
遺作
ある芸術家の男がいた。
彼は、ペットの遺体や生物標本、剥製を買い取って、それらで作品を作っていた。
動物の遺体を分解して、新しいオブジェを作っていたのだ。
最初の展示会。
会場中央には犬の頭部と鳥の翼と鹿の角で構成された巨大なオブジェが置かれている。
観客は嫌悪と好奇心の入り混じった視線を向けている。
ある女性が泣いていた。
展示作品の一部に、かつて飼っていた愛犬の遺体が使われていたからだ。
男は女性に近付き、静かに言った。
「あなたはその犬を愛していたのでしょう」
「当然です」
「ならば私も同じです」
「何を言っているんですか」
「私はあなたの犬を永遠にした」
女性は男の頬を叩いた。
男は笑っていた。
彼は冒涜的表現だと多くから強い批判を受けたが、一部の熱狂的なファンからは「新しい芸術のかたちだ」とカルト的絶賛を受けていた。
展示会で男に話しかけた大学生もそのファンの一人だった。
「先生の作品を見て初めて死が怖くなくなりました」
男は少し考えた後、
「それは違う」
と言う。
「私は死を否定しているのではない」
「では何を」
「死体を肯定している」
彼に対して批判的なジャーナリストが、彼に取材を申し込んだ。
「あなたは、なぜこんな作品を作るのですか?」
「神が生み出した生物を分解して、人間である私が再構築する、これが私の考える芸術だからだ」
「こんなものが芸術なのですか?」
「何が芸術で、何が芸術じゃないかを決める立場にあるのかね君は。私の表現の自由を制限する権利があるのかね」
「倫理的に問題があるのではないですか?」
「私は生物を殺していない。生物だったものを永遠にしているだけだ」
ジャーナリストはそれ以上何も言わなかった。
後日、ジャーナリストは取材した記事に『狂気の芸術家、その思想に迫る』というタイトルを付けた。
しかし、編集長は首を振った。
「ダメだな」
「なぜです」
「君の文章からは嫌悪しか伝わらない」
「嫌悪すべきでしょう」
「本当にそうか?」
編集長は原稿を机に置く。
「読んでいて思ったんだ」
「何ですか」
「私はあの男が嫌いだ」
「私もです」
「だが君の記事を読んだ後、展示会に行きたくなった」
ジャーナリストは言葉を失う。
ある日、男は急死した。
死因は不明。
しかし、彼は「私が死んだ後の、私の遺体について」の文書を息子に託していた
その文書にはこう書かれていた。
「私の遺体を用いて作品を完成させよ。それを私の遺作とする。」
息子は、その指示通りに、男の遺体を解体し、再構築し、新たなオブジェを作成し、広場に展示した。
広場中央には白い台座が置かれていた。
その上に人間がいた。
いや、人間だったものがいた。
腕は花弁のように開かれていた。
肋骨は鳥籠のように組み替えられていた。
脊椎は螺旋を描きながら天を向いていた。
顔だけは残されていた。
穏やかな表情だった。
まるで完成を喜んでいるかのように。
誰かが吐いた。
誰かが泣いた。
誰かがスマートフォンを向けた。
誰かが手を合わせた。
そのオブジェの傍らには作者の名前として息子の名前が記されていた。
警察は、死体損壊、死体遺棄の疑いで息子を逮捕した。
司法解剖の結果、男の決定的な死因は判明しなかったので、殺人罪は適用されなかった。
息子は自分が行なった行為については認めたものの、罪状については否認した。
「私は死体損壊などしていない。父の遺作を完成させただけです。私は死体遺棄などしていない。完成した作品を展示しただけです」
男の死後、男のカルト的支持者は相次いで後追い自殺した。
あの「死が怖くなくなりました」と言った大学生も、後に遺体で発見された。
遺書には「私は死体になりたくない」とだけ書いてあった。
ジャーナリストは面会で息子と会話した。
「あなたはなぜこんなことをしたのですか?」
息子は虚ろな表情で答えた。
「父は私を愛していませんでした」
「父は私の名前をあまり呼びませんでした」
「いつも作品の話ばかりでした」
「私はずっと考えていたんです。父にとって私は何だったのだろうと」
息子は続けて呟いた。
「だから私は父の作品になろうと思ったのです」
「私という存在は、父がいなければ生まれなかった。私という存在自体が父の作品なのです。父の生涯を作品として完成させるのは、作品として生まれた私の宿命です」
ジャーナリストは憤った。
「あなたたちのせいで、多くの人が後追い自殺をしました。あなたたち親子は何人の人生を壊したと思っているんですか?」
息子は表情を変えない。
「私は作品としての宿命を全うしただけです。彼らは父の影響を受けてはいるが、生涯を自分自身で終わらせた。彼らは死体になっただけで、作品になれなかった。もし父が彼らを見たら、"彼らの生涯は贋作にすぎない"と言うでしょう」
ジャーナリストは鋭く詰め寄った。
「では、あなたの生涯はどのようにして完成させるつもりですか?」
「私が死んだらあなたが私を再構築してください。それが私の本望です」
息子は初めて微笑んだ。
ジャーナリストは手帳を閉じた。
「考えておきます」
その言葉がなぜ口から出たのか、ジャーナリスト自身も分からなかった。
息子が拘留されてから10年後。
拘置所で息子が死んだ。
自殺だった。
遺書が一通だけ残されていた。
宛名はあのジャーナリストだった。
『あなたは約束を覚えていますか』
ジャーナリストは遺書を読み終えた。
窓の外では雨が降っていた。
十年前の面会室を思い出す。
『私が死んだらあなたが私を再構築してください』
あの言葉。
机の上には取材ノートが置かれている。
男の展示会。
息子との面会記録。
裁判記録。
後追い自殺した支持者たちの記事。
何十冊ものノート。
気が付けば、彼は人生の十年間を彼らに費やしていた。
男は死んだ。
息子も死んだ。
それでも彼らは、まだジャーナリストの人生の中にいた。
ジャーナリストは笑った。
「まったく……」
そう呟いてから、初めて気付いた。
自分が何に対して笑ったのか分からなかった。
机の引き出しを開く。
中には一枚の紙が入っていた。
十年前に面会室から帰った夜に書いたメモだった。
そこにはこう書かれていた。
『もし引き受けるなら、骨格はそのまま残すべきだ』
雨の音だけが聞こえていた。