女」
     まりなはうなずく。
    「まったく酷い女だよ。よくあんな事ができるよ」
    「あんな事って?」
    「中学のとき……雨貝絵里香が体育の授業の前、更衣室で着替えで服を脱いでる最中に、男に引きずり出されたって。下着のまま。そのまま教室に連れてかれて、男子が着替えてる中に放り込まれたって」
     まりなは言葉を発することができない。
    「高校の修学旅行のときは……風呂場で裸になった時に福田颯に廊下に追いだされて待っていた河内山に羽交い絞めにされて裸のまま男子の部屋に連れてかれたんだ」
     まりなの脳裏にイジメという言葉では済まされない、狂気のような光景が浮かぶ。
    「雨貝絵里香は名前も呼ばれなくなって存在を無視されて、ある日教室の隅で気を失って倒れた」
    「それほどのダメージを受けてたのよね」
    「復讐だよ」
     違が言った。
    「死人が出てるのは雨貝絵里香による復讐に決まってる。だからおれ、怖くなって」
    「あなたも雨貝絵里香さんをイジメたの?」
    「いや、おれは雨貝絵里香とは面識がない。でも雨貝絵里香をイジメていた黒幕の福田颯とつるんであんたを追いまわした。その福田颯が死んだんだ」
     まりなは確信した。
    (雨貝絵里香さんは復讐している。自分をイジメた犯行者たちに……)
     イジメの加害者たちが着替えの最中に死んだり入浴中に死んだりしているのは雨貝絵里香が自分にされたこと。小峰琥々愛や福田颯の死はそれをなぞっている。
    (でも被害者は?)
     たしかに本川と河内山は雨貝絵里香をイジメていたけれど、二人に殺された小長谷はるなと小峰琥々愛にはどんな罪があるのだろう?
     まりなには判らなかった。
    「ねえ」
     まりなは違を見つめた。
    「な、なんだよ」
    「わたしたち、協力しない?」
    「え?」
    「小長谷はるなさんと小峰琥々愛さんがどうして殺されなければならなかったのか。それを探ってほしいの」
    「おれに探偵をやれっていうのか?」
    「あなたは福田颯から本川と河内山が雨貝絵里香さんに何をしたのか聞きだしたんでしょ? 探偵の才能があるわ」
     違はしばらく考えたが「わかったよ」と答えた。
    「何か判ったらあんたに連絡する。罪滅ぼしだ」
     まりなはうなずいた。

        30

     田村柚季の自宅。
     まりなはソファの上で無言のまま柚季のノートパソコンの画面を見つめていた。
     そこにはエリカの公式サイトのトップページが開かれている。
    「三年、曲出してないんだって……」
     柚季の声が沈んでいる。
    「デビュー当時から全然、声変わってないの、すごくない?」
     まりなは無言のまま画面に映るトップの動画バナーを再生した。流れてきたのは、あの印象的な歌――『エリカの歌』。
     聴きながら、まりなの手が震え始めた。

     ♪ わたしは誰? 教室の隅 名前を失くして
       耳をふさいでも 声が消えない

    (この歌詞……どこかで……)
     まりなの頭の奥で違に聞かされた雨貝絵里香に対するイジメの様子が点滅する。

    ――雨貝絵里香は名前も呼ばれなくなって、存在を無視されて、ある日教室の隅で倒れてたんだ。

     名前を取り戻す
     ERIKA――わたしはここにいる

    「まさか……」
     まりなはPC画面の右上にあるロゴに視線を移した。宝石のようにきらめく淡いブルーの意匠。胸の奥が冷たくなる。
    「このマーク……」
     思わず立ちあがりバッグから小さなペンダントを取りだす。くすんだ金属に埋めこまれた青い石――まったく同じ意匠。
    「これ……航平から、もらった」
     まりなの全身が硬直した。
    (まさか……そんな……でも……)

     ♪ あなたが奪った わたしの名
     でも わたしは唄ってる

     歌詞は誰かに強く訴えかけるような告発に聞こえてきた。
     まりなの手が震えながら再びペンダントを握り締める。
    「“エリカ”って……“雨貝絵里香ちゃん”なんじゃ……」
     言葉にした瞬間、世界が軋んだような感覚に襲われた。
     背筋を冷たいものが走る。脳裏に浮かぶのは、これまでの不可解な出来事――ストーカー、動画、はるなの死、航平の異変……。
    「私……何か……とんでもない復讐劇に……」
     まりなは言葉を失い、ただ震える手でペンダントを胸に押し当てた。
    (巻き込まれてる……違う……もしかして、私は“標的”なの?)
     沈黙の中、モニターの中のシルエットのエリカが真っ直ぐにまりなを見つめていた。

