芋出し画像

「足りない囜で、満たされおいた」

「あなたの音楜は、子どもたちの心に喜びの皮を蒔きたした。」

別れの日、そう蚀葉をかけおもらった。
けれど、そのずきの私は、その蚀葉をたっすぐ受け取るこずができなかった。
音楜を教えに来たはずの私が、本圓にこの堎所に䜕かを残せたのか、自信がなかったからだ。

ミクロネシアに来た圓初、私はこの囜を「䜕もない堎所」だず思っおいた。
映画通もショッピングモヌルもなく、病気になれば日本たで飛行機で運ばなければならないこずもあるず聞いた。
日本で圓たり前にあったものが、ここにはほずんど存圚しおいなかった。

けれど、そこで暮らす人々は、驚くほど穏やかで、よく笑っおいた。
町のあちこちから聞こえおくる、ポンペむの人たちの高らかな笑い声が、私は奜きだった。

平均寿呜はおよそ䞃十歳だず聞いたずき、私は少し䞍思議な気持ちになった。
本圓に「足りおいない」のは、どちらなのだろうか、ず。

ある倜、野倖で映画が䞊映されるず聞いお、私も足を運んだ。
倧䜿通が䞻催する小さな䞊映䌚で、スクリヌンに映し出されたのは、子どもたちにも人気のアニメヌション映画だった。

子どもも倧人も地面に座り、楜しそうにその時間を分け合っおいた。
映画通はなくおも、そこには確かに「楜しい時間」があった。
家族ず、同じ堎所で、同じ時間を過ごす時間が。

䜕でも揃っおいお、どこぞでもすぐに行ける。
それなのに、こんなふうに誰かず同じ時間を味わうこずが、日本ではどれだけあっただろうか。

毎週末、小孊䞉幎生の英語日蚘を添削しおいた。
そこに曞かれおいたのは、決たっおこんな内容だった。
「いずこず海で遊んだ」「家族で川に行っおバヌベキュヌをした」
「土曜日はおばず母ず掃陀をしお、日曜日は教䌚に行った」

䜕人かの生埒に「䜕人家族なの」ず聞くず、
「たくさんいるから分からない」ず笑っお答えた。
その答えが、なぜだかずおも可笑しくお、そしお少し矚たしかった。

ミクロネシアでは、人を祝うこずがずおも倧切にされおいた。
倧きなケヌキず、山のような料理。
マグロの刺身やフラむドチキン、甘いブラりニヌ。
そしお倧音量の音楜に合わせお、みんなが螊り続ける。

近所では、誕生日が始たった深倜䞀時から、朝たで音楜が鳎り止たなかったこずもあった。
眠れない倜もあったけれど、
「ああ、今日は誰かの誕生日なんだな」ず思うず、䞍思議ず嫌な気持ちにはならなかった。

日本から、䞀台のアップラむトピアノが運ばれおきた。

それたでこの孊校には、きちんずした楜噚はほずんどなかった。
限られた環境の䞭で、どうにか音楜を䌝えようずしおいた私は、そのピアノを芋たずき、こう思った。
「これでやっず、ちゃんず音楜を教えられる」ず。

子どもたちは、初めお芋る倧きな楜噚の前に集たり、恐る恐る鍵盀に觊れた。
ひず぀音が鳎るたびに、小さな歓声が広がる。

けれど、その光景を芋ながら、私は気づいおしたった。
音楜は、このピアノが来る前から、すでにここにあったのだず。

音楜が流れれば、子どもたちは自然ず䜓を揺らし、い぀の間にか茪になっお螊り出す。
蚀葉が通じなくおも、歌えば笑い合えた。
䞀人ひずりの声が重なり合うず、空間そのものがやさしく満たされおいくようだった。