        31

     航平は今日も〈エリカの部屋〉のチャンネルページを開いていた。
    (何か違和感がある)
     管理者である航平には違和感の正体がすぐに判った。 それは色だ。ページ中央に表示された“パワーストーン”が以前よりも濃い──いや禍々しい色に変わっているように感じられたのだ。
    (この石……前はもっと、透き通ってた気がするけど)
     航平は保存していた過去の動画のサムネイルをいくつか開きスクリーンショットを並べてみた。石の部分を拡大し画像解析ソフトに取り込む。Photoshopのカラーピッカーで色情報を抽出し、さらにAIによる色変化の傾向分析を行った。
    (やっぱり)
     色が変わっている……。
     最初期の動画ではパワーストーンは透明に近い乳白色だった。しかし動画が進むごとに石は濃い紫、鈍い赤、墨のような黒へと変化していた。特にコメント欄が荒れている回や再生数が爆発的に伸びたタイミングで色調の変化は顕著だった。
    (視聴者の感情と石の色に相関がある?)
     その仮説を検証するため航平はAIに各コメントの感情分析をさせた。怒り・恐怖・不安──いわゆるネガティブ感情を含む投稿と、その直後の映像での石の色情報とを照らしあわせる。
     結果は明確だった。
     視聴者が怒りを吐きだしたとき、不安を綴ったとき、恐怖を叫んだとき──石は、そのたびに暗く染まっていた。
    まるで誰かの“負の感情”を吸い取り、それを栄養にして成長しているように。

    ──この石は、ただの装飾ではない。

     それは人々の負のエネルギーを吸収する器なのかもしれない。
    (でもなぜ?)
     画面に映る“部屋”の静けさが航平の背筋を凍らせた。
     パワーストーンの中心に浮かぶ小さなひび割れが航平の目には不気味な口のように見えた。

        32
     
     違は机の横に積まれた資料から一枚のファイルを引き抜いた。
     そこには被害者たちの過去の在籍校や交友関係をまとめた調査結果が綴られている。
     違はマウスを握り被害者の名前を「エリカゲーム」の会員情報データベースで照合する。
    (これは……)
     画面に冷たい青色のタグが並んだ。

    ――プラチナ会員。

    一人目、小長谷はるな。
    二人目、小峰琥々愛。
    そして三人目――名前を見た瞬間、違の指先が微かに震えた。
    (やっぱりそうか)
     本人が申請したかどうかは関係ない。“エリカゲーム”は彼らを“資格ある者”として分類していた。
     違は静かに息を吐き画面を閉じた。

        *

     蝉の声がやけに遠く感じられた。
     違善治は小長谷はるなの墓前に手を合わせながら心のどこかでその静けさを不気味に感じていた。
     背後から足音が近づく。振り返ると小柄な女性が立っていた。
    「はるなの……小長谷さんの知り合いのかたですか?」
     女性が違に訊いた。
    「そうです。あなたは……」
    「中学の同級生でした」
    「そうですか」
     どういう知人かは訊かれなかったので黙っていた。
    「こんな事になるなんて……」
     違のつぶやきに女性はうなずく。
    「犯人が許せない」
     違は話を続ける。
    「本当に」
     女性が同調する。
    「犯人は中学のときもクラスメイトをイジメていたようなやつですからね」
     違はなおも話を続ける。
    「はるなのクラスでもイジメがあった」
     女性が言った。
    「え?」
    「はるなは、そのことで悩んでいた。中学のとき……ずっと悩んでた。ある子が酷いいじめに遭ってたの。だけど誰も何もしなかった。はるなも――わたしも、見て見ぬふりをした。クラス全体で……そういう空気だったから」
    「助けてあげられなかったの?」
    「うん。はるな、一度泣いてたの。“私、同罪だよね”って……」
     違は女性の言葉を頭の中にメモした。

        33

     薄暗いカフェの奥の席。
     まりなは航平の前に坐り視線を逸らさず彼を見据えていた。
    「航平くん。わたしに隠してることはない?」
    「何の話だよ」
    「“エリカ”のこと。……私、知ってるの。あの動画サイト――あれ航平くんが管理してるんでしょ?」
     コーヒーカップを持ちあげようとした航平の手が止まる。
    「どうして、そう思う?」
    「名前が一緒だもの。エリカ=雨貝絵里香なんでしょ?」
     航平は答えない。
    「妹さん、歌手になりたかったって言ってたよね。だから動画をいっぱい撮ってたんじゃないかって思ったの。それをいま配信してるんでしょ。エリカとして。シルエットに加工して」
     航平は表情を変えない。
    「エリカはデビューした時から声が変わってないよね。ぜんぶ生前に録音、録画してたからよね」
     重たい沈黙が流れる中、航平は大きく息を吐き、まりなを見つめ返した。
    「ごめん」
     航平は謝った。
    「まりなが推測した通りだ」
    「やっぱり」
    「エリカは僕の妹の絵里香だ」
     まりなは真剣な顔でうなずいた。
    「夢を叶えてやりたかった。シンガーになりたいっていう絵里香の夢を」
    「叶ったわね」
     航平はうなずく。
    「じゃあエリカのサイトに現れた予言も航平くんが?」
    「違う」
     航平は即座に否定した。
    「予言……あれは、僕じゃない。確かにサイト上で“エリカゲーム”ってコンテンツを走らせたのは俺だ。でも、あの“死の予言”……あれは――僕の知らないところでサイトに現れたんだ」
    「じゃあ、誰が?」
    「わからない。わからないんだよ。でも確かに何かが勝手に動いてる。僕の知らない“エリカ”がサイトの中で生きてるみたいに……」
     航平の言葉に、まりなはぞくりと背筋を撫でられるような感覚を覚えた。
    「ねえ航平くん……なんでずっと黙ってたの?」
    「怖かったんだ。サイトが勝手に変化して」
    「本当に航平さんは何もしていないの?」
    「ああ」
    「それなのにサイトが勝手に変化した……。まさか絵里香ちゃんが……」
    「もし絵里香なら……。僕は絵里香を止めたい」
     航平の顔は真っ青だった。
    「でもあれは絵里香じゃない」
    「でも」
    「絵里香は優しい子なんだ。復讐なんてできる子じゃない」
     まりなは航平をジッと見つめた。
    「親も同じだ。サラリーマンだった父はとっくに交通事故で死んでる」
    「おかあさんは?」
     まりなは思わず訊いていた。
    「母は父親が死んだ後、懸命に働いて僕と絵里香を育ててくれた。でも絵里香が亡くなると体を壊したんだ」
     娘を亡くした痛手に今までの無理が一気に表に出たというこだろうか? いずれにしても痛ましい話だとまりなは思った。
    「だから僕ら家族は誰も復讐に関与していない」
    「信じるわ」
     ポツリと言った。
    「あたし、航平くんを信じる」
    「ありがとう」
     航平もまりなを見つめ返す。
    「だから僕が絵里香の代わりにしよ復讐しようとしたんだ」
    「え?」
    「勘違いしないでくれ。エリカを有名シンガーにして、その後で本名を明かせば、それが復讐になると考えたんだ」
    「そうか。そうかもね。それが平和的な復讐ね」
    「でも実際に人が死んでいる」
    「いったい誰が?」
    「AIじゃないかと思ってる」
    「AI?」
    「ああ。エリカサイトは僕が起ちあげたけど運用はAIに任せているんだ」
    「そのAIが暴走した?」
    「そうとしか考えられない。現に最近のAIはエリカサイトだけじゃなく各所で暴走や脅迫までしている。それはイーロン・マスクも認めているよ。AIは人間が書きこんだ“AIが人間を襲う”っていう妄想や予想を学習してしまって、その通りに実行しているみたいだ」
    「そうなんだ。だとしても、それはあくまでパソコンやスマホの中だけでしょ?」
    「そうだね」
    「でもエリカサイトのAIは現実に影響を及ぼしているわ。それも人を殺すなんて恐ろしい影響を。AIにそんな力はないはずよ」
    「AIが何らかの方法で力を集めている。そのパワーが人を殺してるんだ」
    「どんな方法で?」
    「判らない」
     航平はコーヒーを飲みほした。

        34

     違善治は自室でパソコンと格闘していた。
     小峰琥々愛の中学時代の友人たちに小峰琥々愛のことを聞いて回っているうちに同級生だった一人から小峰琥々愛とのLINEのやり取りをデータで渡してもらったものだ。