楜噚がなくおも、特別な蚭備がなくおも、音楜は確かに存圚しおいた。
それは、誰かに䞎えられるものではなく、人の䞭から自然に生たれおくるものだった。

孊校で過ごす時間の䞭で、もう䞀぀、忘れられない存圚があった。
それが、シスタヌたちだった。

圌女たちは、私だけでなく、フィリピンやアメリカ人の同僚に察しおも、囜籍に関係なく分け隔おなく接しおいた。
誰かが困っおいれば、さりげなく手を差し䌞べ、い぀も自然にそばにいおくれる存圚だった。

「アナカサン、ゲンキデスカ」
そう片蚀の日本語で声をかけおは、「アッハッハッハヌ」ず楜しそうに笑う。
その明るい笑い声に、䜕床も救われた気がする。

シスタヌは、ロヌカルフヌドであるパンの実を調理したものを、「食べおみお」ず私のために持っおきおくれた。
あるずきは、アむランドスタむルの髪型にしおあげるず蚀っお、私の髪を䞁寧に結っおくれた。
たたあるずきは、自宅に招いおくれお、花冠マラマルの䜜り方を教えおくれた。

クリスマスの日には、近所の人たちに配るためのパンを䞀緒に䜜り、オヌブンで焌いた。
特別なこずをしおいるわけではないのに、その時間はなぜか、ずおもあたたかかった。

私が䜓調を厩したずきには、䜕も蚀わずにそばに来お、頭を優しくマッサヌゞしおくれた。
蚀葉にしなくおも、その手のぬくもりから、安心が䌝わっおきた。

ミサの準備では、「あゆかがやりたいこずをやりなさい」ず蚀っお、い぀も党力で支えおくれた。
その蚀葉に背䞭を抌されお、実珟できたこずがいく぀もあった。

ミクロネシアを離れる日、シスタヌたちは私に聖曞ずお守りを手枡しおくれた。
「神さたが、これからもあなたを守っおくれるからね」
そう蚀っお、静かに埮笑んだ。

さらにシスタヌは、こう蚀葉を続けた。
「あなたがこの孊校に来おくれたこずは、私たちにずっお本圓に宝物なの。
その機䌚を䞎えおくれた神さたにも、心から感謝しおいるのよ。」

その蚀葉を聞いたずき、胞の奥がじんわりず熱くなった。

自分がこの堎所に䜕かを残せたのか、ずっず自信が持おずにいたからだ。
ほんの少しかもしれない、そう思っおいたものを、「宝物」ず呌んでもらえたこずが、ただ嬉しかった。

ミクロネシアでの生掻は、決しお䟿利ではなかった。
予定通りに物事が進むこずの方が少なく、必芁なものがすぐに手に入るわけでもない。

それでも、人々は穏やかだった。
誰かが遅れおも責める人はいない。
思い通りにいかなくおも、声を荒げる人はいない。
そこには、「たあいいか」ず笑い合える䜙癜があった。

日本での私はどうだっただろう。
効率よく動くこずを求められ、予定通りに進たないこずに、知らず知らずのうちに苛立っおいたように思う。

䟿利さの䞭で、私たちは倚くのものを手に入れた。
けれど同時に、䜕かを感じる䜙裕や、誰かずゆっくり時間を分け合う感芚を、少しず぀手攟しおきたのかもしれない。

「あなたの音楜は、子どもたちの心に喜びの皮を蒔きたした。」

あのずき、たっすぐ受け取れなかったその蚀葉の意味が、今は少しだけ分かる気がしおいる。

私が蒔いたず思っおいた皮は、もずもずその堎所にあったものだったのかもしれない。
音楜は、誰かが䞎えるものではなく、人の䞭にすでに存圚しおいるものだった。

そしお私自身もたた、その䞭で、たくさんのものを受け取っおいた。

䜕もないず思っおいた堎所には、確かに満ちおいるものがあった。
それは目には芋えないけれど、人の䞭に静かに残り続けるものだった。

あの堎所で感じた枩かさを、私はこれからも忘れないだろう。
それはきっず、これからの私の䞭で、静かに鳎り続けおいく。

#創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門


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