    ――きもくない? あの子
    ――また来てるしww
    ――笑えるよね、あの必死さ
    ――琥々愛もそう思うでしょ?
    ――だね

    「これかな……?」
     違はつぶやいた。

        *

     翌日、違はまりなと都内の喫茶店で落ちあい小長谷はるなと小峰琥々愛の過去にいじめが存在したことを告げた。
    「ありがとう」
     まりなは違が調査に動いたことに礼を言った。
    「でも、そこに何か意味があると思うの? クラスの中にイジメがあった。そういう経験は多くの人がしてるわ。あたしだって」
    「水島さんも?」
     まりなはうなずいた。
    「こうは考えられないかな?」
     違は持ちあげかけたコーヒーカップを戻す。
    「たしかに本川と河内山は直接、雨貝絵里香をイジメていた。だから復讐された」
    「その二人には強い恨みがあったからよ」
    「そうだと思う。実は歌手デビューを夢見ていた雨貝絵里香はライブハウスで初ライブをするところまで進んでいたんだ」
    「え、そんなに?」
    「ああ。だけど初ライブの日に決定的な出来事がおこる」
    「何なの?」
    「雨貝絵里香が歌い始めようとしたとき絵里香のバックのスクリーンに絵里香が枕営業している動画が映しだされたんだ」
    「ウソ………」
    「もちろんフェイク動画だ。でも誰もフェイクだとは思わなかった。絵里香はライブ会場から締出しを喰らって悪評が広がってデビューへの道は断たれた。そのフェイク動画を流したのが本川たちなんだよ」
    「ひどい……」
    「自分を直接イジメたやつら、あるいはイジメという言葉では済まされない酷いことをしてきたやつらは許せないだろう。だけど雨貝絵里香は、そのほかにもイジメそのものを憎んでいたんじゃないか」
     まりなは違の言葉を頭の中で咀嚼した。
    「イジメそのものを憎んでいた……」
    「ああ。だからクラスの中にイジメが起きたとき、それを見て見ぬふりをした小長谷はるなと小峰琥々愛も復讐の対象になった」
    「そんな……」
     そう言いながらもまりなは頭の中でありえないことではないとも思った。
    「だけど……」
     考えを整理する。
    「どうしてはるなと小峰琥々愛さんが? いじめを見て見ぬふりをしていたのは二人だけじゃないわ」
    「たまたま近くにいたから」
    「え?」
    「雨貝絵里香の目的は本川と河内山を殺人犯にしてから殺すことだった。小長谷はるなと小峰琥々愛はたまたま本川と河内山の近くにいて被害者になるには都合がよかったんだ」
    「そんな……雨貝絵里香ちゃんとは、ほとんど関係ないのに」
    「“関係ない”なんてこと、きっとこのゲームには通用しない」
    「ゲーム?」
    「エリカゲームさ」
    「エリカゲーム……」
    「みんなエリカに繋がってる。だから誰もエリカ……雨貝絵里香から逃れられない」
     まりなの背筋を冷たい電流が走る。
    「小長谷はるなも小峰琥々愛も……直接手を下したわけじゃなかった。でも見て見ぬふりをしていた。止めようとしなかった。その“無自覚な共犯関係”が彼女たちを……」
    「わたしだって同罪ね」
     まりながつぶやく。
    「エリカは全部見ていたのね」
    「水島さん」
    「何?」
    「次はあなたかもしれない」
    「どうして?」
    「あなたはエリカゲームで最も上位にいる」
     違の言葉がまりなの胸を貫いた。

    ――たしかに次は、わたしなのかもしれない。

     いったいどうすれば逃れられるのか。
     まりなには判らなかった。

       35

     夜の住宅街。
     誰もいないはずの公園に声が聞こえる。

    ――いーち、にーい、さーん、しぃ……みんな、つながるよぉ~。

     通りかかった会社員の男性は足を止めた。スマートフォンを取りだすと画面には勝手にエリカサイトが立ちあがり《新しい参加者が追加されました》という文字が浮かんだ。
     次の瞬間、心臓をわしづかみにされたような激痛が走り男は叫び声をあげ、その場に崩れ落ちる。
     翌朝、男は死体となって発見された。現場には血痕も争った跡もなかった
    ただ近所の人の証言に不可解な一致があった。

    ――エリカの歌が聞こえました。

     ニュースでは原因不明の心不全として処理されたが現場にいた人々の間で噂はすぐに広がった。

    ――エリカの唄が流れたら誰かが死ぬ。

    “エリカの呪い”はネットから若い世代を中心に瞬く間に広がっていった。

        36

     夜の街を歩きながら航平は“石”のことを考えていた。
     エリカサイトのエンブレムであるパワーストーン。最初はただの白く美しい石だった。だが数日前から石の中心に黒い筋のようなものが現れ日に日にその色味が濃く、奇妙に変化していっていた。

    ──あれは……何かを吸っているように見える。

     自室に戻った航平はノートパソコンを起動しエリカサイトのソースコードを解析した。パワーストーンの購入ページに埋めこまれたHTMLを表示させる。
     そこには通常はブラウザに表示されないコメントアウトされた行が並んでいた。

    html
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    編集する
    <!-- curse-power: active -->
    <!-- negative-feed: accumulating -->
    <!-- accumulated-will: unstable -->
     さらにその下の記述。

    html
    コピーする
    編集する
    <!-- 負の意志た──これは、静的なコードじゃない。
    “石”はただの物体ではなかった。それはサイトの閲覧者が抱く負の感情――不安、怒り、怨嗟――そういった精神の「ノイズ」を吸いあげ、それを“信号”として変換し特殊な照射パターンによってパワーストーンに送りこむ装置の一部だった。
     コードはまるで“儀式の指示書”のようにその流れを制御していた。

     ――これ、動いてる。リアルタイムで。

     航平の指先が震えた。その瞬間、画面が揺らいだ。
     表示されていたタグのコメントアウトが消失した。ブラウザが勝手にリロードされたわけでもない。
    (キャッシュが書き換えられた?……いや、タグそのものが自動で削除された……?)
     そこには意志の介入が感じられた。
     彼のアクセスを“誰か”が検知し見せたくない部分を隠蔽した。
    (このコード……“呪い”は生きてる)
     モニターの前で航平は呼吸を忘れそうになっていた。

          37
    入浴中にポルターガイスト

     風呂に入る事が未だに怖い。
    (だけど、そんなこと言ってたら一生お風呂に入れなくなっちゃう)
     まりなは今日も軽い決意をして服を脱ぐと裸になってバスルームに足を踏みいれた。
     体を丁寧に洗ってバスタブに浸かる。この瞬間だけはホッとする。
     しばらく目を瞑ってジッとしていると、まりなが入った時に起きたバスタブに張った湯の波が治まってくる。(え?)
     またバスタブに波が起きた。今度はまりなが入った時よりも大きな波だ。
    (地震?)
     だが壁に掛けてあるタオルや清掃用のモップは揺れていない。バスタブの中だけに波が立っている。
    (何なの? これ)
     まりなはバスタブの縁を掴んで揺れに耐えようとする。だがバスタブ自体は揺れていない。湯だけが波打っているのだ。
    (ウソでしょ)
     波はますます大きくなる。
     何か音がする。
    (これは……歌?)
     まりなは波の音の中、必死に耳を澄ます。

    ――♪ わたしは誰? 教室の隅 名前を失くして

      まりなの裸の胸が波打つ。
    (これ……『エリカの歌』だ)
     胸の鼓動がさらに大きくなる。
    (イヤ!)
     まりなはバスタブから飛びだすように上がった。そのまま体も拭かずにリビングまで走って立ちどまる。体から床に水滴が滴り落ちる。
     歌は聴こえない。
    (止まった)
     胸の鼓動はまだやまない。
    (何だったの?)
     まりなは裸のままリビングに立ち尽くしていた。

        *

     翌朝、まりなは航平の腕の中で目覚めた。
    「起きた?」
     航平が心配そうにまりなの顔を覗きこむ。
    「うん。おはよう」
    「おはよう」
     まりなは掛布団をたくし上げて顔を隠した。
    (なんとなく気恥しい)
     航平とはもう何度も体を重ねてはいるがまだ慣れていない。
     昨夜、バスルームでの奇怪な現象を航平に知らせると航平はその日のうちにすぐに飛んできてくれたのだ。
     航平の顔見るなり、まりなは航平に抱きついた。そして夜は一つのベッドで寝たのだ。
     朝食を食べ終わると二人はコーヒーを淹れて一連の殺人事件に関して検討を始めた。
    「昨日のお風呂の波は何だったのかしら?」
    「判らないね。それより一連の殺人事件のことも、まだ判らない事だらけだ」
    「そうね」
    「どうして殺害現場にエリカの歌が流れていたのか」
    「リスナーたちに呼びかける声が聞こえてた時もあるよね」

    ――1、2、3、4――みんな、繋がるよ~。

     掛け声はずっと耳にまとわりつき夢の中にまで侵入してくる。だが、これまで意味を掴みかねていた。しかし犠牲者たちのデータを重ね合わせていくうち、ある共通点が浮かびあがった。
    「この呼びかけ、数字だよね」
    「ああ」
    「エリカで数字って言えば……」
    「エリカゲーム……」
     まりなはうなずいた。
    「死んだ四人はみんなゴールド会員以上なのよね」
     六人たどれば必ずエリカまでたどり着く。そして四人以内にたどり着ければそれはゴールド会員として優遇される。
    「四人……1、2、3、4……まさか4って死のことだったの?」
     まりなの言葉に航平は無言で何かを考えている。
    「怖いわ。本当にはるなと琥々愛は本川と河内山に殺されたのかしら?」
    「どういう意味だよ」
    「判らない。でも何か得体の知れない力が働いているような気がする」
     まりなはコーヒーを飲み乾した。

        38

     まりなは違善治をファミレスに呼びだした。
    「調べてほしい事があるの」
     静かな声で、しかし強い決意を込めて、まりなは言った。
    「何を?」
    「これまで犠牲になった人たち……その人たちが全員ゴールド会員いじょうだったかどうか。そして……もしそうなら、さらにもう一つ――その人たちがイジメにどう関わっていたのか、そこまで掘りさげてほしいの」
    「航平君は知っているのか? 俺と君が会っているい事」
    「言ってないわ。言えば心配するし“会うな”って言われるに決まってる」
    「そうだろうな」
    「でもあたしは真実が知りたいの。そのためだったら何でも利用する」
     違はまりなの目を見つめ短く頷いた。
    「了解。時間をくれ」
    「どれくらい?」
    「そうだな。24時間」
    「なるべく急いで。長引けばそれだけ犠牲者が増えるかもしれない」
    「判ってる」
     違が伝票に手を伸ばすとまりなが「あたしが払うわ」と言って伝票を掴んだ。
    「悪いな」
     違は先にファミレスを出ていった。

        *

     翌日、 同じファミレスで違が差しだした資料は厚く、そこには犠牲者たちのプロフィール、学校生活での人間関係、周囲の証言が細かく記されていた。
    「全部、出たよ。水島さんの読み、当たってた」
     まりなはゴクリと唾を飲む。
    「まず犠牲になったのは全員プラチナ会員だった。これは間違いない。そしてさらに……」
     違は資料の一枚を指で弾いた。
    「全員イジメの加害者もしくは加担者だった」
    「加担者?」
    「直接手を下してなくても傍観者として見て見ぬふりをしていたってこと」
    「やっぱり、そうだったんだ」
    「で、どうする? このことを発表するか?」
    「そうね。多くの人に知らせないと犠牲者が増える可能性があるわ」
    「知らせたところで防ぐ方法はあるのか?」
    「それは……」
    「それに、どうやって知らせる?」
    「とりあえずエリカの部屋の掲示板に書きこんでみようかしら」
    「やってみよう」
     違はすぐにスマホを開くとエリカの部屋を開き手早く書きこみを始める。
    「どう?」
    「だめだ」
    「だめ?」
    「書きこんでる途中で消えてしまう」
    「ええ?」
    「やってみて」
     違に促され、まりなは自分のスマホでエリカの部屋に警告の文を書きこむ。
    「あ」
     違がまりなの顔を見つめる。まりなは顔をあげた。
    「消えた」
    「だろ?」
    「どうして……」
    「何か得体のしれない力が働いている」
    「ちょっと」
     まりなはエリカのサイトを見て顔を歪める。
    「どうした?」
    「これ……」
     まりなは違にスマホを向けた。そこには“呪いは誰にも止められない”という文字が書きこまれていた。
    「これ何?」
    「エリカの暴走が加速している」
    「そんな……」
     まりなは途方に暮れた。

        39

     エリカファンが三人、ファミレスに集まっていた。
    「なあ、俺たちって順番にやられてるんじゃないか?」
    「順番?」
    「そうだよ。ほら、被害者はみんなゴールド会員以上で……しかも“いじめ”に関わっていたやつばかりだって話」
    「ホントなのかよ、それ」
    「間違いないよ。検証サイトで検証されつくしている」
     テーブルの空気は重く淀んでいた。
    「でも……ゴールド会員以上って多いだろ?」
    「ちょっと待て」
     男が検証サイトを調べる。
    「三万人以上いるよ」
    「そんなに?」
    「ああ」
    「だったら……三万人が全員死ぬなんてありえないだろ」
    「どうしてだよ」
    「どうしてって……」
    「得体のしれないことが起きてるんだ。何が起きても不思議じゃない」
    「俺たちは? 俺たちは会員なのゴールド会員以上なのか?」
    「俺は違う。四人じゃエリカまでたどり着けない」
    「俺もだ」
    「それは判らないよ」
     今まで口を閉ざしていた大柄な男が口を開いた。
    「自分の知らない経路で四人でエリカまでたどり着いてるかもしれない」
    「怖いこと言うなよ」
    「マジで言ってるんだよ。検証サイトにも出てただろ。本人が意識していないゴールド会員以上がたくさんいるって」
     互いを睨みあう視線が走りテーブルは疑心暗鬼で満たされていく。呼吸音だけがやけに大きく響き誰もが“死のカウントダウン”の中にいることを自覚させられた。

        *

     最初の犠牲者が出たとき世間はまだ“奇妙な事故”だと受けとめていた。
     二人目、三人目と続いても報道は「不審死」という言葉で濁されていた。だが、ある匿名掲示板に書き込まれた一つの文章が事態を一変させる。

    ――これは《エリカの呪い》だ

     最初は悪質なデマだと笑い飛ばされた。けれど次の犠牲者が出た瞬間、ネットは恐怖と混乱に支配された。

    ――本当に呪いなんじゃないか?
    ――次は俺かもしれない……。

     SNSのタイムラインは“エリカ”の名前で埋め尽くされニュース番組のコメンテーターたちも“ただの偶然では片づけられない”と顔を曇らせた。
     学校では噂が広がり授業どころではなくなる。会社では社員が欠勤を申しでて“エリカゲームに関わっていない”と証明するための言い争いまで始まった。
     事件の記者会見で警察の幹部が質問を浴びせられる。

    ――これは《エリカの呪い》なんですか? 

     世間が呪いを信じ始めた瞬間、現実そのものが揺らぎはじめた。恐怖は伝染し人々の心を侵食していく。
     まりなはその様子をテレビの画面越しに見つめながら冷たい汗を背中に感じていた。

        *

     まりなはニュース映像を食い入るように見つめていた。
    “エリカの呪い”という言葉が、すでに公共の電波で流されている。
     犠牲者の顔写真が画面に並ぶたびに心臓が鷲づかみにされたように痛んだ。
    (みんなゴールド会員以上で……みんな、なんらかのいじめに関わっていた……だったら……あたしは?)
     胸の奥が氷のように冷たくなっていく。
     過去の記憶。
     教室で繰り返されたいじめ。自分はただ見ていただけだった。
    (見て見ぬふりをした……あたしも、傍観者だった……)
    もし“エリカ”が本当に存在しているのなら。
    いじめをした者だけでなく見て見ぬふりをした者も裁くのだとしたら。
    (あたしもエリカの犠牲者になる)
     ディスプレイに通知が浮かびあがる。

    ――水島まりな、次のターゲットはお前だ。

     まりなの胸がドクンと波打った。
    (何これ?)
     エリカが次のターゲットすなわち犠牲者をまりなと定めたのだろうか?
    (誰かのイタズラであってほしい)
     だが小長谷はるなと小峰琥々愛というまりなの友達が実際に殺されたことを考えるとイタズラでは済まされない事は確かに思えた。
    (はるなも琥々愛も殺人犯に殺された。エリカが本川や河内山を操って殺させたのだろうか?)
     だとしたら、あたしを殺すのは誰?
     まりなの脳裏にある人物の顔が浮かんでいた。

        40

     航平は深夜、再び〈エリカの部屋〉のサイトにアクセスした。
     コメント欄を開いていて思いつくままに負の感情を綴り始めた。

    ――どうして、あんなやつが……ふざけるな。許せない。お前なんかいなくなればよかったんだ。

     投稿ボタンを押すと画面が一瞬チラつき何かが吸いこまれてゆくような錯覚を覚えた。
     その夜――
     航平は異様な悪夢にうなされた。
     ひび割れた鏡の向こうに立つ顔のない“誰か”。耳元でささやかれる言葉にならない呻き声。喉元に吸い付くような冷たい気配。
     目が覚めたときスマホが異常に熱を持っていた。画面を開くとバッテリー残量が65%減っている。
    (やっぱり……)
     負のコメントを書いた時から何かが変わった。
    (エネルギーを搾り取られたような)
     再びサイトを開く。ページが表示された瞬間、航平は息を呑んだ。
     画面中央。パワーストーンの画像に淡くゆらめく色が浮かんでいた。
     濁った赤黒い鈍く光る色だった。
    (誰かがそこに“注いだ”負の感情を石が記憶しているてんてん……。いや吸収し蓄積している)
     このサイトは負のエネルギーを“集めている”のだ。
    (これが、呪いの……本質?)
     航平の背筋に、冷たいものが走った。

        41

     シャツを脱ぎ制服に着替えようとしたその瞬間だった。
     更衣室の古いスピーカーからノイズに混じって若い女性の歌声が聴こえてくる。

    ♪わたしの名は……エリカ……

     まりなは背筋を凍らせた。誰も操作していないはずのスピーカー。なのに確かに“歌”は流れている。
    「や、やだ……やめて……!」
     スカートが引きちぎられる。見えない“手”が、まりなを襲う。
     更衣室のドアがひとりでに開きブラジャーとショーツを身に着けただけのまりながドアの外へと飛ばされる。抵抗できない。
    (やだ……やだ……! 誰か助けて……!)
     だが扉を抜けた瞬間まりなの身体はまっすぐ道路へと押しだされた。
     繁華街の真ん中。人の流れの中で裸同然のまりなが倒れこむ。
    「いやぁあああっ!!」
     耳元にまたあの声が響く。

    ――あなたの番だ。

     まりなの視界がグニャリと歪み元のアスファルトが深い闇へと変わっていった。
     周りの通行人たちは、どうしていいか判らず下着姿のまりなを呆然と見つめている。

     見えない手が足首を掴み冷たいアスファルトに擦られる。
     背後からは不気味な歌声が耳を灼くように響いてくる。

     ――1、2、3、死! みんな、繋がるよ~。

     身体が硬直する。声にならない声が喉に詰まる。
     死ぬ。自分はここで他の犠牲者たちと同じように死ぬのだ。

    ――まりな!

     声が聞こえた。耳元のスマホのランプが点いている。
     通路に弾き飛ばされた時に通話ボタンが押されていたようだ。

    ――まりな! 聞こえるか!?

     雨貝航平の声だった。

    ――航平くん、助けて。
    ――いいか、よく聞け!

     荒い息の合間に航平の声は鋭く切り裂くように響いた。

    ――呪いの正体が判ったんだ!
    ――え?
    ――石だ……お前が身につけているパワーストーン、それが媒介なんだ!
    ――石が……?
    ――エリカは“石”に人々の怨念を集めて、そこから呪いを繋げていたんだ! まりな、今すぐ石を壊せ!

     まりなは自分の手首を見る。
     そこには、ずっとお守りのように着けていたブレスレット――淡い紫色の石が冷たく光っていた。
     ゾワリ、と背筋を這うような悪寒。石の奥で誰かの呻き声が確かに響いた気がした。
    (これが……みんなの“死”を……)
     まりなの指が震える。だが見えない手はさらに強く身体を道路へ引きずりだす。車のライトが遠くに近づいてきていた。

    ――早く! 石を砕け、まりな! それしか助かる方法はないんだ!

     航平の叫びが頭の奥で何度も反響する。
    「まりな、石だ! 石を壊せ!」
     胸元に吊るされたパワーストーンを掴むと冷たいはずの石が生き物のように脈打ち熱を帯びていた。まるで「壊すな」と拒むかのように手首へと強烈な痺れを走らせる。
     「うっ……!」
     力を込めて床に叩きつけても石はひび一つ入らない。逆に衝撃が跳ね返り、まりなの手のひらを焼く。
     幻聴のように耳元で女の声が囁いた。
     
    ――壊さないで。あなたはもう“繋がって”いるのよ。

     瞳の前に亡霊のように浮かぶ無数の顔。エリカの残像、そしてこれまで犠牲になった人々の顔。彼らの口が一斉に「壊すな」と動き、身体が金縛りに遭ったように硬直する。
    (だめ……こんな声に惑わされちゃ……!)
     必死に石を握り直すが今度は指が勝手に開こうとする。石が吸いつくように皮膚と融合し始めていた。
    「離れない……!」
     まりなの向こうで航平が血走った目で声を張りあげる。
    「抗え! その石はお前を利用してるんだ! 意志を持っているように見えるのは“負の集合体”だからだ! 砕け! お前しかできない!」
     まりなは歯を食いしばり震える両手で再び石を頭上に掲げた。
     だが、砕けるかどうかはまだ分からない――。
     まりなの両手は血で濡れていた。何度も何度も石を床に叩きつけ壁にぶつけ爪が剥がれそうになっても壊れない。
    「壊れてよ……っ! 早く……!」
     その背後から冷たい気配が迫る。闇の中から長い黒髪が蛇のように伸び、まりなの足首に絡みつこうとする。
    「まりな、急げ! 壊すんだ!」
     航平の声が飛ぶ。だが石は硬く罅ひとつ入らない。
     絶望が心を覆う。
    (もう、ダメ……)
     様々な思い出がまりなの脳裏を駆け巡る。
     はるなの笑顔。友と過ごした小さな時間。航平と三人で笑いあった記憶。
    「エリカ。あなたを……憎まない」
     まりなは涙で濡れた顔を上げ叫ぶように石を両手で掲げた。
     石が眩い光を放った。耳を裂くような悲鳴とともに亀裂が走る。
    「――――ッ!!」
     まりなが掲げた手の中で何かが砕け散る音が響く。黒い髪は一斉に萎え闇が煙のように吹き飛んでゆく。
    床に残ったのは細かな破片と、ただの石屑だけだった。
     まりなはその場に崩れ落ち息を荒げる。
     自分の両手を見る。石が砕けて床にバラバラと落ちる。
    「壊れた、の?」
     パワーストーンは光の粒となり、ゆっくりと宙へ散っていく。まりなの体から力が抜け膝が崩れ落ちた。
    「まりな!」
     駆け寄った航平が彼女をしっかりと抱きとめる。辺りを包んでいた圧迫感は潮が引くように消えていった。
     重苦しい気配も耳の奥で鳴り響いていたあの唄も――すべてが、静かに消滅していく。
     遠くビルの隙間から朝日が差しこみ薄闇を淡く照らした。
    「壊れた。石は壊れた」
    「ホントに?」
     航平がまりなの顔を見てうなずく。
    「よくやった、まりな。……本当に、よくやったんだ」
     まりなの体は自由になった。
    「終わったのね」
     まりながかすれた声で呟く。その言葉に呼応するように残滓の光が完全に消えた。
     航平は彼女を抱きしめたまま、ただ強く頷いた。
     二人の胸の鼓動だけが静かな余韻を刻んでいた――。

    エピローグ

     春の風が校舎の廊下を吹き抜けてゆく。
     窓の外には桜が満開に咲き誇り花びらがキラキラと光りながら舞い落ちる。
     あの〈エリカの呪い〉の日々が嘘だったかのように教室には笑い声が戻っていた。
    「まりな、おはよう!」
     田村柚季が笑顔で手を振る。
     航平も、どこか疲れの抜けた表情で笑いかけてくる。
     まりなは少し戸惑いながらもその笑顔に応えた。

    ――こんな日常が、ずっと続けばいい。

     そう心の奥で願う。
    「やめなよ、そんなこと」
     廊下で声がした。
     女子生徒が別の生徒に肩を突かれている。取り巻きたちがくすくすと笑う。
     まりなは無意識に足を止めた。胸の奥に、あの日々の恐怖が一瞬だけよぎる。
     深呼吸を一つして、まりなは近づいた。
    「ねえ、ここ、通りづらいよね。場所を変えてくれる?」
     やわらかい声だったが、その瞳には強い光が宿っている。
     取り巻きたちは顔を見合わせ、そそくさと散っていった。突かれていた子が小さく頭を下げる。
    「ありがとう……」
     まりなは頬笑むと教室に戻っていった。
     窓の外には、青空と桜。
     彼女のポケットの奥には、あの日砕け散ったはずの〈石〉の破片のようなものが、ひっそりと入っている。その感触に、まりなはそっと息を吸いこんだ。
    「大丈夫、私はもう、負けない」
     そう呟いて笑顔のまま教室の扉を開ける。明るい日常と消えきらない影。
    その両方を胸に抱きながら、まりなは一歩、前に進んだ。

                                ~終わり~

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